25.「……自分を好きになってくれて、ありがとう」(1/2)
白一色の、光の空間。ログハウスとはまるで正反対の。
空気が美味しい――ここは一体どこだろう。
澪とキスを交わしたことまでは覚えている。そのあと、どうなってここに来たのかが分からない。炎に包まれていたことによる熱さや痛みは、今となっては夢だったかのように何も感じない。
炎――そうだ、真心。
「ねぇ、いる……?」
どこに向かって言うでもなく、ただ独り言ちた。
順当に考えれば、彼女はもういない。だけど、まだ話すことができるという、根拠のない確信があった。きっと最後に話すために、この空間があるのだと。
沈黙が流れる。ログハウスの冷たい沈黙ではない。春風が吹き抜けるような、温かい静寂。
『……だーれだ』
果たして、そんな呑気な声が聞こえてきた。
全方位から、なんてことはなかった。特有の響きを持ちながらも、その主は私の後方にいる。
「自分相手にそれは無謀すぎるよ」
『あっはは、そうだよね』
振り返ると、晴れやかな笑みを浮かべる彼女――私がいた。
「最後に、会えると思ってた」
『うん、最期……だね』
「……寂しい?」
『そう、だね』
言って、真心は儚げに目を細める。
たったこれだけでも、彼女が弱さを見せるのは思えばとても珍しいことだ。無意識に、私の中の強さを形にした像だと思っていたほどだから。強い弱いではなく、不甲斐ない私と、それに発破をかける私、という感じだったのかもしれない。いずれにしても、数えきれないほど助けられた。
もう、会えなくなるのか――と。アドレナリンの分泌が治まった今、冷静に考えると胸に来るものがある。
「あ、……腕。それに、火傷も」
『うん、なんか治ったみたい。不思議だね』
今の真心は、ちぎれ飛んだ右腕も、火傷で爛れた顔も、綺麗に元通りだった。まるで、先の激戦がなかったかのように。
ここがどこかは結局分からないが、何とも不思議な空間である。
「…………」
『…………ど、どうかした?』
「いや、」
それこそ、さっきはアドレナリンマックスでそんな場合じゃなかったから、一瞬しか思わなかったけど。やっぱり。
「なんかさ、私ってこんな顔だっけ」
『えぇ……?』
「鏡は美人に映るっていうけど、それってかなりの補正率なんだね。私ってもっと可愛いと思ってた」
『えぇぇ…………?』
私に言われても、と言いたげだ。
自分が思っていたより自分が可愛くないという意見を自分から聞かされている自分。なるほど、どんな感情が生じるのかも分からないし、反応にも困り果てるわけだ。
「もっと目大きくなかった? 鼻ももっとシュッとしてて、口ももっとエッチな感じだったと思うんだけど」
『知らない知らない、分かんない。ずっとこうだよ』
「髪ももっと艶やかじゃなかったっけ」
『髪は肉眼で見えてるじゃん』
「ごねんね、なんか、ブスって言ってるみたいで」
『いや、自分に言われてるから嫌味にも何にも感じないけど……。逆に、そんなに自分の顔こき下ろして、あなたが辛くないの?』
「かなり辛い」
『やめといたほうがいいよ』
冷えた突っ込みが、しかし、場を温めた。二人で噴き出して笑ってしまう。
これが、言葉を交わす最後の機会。二人ともそれを分かっていて――分かっているからこそ、触れられない。一生続けたいなんて思いながら、どうでもいい会話を繰り返す。
私を喝してくれていた彼女でさえ、今は現実逃避に走っていた。
「ねぇ、ムラムラしてきた」
『嘘でしょ……自分に?』
「そう。だって、顔はともかく、身体はエッチじゃん」
『エッチっていうかビッチじゃん、自分でそれ言っちゃったら』
「澪を嫉妬させるくらい胸大きいし、お腹は一応締まってるといえば締まってるし、おしりも大きすぎず小さすぎずで――ボン、キュ、ポ、みたいな感じで」
『ポってなに』
「まさに理想のボディーだよね」
『おかしいな、私ってこんな自惚れてたっけ……』
澪にちょっとした下ネタを吹っ掛けているときが会話の最大瞬間風速だと思っていたけれど、その記録を悠々と超えてしまった。まさか自分に下ネタを浴びせて自分に突っ込まれる流れがこんなにも心地よいとは、考えたこともなかった。
澪から自分に乗り換えてしまいそ――ダメダメ、冗談でも言っちゃいけない。
呆れの笑みから安堵の笑みへと、真心の表情が移ろう。
『でも……それだけ、あなたが変われたってことなのかもね』
「え?」
『いやいや。今のあなたを見てたらね、とてもじゃないけど、自己嫌悪が特技には見えないよって話』
「あぁ……」
『目的は澪に頼ってもらうためとはいえ、上手く変われだした自分のことが好きになったんだね』
「…………」
まぁ……確かに。
自分の口で、二度も言った。現実の澪と、真心の澪に。
澪が私を好きだと言ってくれたことで、私は私を少し見直すことができた。それは別に、今になってのことではない――一周目のときから、澪が好きだと言ってくれて自信に繋がっていた。さらには、澪の存在があったからこそ、結果として自分の短所にアプローチするに至ったわけで。
考えれば考えるほど、澪には頭が上がらない。
「……私ね、あなたに背中を押してもらってる中で、思ったんだ」
『なにを?』
「自分のための変化を避けるのは、ただの臆病で済む。だけど――大切な人のための変化まで避けるのは、卑怯なんだって」
『…………』
臆病と、卑怯。
辞書を引くと、実はどちらも、“勇気がない”というニュアンスの意味が充てられている二語である。
「卑怯な自分は大嫌いだけど、臆病な自分なら好きになれる。私を自己嫌悪から解放してくれたのは、だから、あなたのお陰でもあるんだよ」
『……私は、卑怯と臆病の違いを気づかせようとしただけ。卑怯も臆病もまとめて解消したのは、あなた自身だよ』
「臆病も……解消?」
『澪に好かれる自分になって、結果自分に好かれる自分にもなれたんでしょ。卑怯どころか、今のあなたのどこを臆病って罵れる?』
「もう何言っても褒め殺してくるじゃん」
しめた、とばかりに彼女が目を眇めた。
『自己嫌悪が自己陶酔に変わってきたね』
「あー! 嫌な言い方!」
真心はすなわち深層心理。
彼女が私を褒めていることが動かぬ証拠だから、言い方を指摘することしかできなかった。自己陶酔の手前、自尊心あたりで留められるように努めなければならない。
私の突っ込みで笑ってくれた彼女を眺めていて、……背筋に電撃が走った。
「え、待って、身体が……!」