24.「全部私に預けろっつってんの!!」(2/4)
燃えている炎を触ってみようなんて考えないから、これまで灯籠の火が身体にどう作用するかなんて知らなかった。
目は、それを青い炎だと云うけれど。身体はそうは云わないようで。
つまり、皮膚を爛れさせるような物理的な火ではなく、熱さは知覚させても結局は目を騙しているだけの、幻覚。実際は存在していないもの。
だったら、負け筋には繋がらない。
「四肢が焼け落ちるならまだしも、熱いと感じるだけで、澪を諦めるわけないでしょ……っ!」
『なんやねん……お前はなんやねんさっきから!』
「恋人だよ! 澪が好きだって言ってくれた、恋人だよ。私に私を好きだと思わせてくれた、恩人なんだよ……!」
『知るか! 一年以上見てきたかなんか知らんけどなぁ、あたしからしたら会ったばっかりの隣人や!』
さらに火の勢いが増す。同時に、熱さの知覚もヒートアップした。
怯むな――無理なことはない。いくら熱いと感じても、いくら痛みが訴えても、私の脚は焼け落ちない。それで進めないなら、ただの甘えだ。
一歩、一歩、熱風に耐えながら進む。
いける、いける。澪に手を届かせろ。
「み、お……!」
『駄目、炎から離れて――!!』
「っ……!?」
完全な不意打ち。前方へ集約されていた意識の、薄い間隙へ。
今聞こえたのは、澪の声ではなく――私の声。例によって独特な響き方をする、私の真心の声だ。
虚を突かれて脚の力が抜けてしまって、私は再び熱風に掬われた。
「あっ、ぐっ――!」
地面で跳ねて、身体が痛む。アドレナリンで抑えていた炎の痛みも、今になって全身を激しく駆け巡った。脳を震えさせる激痛が、一挙に押し寄せる。
「うぐ……ぁ……っ!」
『ごめんなさい――でも、あれ以上炎に焼かれているわけにはいかなかった……!』
聞いたことのないくらい焦った声音で、彼女が言葉を投げかけてきた。痛みに歯を食いしばりながらも、身体を起こして、会話を試みる。
「どういう、こと……!?」
『あの炎、あなたの身体に直接害を与えることはできないみたいだけれど――』
そう前置きして、言い辛そうに続けた。
『あなたの能力を、壊す力があるみたい』
「え……?」
私の、能力。
好きなときにセーブをして、好きな過去をロードできる力。
それを壊す……?
つまり――もう、自分の意思でセーブやロードができなくなるということか。長年寄り添ってきた力が、突然手から離れるわけだ。
そうなれば、普通の人たちと同じように、取り返しのつかない生活に逆戻り。気づかぬうちにセーブして、無意識にロードして、ログが尽きれば終わり――その残数さえも知らない人生。何かを守りたいと願っても、やり直して現実を変えることは敵わない。
そんな、普通の人間に。
「……いいよ、それくらいなら」
『それくらい――って、どういうことか分かってるの……!? もし澪の最期を避けられなかったときのこと、考えてる……!?』
「考えてるよ。……というより、元々もうロードはしないつもりだったから」
『……今からやり直して、もっとすんなり事が運ぶようにした方が、』
「駄目――もう、ジャンクログは作りたくない。澪の死は私が回避できても、私の死は回避できない。私が無駄に死に近づくわけには、もう、いかないんだよ」
『…………』
もう一度澪との出会いの日に戻って、もっと平坦な道のりを模索する。
フロントラインから戻るよりは、もちろんマシだけれど。今からのロードでも、八十枚以上のジャンクログを生成することになる。それも、存在すら怪しい道のりのために。
これまで散々ジャンクログを生み出してきた私にとって、そうした無駄な浪費を無視するわけにはいかないのだ。
それを分かっているから、真心も一旦口を閉じた。
『そう――……』
変な間。
『前――ッ!』
「えっ、」
声に衝き動かされて意識を前方に向けると、あろうことか炎の一塊が地を這いながら押し寄せていた。今さらながらこの世のものとは思えない現象に、足が竦んだ。竦んだ足を――気合で無理やり動かす。
既のところで横に飛び退き、高熱を受けるに止まった。炎は、私の横を通り過ぎたのちに溶けるように霧散した。
足の竦み程度で立ち止まっている場合ではない。今の私は、四肢が断たれたとしても這って進む覚悟がある。
『何をがたがた話してんのか知らんけど――失せろ言うてんのが聞こえへんのか!』
現実ではあり得ないほどに目くじらを立てた彼女が、絶叫に近い叫びをあげながらこちらを睨み付ける。敵意なんてものではない。憎悪――殺意。
空気を走る緊張感が、びりびりと電流のように肌を刺激する。
『気を付けて――まだ来るよ』
「うん……」
言われずとも、澪の動きで分かる。私を殺そうとさえしているような目。
『さっさとあたしの中から出ていけ!』
『走って――!』
さっきの比ではない火力の炎風。それも、一束どころではない。
真心の檄に押されて、火の手の進行方向と垂直に走り出す。澪の憎しみの籠ったそれが、私のすぐ背後を掠めていく。走るのは苦手だが、捻り出した気合で、炎の群を掻い潜って逃げ続けた。
私の身体に影響はないという話だったが、さすがにこの火力の炎は、直撃するべきではないという直感がはたらいていた。
『逃げながら聞いてほしい――』
「なに……!?」
『あの炎が作用するのは、あなたの能力だけじゃないの……! さっき炎に包まれていたときの感覚からして、間違いない。あの炎があなたの能力を無効化すれば、それと同時に、』
私が逃げ惑う中、またも言い淀む沈黙が挟まれた。
『――私も、消される』
「な……」
思わず、足が止まった。
理解を拒絶する脳を無理やり動かして、必死に言葉を咀嚼する。
『……ねぇ、さっきみたいに言って。それくらいなら、いいって』
「っ……」
『あなたとこうして話せなくなるのは悲しい。だけど、あなたの覚悟を邪魔したくないから……!』
全方位から訴えかける、悲痛な願い。
心に根付いていると思っていた覚悟が、ぐらりと、揺らいでしまった。何を犠牲にしても、澪を助けるはずだったのに。自分の我儘は封じるはずだったのに。
自分自身の声で、私の覚悟は。
『っ、危ない!』
真心の声。澪の方へと目をやれば――視界全体を覆う青色。
いかなる理由があれど、立ち止まった私を、今の澪が見逃すわけがなくて。彼女にとってはただのチャンスで。
『さっさと出ていけ!』
「っ――!!」
澪の怒号とともに、炎熱は、私へと直撃した。
……と、思った。
『ぐぅ……!』
「え……!?」
咄嗟に閉じた瞼を上げる。
私の数歩前で、炎を受け止める影。絶対に見ることのないはずの背後からのアングルからでも、それが東仙紬希だと一瞬で理解できた。私であって私じゃない、彼女。
真心。
「あなたは……!」
『覚悟はどうしたの!!』
「っ……!」
両手で炎を受け止める彼女だが、優勢にあるのは炎の勢いだった。
押されながらも全力で踏ん張って、彼女は叫ぶ。
『澪を助けるんでしょ! 犠牲を厭わないんでしょ! だったら――だったら、私が消えるくらい問題ないって、言い切ってよ!』
「ごめ――」
『謝罪なんて求めてない! いい加減――うあっ!』
遂に押し負けた彼女が、まるで人形のように吹き飛んで、私の懐へとダイブした。腹に凄まじい衝撃を受けつつ、私は彼女を抱いて転がった。数メートル後退したところで、摩擦力が仕事をして停止する。
自分の腕の中に自分がいるという、不思議なんてものでは済まない状態。
彼女は、倒れた体勢から即座に上体を起こして。
「いっ……!?」