04.「そうだ、誕生日プレゼント」(1/2)
*
「かんぱーい!」
「かんぱーい」
かぁん、と気持ちのいい音。
意識が戻った直後の奇襲とはいえ、私も馬鹿じゃない――一度した失敗を繰り返しはしない。微かに灯った意識を叩き起こしながら、澪の差し出す缶に自分のそれを押し付けた。
前回のようなごたごたはもちろんなく、乾杯した勢いのままお互いひとくち目を呑み込んだ。炭酸が喉を沸き立てる刺激で、私の意識が完全に覚醒する。
「……どう? 美味しい?」
二度目――厳密には、一周目のときと合わせておそらく三度目のそのセリフ。
「ぷはぁー」
口の中いっぱいに広がる炭酸の刺激に目を眇めて、澪は気持ちのいい息を吐き出した。缶に目を落としながら、舌を動かして余さず味わっている。
「美味しい! ……けど、これほんまにアルコール入ってるん? なんか普通のジュースの味しかしぃひんねんけど」
「あぁ、まぁそうかもね」
とりあえず、記憶のとおりに進んでいく会話に身を任せる。
ロードしたログにおいては、私が行動を大きく変えない限りはほとんど同じ出来事が起きる。人も物も――世界は元通りの筋書きをなぞって進む。それはつまり、出来事を変えたくなければ、私は記憶のとおりに行動するべきということでもある。
カオス理論。バタフライエフェクト。タイムパラドックス。パラレルワールド。
タイムループを題材にした話は腐るほどあるが、得てして、そうした制御不能の現象に振り回されて取り返しのつかない事態に陥っている。実際のところ、どれくらいの過去の改変が、どれくらいの変化に発展するは分からないけれど――どうしても得体の知れない怖さが拭えないため、極力変化を抑えるように努めているのだ。
どうしても変えなければならないところ以外で、無駄なノイズは作りたくない。
「私の感覚だと五パーセントくらいからちょっとアルコールの味がしてくる気がするから、三パーセントじゃ味はただのジュースだよね」
「そういうもんなんか……。まぁでも、最初から強いお酒飲むの怖いしな。不味く感じちゃってもアレやし」
「うん、ちょっとずつ度数上げていけばいいよ」
ちょっとした会話の一言一句をいちいち覚えてはいられないから、私の言い回しなどは少し変わっているだろう。それに応じて澪の発言も若干変わっているのだとは思うが、会話の骨子が変わらなければその辺りは大丈夫なはずだ。
さすがに、少し語尾が変わったくらいで世界が滅ぶなんてことはない。……と信じたい。
さて、確かこのあとは。
「…………一ヶ月しか変わらへんのに、やけに先輩面やな」
「え!? ……こ、これから敬語使えよ?」
あ。
「え、嘘、百点満点の返しやねんけど。……なんで?」
「……澪先生のレッスンのおかげかな」
「ちょっと待って、弟子の成長を感じたときの嬉しさと寂しさってこの感じなん……!? あかん泣けてきた」
一度した失敗を繰り返さないことが、むしろこの場では馬鹿なのか。
思わずカンニングした模範解答を口にしてしまったが――まぁ、このくらいのノイズなら、会話の流れで自然と調整される範疇だろう。そもそも、こんなふざけた理由でまたやり直すのは愚かにも程がある。
その後も、おおよそ二周目の流れに即しながら順調に誕生日パーティーを進めていった。澪に胸を引きちぎられる件に続いて、落ちる缶をキャッチするスーパープレイ、大トロで餌付けされる小動物な私。缶のキャッチに関してはやめておこうか悩んだけれど、かといって一周目にどんな行動をしたかの記憶が曖昧なのだ。結局、澪に疑われることを犠牲に、記憶の鮮明な二周目を再現するに至った。
全てを食べ終わって、二周目だと私が発情期に入って澪にアプローチした頃。
既に多少のノイズは生まれているけれど、ここからがこのロードの本題だ。
「そうだ、誕生日プレゼント」
「え、嘘やん」
ぱん、と手を叩いて言い出した私に、澪は心底驚いた様子である。
「待って、あんだけのご飯も全部紬希の奢りやってんで? さらにプレゼントとか、さすがに申し訳なさすぎるねんけど……」
私の立場で思うことではないが、彼女の言い分は尤もである。
先ほどの晩餐。量に驚かされるということは、即ち値段も恐ろしい額になっているということだ。それに、店自前の出前システムがない場合、間に他社の出前サービスが噛むことになるため、さらに値が張る。
まぁまず澪には言わないが、実のところ財布への打撃は凄まじいものだった。
言われずともそれを察しているから、澪はプレゼントに気が引けているのだろうが。
「他でもない二十歳の誕生日なんだよ? ここで贅沢しなきゃいつするのって話だよ」
「いや待って、その理論やと紬希が二十歳なったときにあたし何にもあげてないから卑怯者やん」
「それは仕方ないよ、私の誕生日なんて新学期でお互いバタバタしてた時だったし。何なら私のほうが時間作れないくらいだったじゃん」
「それはそやけど……」
納得はしていない様子だが、澪は眉を下げて押し黙った。完全にとはいかずとも、ひとまず口籠るくらいには説き伏せられたようである。
絶対的な金額として痛手であることに間違いはないが、私の心理的財布では満足のいく買い物だ。澪のためなのだから、お金を理由に妥協はしたくない。
……とは、言いつつも。当のプレゼントというのは、別にこのために新しく買ったものではない。
「ちょっと澪、目瞑ってて」
「う、うん」
私が立ち上がりつつ言うと、若干の煮え切らなさを見せながらも、澪は言われた通りに両目を伏せた。
目を瞑っても決して崩れないその美貌に見蕩れて、思わずキスでもしてやろうかと思ってしまった。格好つけて「無駄なノイズは作りたくない」なんて抜かしていた自分といよいよ喧嘩が始まりそうで、無理やり欲望を抑えつけてやり過ごす。
「ちょっと、ラッピングするから」
「え、今からラッピングなん?」
「まぁまぁ、細かいことは気にしないで」
当然だ。パーティー直前のログをロードしてから考えついた案なのだから。
「細かいか? たぶん人類史上初のレベルやで、ここでラッピングすんの」
「私はパイオニア」
「え、ど、どうしてん」
土壇場で意味不明なボケを放つことで、澪を混乱させることに成功した。いや、だから無駄なノイズは極力なくさないといけないんだけど。
ともかく、このプレゼント、実はプレゼントと見せかけた秘密兵器だ。それこそ、パーティー直前でロードしたのだ、ラッピングどころかプレゼントもあるはずがない。もう少し前に戻って準備からやり直しても良かったが、やり直す時間が長ければ長いほどノイズの発生率は大きくなる。ノイズを抑えるためには、私の行動の変化が上手く作用する範囲の中で、最新のログをロードするのが最善手だ。
私は、勉強机にある筆箱から、一本のペンを引き抜いた。黒いボディの、かなり太めで重いボールペン。
一般的にノック部分となっているペンの上端を押しても、ペン先は出ない。代わりに、クリップの内側にほんのりと光が灯った――電源がオンになったのだ。
そう、これは。
ボールペンに見せかけた、ボイスレコーダーである。