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3話 タマの強い味方

 壁掛け時計は午後四時を指そうとしていた。

 根を詰めすぎるきらいのあるミケに休憩を取らせるため、一般的な午後のお茶の時間である三時に彼を訪ねるのが私の日課だ。

 それがこの日、ミケに指摘された通り遅くなってしまったのには、王妃様のハーブキャンディ作りを見学した以外にも理由があった。


「途中で国王様にお会いしましたけど、すこぶるお元気そうでしたよ。お医者様の手を借りて、庭をよちよち歩いていらっしゃいました」

「よちよち……まあ、歩けるまで回復なさったのならよかった。タマがここに来るのが遅くなったのは、父上の話し相手をさせられたからか?」

「おネコちゃんを抱っこしたいんじゃー! って駄々を捏ねられまして。お医者様と一緒に宥めるのが大変でしたよ」

「それはご苦労。ネコくらい軽いものだろうが、せっかく快方に向かっているところに、わずかでも腰に負担をかけるのはよくないからな」


 本来ならば、戦後処理の先頭に立つのはベルンハルト国王のはずだった。

 ところが、半年前の最終決戦直前に負傷──と、表向きはなっているが、実際のところはギックリ腰をやって療養中のため、一人息子であるミケが全てを肩代わりしているのだ。


「そんな国王様からミケに伝言です。〝今夜一緒に飲みたいから、一番いいワインを侍従長から掻っ払ってこい〟だそうです」

「相変わらず、人使いの荒いお人だ」

「私も王妃様と女子会する約束なので、ついでにもう一本、なんかいい感じのやつ掻っ払ってきてください」

「お前も大概だな。なんかいい感じのやつって何だ」


 そんなやりとりをしつつ、私はお茶を淹れるためにミケの膝から降りた。

 ここで、扉の側に放置していたワゴンを届けてくれたロマンスグレーの髪と口髭の上品な紳士──ただし、筋肉ムキムキである──がしみじみと言う。


「いやはや、大変癒やされました。ネコというのは、まことに尊い生き物でございますな」


 ベルンハルト王国軍でミケに次ぐ地位にある大将、ミットー公爵だ。

 その軍服のポケットからは猫じゃらしの柄が飛び出していた。

 国王様とは幼馴染の間柄で、ミケのアドバイザー的立ち位置の頼もしい人物である。

 ミットー公爵の着席を見届けると、その息子である准将以外の将官達も次々に席に着いた。全員仲良く子ネコの毛だらけである。

 その子ネコ達はミーミー鳴きながら、ワゴンの上でお茶の用意を始めた私の側に集まってきた。

 小さなモフモフ達が戯れ合う姿に、将官達がまた盛大に顔面を蕩けさせる。


「「「「「「やーん、かわいーっ!!」」」」」」

 

 私は彼らの表情筋が元に戻るのか心配になりつつ、人数分のカップに紅茶を注ぎ、ミケ、ミットー公爵の順にテーブルに置いた。

 すかさず、他の将官達の分を手慣れた様子で配ってくれたのは准将だ。

 彼は新たな椅子を持ってきて、ミケとミットー公爵の間に私の席まで作ってくれた。


「いえ、私のような部外者が、元帥閣下と大将閣下の間に座るなんて恐れ多いです」

「何をおっしゃいますか、タマコ殿! あなたは殿下の命の恩人であるとともに、ネコちゃん達の専門家! ベルンハルト王国軍にとっては賓客中の賓客ですよ!」


 などと力説する准将も、それにうんうんと首を縦に振りまくる将官達も、半年前の最終決戦本陣に居合わせていた。

 そのため、図らずもミケを庇う形になった私に好意的なのだ。

 異世界から来たという私の主張を完全に信じているかどうかはともかく、訝しんで排除しようとする者はいなかった。


「タマ、おすわり」


 ミケに至ってはペットに命じるみたいに言ってくる。

 私がおずおずと椅子に腰を下ろすと、それを見てニヤリと笑ったネコが、長テーブルの上をこちらに向かって歩き出した。


『むっふふふふ……刮目せよ、矮小な人間どもめ! このおネコ様の尊さに平伏すがいい!』


 フサフサの長いしっぽを揺らし、スーパーモデルのごとく優雅に闊歩するその姿に、将官達の目が釘付けになる。

 ミットー公爵もうっとりと目を細めつつ、カップを手に取った。

 

「こちらの世界にもネコに似た野生動物はおりますが、大型で獰猛ですのでとても人間の手には負えませんからね」

「その動物は、珍しいのですか? 私はまだ、見たことがありません」


 カップを傾けるミットー公爵に代わり、まだ口の中にハーブキャンディが残っている上、実は猫舌なミケが私の質問に答える。 


「やつらはレーヴェと呼ばれている。主に、森や高原を住処としているからな。まだ城下町から出たことがないタマには、目にする機会がないのも当然だ」


 私がこの世界にやってきた時、ミケは隣国ラーガスト王国の郊外に張られたベルンハルト王国軍のテントにいた。

 その膝の上で負傷した私は、終戦とともにベルンハルト王国の王都に運ばれたため、厳密に言えば森や高原を通っていることになる。

 ただし、元の世界で後頭部に衝撃を受けて以降、王宮のベッドの上で目覚めるまで一切意識がなかったため、ミケが言うようにレーヴェなる動物を見るチャンスはなかった。


「どんな猫ちゃんなんでしょう。会ってみたい……ミケ、時間ができたら探しに行ってきてもいいですか?」

「いいわけあるか。公爵の話を聞いていなかったのか。大型で獰猛で手に負えんと言っただろう。タマなんぞ、頭からバリバリ食われて終わりだぞ」

「頭からかぁ……」

「気にするところはそこか?」


 私とミケのやりとりに、ミットー公爵が声を立てて笑う。


「ははは……確かに、タマコ殿お一人でレーヴェを探しに行くのはお勧めできませんなぁ。恥ずかしながら、私は昔、痛い目を見たことがありましてね。確か、今の殿下くらいの嘴が黄色い年頃でしたでしょうか」

「今まさに私の嘴が黄色いと言われているような気がするのだが、気のせいか?」

『ぶぁはははっ! 随分とかわいげのないヒヨコじゃのう!』


 じとりと胡乱な目を向けるミケに、ミットー公爵は満面の笑みを返す。

 そこにやってきて爆笑したネコには、子ネコ達がむぎゅっとくっ付いた。

 ネコの腰の付近に毛玉ができているのに気づいた私は、後でブラッシングしてあげようと思いながら、自分のカップにも紅茶を注ぐ。

 ミットー公爵は、目の前に箱座りしたネコの毛並みをゆったりと撫でながら続けた。


「ラーガスト近くの森で、猛禽類に食われそうになっていたレーヴェの幼獣を保護しましてね。このネコのように、実に愛くるしい子でした」

『ぬかせ、人間! お前の目は節穴か! 我ほど愛らしい存在が、そうそうおるわけなかろう!』

「まだ目も開いておらず、毎日二、三時間おきにミルクをやって育てたのです。その甲斐あってすくすくと成長し、最初はおとなしかったものですから、十分に手懐けられると思ったのですが……」

『ぶぁははは! バぁカめ、人間! さては、油断しおったなっ!』


 レーヴェについての話を聞きたいのに、間の手みたいに入るダミ声がとにかくうるさい。

 とはいえ、やはり私以外の人間には猫の鳴き声にしか聞こえていないため、今まさに罵倒されているミットー公爵さえもにこにこしながらその毛並みを撫で続けている。

 そんな彼がネコの毛だらけになった軍服の左袖を捲ると、前腕の真ん中に鋭利なもので抉られたような傷痕が現れた。


「首輪を新しいものに付け替えようとした際にこの通り、手酷く噛まれてしまいましてね。骨まで折れて大変でした」

『ぬわーはははっ! ざまぁっ! 人間というやつは、すぐに思い上がって調子に乗りよるわっ! 自分達が手のひらの上で転がされているとも知らずになっ!!』


 ぎゃはぎゃは、げへげへ、と聞くに耐えない声が続く。

 どう聞いても、悪役の笑い方だ。

 それに合わせ、ネコの腰付近にできた毛玉がピコピコ揺れるのが目に付いた。

 この後も、ミットー公爵がしゃべる、それを掻き消すネコの罵詈雑言、毛玉が揺れる、の繰り返しだ。


(いや、ネコのせいでレーヴェの話が全然頭に入ってこないんだけど!)


 さすがにイラッとした私は、視界で揺れ続けていた毛玉を掴んだ。

 そのまま、ブチブチッと毛が抜けるのも構わず力任せに引っ剥がすと、ふぎゃーっと悲鳴が上がる。

 

『ひいっ……た、たぁああまこおおーっ!! おまっ……おまおまお前ぇ! 何をするんじゃああっ!!』

「何って、毛玉を取ってあげただけ……あっこれ、ネコの赤ちゃんか」


 ネコが毛を逆立てて鳴き喚く中、その言葉を解さないミケや将官達は目を丸くした。

 一方、ネコから引き剥がしたばかりの毛玉は、まだゴルフボールほどの大きさだったが、すぐにつぶらな瞳が現れてぱちくりし始める。


「「「「「「か、かわいいのが増えちゃったーっ!!」」」」」」

「こいつも他の五匹のように、二、三日もすれば子ネコの姿になるのか? つくづく謎な生物だな」


 将官達が顔を輝かせる一方で、ミケだけが冷静に呟いた。

 ネコの前身である毛玉は雌雄の区別もない無性生物で、こんな風に芽生生殖によって仲間を増やしてきた。

 ただ、先の五匹は自然にネコから分離しており……


『きいいっ! ばっかもん! 我の分裂は、毛を千切れば済むような単純なものではないのだぞ! 産みの苦しみも知らん小娘がっ! このっ、このこのこのっ!!』

「あーん、もー、そんなにはしゃがないでくださいよー」


 生まれたての子は、ネコが毛を逆立てて背中を丸め、サイドステップを踏む姿に驚いたのだろう。

 人間達がそのやんのかステップに気を取られている隙に、ミットー公爵の左袖の中へ逃げ込んでしまった。

 一方、私に猫パンチを浴びせようとしたネコは、ミケに首根っこ掴んで引き離される。


「おい、ネコ。タマを引っ掻いたら承知しないぞ」

『ぐぎぎぎっ、この王子めっ……相変わらず、ちらりとも我には魅了されんな! そのくせ、珠子のような毛並みが貧相な小娘に絆されるとは……もしや、特殊嗜好の持ち主なのか!?』

「……今、私の悪口を言いやがっただろう? そんな顔をしている。間違いない」

「ついでに、私の悪口も言いやがりましたね。そんな顔をしてます。間違いないです」


 ミケの嗜好が特殊かどうかはともかく、自分や子ネコ達の毛並みを基準にして私を禿げているみたいに言わないでもらいたいものだ。

 どうやらミケは彼らのフェロモンが効かない体質らしく、将官達のようにメロメロになる素振りがない。

 その代わり、私が発するわずかなフェロモンに反応して癒やしを得ている、というのがネコの見解だった。

 沽券を犠牲にして私を吸うのも、彼にとってはあながち無意味ではないようだ。


『このっ……このこのこのっ! 離せえええっ……!』


 ジタバタ暴れてミケの手から逃れたネコは、長テーブルの上を大慌てで駆け戻る。さっきの優雅なモデルウォーキングとは大違いの、実にみっともない走り方だ。

 その拍子に、ネコにくっ付いていた子ネコ達が振り落とされ、長テーブルの上にポテポテと落ちていく。

 おやおや、とそれを一匹ずつ拾った将官達が、再びデレデレし始めた。

 ネコは末席に着いていた准将の頭に駆け上がると、何食わぬ顔をしてカップに口を付け始めた私を涙目で睨んでくる。

 頭をゲシゲシ足蹴にされながらも、准将がうっとりとして言った。


「タマコ殿は、こちらの世界に来る以前はネコと触れ合う仕事に従事していたのですよね? ネコと一緒にいられる仕事かぁ……想像するだけでも夢のよう……」


 ふわふわモフモフのネコパラダイスを思い浮かべているのだろう。

 准将の言葉に、他の将官達も子ネコに頬擦りをしながらうんうんと頷く。

 一方、私はカップをソーサーに戻して遠い目をした。


「そうですよね……私も、最初はそう思って働き始めたんですけど……」

「なんだ。想像していたものとは違ったのか?」


 やっと紅茶に口を付け始めた猫舌のミケが問う。

 私は、その目元の隈が随分薄くなっているのにほっとしつつ頷いた。


「猫のお世話以外の業務で、行き詰まっちゃいましたね。時折、猫に負担をかける行いをする困ったお客さんがいて、そういう場合は私のような店員が対処するんですけど……」


 例えば、無理矢理抱っこしたり、フラッシュを焚いて写真を撮ったりといった行為は、猫に過剰なストレスを与えることになり、体調を崩す原因にもなる。

 勝手に持ち込んだ餌を与えるなんていうのも論外だ。しかし……


「堂々と規則を破るような連中が、タマに注意されたくらいで行動を改めるとは思えんが?」

「……おっしゃる通りです」


 強面でもマッチョでもない女──しかも、極度の人見知りに吃りながら注意されて反省するような客なら、そもそも最初からやらかさないのだ。


「逆ギレして怒鳴られて、さらには店長にも役立たずと詰られて……」


 功利主義の店長、クレーマーを押し付けてくる先輩、見て見ぬふりをする同僚──人見知りが災いして人間関係をうまく築けていなかった私には、味方をしてくれる人は誰もいなかった。

 自分はこの職場に向いていないと気づくのに時間はかからなかった。

 何度辞めようと思ったかも知れない。

 けれど、マンチカンのミケをはじめとする馴染みの猫達とは離れ難く、結局二年勤めてしまった。


「タマコ殿、たいへんでしたね……」


 私の話を聞いた准将は眉を八の字にし、他の将官達も揃って同情的な眼差しになった。

 みゃーおっ、と准将の頭頂部に陣取ったネコが鳴く。


『まったく! 珠子は世渡りがヘタクソすぎなんじゃい!』


 そんな中、いつのまにか俯いていた私の頭に、隣からミケの手が伸びてきた。

 猫カフェで歯を食いしばって働いていた時とは対照的な色合いになった髪を、猫を可愛がるみたいにわしゃわしゃと撫でる。

 そうして、彼はきっぱりと言った。


「そんな生き辛い思いをさせた世界になど、タマは絶対に返さん」


 私の強い味方は、どうやら異世界にいたようだ。

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