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セーブローダーズ ・Save-Loaders・  作者: 乙糸旬
【三幕】デバッグ ・Debug・
46/60

24.「全部私に預けろっつってんの!!」(4/4)

 熱い、痛い……!

 自分の声帯の産物と思えない(うめ)きを上げながら、私は底力まで動員してとにかく意識を繋ぎ続けた。(みお)の未来に加えて、真心の犠牲まで背負っているのだ。何がなんでも、一歩として後退を許すわけにはいかない。


『もう諦めてーや……! なんでそこまですんねん!』


 自分で火力が分かっているからだろう、澪の口調がどんどん弱くなる。

 どれだけ鬱病に毒されていても、彼女の底にある優しさは嘘ではない。本当なら、私を(あぶ)るなんてことはしたくないのだ。

 証拠に、炎の勢いが、一瞬弱まった。

 申し訳ないけど、澪。今だけはその優しさを利用させてもらうよ。


「何度も言ってるよ、恩人だからだって……!」

『だから、何の話か分からへんねん! あたしとあんたって、出会ったばっかりやろ……!』

「出会ったばっかりだけど、初めての出会いじゃない! 私たちには、時間以上の絆がある! 運命の絆が!」

『はぁ……!?』


 彼女の動揺が、みるみる浮き彫りになっていく。炎の勢いは着実に弱まり、その束もまばらになってきた。

 その間隙(かんげき)を、私は進む。どれだけ足を進めても炎から抜けることのない、このとんでもない悪路を。


「でもね、その絆、澪の我慢の上に作っちゃってたんだよ……!」

『なんの話や……』

「私が頼りないから、私がすぐ逃げる腰抜けだから……! 澪は自分を犠牲にして私と付き合ってくれてたのに、私は澪に負担をかけてばかりだった!」

『…………』


 ――まさにあたしが苦手なことやわ、それ。

 私がレポートの手抜きについて話したときに、澪が返した言葉だ。

 今思えば、この“苦手”というのは不得手(ふえて)を表すものではなく、好まないという意味でのものだったのではないだろうか。学生としてやって当たり前のレポートすらきちんとやらずに楽なほうへと逃げるのは苦手で――好きになれない、と。


「頼れる部分をひとつも見せないで、『なんで私に相談すらしてくれないの』だってさ。ほんと、被害者面もいいとこだよね……!」


 少しでも辛いことがあったら精神を病むと自白する就活生を、企業は採用したいだろうか。

 敵に出会ったら一目散に逃げ出すと豪語する戦士を、勇者は旅に同行させるだろうか。

 何事からも逃げようとする友人に、自分の悩みを打ち明けたいだろうか――。

 そんな単純なことにも気づけなかった私は、一体どこまで愚かしいのか。そんな自分に気づきもせずに、どっぷり自惚(うぬぼ)れて、澪の自殺に直面したら被害者面。本当に、本当に本当に、どうしようもない。

 だからこそ、ここで諦めるなんて、何があっても無理な話だ。


「澪、最後に一回、チャンスをちょうだい……! 私、絶対に変わるから――澪だけに(つら)い思いをさせないから! 澪のためだったら、性格だって()じ曲げられるし、人生だって賭けられる!」

『そんなん――』


 炎が、弱まった。

 澪が折れてくれた――いや、違う。嵐の前の静けさ。


『そんなん信じれるわけないやろ!!』

「うぁ――ッ!」


 火力の上昇というより、ほとんど爆発に近いそれ。さっきまでの火力と風圧を取り戻した大火が、再び私を焼き尽くそうと包み込む。

 澪の反発が強くなった。無理もない――心の核心にどんどん近づいているのだから。絶望に染まって見えるこの道は、間違いなく希望への旅路だ。


『お前がどんな根拠で言ってんのか知らんけどなぁ! そんなこと言われて、どう信じたらええねん! あたしがどんだけ(つら)い思い抱えてるか分かってるか!? そんな言葉を信じて裏切られでもしたら、心の最後の砦が崩れんねんぞ! じゃあ誰も寄せつけずに――誰も信じひんほうがあたしのためやっつってんねん!!』

「だからこうして身体張ってるんでしょ!!」


 炎の勢いに負けじと怒鳴る澪に、私も引き下がらない。

 怒号の応酬(おうしゅう)。その一勢力が自分だなんて、昔の私には理解できないだろう。


「信じてもらいたいから――澪を助けたいから、今こうして身体を張ってるんだよ! もう全身の感覚がなくなるぐらい熱くて痛いし、意識を飛ばさないようにするので精いっぱいだよ! 脳が痛みに独占されて、もうピントも合ってないし自分の声もほとんど聞こえない! それでも絶対に引き下がらない!」

『っ……!』

「身体張ったから認めろなんてことは言わない――澪はこんなものより(つら)い思いをずっとしてるんだから……! だけど、今の私にはこれしか誠意を示す方法がない! 別の方法で誠意を証明してほしかったら、なんでも言って! どんなことだってやってみせるから! 澪に生きてもらえるなら、痛いことだって苦しいことだって、いくらもできるから!」

『…………つむ、ぎ、』


 私の優勢を、炎の弱化が示す。

 風圧が弱まった(すき)を突いて、震える脚で歩を進める。平衡感覚も狂って、真っ直ぐ進めているのかさえ分からないけれど。ただただ澪だけを目指して、進む。


「もう昔の私じゃない! 澪の最期を見ても自分の保身優先で、一度や二度(とが)められたぐらいでは逃げたい気持ちが勝ってしまうような、救いようのないクズはもう嫌だ……! そんな私から変わるために、命も性格も人生も、全部澪に捧げるって言ってるの! だから、……だからさ、」


 踏ん張れ、私。

 足が震えてたっていい。痛みで神経が悲鳴を上げたっていい。脳が限界を訴えたっていい。

 踏ん張れ、踏み込め、踏み切れ。澪に手を届かせろ――!


「――澪の命と人生も、全部私に預けろっつってんの!!」


 炎を()き分けて、踏み切る。痙攣する筋肉に(むち)打って、力の限り。

 極限に(たかぶ)った感情が、耳を疑う悪態を()かせたけれど――澪の心に届くなら、そんなものはどうだってよかった。

 少し跳んだくらいでは逃れられない炎熱に下半身を()かれながら、届く限り澪へと手を伸ばす。届く限りじゃ少ない――限界よりもっと先へ、数センチでも……!


「み、お……っ!」

『っ……!』


 色が消える。音が消える。

 過剰に分泌されたアドレナリンが引き延ばす、感覚のない時間。

 炎の轟音や呼吸音はぷつりと絶ち消え、身を焦がし続けているはずの業火の熱も感じない。無の世界を駆ける私の意識は、ただただ澪だけに()えられていて。

 私の手に反応して、彼女の手がぴくりと動く。拒絶の気持ちが、負けようとしている。

 だけど――。

 届、かない……っ!



『ほら、行って――……』



 ふわり。


「ぁ……」


 優しく、そして力強く。背中を押す温かい手。

 振り返らずとも分かる――私の真心。

 私の直感が告げている。彼女は、もう、猛炎に()まれて消えてしまっていると。話す口も、押す手も、とっくに失っていると。そんな状態に成り果ててなお、言葉と手で私の背中を押してくれたのだと。

 私の心が、()っていた。


「澪――ッ!」

『つむ、ぎ……っ!』


 真心の最後の想いで一歩分伸びた私の手に、(つい)に澪が手を伸ばして答えた。

 まるで運命の赤い糸が結ばれるように――否、結び直されるように。私たちの手が、互いの手をしっかりと握って、繋がった。一帯を焦がし続けていた青き業火は、その瞬間、嘘だったかのように消し飛んだ。

 私と澪の息遣いだけが溶け込む空間。直前まで、地獄だったはずの場所。


「この、ワガママめ――……」


 丸焼きにされたことへの仕返しがてらにそう吐き捨てて、澪の手をぐっと引いた。


『んっ……!?』


 寄せた唇に、私の唇を押しつけてやった。

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