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セーブローダーズ ・Save-Loaders・  作者: 乙糸旬
【二幕】リセットマラソン ・Reset Marathon・
30/60

18.「生きろはトドメやで」(2/2)

「っ……」

「いや、ええよ。それが本音じゃないことは分かってるし」

「…………え?」


 いつ(みお)の怒りが跳ね上がるか恐れていたのに、蓋を開ければごく平穏な声音(こわね)

 それに、本音じゃないとはどういうことだろう。今私は、(たかぶ)っていたせいでかなり遠慮もなく思っていたことを()()()()()はずだけれど。


「生きてれば良いことある? 命を粗末にするな? ……ちゃうやろ? そんな、誰でも思いつくような、誰が考えたかも分からんような気色の悪い文句じゃない。『私を置いて行かないで』、やろ」

「え――……」


 あぁ、そういう……ことか。

 怯えた子犬のように縮こまっていた心が、時間とともに、本来の状態を取り戻していく感覚。

 怒りに乗せて言ってもいいような内容だけれど、今の彼女は、いっそ笑みを浮かべるほどに穏やかだった。私のことをただのセフレだと言い放った澪と同一人物とは、とてもじゃないが思えない。

 あろうことか、文字通り決死の想いで首を(くく)ろうとしたところに乗り込んでおいて、そんな調子で言葉をかけてもらえるなんて考えてもみなかった。


「ただ――」


 澪が続ける。

 逆接に少し身構えたけれど、今の澪から恐ろしい言葉が発せられるとは考えられなくて、肩の力はすぐに抜けた。


「本音ではないにせよ、そういう文言が出てくる紬希(つむぎ)に、一個だけ教えたる。……死にたい人にとってな、()()()()()()()()()

「…………」


 見事なまでの不意打ちで、種類の違う恐怖が襲った。

 恐ろしい言葉――というのは、あくまで私に害を成す言葉のことであって。それ以外の恐ろしい言葉があることに、気が回っていなかった。

 ゆっくりと(まぶた)を伏せた澪が、(ささや)くように続ける。


「死は救済って、別にどっかの宗教に依存した思想じゃないねんか。ほんまに、死に助けられる人はおる。生きることが義務じゃなくて権利なら、それは死ぬ権利があるのと同じやろ?」


 頷くことは、できないが。

 生存権は、生きるために必要なものを要求する権利だ。それは、なるほど、《《権利》》だと言ってしまっている以上、要求しなくてもよいという捉え方もできる。憲法という最高法規がそう取り決めているのなら、思想じゃないと言えるかもしれない。

 人は――少なくとも日本国民は、誰しも死ぬ権利を有している。


「生きること自体が負担に感じる人はおる。死しか逃げ道がない人もおる。……その人の事情も気持ちも知らん奴が、馬鹿の一つ覚えみたいに生きろ生きろ言うなって話や。そっちの方がよっぽど宗教に毒された思想に見えるっちゅうねん」


 澪の言葉が少しだけ尖った。

 私に言っているのだろうか。それとも、そういうことを言ってくる人が他にもいたということだろうか。どちらにしても、彼女の本心からの言葉に違いはない。

 私は、黙って聞いていることしかできなくて。ここで気の()いたことのひとつも出てこないのが、相談相手になれなかった要因なのかな――なんて考えてしまう。

 その答え合わせは、存外すぐだった。


「紬希に相談しぃひんかったのは、……それとは別の話やな」


 言って、申し訳なさそうに眉を下げた顔をこちらに向けた。続きを聞きたいような、聞きたくないような、そんな何とも言えない表情が返っているに違いない。


「あたし、散歩してくる」

「…………えっ?」


 あまりにも文脈から逸脱した話題転換に、腑抜(ふぬ)けた声が口から漏れた。

 さ、散歩?

 きょとんとしているであろう私を置いて、澪は縄を無造作にベッドの上に放り出し、ライティングデスクへと進む。その行き先に視線を移して、思わず目を(みは)った。

 ――遺書。

 遺書と聞いてまず思い浮かぶイメージと完全に一致する封筒が、あまりにも堂々と、机の上に置いてあった。全く気がつかなかった。


「前代未聞やな、生きてる状態でこんなもんを手渡しするなんて」


 言いながら、澪はそれを手に取って、こちらに向かってくる。

 前代未聞どころか、遺した書だから遺書であって、生きて渡せばそもそも定義が崩れる。

 探していたものが思いの(ほか)あっさりと見つかった動揺を収められていない私は、すれ違いざまに胸に押し付けられた封筒を、落とさないように受け取るので精いっぱいだった。まるで、爆弾でも渡されたかのように必死に抱えた。

 ずん、と、紙以上の重みを感じた気がする。


「読み終わったら、煮るなり焼くなり好きにしといて。あたし当分帰ってこーへんし」

「……しないよ、そんなこと」

「そーやろな」


 どう受け止めていいか分からない言葉を最後に、澪は本当に部屋を出て行ってしまった。自然と扉が閉まるまで、一歩一歩離れていく彼女の足音を耳で追い続けた。


「…………」


 残された私を襲う、これまでとは全く別の種類の虚無。

 まさか、探し求めていた遺書を生きた本人から手渡されるなど、誰が考えつくだろうか。こんなにもあっさりと、まるでちょっとした手紙か交換日記でも渡すかのような調子で。

 澪は――。

 私に相談しなかった事実に言及して、突然これを押しつけてきた。それはつまり、その答えがここに書いてあるということだろう。私が遺書を書こうと思ったときに考えていた、自殺に至った経緯なんかと一緒に。

 それから私は、たっぷり数分深呼吸に()てて。

 架空の質量を勝手に感じる、表に相変わらずの綺麗な字で“遺書”と記された封筒の、

 ――封を切った。



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