Chapter2「妄想と現実の区別ぐらいつけてください」
はあ、今日も今日とて講義は眠い。
講義室は生徒が50人ほどは居るものの、真面目に講義を受けている人物はどれほどのものなんだろう。
寝ている者。スマホをいじっている者。内職に勤しんでいる者。
そんな不真面目な生徒になど目もくれず、ひたすら手元の資料を参照して冗長に喋り続けている教授。
きっと教授からしたら研究の方が大事で、講義については特に熱を入れる必要もなく適当に終わらせられれば良いのだろう。邪魔をしてくる生徒がいないだけ、有り難く思っているのだろう。
教授のスタンスに対して決して異議を唱えたいとは思ってはいない。
世の中いろんな人がいるし、いろんな生徒がいる。
講義をすることで体力が削られて研究が疎かになるぐらいなら講義の労力はそれなりに削いで、研究成果を上げた方が効果的だろう。
だがねぇ。
それは教授目線の話で真面目な一般生徒からしたらねぇ。
頬杖をつき、雰囲気は甚だ不真面目学生のそれを醸し出している男は、スマホのチャットを一瞥した。
ショウは昨日雨に打たれたのが祟って風邪を引いた。
俺は無事だったのだが、ショウはそうもいかなかったらしい。
そもそも昨日の講義の他でショウと同じ講義を取っているのは数コマ程度しかないので、さほど会う機会があるわけではないのだが、とはいえ流石に昨日同じ雨に打たれた仲だ。お見舞いぐらいには行ってやりたい。
ショウが住んでいる寮は大学付近だからお見舞いにも行きやすい。
チャットでショウに「講義終わったらスポドリ買っていくわ」と送ると、講義室に響く教授の独り言に耳を傾けた。
講義が終わると、俺は昨日と同じ路を辿ってショウのいる寮に向かった。
正門を出るまでは昨日と同じ道なりだ。
半年も大学に通っていればいやでも見慣れた風景になる。
キャンパス内の広い歩道に芝生に針葉樹。そしてベンチに座るカップル…。
俺の見立てが正しければ、公共の場であそこまでイチャイチャできるカップルはもって関係性は数年といったところだろう。いっときの恋愛感情で距離感が近くなりすぎたカップルは、お互いのいやなところにも目が行きやすくなり、同極の磁石が反発するように、だいたい数ヶ月程度で破局する。
ある程度は恋愛は冷めた視点も必要だと思うのだが・・・。
まぁ大して恋愛経験を積んでない俺が言えることではないのだが。
そんなしょうもないことに考えを巡らせていると、昨日と同じ正門前までたどり着いた。
正門前には昨日と同じく、女が立っていた。
綺麗な艶のある黒髪。黄金比をもとに造られたようなシュッとした目鼻立ち。
昨日手に持っていた傘は今日は持っている様子はなく、服は趣向を変えて花柄のワンピースを着ている。
昨日の一件もあり、俺の視線は自然と女の方へ行っていた。
その理由はもちろん、昨日の不可思議な記憶の中心にいたのは、紛れもなくこの女だったからだ。
俺のこの時間帯の昨日の記憶は二重に存在している。
女が徐に傘を開きさした途端に雨が降り始めた記憶と、講義室を出る頃にはもともと雨は降っていて、傘を持っていなかったショウと俺は傘をささず講義室から歩いていた記憶。
いずれの記憶も現実として鮮明に頭に残っている。
ならばどちらが正しい記憶なのだろうか。
後者の記憶の中でも、もちろん女は正門前に立っていたのだが、こちらの場合では女は既に傘をさして正門前に立っていた。雨の中だから当然と言えば当然なのだが。
昨日の記憶の真偽を確かめたくて仕方なくなった俺は、思わず女に声をかけていた。
「ねぇ、教えてほしいんだけど、君、昨日もここに立っていなかった?」
「・・・」
どこか心ここにあらずといった様子で別のところに視線を向けていた女は、俺の方へ視線を向け直した。
「ああ、すまん。誰かと待ち合わせ中だった?」
「いや・・・」
女はやけに歯切れの悪い返しをした。
「違うけど・・・」茫洋としていた意識を徐々にこちらに戻すように言葉を続けた「あれかな。君、ナンパ?」
まさかの返しだった。
全然意識してなかったけど、そう捉えられても仕方ないシチュエーションだ。
俺はい必死に否定した。
「いや、違う違う! ナンパじゃなくて、ひとつ訊きたいことがあって」
透き通る瞳を向けられながら、俺は訊いた。
「昨日のこの時間って、晴れてなかったっけ? 昨日君を見たときは晴れていたような気がするんだ」
彼女の透き通る瞳の奥が、僅かに揺らいだような気がした。
間を空けて、彼女は答えた。
「昨日は、天気は雨だったし、観測上もそうだったはずだけど」
「ああ」
そうだ。彼女の言う通りで、昨日の天気は13時半ごろからずっと雨が降っている。3限目の講義は13時15分に開始し、講義が終わる14時45分には雨が降っていた。後からネットで検索してみても、昨日の天気は午前が曇りで、午後から雨であったと観測結果が表示される。
「でもさ、君が傘をさすまで晴れていた記憶があるんだよ。変な話なんだけど、君が晴れの中で傘をさした途端、雨が降り出したんだ」
彼女の瞳孔は確信とともに広がる。
「その記憶は鮮明に残ってるの? 雨の降っていた記憶は?」
「割と鮮明に残ってるよ。それがおかしな話でさ、どっちの記憶もあるんだよ。君が傘をさすまで晴れていた記憶がもともとの記憶で、そこから新しい記憶が追加された感じ」