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セーブローダーズ ・Save-Loaders・  作者: 乙糸旬
【三幕】デバッグ ・Debug・
48/60

25.「……自分を好きになってくれて、ありがとう」(2/2)

 真心の身体が――見えづらい。白い光に溶け込むように、(かす)んでいる。

 彼女の笑みが、ゆっくりと、浅くなっていく。(はかな)さが前面に現れた頃に、返事が(つむ)ぎ出された。


『バレちゃったか』

「ねぇ、それって――……」

『うん。……きっと、もう、時間なんだと思う』


 …………。

 言葉を返せるわけがなかった。

 笑顔で言うのだ、彼女は。もちろん、笑顔で別れよう、というのを二人で(あん)に共有していたのだけれど。いざそんな顔を見せられると、切なくて、苦しい。

 馬鹿な話題で()らしていた現実が、いきなり牙をむいてきた。


「ほんとに、もう、会えないの……?」

『……そうだね』


 やけにきっぱりと言い切ったのは、無駄な希望を持たせたくないからだろう。私の性格を誰よりも知っているから、そう簡単には(すが)らせてくれない。


『だけど、私が消えると言っても、東仙(とうせん)紬希(つむぎ)という人間から真心が――深層心理が消えるなんてことはもちろんあり得ない。こうして話すことができないだけで、私はずっとあなたと一緒にいる』

「それは……分かってるけど……」


 ぐず、と。

 自分が泣きかけていることに、今気づいた。案の定、彼女のいたずらっぽい笑みがここぞとばかりに咲く。


『なに、また泣いてるの?』

「まだ、泣いてないけど。でも、泣くよ、そりゃ」

『やっぱり、まだ臆病かもしんないね』

「自分のことを好きになったんだから、あなたとの別れが悲しいのは当たり前じゃん」


 意地悪を言う彼女に負けたくなくて、涙を(こら)えながら毅然(きぜん)と言い返してやる。そんな私の姿さえも、彼女は(たの)しそうに笑ってのける。


『うそうそ、意地悪言ってごめんね。……というか、ありがとね』

「え、……なにが?」

『笑って別れたいっていう私の気持ちを()み取ってくれて』


 ()み取った――というより、読み取った。彼女の考えが読みやすいのは元からだったが、ここ数回の関わりで、その精度が一気に加速したのだ。


『ほんとは心の中で号泣してるくせに、お得意の下ネタで無理して笑わせようとしてくれてたでしょ』

「また嫌な言い方する……」

『でも、ほんとに助かったよ。私、涙見せるわけにはいかないからさ』

「……なんで、」

『あなたの中で、どうやら私は強さの権化(ごんげ)になってたらしいから』

「そんなとこまで読み取らないでくれる……!?」


 無性に恥ずかしくなって、思わず強い口調で返してしまう。彼女は相変わらず笑って流すが。

 私と彼女は一心同体。同一人物。

 だから私は彼女の言外の意図が読み取りやすいわけだが、それは無論、逆も同じことだ。というか、私の思考は彼女のおさがりという話だから、読もうとしなくたって知られている。私にプライバシーはないのか――いや、自分相手のプライバシーなんて訳が分からないけれど。

 真心が、大きく息を吸う。ここの綺麗な空気をふんだんに味わうように。


『せっかく楽しい話してたのに、いつの間にかしんみりしてきちゃったね』

「うん……」

『ねぇ。最後にさ――()()()()()()()()

「無茶ぶりの頂点!」


 私みたいな陰キャにとっては致命傷の注文だった。そもそも、私みたいな陰キャはそんな注文をされることはないけれど。

 面白いこと……。

 (みお)じゃないんだから漫談なんてできるわけないし、一発ギャグなんて持ってないし、変顔もこれまでやってきてないから分かんないし……。関西のノリを学ぶより、すぐに使えるギャグでも教えてもらっていればよかった!


「…………」

『……ギブ?』

「いや、」


 ……下ネタだ。下ネタは全てを解決する。

 自己嫌悪の次に得意だったのが下ネタトークなのだ。その自己嫌悪がなくなったというのなら、私の特技ランキングに繰り上げが起こって、今や下ネタが一位になっている。私という人間が最も得意とするものを、ここで振る舞わなくてどうする……!


「待って、ブラ外すから」

『ブラ外すから!?』


 驚嘆(きょうたん)に震える彼女を尻目に、私は服の上からブラのホックを外した。ブラを外すことが目的というより、胸を自由にすることが目的だ。

 上体が地面と水平になるように腰を折って、胸を重力に従わせる。これまでは澪の嫉妬と攻撃の標的だったこの胸が、艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越え、ついに輝くときが来た。もう、(みだ)らな肉塊とは言わせない。


「いきます」


 その宣言で、自分でハードルをぶち上げながら。

 胸の前で構えた両拳を糸を巻くように高速で回転させて、()られた肉塊を叩いた。



「パンチングボール」



 ぽよぽよぽよぽよ…………。


『…………』

「…………」


 ぽよぽよぽよぽよ……ぽよ…………ぽよん。

 沈黙。


「ど、どう……!?」

『どうしたって笑えない』

「どうしたって笑えない!?」


 あまりの辛辣(しんらつ)な反応に、私は恥ずかしくて恥ずかしくてなぜか胸を隠した。ブラを外しても服は脱いでいないから、別に隠さなくても隠れているけれど。しかも相手は自分だけれど。とにかく羞恥(しゅうち)で何がなんだか分からなくなっていた。

 ちなみにパンチングボールというのは、赤とか黒とかの意匠(いしょう)が多い、ボクサーが高速でパンチして練習するアレだ。昔動画でちらっと観たのが、どういうわけか今頭に降って来たのである。


『いや、自分の身体でそれやられても笑えないよ。澪なら笑ってくれるかもね』

「そんなテンションで言われても!」


 こんな空気にしておいて、澪の前でやれる自信が出るわけがないだろう。人前に送り出す責任を持ってほしい。


『ていうか、痛くないの、付け根』

「めちゃめちゃ痛い」

『でしょうね』

「たぶんちぎれた」

『ちぎれてはない』


 冷たすぎる。

 あれか、これがかの有名な“スベる”というやつか。死に匹敵する苦しみだ。

 と、澪が身を置いてきた関西という地獄を噛みしめていると、ふいに真心が噴き出した。今回は、私も同時に、というわけにはいかなかった。


『ごめん、ほんとはすごく面白かったよ。ていうか、後からじわじわ来ちゃった』

「どうしたって笑えないって言ってたじゃん!」

『スベらせたくて』

「ひ、人殺し!」


 意図的にスベらせるのは殺人に等しい。スベった私が言うのだから間違いない。

 とはいえ、結果的に笑ってくれたのならよかったとも思えた。彼女が楽しそうに笑えるのなら、私が(はずかし)められるくらい、取るに足らないことである。

 だって、もう。


「ねぇ、身体が、」

『……うん、そろそろだね』


 気づけば――というか気づいていないふりを()めれば、彼女の身体の透明度が(いちじる)しく増していた。もう、表情がぎりぎり読み取れるレベルの(かす)みようだ。話せているのが不思議にすら感じてくる。

 言葉ではなく、道理が、この時間の終わりを告げている。


「いや……消えちゃ()だよ、待って、」

『最期の最期で、臆病なところ見せないでよ』

「でも……」

『私はもう、あなたの背中を押すことはできない。気づいていない知識に誘導してあげることもできない。……これからは、自分の足だけを(たの)みに進んで、自分の知識だけに従って決断してもらわないといけない。臆病になんて、なってる暇ないよ』

「…………」


 私が澪を追い続けられたのは、まず間違いなく、彼女の言葉に勇気づけられたからだ。(すき)あらば自己嫌悪に陥る私を、無理やりにでも()き動かしてくれた。澪へと、手を届かせてくれた。

 そこまでしてくれた彼女の幕引きに至ってなお、心配をさせるのか。澪に劣らぬ大恩を、ここに来て(あだ)で返すのか。

 そんな私を、私は好きでいられるだろうか。


「……自分の、足だけじゃない。自分の知識だけじゃない」

『…………』

「澪と、一緒だから。これまで澪に助けられたぶん、今度は私が助けてあげて――でもやっぱり、助けてもらうこともあって。そうして、二人で歩いていくし、二人で決断する。……もう、あなたにも、澪にも、任せない」

『……成長、したね』


 その声は、ひどく、弱くて。

 ゆっくり、けれど確実に消えゆくその眼差しから、私は目を離さない。いつものようには、(うつむ)かない。現実から、目を()らさない。

 たとえ付け焼き刃であっても、強くなった自分を見せたい。


「ありがとう、卑怯な私に活を入れてくれて。ありがとう、臆病な私に発破(はっぱ)をかけてくれて。ありがとう、私を成長させてくれて。……大好きだよ」

『……自分を好きになってくれて、ありがとう』


 次の言葉が最後になることが、分かってしまった。



『おかげで、私はあなたを好きなまま()けるよ』


挿絵(By みてみん)


 最後の笑みは、それはもう、言うまでもなく最高で。自分だと思えないくらいに可愛くて。神々しくて。美しくて。

 消え入る最期まで、彼女は絶世の美女であり続けた。


「ありがとう……。ほんとに、ありがとう……」


 私の口癖が、ごめんなさいから、ありがとうに変わりそうだった。

 彼女が消えて、私が涙を流して、それからいくらか時が流れて。

 視界とともに思考が強力な白に支配されて、私はこの天国を後にした。



       *

※今話の挿絵は、pixivに掲載しております。

 https://www.pixiv.net/artworks/109769806

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