23.「紬希の愛は重そうやな」(3/3)
こんな乱れた流れで言うことではないのかもしれないけれど、とりあえず澪の誤解を解こうと必死だった。私がレズビアンであることさえ分かってもらえれば、澪の不安は万事解決なのだから。
さっきまでのパニックと、私の言葉に対する驚きで、澪は表情を決めあぐねていた。
「え……ほんまに?」
「そう、ほんと。だから私も、澪がレズビアンだって知ってびっくりした。だから、ちょっと返事に間ができちゃって。引いたとかじゃないよ……!」
思考にリソースを割く澪の身体が、固まってしまっている。
無理もない――そもそもレズビアンは絶対数が多いわけではない。その現状を痛いほど分かったうえで、偶然寮の部屋が隣になって、偶然仲良くなって、偶然好きになった相手が自分と同じレズビアンだなんて、奇跡と言う他ないのだ。凄まじい運を掴み取った先の奇跡が、こうもぽんと目の前に現れては、にわかには信じられないだろう。私だってはじめはそうだったし、何なら今でもその奇跡には思わず息を呑んでしまうような気分なのだ。
落ち着きを取り戻した、というか無理やり落ち着かせた澪の眼差しは、神妙なそれに戻っていた。
「ちょっと、信じられへん……」
「そう、だよね……」
性的マイノリティのカミングアウトなんて、そのほとんどが負の反応を受けて失敗して――まだ、そんな社会なんだから。
そう思ってしまってはうっかり口に出してしまいそうだから、必死に振り払った。さすがにそこまで言う必要はないだろう。言葉を制御したければまずは思考に気をつけなければならない。かのマザーテレサの思想である。
「一応証拠があって、……だからその、さっきの、」
「さっきの?」
「めちゃめちゃにしたい、っていう……」
「それ伏線やったんか……」
伏線と言われてしまうと、さっきの失言が極めて有意味なものになってしまうけれど。それで澪が納得してくれるならと、そこには触れずに会話を進める。
「恋愛対象が女の子だから不思議ではないかもしれないけど、……性欲も、女の子に向くんだよ」
「そうか……」
「だから、咄嗟にああいう言葉が出ちゃって……」
「うん……」
「なんか、ごめんね、貞操観念脅かしちゃって……」
「そんな生々しい言い方されへんかったら別に平気やってんけどなぁ!」
言って、確かに今になって急に胸と股を手で隠し始めた。そのポーズえっちだなぁという思考を自覚して、はっ、と言い足すべきことを思い出す。
「それだけならまだしも、私絶倫だから……」
「自称絶倫女子大生はツチノコといい勝負するで……」
「ドチャクソ変態女とか無自覚淫魔とかいう肩書も持っててさ」
「おおぉ最低やな! 誰や紬希にそんな蔑称つけたやつ、あたしがいてこましたるわ!」
あんただよ――と。
舌を巻きながら熱り立つ澪に、もう少しで突っ込んでしまうところだった。あと一ヶ月でも長く関西レクチャーを受けていたら、きっと我慢できなかったことだろう。関西のノリは、下手に染まりすぎると怪我をするかもしれない。
澪の突っ込みに勢いづけられて脱線していた話を、咳払いで仕切り直す。
「まぁ……私が絶倫かどうかはいいとして。とにかく、口が滑ってめちゃめちゃにしたいなんて言っちゃうくらいには、正真正銘のレズビアンなんだよ」
「うん……そう、やな」
「だから、私もずっと澪のことが恋愛的に大好きだったから、その……澪も同じ気持ちでいてくれるなら、付き合いたいって、思ってる」
そこが、澪が今日行き着きたかったゴールだ。
レズビアンだと知ってもらいたいわけでも、ただ愛を伝えたいだけでもない。なんてったって、愛の告白をしているのだから、私と付き合うのが最終目標。偉そうに言っている私だって、この日を待ち望んではいた。
私にとってはどうしても通過点として捉えてしまうけれど、でも――一番大切な第一歩であることは間違いなかった。
私が話しているときから徐々に俯きだしていた澪が、玄関に立ち尽くしたまま、恐る恐る口を開く。
「……ほんまに、あたしのことを、友情じゃなくて愛情の対象やって思ってるん?」
「うん、もちろん」
「ほんまに、その……性的な欲求も、女の子が相手なん?」
「うん、がっつりね」
「ほんまに、あたしと付き合いたいって、思ってくれてるん……?」
「うん――ずっと、思ってたよ」
「そっ、か……」
最後は独り言ちるように。濁りなく、声が消え入った。
ゆっくりと、靴を脱ぐ。急いで逃げ去ろうとしていたから、踵を踏み潰すなんていう澪らしからぬことになっている。そのせいで変形した部分を直すこともなく、一歩部屋にあがり、また一歩、一歩。
次の一歩で――私は腰を抜かしかけた。
「うわっ――!?」
たんたんっ、と二歩ほど助走をつけた澪が、全身で私に飛び込んできた。比喩ではなく、両足が完全に床から離れる勢いで。
もちろんこれが澪の狙いだったのだろうが、私たちは二人してベッドに倒れ込んだ。
「み、澪――!?」
階下に音が響いたとは思うが、一度だけなら許してもらえるだろうか。
そんなことを気にしていると、私を真っ直ぐと見下ろす澪と目が合った。
相変わらず私の心を鷲掴みする天賦の美貌。大きな双眸による凛と力強い眼差しは、さらに私の鼓動を早めさせる。私より活発なくせしてこういうときは奥手な澪が、珍しく征服感のようなものを見せつけてきて――私はときめくことしかできなかった。
「大人しいな……絶倫ハレンチャーじゃなかったん」
「絶倫ハレンチャー!? そんな自称した覚えはないんだけど……!?」
やっぱり、ロードの能力にはとんでもない蔑称が付けられるという副作用でもあるらしい。絶倫ハレンチャーはその中でも凄まじい衝撃が感じられる逸品だった。
「紬希、」
「はい」
「あたしはさ、たぶん、紬希に比べたら愛の深さは負けてるかもしれん」
「……ん、」
「完全に好きになったら引かれるって――気持ち悪がられるって思いがずっとあったから、自分の心を守るために、保険をかけてた。好きって気持ちに、重しを乗せてた」
「うん……分かるよ」
澪がレズビアンだと分かっていたのは、今だからだ。一周目のときは、澪が告白してくれなかったら、私は永遠に踏み出せないでいた。
だから、その気持ちは痛いほど分かる。
「その重し、外してもいい……? ちゃんと好きになって、完全に心預けても、受け止めてくれる?」
一周目は――いや、これまでのいつだって、澪がそんなことを言ってきたことはなかった。もっと、成り行きで、言ってみれば《《なあなあ》》で恋愛をしていた。
一周目と比べたら、私の関西ノリの習熟度が違うから澪との話し方も少し違っているし、記念日が一ヶ月近く早まっているように関係性にも変化が出ている。そういった変化は、未来を狂わせかねないノイズであることには違いないけれど――だけど、私はこの現実の方が、ずっと好きに感じられた。
「いいよ。でもその代わり、私からの愛も受け取ってほしい。等価交換じゃないと嫌だ」
「そのつもり。……なんか分からんけど、紬希の愛は重そうやな」
「なにそれ」
いたずらっぽい笑みで言う澪に、じと、と眉を顰めてやった。
尤も、私はいわゆるヤンデレ気質の予備軍だという自覚があるほどに、澪をこれでもかと好いているのだけれど。それを見透かしたのだとしたら、やはり彼女の洞察力というか推察力は侮れない。
「……よろしくね」
そう、言うと。
ふっと笑んだ澪の顔が、急に落ちてきた。
突然のことに身体をびくつかせるくらい驚いたけれど、蓋を開ければ、澪の唇が私のそれに重なっただけのことだった。勢いと裏腹、至極優しく。
彼女の唇の感触が狂おしいほど好きな私にとっては、本来嬉しいことだけれど。
キスで思い出すのは、やはり……。
――案の定。
私が前回のキスのときの現象を想起したのと、ちょうど同時。
目の前が暗転して、まるで突然ベッドが消えたかのような落下感を覚えた。澪のログハウスへの招待状を、受け取ってしまったようである。
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