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セーブローダーズ ・Save-Loaders・  作者: 乙糸旬
【二幕】リセットマラソン ・Reset Marathon・
15/60

08.「持ち主との相性……か」(2/2)

「昔?」

「うん……中学生とか高校生とかのとき」

「めっちゃ最近やん」

「あそっか」


 過去の話をしようとして、口をついて昔と言ってしまった。……という、単純な話でもない。実際、私にとっては昔という印象があるくらい過去のことだから。

 ロードをするたびに、相対的に精神は老いていく。これまでに(さかのぼ)った時間を合算したら、私はもう二十歳ではない。それでも高校時代はせいぜい数年前のことだが、気分的にはその頃の記憶はかなり昔だった。


「とにかく、高一の途中くらいまで、手を抜くのが苦手だった。でも(みお)のとはちょっと違って、完成度の追求というより、逃げることを忌避(きひ)してた感じかな。逃げるのは悪だって、ずっと思ってた」

「そう、なんか……」

「何の影響なのかな。逃げるのは悪だって()り込むような教育を受けてた覚えはないんだけど……気づいてないだけかもしれないけど」

「え、でも今はそうじゃないんやんな。なんで性格変わったん?」


 口調や所作(しょさ)に大きく出ているわけではないが、過去一番の食いつきだった。私の瞳のもっと奥を見入るように見つめる大きな双眸(そうぼう)――その強い眼差しに思わず圧倒されてしまいそうで、うどんの汁を(すす)るのを口実に視線を()らした。

 完璧主義は、もちろんその性質上成果は挙げられるため悪いことではない。ただ、本人がその成果を望んでいないのなら、時間と労力だけを食い潰す厄介な性格だ。どうにか改善する方法を探し求めているのだろう。

 私は――これまでに一度も言ったことのない事実を打ち明けることに、一瞬迷いを抱いた。だけど、本当に一瞬だった。澪の本心を探っているのに、私が隠し事をするのは卑怯そのものである。


「一回、倒れた」

「え、」

「だからその……高一のときに」


 澪の目つきの変化だけが返事として返る。


「元々、逃げられない性格のせいで無理してる自覚はあったんだけど、高校に進学して環境レベルが上がったせいで、身体が耐えられなくなったんだと思う」

「…………」

「そのときに――……」


 そのときに。

 続きの言葉を、()み込んだ。肺炎などが重なって死線を彷徨(さまよ)ったなんてことは、もはや言うべきものではない。澪を心配させるだけだ。ましてや、そのときにセーブ・ロードの能力が発現したことは、迷うまでもなく黙っておくべきだ――無駄な混乱はいらない。


「……そのときに、(なか)ば無理やり、改めたって感じかな」

「改める……って、そんな悪いことみたいな、」

「澪の完璧主義と同じ感じかな。それ自体は悪いものじゃないんだけど、……持ち主との、相性が悪いっていうか」

「持ち主との相性……か。なかなか鋭い言い回しやな」

「お褒めに預かり光栄の至りです」

「おう、苦しゅうない」


 さすがは澪だ。少しでも吹っ掛ければきちんと返してくれる。関西人どうしの居心地の良さは、そうした安心感が互いにあることも()しているのだろう。

 実のところ、私の性格が変わった理由はもうひとつある――他でもない、セーブ・ロードの力だ。その能力のおかげで文字通りやり直しができるようになって、逃げを選択することのリスクが大幅に減ったのだ。そのおかげで逃げの選択がしやすくなり、逃げても何とかなることを知った。いつしかそれが、新しい生き方に成り代わっていたという流れである。


「でも、(なか)ば無理やりでもよく性格変えれたな」

「それは……成り行きと環境に恵まれてたとしか。あと、性格までは変わってないと思う――変わったのは、せいぜい()ってところだよ」

「なるほどなぁ……」


 溜め息交じりに(こぼ)した澪が、最後のひとくちを食べる。自分も残り少ないうどんを食べきって、一息。時計を見れば、正午を四十分ほど超えたところだ。三限の講義は十三時からだから、余裕をもってそろそろ動き出した方がいい。

 食堂で用意されているコップに()んだ水を飲み干して、澪が私に向き直る。


紬希(つむぎ)次って心理学講義やったよな」

「うん、」


 心理学は私の専攻科目だ。

 この大学の心理学はおよそ脳科学と呼べる学問で、脳機能の解明を目的としている。それを聞きつけて、自分の異能の秘密が分かるかもしれないと思い、専攻した次第だ。もちろん、前提として心理学というものに興味はあったのだけれど。

 澪は専攻が哲学だから、今日はこれ以降一緒に受けられる講義はない。


「じゃあ別の講義室やな」

「うん、」


 言って、澪が荷物とトレーを手にして立ち上がる。返却カウンターの方へ向けた顔は――なぜだろう、(かげ)って見えた。


「ねぇ、澪……!」


 いつもの流れで返却口へ向かおうとする澪が、まるでそのまま私のもとから去ってしまうように感じて、思わず強めの語調を投げつけてしまった。ピーク時よりは利用者が減っているが、それでも数人が反応したのが目の端に映った。ただ、そんなことは気にしていられない。

 振り返った澪が目を丸くしている。


「ど、どしたん」

「今日、三限で終わりだよね」

「そやけど……」

「待ち合わせて一緒に帰りたい」


 言い切って、若干早まった呼吸を落ち着ける。

 馬鹿みたいだ――まるで告白するときみたいに緊張している。澪に話しかけるのに、ここまで思い切りが()ったのはいつぶりだろうか。

 肩に無駄な力が入っている私に、澪は少し困惑している様子だった。


「え、でも紬希って四限なかったっけ」

「いや……なんかさっき休講ってメール来てた」

「おー、よかったやん。じゃあ先終わった方が学部棟の前で待っとこか」


 四限が休講というのは嘘だ。三限の間に、体調を崩したとでも教授に連絡しておけばいい。一度欠席した程度では成績にも大して響かないことだし。


「うん、じゃあまた後でね」

「いや、講義棟までは一緒やん」

「あ、……ごめんなさ」

「だ!」

「わ!?」


 澪の怒号につい跳ね上がった。さっきの私の声なんて気にするに足らないほど、周囲が何事かと目を向けてきた。

 うっかり口癖を言ってしまった私のミスだ。口癖の矯正手段として、言い差したところで澪が指摘するというものを()っている。いわゆる、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ――と、心理学専攻特有の思考が走った。行動に(ともな)う不快刺激の知覚によって、その行動を自制することを指す専門用語だ。

 にしても。

 こんな何気ない文脈で口をついて出てしまうほど、口癖が戻ってしまっている。せっかく、“ごめん”への置換に慣れてきていたのに。順調だった矯正も、何もかも――あの日に崩れてしまった。


「……こ、講義棟まで、一緒に行こう」

「言われずとも」


 私も荷物とトレーを持ち上げて、澪の横を歩いた。

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