24.「全部私に預けろっつってんの!!」(3/4)
振り返ると同時に、私の頬をひっぱたいた。ぱぁん、と一音。
振り向いたその姿は、当然と言えば当然、私そのものだった。なんか鏡で見るのと違うなぁ、とか、思ってたより不細工だなぁ、とか、どうしても出てきてしまう無駄な思考をすぐに振り払って集中し直す。
見合わせた彼女は、怒りというより、切実な表情。
『今のが、私がしてあげられる最初で最後の物理的な喝だよ。どうかこれで、覚悟を立て直してほしい』
「…………」
最初で最後。
これまで何度も言葉で私の背中を押してくれた彼女からの、餞別――いや、置き土産。去るのは彼女のほうなのだ。自己を犠牲に、私の覚悟に賭けてくれている。
そこまでされて覚悟が決まらないのは、昔の私だ。
今の私は。
「ごめん、一瞬だけブレてた。でも――もう大丈夫」
『……よかった』
「ありがとう」
安堵に満ちた笑顔を向けた彼女は、ゆっくりと起き上がって、私に背を向ける。その姿は、まるで英雄かのように力強く感じた。
私と澪の真心同士が、真っ向から向き合った。
『澪……どうか私に、あなたを助けさせてほしい』
『だから、会って間もない奴に助けられる義理はないって言ってんねんけど』
『会って間もないと感じるのは仕方ない。だけど本当は、私とあなたには何にも代えられない絆があるの。それをこれから、証明していくから』
『相変わらず訳わからんこと言うなぁ……! もうめんどくさいって、何回言ったら分かんねん!』
また、澪が炎を飛ばす。地を這い、音を立て、私の前で構えるもう一人の私へと突き進む。その迫力に気圧されることのない彼女は、身体の前で交差させた腕で、正々堂々と受け止めた。
凄まじい衝撃。見ているだけで痛くなるほど。
『何度言われても聞き入れない! 澪が心を開いてくれるまで、私たちはここから離れない!』
『ならあたしが無理やり出て行かせる!』
『やれるもんならやってみなよ、澪――!』
自分でありながら自分を釘付けにしてしまうような覇気で、真心が炎を振り払った。さっきは押し負けた炎を、それこそ――気合で。
彼女が、ちらとこちらに視線を飛ばす。
彼女の意図は、誰かと顔を突き合わせて話す以上に、読み取ることができる。誰かの意思を汲むのではない――自分の意図に気づくだけのことだ。
――後に続いて。
アイコンタクトは、そう云っていた。
『いくよ』
「うん……!」
私が起き上がったのを見届け、彼女が前を走りだす。私も全力でそれを追う。
何度も吹き飛ばされて、澪のもとまではそれなりの距離がある。さらに、はじめより随分と勢いを増した炎が、まるで壁のように立ちはだかっている。自分から、炎に突っ込まなければならない。
『炎は私が全部受け止める。きっと途中で力尽きて消えちゃうけれど――あなたは絶対に止まらないで。何があっても突き進んで、澪の手を取ってあげて。真心を説得しないと、澪に未来はない』
「……うん、」
途中で消えちゃう、という部分に引っかかったが、もう、覚悟を揺るがすわけにはいかない。自分の返事を耳で拾って、さらに肝を据える。
一気に距離を詰める私たちに、当然澪の真心は焦りを見せた。
『来るなって言ってるやろ! いい加減にしろ!』
『うっ……!』
迫る炎の塊を、前を走る真心が身を挺して突き破る。そのたびに体勢を崩しても、力の限り踏ん張って次の一歩に繋げる。熱いだろう、痛いだろう――それでも、手をつくことさえ許さない。
『どれだけ拒絶したって、私たちは諦めないよ!』
『この……ッ!』
『いい加減、受け入れてよ!』
『くっ……!』
澪の表情が歪む。難攻不落に思えた彼女の態度が、少し、崩れ始めていた。
何より、私の真心が強すぎるのだ。澪の心の鉄壁を次々と突き破っていく。本当に私の中にこんなにも力強い要素があるのかと、疑ってしまうほど。
とにかく、澪を想う気持ちに、一分の隙も見せなかった。
『どうしても近づくって言うんやったら……!』
澪の目元に、さらに怒りが宿る。一帯の炎が豪とうねった。
『死ね――!!』
青炎が視界いっぱいを覆い尽くし、私たちを襲う。
これまでとは比べものにならない、空気を歪ませる大熱。風圧も数段強まった。
『ぐぅ……あぁ……ッ!』
「駄目……無理しないで!」
あまりの火力と風圧に足を止めた真心は、もう、おそらく限界だ。身体の端々が溶けかかっている事実を、見ないふりはできない。
『無理ぐらいさせてよ……! あなたと違って、私は早くから身を滅ぼす覚悟を決めてたんだから!』
「っ……」
『無理して最期を迎えないと、後悔で死にきれないでしょ……! 私は――ぐぅっ!?』
「いや――ッ!?」
その瞬間、私のすぐ横を何かが通った。
何か――なんて、誤魔化すのはもうやめだ。彼女の右腕が、風圧に負けてちぎれ飛んだのだ。血液を噴きながら回転する腕が、風圧の成すままに、私の後方へと吹き飛んでいく。
それにつられた意識を前に戻せば、受け止めている炎が、真心の身体に燃え移っていた。彼女の全身を端々から蝕んでいく。
『やっぱり、もたないか……!』
言って、彼女がこちらを見やる。顔の皮膚が、ところどころ火傷で赤く爛れていた。
それでも強く差す眼差し。そこに私は、彼女の深い覚悟を見た。
残った左手を、必死にこちらへ差し出してくる。
『ごめん……盾としてすら力になってあげられない』
「そんなこと……!」
『手、繋いで。最後の力で、澪の元まで届けてあげるから』
言葉にされる前に意図を汲み取っていたから、言われるのとほぼ同時に彼女の手を取った。
その肌は熱い――だけどやはり、それだけだ。私にとっては、熱いだけなのだ。
『最期まで一緒にいてあげられなくてごめんね』
「ううん……」
『今のあなたなら、絶対に何でも上手くいくから。私が保証するから』
「うん……」
『私への餞別として、最初の成功、見せてよね』
「うん――うぇえッ!?」
ふわりと笑んだ真心。
一転、真剣な眼光を宿した彼女は、腰を捻って、全身全霊で私を前方へとぶん投げた。片腕を失っているとは考えられない力の伝達で、華奢な女子大生の投擲とは思えない初速で打ち出される。
炎を裂いて描かれる放物線は、上空から真っ直ぐと、澪の真心へと向かった。
『しつこいなぁ!』
「ぐ……っ!」
もちろん派手に宙を行く私に気づかないはずもなく、澪はこちらに向けても炎を放射した。地面から四、五メートルくらいにいるであろう私のもとにも、青いうねりは瞬く間に到達してしまう。
「だから、それこそ無駄だって、言ってるでしょ……!」
『黙れ!』
いかな熱さとはいえ、人間は慣れてしまう。はじめより我慢がきくようになってきた私にとって、幻覚の炎など存在しないに等しい。
ただ、風圧だけは無視できない。熱風で減速した私は、予定していた放物線の軌道から外れて、澪から数歩分離れた位置に落下した。逆風で減速していたとはいえ、数メートルの高度からの着地の衝撃は全身を軋ませる。
地について、澪へ向き直るより先に。一際激しい炎が、私を一気に呑み込んだ。
「う、うぁ……!?」
全身を掻き毟る激痛。
あつ――熱い、痛い!
さっきまでとは、明らかに勢いが違った。強大な痛みの知覚によって、意思に反して筋肉が小刻みに震える。脚の筋肉の制御が損なわれるとなれば、熱さと痛みだけの幻覚だとしても見過ごせない。それどころか、あまりに強力な刺激に意識が飛びそうにさえなっていた。
明滅する視界に澪をぎりぎり留められても、そもそも視覚刺激に脳を集中させられない。
「ぁぐ……がああぁぁあ!」
※今話の挿絵の高画質版は、pixivに掲載しております。
https://www.pixiv.net/artworks/109674639