第30話 攫われた狼少女
捕まっている生徒達からは悲鳴が上がり、ホール内の空気が更にピリピリしてくる。
すると、キャットウーマンがこっちに近づいて来た。
「おい、もうその辺にしておけ。この女は……」
「ああ、分かってるさ。おい、立て!」
牛頭に後ろ手に手を掴まれ、無理矢理立たされる。
くそ、これじゃあ身動きできねー。
するとキャットウーマンが、そんなアタシの頬をそっと撫でてきた。
「アンタ、人狼だね。アタシ等と同じ、魔族で獣人の一種だ。けど分かんないねえ、どうしてお仲間のアンタが、人間なんかを助けたんだい?」
キャットウーマンはさっきの女子生徒にチラリと目をやり、すぐにまたアタシに視線を戻す。
「はっ、仲間? ふざけんじゃねー! 悪党の仲間になった覚えなんてねーよ!」
「おやおや、ずいぶんな言いようだねえ。獣人同士だって言うのに」
「うるせー、お前らと一緒にすんじゃねー!」
身動きは取れないけど、心まで折れるもんかと、キャットウーマンを睨んで吐き捨てる。
獣人だからって、勝手に仲間扱いするんじゃねーよ。
「そんなことより、トワをどこへ連れて行った! さっさと返しやがれ!」
「威勢がいいねえ。こんな時に人の心配なんて、そんなにあの男が大事かい?」
「だったらどうした! 悪いか!」
「いいや、ただ気の毒だって思って。さて、アンタは縛らせてもらうよ。また暴れられたら叶わないからね」
キャットウーマンが、嫌なことを言う。
だけど牛頭が、もっとヤバいことを言ってきた。
「ならいっそ、手足を折った方が早いんじゃないか?」
「なっ!?」
おいおい、冗談じゃねーぞ。
けど、向こうも本気かも。何せ既に警備兵を手に掛けている、危険な奴ら。それくらいやっても不思議じゃない。
止めろ止めろ止めろ!
だけど抵抗しようともがくも、抑えつけられていて身動きが取れない。
これは本気でヤバいかも。だけどその時。
「これはいったい、何の騒ぎだ」
突然聞こえてきた、澄んだ声。
見ればホールの奥の扉から、さっきトワを連れて行った仮面の男が、戻ってきていた。
「何をしている? 手荒な真似はしないよう言ったはずだ」
「すみません。しかしこの女が」
「生徒に危害を加えないのが、彼との約束だ。君も、大人しくしてくれるね」
意外にも仲間を制してくれた仮面の男。
仮面をつけてるせいで表情は読めないけど、口調は穏やかだ。
けど、反対にアタシの心は、穏やかではいられなかった。
だってトワを連れて行った張本人が、目の前にいるんだから。
トワをどこへやった。ちゃんと無事なんだろうな!
「おい、その手を放してやれ」
「しかし」
「いいから放すんだ」
「はい……」
キャットウーマンも牛頭も、しぶしぶといった様子で頷く。
あっさり言うことを聞くなんて、やっぱりこの仮面の男が奴らのリーダーなのか。
まてよ、そうだとしたら……。
ある考えが浮かぶ。
そして手を放すよう言われた牛頭は、力を緩めてくる……よし今だ!
「おい、妙な真似するんじゃないぞ」
「分かってる……よっ!」
「がっ!?」
手を放した瞬間、アタシは牛頭の腹を、思いっきり蹴飛ばした!
この野郎、さっきはよくもやってくれたな!
だけど真の狙いはコイツじゃない。
直ぐ様戦闘体制に入る。
爪は鋭く伸びて、ドレスの下の体は、狼の毛で覆われていく。狼の本能を呼び覚まし戦闘力の増す、変身だ。
そして標的は、牛頭でもキャットウーマンでもない。
無防備な仮面の男に飛びかかった。
「ガルルルルッ!」
「──くっ!」
唸り声を上げて体当たりを食らわせると、仮面の男は仰向けに床に倒れ、アタシはそこに馬乗りになる。
コイツだ。コイツさえ押さえたら、トワを返してもらえるかもしれないし、生徒のみんなだって守れるかもしれない。
「──っ! この狼娘!」
ヤバッ!
仮面の男を助けようと、キャットウーマンがこっちに来た。
だけど──。
「させるか!」
「なっ!?」
キャットウーマンの前に立ち塞がったのは、ハイネ!
さっきアタシがやったみたいに、二階から飛び降りて来た!
ハイネは素早く倒れている警備兵の剣を取り、キャットウーマンの腹にフルスイングした。
「があっ!?」
強烈な一撃を食らったキャットウーマンは、声にならない声を上げる。
だけど、血は出ていない。剣を抜く暇はなかったみたいで、鞘をつけたまま、斬るんじゃなくて殴ったからだ。
けどそれでもあの勢いでやられたんだもの。平気なはずがない。
キャットウーマンがは腹を押さえてうずくまった。
「ナイス、ハイネ!」
「バカ野郎! 後先考えずに動いて、俺がいなかったらヤバかったぞ!」
「そこはほら、ハイネならなんとかしてくれるって信じてたから」
嘘だ。本当はハイネがどうするかなんて、全く考えていなかった。
けどおかげで助かったよ。さあ、後は……。
下敷きにしている、仮面の男を見下ろす。
「形勢逆転だな」
「他の奴も動くな!」
手出しされないよう、赤い月の奴らを睨むハイネ。
何かこっちが悪者になったみたいだけど、この際仕方がない。
これで、アタシ達の勝ち。そう思ったけど。
「は……ははっ、はははははっ」
「お前、何がおかしい?」
「いや、すまない。やることが凄いなって思って。そっちの彼もそうだけど、大人しく隠れていれば、安全だったのに」
隠れていれば安全? バカ言うな!
仮面の男の胸ぐらを掴んで、上半身を起こさせる。
「隠れてたら、お前を捕まえられねーじゃねーか。おかしな事言ってないで、さっさと生徒を解放……」
解放しろ。そう言おうとしたけど。
ふと心地の良い香りが鼻をくすぐって、言葉が途切れた。
これは、香水? 仮面の男からは何かの匂い、植物のような香りがする。
だけど全然キツくなくて、むしろ苛立っていた心が落ち着いてきて、穏やかな気持ちになっていく。
何だろう、この匂い。何かは分からないけど、ずっとこうして嗅いでいたい……。
「おい、ルゥ!」
「えっ……」
ハッと我に返った瞬間、私の体は後に突き飛ばされ、尻餅をついた。
仮面の男だ。奴はアタシの隙を見逃さずに、反撃してきた。
「できれば、大人しくしていてもらいたかった。こんなことになって、残念だよ」
マズイ。奴が自由になっちまった。
そして油断しているのか、それとも余裕の現れか。仮面の男はゆっくりとした足取りで、アタシに近づいてくる。
そして奴が、ローブの下から何かを取り出す。それは鋭い刃をした、剣だった。
「ルゥ⁉ させるか!」
仮面の男を見て、いち早く動いたのはハイネ。
先手必勝とばかりに一瞬で仮面の男の前へと駆け、自分が手にしていた剣を振りかざす。
けど。
ガキィィィン!
甲高い金属音が、ホールに響く。仮面の男が、ハイネの一撃を受け止めたんだ。
「この……」
「いい一撃だ。けど俺を倒したとしても、計画は止まらない」
「計画? いったい何を企んでる!」
「それは自分で調べてみなよ。俺に勝てたらね!」
「うわっ!」
ハイネ!?
せめぎ合っていた二人だったけど、勝ったのは仮面の男。
奇襲をかけたはずのハイネを、逆に吹っ飛ばした。
アイツ、丁寧な口調とは裏腹に、メチャクチャ強えーんじゃないのか。
「こ、の……」
「どうした。これくらいで根を上げるほど、ぬるい稽古はしてないはずだろ」
「くっ……」
仮面の男は一発、二発と剣を振るい、斬劇を浴びせる。
対してハイネは、防戦一方。
しかもだ。攻撃を受けるハイネの目は、赤く染まっているじゃないか。
つまりは太陽の騎士団に掛けられた、強化の呪薬の力が発動してるってこと。にも拘らず押されているなんて、相手は化け物かよ!
アタシも、いつまでも寝てられねえ。
立ち上がって、仮面の男めがけて爪を振るった。
「このー!」
「――っ! 君か。けど二人がかりでも、俺には勝てない」
「うるせえ! そんなこと、やってみねーと分かんねーよ!」
アタシの一撃を、仮面の男は避ける。だけど合わせるように、ハイネの剣も奴を襲う。
策も何もないけど、きっと勝機はあるはず。そう信じて、二人で仮面の男を攻め続けた。
だけどその時、奴の部下の1人が叫んだ。
「何を遊んでおられるのです。早急に任務を遂行せよと言うのがあの方の指示を、使命を忘れなさるな!」
「──っ、了解だ!」
部下と喋ってるけど、余所見してんじゃねえ──えっ?
途端に、奴の動きが変わった。
アタシは奴の仮面めがけて爪を振るったのだけど、まるで軌道を読んでいたかのように、頭を動かされて空振りする。
よ、避けられた? 完璧に捉えたと思ったのに。
すると。
「すまない。君には少し、眠っていてもらう」
仮面の男がローブの中から取り出したのは……小瓶?
奴は中に入っていた液体を、アタシにふりかけた。
「あ……」
鼻をついたのは、酸っぱいお酒のような匂い。
刺激が強くて、こんなものを嗅がされたら普通は、寝ていても飛び起きそうなのに。何故か頭がふらついて、意識が薄れていく。
「な……なんだ、これ……」
「言っただろう、眠ってもらうと。君は何をしでかすかわからない。放置しておくと厄介だからね」
「まさか、眠り薬? こんなもん、どうってこと……」
ない、と言おうとしたけど。
言いかけた言葉とは裏腹に、ガクンと膝が崩れて、床に膝をつく。
何だこれ。いくら眠り薬だからって、効くの早すぎるだろう。
「ルゥ⁉ お前、ルゥに何をした!」
「安心してほしい。本当にただ眠るだけだから。ただ人狼用に特別に調合した薬だから、とてもよく効くはずだよっ!」
「ぐっ!?」
仮面の男の放った蹴りがハイネの腹にめり込み、大きく吹っ飛ばされる。
今の、骨折れてないよな!?
「終わりだ。簡単に動揺して隙を作るのが、君の悪い癖だ」
倒れたハイネに、仮面の男が冷たく言い放つ。
アタシは駆け寄ろうとしたけど、頭がボーッとしてるし、体の自由も効かない。
ハイネがやられて、生徒達の悲鳴が飛び交っているのに、それらがやけに遠くに感じる。
ダメだ……スゲー眠い……。
「これで目的は果たした。長居は無用だ、彼女を連れて撤収するよ」
「撤収? この場で始末するのでは?」
「これだけ騒いだんだ。外にいる本物の警備隊が気づいても、おかしくないよ。多少の計画変更はやむなしだ」
「了解です」
仮面の男と部下のやり取りが聞こえてきた気がしたけど、何の事か理解できない。
するとその部下がこっちにやって来て、背負われる感覚があった。
止めろ……触んな……アタシをどこに連れて行く気だよ……。
「ルゥー!」
意識が薄れていく中、最後にアタシを呼ぶハイネの声が聞こえた気がした。




