24.「全部私に預けろっつってんの!!」(4/4)
熱い、痛い……!
自分の声帯の産物と思えない呻きを上げながら、私は底力まで動員してとにかく意識を繋ぎ続けた。澪の未来に加えて、真心の犠牲まで背負っているのだ。何がなんでも、一歩として後退を許すわけにはいかない。
『もう諦めてーや……! なんでそこまですんねん!』
自分で火力が分かっているからだろう、澪の口調がどんどん弱くなる。
どれだけ鬱病に毒されていても、彼女の底にある優しさは嘘ではない。本当なら、私を炙るなんてことはしたくないのだ。
証拠に、炎の勢いが、一瞬弱まった。
申し訳ないけど、澪。今だけはその優しさを利用させてもらうよ。
「何度も言ってるよ、恩人だからだって……!」
『だから、何の話か分からへんねん! あたしとあんたって、出会ったばっかりやろ……!』
「出会ったばっかりだけど、初めての出会いじゃない! 私たちには、時間以上の絆がある! 運命の絆が!」
『はぁ……!?』
彼女の動揺が、みるみる浮き彫りになっていく。炎の勢いは着実に弱まり、その束もまばらになってきた。
その間隙を、私は進む。どれだけ足を進めても炎から抜けることのない、このとんでもない悪路を。
「でもね、その絆、澪の我慢の上に作っちゃってたんだよ……!」
『なんの話や……』
「私が頼りないから、私がすぐ逃げる腰抜けだから……! 澪は自分を犠牲にして私と付き合ってくれてたのに、私は澪に負担をかけてばかりだった!」
『…………』
――まさにあたしが苦手なことやわ、それ。
私がレポートの手抜きについて話したときに、澪が返した言葉だ。
今思えば、この“苦手”というのは不得手を表すものではなく、好まないという意味でのものだったのではないだろうか。学生としてやって当たり前のレポートすらきちんとやらずに楽なほうへと逃げるのは苦手で――好きになれない、と。
「頼れる部分をひとつも見せないで、『なんで私に相談すらしてくれないの』だってさ。ほんと、被害者面もいいとこだよね……!」
少しでも辛いことがあったら精神を病むと自白する就活生を、企業は採用したいだろうか。
敵に出会ったら一目散に逃げ出すと豪語する戦士を、勇者は旅に同行させるだろうか。
何事からも逃げようとする友人に、自分の悩みを打ち明けたいだろうか――。
そんな単純なことにも気づけなかった私は、一体どこまで愚かしいのか。そんな自分に気づきもせずに、どっぷり自惚れて、澪の自殺に直面したら被害者面。本当に、本当に本当に、どうしようもない。
だからこそ、ここで諦めるなんて、何があっても無理な話だ。
「澪、最後に一回、チャンスをちょうだい……! 私、絶対に変わるから――澪だけに辛い思いをさせないから! 澪のためだったら、性格だって捻じ曲げられるし、人生だって賭けられる!」
『そんなん――』
炎が、弱まった。
澪が折れてくれた――いや、違う。嵐の前の静けさ。
『そんなん信じれるわけないやろ!!』
「うぁ――ッ!」
火力の上昇というより、ほとんど爆発に近いそれ。さっきまでの火力と風圧を取り戻した大火が、再び私を焼き尽くそうと包み込む。
澪の反発が強くなった。無理もない――心の核心にどんどん近づいているのだから。絶望に染まって見えるこの道は、間違いなく希望への旅路だ。
『お前がどんな根拠で言ってんのか知らんけどなぁ! そんなこと言われて、どう信じたらええねん! あたしがどんだけ辛い思い抱えてるか分かってるか!? そんな言葉を信じて裏切られでもしたら、心の最後の砦が崩れんねんぞ! じゃあ誰も寄せつけずに――誰も信じひんほうがあたしのためやっつってんねん!!』
「だからこうして身体張ってるんでしょ!!」
炎の勢いに負けじと怒鳴る澪に、私も引き下がらない。
怒号の応酬。その一勢力が自分だなんて、昔の私には理解できないだろう。
「信じてもらいたいから――澪を助けたいから、今こうして身体を張ってるんだよ! もう全身の感覚がなくなるぐらい熱くて痛いし、意識を飛ばさないようにするので精いっぱいだよ! 脳が痛みに独占されて、もうピントも合ってないし自分の声もほとんど聞こえない! それでも絶対に引き下がらない!」
『っ……!』
「身体張ったから認めろなんてことは言わない――澪はこんなものより辛い思いをずっとしてるんだから……! だけど、今の私にはこれしか誠意を示す方法がない! 別の方法で誠意を証明してほしかったら、なんでも言って! どんなことだってやってみせるから! 澪に生きてもらえるなら、痛いことだって苦しいことだって、いくらもできるから!」
『…………つむ、ぎ、』
私の優勢を、炎の弱化が示す。
風圧が弱まった隙を突いて、震える脚で歩を進める。平衡感覚も狂って、真っ直ぐ進めているのかさえ分からないけれど。ただただ澪だけを目指して、進む。
「もう昔の私じゃない! 澪の最期を見ても自分の保身優先で、一度や二度咎められたぐらいでは逃げたい気持ちが勝ってしまうような、救いようのないクズはもう嫌だ……! そんな私から変わるために、命も性格も人生も、全部澪に捧げるって言ってるの! だから、……だからさ、」
踏ん張れ、私。
足が震えてたっていい。痛みで神経が悲鳴を上げたっていい。脳が限界を訴えたっていい。
踏ん張れ、踏み込め、踏み切れ。澪に手を届かせろ――!
「――澪の命と人生も、全部私に預けろっつってんの!!」
炎を掻き分けて、踏み切る。痙攣する筋肉に鞭打って、力の限り。
極限に昂った感情が、耳を疑う悪態を吐かせたけれど――澪の心に届くなら、そんなものはどうだってよかった。
少し跳んだくらいでは逃れられない炎熱に下半身を灼かれながら、届く限り澪へと手を伸ばす。届く限りじゃ少ない――限界よりもっと先へ、数センチでも……!
「み、お……っ!」
『っ……!』
色が消える。音が消える。
過剰に分泌されたアドレナリンが引き延ばす、感覚のない時間。
炎の轟音や呼吸音はぷつりと絶ち消え、身を焦がし続けているはずの業火の熱も感じない。無の世界を駆ける私の意識は、ただただ澪だけに据えられていて。
私の手に反応して、彼女の手がぴくりと動く。拒絶の気持ちが、負けようとしている。
だけど――。
届、かない……っ!
『ほら、行って――……』
ふわり。
「ぁ……」
優しく、そして力強く。背中を押す温かい手。
振り返らずとも分かる――私の真心。
私の直感が告げている。彼女は、もう、猛炎に呑まれて消えてしまっていると。話す口も、押す手も、とっくに失っていると。そんな状態に成り果ててなお、言葉と手で私の背中を押してくれたのだと。
私の心が、云っていた。
「澪――ッ!」
『つむ、ぎ……っ!』
真心の最後の想いで一歩分伸びた私の手に、遂に澪が手を伸ばして答えた。
まるで運命の赤い糸が結ばれるように――否、結び直されるように。私たちの手が、互いの手をしっかりと握って、繋がった。一帯を焦がし続けていた青き業火は、その瞬間、嘘だったかのように消し飛んだ。
私と澪の息遣いだけが溶け込む空間。直前まで、地獄だったはずの場所。
「この、ワガママめ――……」
丸焼きにされたことへの仕返しがてらにそう吐き捨てて、澪の手をぐっと引いた。
『んっ……!?』
寄せた唇に、私の唇を押しつけてやった。