思い出にかわる
「悠、ここに居たんだ」
まぶしい日差しが遮られると枯葉のように茶色い髪が落ちる。
見上げると幼馴染みの梨沙が穏やかに笑っている。
何かあるたびにここ――3人の思い出の場所である公園に来ていた。
今ここに姿があるのは俺と梨沙の二人だけ。
「トモちゃんが亡くなってから、もう8年経つんだね」
「うん、早かったような長かったような」
もうひとりの幼馴染みの智。
俺の親友でもあり、梨沙からすれば恋人。
幼いころから、ゆーくん、トモちゃん、さーちゃんと呼び合う。
幼稚園、小学校と放課後はいつもの公園遊んだりして育ってきた。
中学に上がってもそんな関係が続くと思っていた。
中学2年の秋、それも梨沙の誕生日に突然の訃報。
原因は交通事故。
道路に猫が飛び出し、それを避けようとし歩道に乗り出してしまったところに梨沙の家に向かう智が歩いていた。
誰も悪くない、原因が動物で不運が重なった結果だった。
最後の言葉を聞いたのは梨沙で、自分の家に来る途中だったからこそ智が亡くなったことに自分を責め自傷し憔悴しきっていた。
可憐な姿は見る影もなく、痩せ細り悪臭すら漂わせていた。
生きる屍。
死んでいないだけで生きているとは言い難い姿。
今でも鮮明に記憶に残っている。
俺は俺で言葉で言い表せない悲しみや向かう先のない怒りを覚えていたが、梨沙の姿を見て自分の感情を押し殺し、彼女が立ち直るまで付き添うことを決めた。
本当に辛い時期だった。
俺も梨沙のことを女の子として好きだったから。
※
中学2年の夏。
智に話があると呼び出された俺は何を伝えられるのか理解していた。
1週間くらい前から智の距離が梨沙に近くなっていることに。
いつだったか智と約束していたことがある。
さーちゃんに告白する時は一緒に伝えてその結果は恨みっこなしだ、と。
あいつは確かに裏切って先に告白した。けれど、俺は梨沙の相手が智でよかったし、智以外には考えられないと信じて いた。
それほど俺を裏切ってまで梨沙の事が好きだったのだろうと。
想いの強さでも敗北したようなもの。
今でもその想いに負けているような感情がある。
当時の俺に親友を裏切ってまで告白する勇気なんてない。
謝罪する智を許し、二人を心から祝福した。
3人で遊ぶことは減ったものの、それでも仲がいい幼馴染みだった。
高校に入学。
3人で同じ高校に行こうと約束していたが、大事な時期を悲壮な思いで崩れていた梨沙は入試に失敗して私立の女子校へ。
初めてバラバラになった。
ただ俺はその時が一番、気楽な時期を過ごしていた。
梨沙がいれば智を思い出す。
新しい友だちもたくさん出来た。
高校で起きる日々は新鮮で楽しい。
記憶は思い出に変わったと思っていた。
けれど、ある日。
空の色が濃い青から水色に変わる時期。
自宅の玄関に梨沙が座って待っていた。
「悠。久しぶりっ」
「あぁ、うん。さーちゃん久しぶり」
「さーちゃんって呼ばれるのいつぶりかな? ちょっと恥ずかしい」
ゆーくんから悠と呼び捨てに変わっていた。
自然でいつもそう呼ばれていたかのように違和感はない。
梨沙は制服のスカートについた埃を払い立ち上がり、髪をかきあげる。
しばらく会っていなかった梨沙は綺麗になり、その仕草にどきっとさせられた。
封じ込めていた感情が顔を覗かせる。
確かにさーちゃんと呼ぶにはもう不釣り合い。
「さーちゃん、こんなところでどうしたの?」
「どうしたの。か、ちょっと傷つくなぁ……」
理由はわかっている。
梨沙の誕生日に、智の命日。
誤魔化したことで怒られると思った。
けれどそんな素振りにもなく、梨沙は微笑みを携えたまま。
「明日二人で出掛けない?」
「明日か」
「都合が悪いかな?」
「ううん、大丈夫」
翌日。
少し大人びた私服の梨沙と駅で待ち合わせして花と智の好きだったお菓子を買う。
そして智の眠るお墓に。
お香をあげ、買ってきたものを備え合掌。
『さーちゃんは綺麗になったよ、智。お前にも見せたかったし、高校生になった智も見てみたかったな』
梨沙の隣に並んで歩く二人を想像する。
やっぱりお似合いだろうなーとか、智はやんちゃだったから梨沙の手を引き色んなところにデートしていたんじゃないかなー。
『また来るよ』
目を開くと梨沙がまだ黙祷を捧げている。
お香の煙を眺める。
空高く登る白い湾曲の線。
風が吹くと霧散して空気に交じる。
そんな光景を幾度となく眺めていると、梨沙が顔を上げた。
「いこっか」
「もういいのか?」
「うん。ちゃんとお別れできた」
梨沙はにこやかに笑う。
あの日見た光景は跡形もなく、ただ笑顔の可憐な少女が立っているだけ。
※
時間は流れてクリスマスイヴ。
あの墓参りから梨沙とは再び連絡を取るようになり、時間が合えば途中まで一緒に登校していたりした。
また元気になった梨沙と一緒に居ることで、昔みたいに戻ったようで楽しいとさえ感じていたけれど、どこかで智の気配をいつも覚える。
本当なら梨沙の隣には智がいたんじゃないかと。
イルミネーションに飾られた街は賑やかで、幸せそうな人たちがあたりを彩る。
二人で遊びに出掛けて、あとは帰宅するだけ。
「ねぇ、悠。公園いかない?」
「いつもの?」
「うん。話があるんだ」
真剣な表情。
この状況でわからない筈もなく。
公園にたどり着くと。
「悠。私と付き合ってほしい」
真っ直ぐ見つめてくる梨沙の瞳。
期待と不安だろうか。
不安の度合いが少しだけ強くみえる。
「智はいいのか?」
「トモちゃんは関係ないよ。私が今好きなのは悠だけだから」
「そう、なんだ」
「これ今言うと嫌われちゃうかもだけど」
話が長くなるからと、梨沙は自販機でホットドリンクを二つ。公園の隅にある木製の簡素なベンチに俺を誘い座る。
「中学生の時ね。私、トモちゃんと付き合っていたけれど。先に悠が告白してきていたら悠と付き合ってた」
「どういうこと?」
「私にとって二人は特別で、先に告白してくれたほうと付き合うつもりだったんだ。どっちも同じくらい好きで選べなかったから」
『優柔不断だよね』と苦笑いしながら頬を掻く梨沙。
「梨沙は智の方が好きだと思ってた。あいつ格好いいしスポーツも出来たから」
「うん、トモちゃんのそういうところ好きだったよ。いい加減なところもあったんだけど」
でも、と付け加え俺の手を握る。
冷たくて、震えていた。
「悠は優しいし頭が良かった。顔だって悠のほうが整ってるよ、前髪長いせいで分かりづらいけど」
「そんなこと」
「そんなことあるよ。悠、自分の見た目に無頓着すぎ」
冷たい手で俺の前髪を弄り、分けてくる。
視界が晴れて梨沙の少し赤い顔がはっきりと見える。
「それに思うんだ。トモちゃんとの恋愛はただの子供だましだったんだなって、いつも傍にいるから好きになるっていう。特別なのは変わりないんだけど」
「俺も一緒じゃないかそれ」
「違う」
言葉は強く否定される。
「私が部屋に引きこもって泣いている時、手を差し伸べてくれたのは悠だよ。自分でもわかるぐらい酷い臭いがしてたし、八つ当たりして傷つけても悠は私の手を離さないでいてくれた。そんなの好きならないほうがおかしいよ」
「隙きをついたような気もする」
「元々好きだったのがもっと好きになっただけ」
「そっか」
「うん、悠は私のこともう嫌い? まだ好きでいてくれてる?」
「好きだよ」
「じゃあ」
梨沙の言葉を遮るように俺は感情を吐露した。
「智を裏切るような気がして梨沙と付き合うのは」
「本当にやさしいね。私達3人のなかで一番私達のことを考えてるのは悠だよ」
「そうかな」
「トモちゃんのことを引きずってるのは私より悠だよ。私はあの日、一緒にお墓に行った時に別れを告げたから」
智のことを引きずっている。
確かにそうかもしれない。
亡くなった智と張り合っても一生勝てない。
戦いようがない、勝ち逃げ。
そんな俺が梨沙を幸せに出来るのだろうかという感情が渦巻いている。
いくら梨沙が俺のことを想ってくれていても拭いきれるものじゃなかった。
「私のことも考えて欲しいな。私の幸せは悠と一緒にいることだから」
「わかった。頼りない俺だけど、智のことまだ思いだすけど。それでもいいのなら」
「悠が私にしてくれたように、私が悠を一生掛けて幸せにするよ」
このままでいいと思えない。
梨沙の告白で奮起して、新たな一歩を踏み出す。
※
交際は順調だった。
梨沙の初めてを捧げてもらったり。
些細なことで喧嘩したり、智のことで喧嘩したりもあったけど無事に高校卒業を迎えた。
俺は4年制の大学、梨沙は短大とお互い違う道をそのまま進んだ。
2年早く卒業した梨沙は歯科衛生士として就職。
それを期に同棲を始めた。
高校時代と変わりなく、お互いを想いあった。
学生と社会人、すれ違うこともある。けれど別れるという選択肢はお互いになく真摯に向かい合い好きなまま。
更に2年が経つ。
俺も就職。
大きな会社ではないけれど、梨沙を十分に養える稼ぎを持てた。
仕事に慣れる頃には6月。
ちょうどいい時期。
「梨沙、話いい?」
キッチンで夕飯の支度をしていた彼女の後ろ姿に声を掛ける。
いつになく真剣な声を発したので、梨沙は察してコンロの火を止める。
「うん。大事な話なんだよね?」
「あぁ」
カラカラになった喉を、梨沙の淹れてくれたお茶で潤す。
いつかそうしてくれたように、震えた手で彼女の手を握る。
「結婚してくれないか?」
「はいっ」
間を置くことなく満面の笑みで答えてくれる梨沙。
小さな宝石の埋まったシンプルなプラチナリングをそっと左手の薬指にはめる。
誓いの証。
智は恨んでいるだろうか。
それとも祝福してくれるだろか。
でもお前の分まで梨沙を幸せにするよ。
※
「悠、ここに居たんだ」
まぶしい日差しが遮られると枯葉のように茶色い髪が落ちる。
見上げると幼馴染みだった梨沙が穏やかに笑っている。
何かあるたびにここ――3人の思い出の場所である公園に来ていた。
今ここに居るのは俺と梨沙、それと梨沙のお腹にいる子供。
「トモちゃんが亡くなってから、もう8年経つんだね」
「うん、早かったような長かったような」
妊娠4ヶ月。
梨沙の姿は妊婦らしい体つきになってきていた。
「考え事?」
お腹を慈しむように梨沙は撫でながら問う。
「うん、ちょっとね」
赤ちゃんが出来たことにより、梨沙とその子のことばかり考える。
もう智のことを思い出すことがあまりない。
記憶が薄れていき、この公園と連想して思い出す程度。
寂しくもあるがそれでいいのだと。
人は突然死んでしまう。
それは俺も梨沙もだ。
だからこそ、一日一日を最後の日と大切に思う。