18.「生きろはトドメやで」(1/2)
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「つむ、ぎ……!」
人生で、一番大きなことをした。
私が、全てを知ったうえで澪を見殺しにできるような人だと自負していたのなら、それはとんだ自惚れだったのだ。そんな胆力が備わっているのなら、事態はこれほどもつれ込んでいない。
結局、あのログのまま進めることにはなった。
会話から情報を収集してみると、やはり、付き合った記念日や、ちょっとした出来事に齟齬がある。ただ奇跡というものは本当に起きるもので、私たちの人生の大筋は、ログが狂う前と比べて有意な差異はないようだった。その証拠に、ロードしたその日にお互いにカレーとうどんの愚痴を言ったり、誕生日パーティーをしたり、……澪に電話で別れを告げられたりした。もちろん、そうなるように密かに誘導はした。
ところどころ感極まって泣いてしまったりしたけれど、おおよそノイズを作らずにここまで来ることができた自覚はある。
――死ぬまで、あたしのこと思い浮かべもせんといて。反吐が出る。
この言葉を一言一句違わず言いつけられたとき、運命を信じざるを得なかった。
……そして。
五月二十八日。夕方の六時前。
存在するかも分からない遺書のために澪の死を看過できなかった私は、居ても立ってもいられなくなって、彼女の部屋に突撃してしまった。
自分の亡き後のために彼女は鍵を開けていたのだけれど、もちろんこの気まずい邂逅も予想の範疇だったのだろう。彼女の表情は、驚きや気まずさよりも、怒りや不信などの感情に占められていた。
「澪……!」
「なんで入って来たん」
「もちろん、澪を死なせないためだよ」
「……言わへんかったっけ、」
澪の圧に負けじと踏ん張って、私は先手を打って言う。
「死ぬまで思い浮かべるな――でしょ」
自分で言っておいて、言われたときのショックを思い出して胸が痛んだ。
澪が、目を眇める。そこに見える感情は、怒りか、寂しさか。
「分かってるなら……なんで」
「なんでも何も、ほぼ、誤差みたいなものじゃん」
「…………」
そう。誤差。
私が突入した、そのとき既に。
澪の首には、縄がかかっていた。体重を預ける、その、ほんの寸前で。
臆病な私は六月三日になってからしかここに来なかったから、澪の決行日が二十八日だとは知らなかったというのに。つくづく、奇跡は本当に起こるものなのだと思い知らされる。
「はぁ……」
澪の嘆息。首から縄を外して、体勢を立て直した。
「こんなとこ見られたら、もう続けられへんやん」
「……澪、」
「せっかくここまで思い切れたのに」
「っ……」
澪の冷徹な吐き捨てに、反応せずにはいられない。
そんな。
まるで、私が邪魔したみたいな。大きなお世話と言わんばかりに。
私は、助けたんじゃないの――。
「ねぇ……澪、」
また、理性の箍がひとつずつ外れていく感覚。鎖が錆び切れる感覚だったものが、次第に勢いづいて、糸がぷつりと切れるような気軽さになっていく。
こういう心境になったときの口は本当に災いの元で、良いことが起きた例はない。それが分かっているからといって、止められるものでもなかった。
「どうして、そんなことするの、」
「……そんなこと?」
分かってるくせに。わざわざ私の口から言わせたいのか。
怒りに似た感情をエネルギーに、私は息を大きく吸い込む。
「だから、どうして自殺なんてするのって言ってるんでしょ……!?」
少し感情を吐き出そうと思っただけだったが、そんな上手くいくはずもなく。
想定の数倍感情を乗せてしまったその言葉は、あまりにも大きな声で響き渡ってしまった。数倍というよりも、澪の自殺を止めようとリセットした回数分、だ。怒鳴りでも叫びでもなく、大声を出し慣れていない私らしく、ほとんどヒステリックに。
一瞬心を苛んだ後悔と罪悪感は、後続の感情にさらりと押し流された。
「どうして死ぬなんて選択肢を採るわけ……!? どうしてそんなに簡単に命を擲てるの!? 何か悩みがあるなら、それを直接解決すればいいじゃん! しんどいなら休めばいいじゃん! 今は辛いかもしれないけど、死んだら楽しいことも全部なくなっちゃうんだよ!? 今まで頑張ってきたことが全部無駄になっちゃうんだよ!? 私とももう会えない! だいたい――」
自分で自分を引き合いに出しておいて、それを皮切りに被害者思考が呼び覚まされる。
「なんで私に相談すらしてくれないの!?」
その叫びは、部屋の中で数回反響する。
返ってきたその声を自分の耳で拾って、一瞬、冷静さを取り戻した。その隙に聴覚を刺激した、私が苦手とする無機質な環境音たちが、ざわついた心をさらに鎮めていった。
感情の盛況とともに育っていた過剰な自意識は、このセリフさえ言えば澪が良心の呵責に苛まれてくれると思い込んでいた。
それだけに、澪の冷え切った目に気づいてしまったとき、本能まで震える恐怖が湧き上がった。おかげで心は一気に鎮静化された。
怖くて口を噤んだ私を見て、澪がゆっくりと口を動かし始める。
「何、生きてれば良いことあるって? えらい月並みな言葉やな」