86才。走馬灯を見て死ぬ
「……」
身体の感覚は完全になくなった。視界がボンヤリして看護士と医者の声が聴こえる。
「……」
86。まぁ色々持病があったが老衰だわなぁ。
人生と言うエンターテイメントを誰よりも楽しんだ自信がある。死ぬのは怖くない。これから俺は人生最後の出し物を楽しむ。
『走馬灯』 だ。
学校と戦った。世間と戦った。権力と国と暴力とも戦った。
先週まで若者達とネットでも戦った。
勝つためなら時に拳を振るった。
女は四桁。男は二桁抱いた。
何千本と映画を見て何万冊も本を読んだ。
そんな私が最後に思い出すのはなんだ?早く見せてくれ!
おお!視界も無くなった!いよいよだな!
・
「あなた!一が帰ってきた!」
「おう」
「偉いねぇ。大きくなったわぁ!」
「おう」
「あぁぁうぅ」
「たらいまー!」
「お帰り一!」
「ちゃんと木綿か?」
「うん!」
「お疲れさん」
・
・
・
夕暮れ。
50年以上前か?まだ俺に家族がいた時代。
嫁が四歳の一郎にお使いを頼んだ。
俺は煙草を吸いながら、まだ赤ん坊の二郎を抱っこしていた。
家に続く石階段を一郎が、木綿豆腐二丁入った水の張った桶を持って昇ってくる。
嫁は泣いている。初めてお使いに出した一郎が無事に帰ってきたのが嬉しくて仕方ない様だ。
夕飯は子供達は肉じゃが。俺は刺身と湯豆腐。
何とも平和だ。
・
・
……これか。
思ってもいない走馬灯だったな。
ふむ。死んでいる俺が見える。幽体離脱ってやつか。
ん?なんだ?あの禿げた親父二人は?
……一郎と二郎か?
「まっ。お疲れさん」
一郎。自分を捨てた父親に甘い言葉を。二郎も泣くな。気持ち悪い。
車椅子の世にもしわくちゃなババアが俺の胸に手を置いている。
「……お疲れさん。お疲れさんにぃ」
元嫁か。
《ありがとうございました》
誰に言ったのか言えていたのかも分からないが、俺はこの言葉を最後に無となった。




