告げられた名前に
虚無の森。
ルクトたちが今いる場所は、人からそう呼ばれている場所である。
意味深な呼び名とは裏腹に、実状は非常に身も蓋もない。
要するに、何も採れない場所という蔑称。ただそれだけである。
希少な資源も、食用に適する植物も動物も何もない。川さえも少ない。
生えている木々は全て硬過ぎる上に重過ぎ、建材にも薪にもならない。
討伐対象となる魔獣も、この森にはほとんどいない事が知られている。
そして街道からかなり離れており、開拓するのも骨が折れる僻地。
どこをどう見ても、何もないとしか形容しようのない場所なのである。
当然の事ながら、わざわざ足を踏み入れる人間も魔人もいない。
だからこそ、できる事があった。
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蹄の音が重なり、やがてほぼ同時に3頭の馬が木々の間から現れる。
鞍の上に荷物をくくり付けられた、ルクトたち3人の馬だった。
ウォレミスの街に赴く際、馬たちをどうするかに関してかなり迷った。
思い切って売ってしまうというのがこれまでの定番ではあったものの、
今回は今まで以上に先が読めない。うかつに馬を手放すと、それ以降の
行動に致命的な影響が出る可能性がある。グルークを、移動手段として
ずっと使い続けるのも少し厳しい。何よりそれでは人目につき過ぎる。
あれこれ考えた結果、この森の中に放しておこうという事になった。
あらかじめアミリアスの魔術による誘導をしておけば、自分から遠くに
去ってしまう危険はない。首尾よくここまで戻って来られたなら、後は
誘引魔術を行使して再び呼び戻す。
何しろ何もない、誰もいない森だ。襲われる心配も、荷物を奪われる
懸念もない。ウォレミスにいる時間はさほど長くならないだろうから、
馬たちが飢える前に戻れるはずだ。何よりこの森なら、どんな形であれ
グルークの着陸のポイントとしても申し分ない。
という事で、今に至っている。
アミリアスの魔術と、ルクトたちの思い切りの良さとがあってこその
大胆な方法だった。
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「たびたびすみません。…皆さん、お待たせしました。」
ようやく戻ってきたメリゼ王女は、その名に相応しい毅然とした挙措を
取り戻していた。どうやら、完全にあれこれ開き直っているらしい。
大いにいい傾向だと、ルクトたちもそれまでの顛末は忘れる事にした。
「あ、馬ですか。」
「ええ。どうやら無事だったので、これで森を出る事にします。」
自分の馬の首筋を軽く叩きながら、ルクトがメリゼにそう告げた。
「少しキツいかも知れません。が、そこはご容赦下さい。」
「いえいえ。」
大げさに手を振り、メリゼが笑う。
「さっきまでのお空の旅を思えば、何という事もありませんよ。」
「…やっぱり、怖かったですか?」
「家族の顔が頭に浮かんでは消え、ずっとひたすら祈っておりました。
あれを乗り越えられたんですから、もう大概の事は大丈夫です。」
「にゃはははは!いいですね王女!そうこなくっちゃ!!」
開き直ったメリゼの言葉に、傍らで聞いていたガンダルクが愉快そうに
笑い声を上げた。さらに傍らに立つプローノら2人も苦笑を浮かべる。
そんな不遜なガンダルクに対して、ようやく着替えてきたらしい侍女が
キッと鋭い視線を向ける。明らかにガンダルクが気に入らないらしい。
しかしメリゼは、そんな大笑いにも笑顔を返していた。
「光栄です。あ、そう言えばまだ、お名前を伺ってませんでしたよね。
そちらの女性と…刀の方と、そしてあなたさまは。」
「あ、はい。」
荷物から着替えを出そうとしていたトッピナーが、慌てて向き直った。
「サルバドル・トッピナーです。…ジリヌスから参りました。以後、
よろしくお見知り置き下さい。」
『あたしはアミリアス・ログニーと申します。体はもうありませんが、
ラマセス王国に古くから居を構えておりました魔人です。よろしく。』
「古くから…ですか。失礼とは存じますが、どのくらい…?」
『ざっと八百年以上は経ってます。まあ、長生きしてましたよ。』
「八百年…」
さすがに、メリゼも侍女もいささか圧倒されたらしかった。それでも、
すぐさま気を取り直して振り返る。最後の一人の方へと。
「あなたのお名前は?」
「ガンダルク。」
「…え?」
相手はニッと笑って再び名乗った。
「あたしの名前はガンダルクです。よろしくね、メリゼ王女さま。」
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ようやく取り戻したはずの威厳は、早くも心もとなくなっていた。
戸惑いの表情を隠せないメリゼが、助けを求めるようかのにプローノに
向き直る。
「…あの、プローノさま。」
「はい?」
「ガンダルクって確か…アステアの先代魔王の名だったはずでは…?」
「ご推察のとおりです。」
「それって、どういう…」
「本人にお尋ねになって下さい。」
プローノの言葉を受けて、メリゼは再び眼前のガンダルクに向き直る。
どう見ても、ありふれた少女としか思えないその相手は、相変わらず
笑みを浮かべていた。
「あの…」
「はい?」
「失礼とは存じますが、そのお名前は…本当なんですか?」
「もちろん。アステアの先代魔王というのも正解です。…と言っても、
魔王だったあたしは百年以上前に、すでに死んじゃってますけどね。」
「それでは、今のあなたさまは?」
「アミリアスたちの悪ふざけでこの体に転生した、魂だけの存在です。
見てのとおり非力な女の子ですよ。以後、どうぞよろしくね。」
笑いながらそう言ったガンダルクの右手が、スッと差し出される。
ほんの一瞬戸惑いの表情を浮かべたものの、メリゼは手を差し出した。
握手を交わすその挙措と表情には、もう迷いなどは感じられなかった。
そんなメリゼの器の大きさに、傍らで見ていたプローノとラジュール、
トッピナーが少なからず感服する。
どうやら、ガンダルクとメリゼなら「話」ができそうな雰囲気だった。
その事を察した3人が安堵する。
そしてルクトは。
人知れず、右の篭手を構えていた。
いざという時に、鎖鞭を繰り出してガンダルクを守れるように。
何から?
凶刃から。
誰の?
それまでのいつよりも表情を険しくする、メリゼの傍らの侍女の。
ガンダルクの名を、耳にした瞬間。
彼女は本気の殺意を放っていた。
ルクトは気づいていた。
それは、メリゼの身を案じてのものではない。彼女だけの殺意だと。
きっと、ガンダルクも気づいているはずだ。己に向けられる殺意に。
メリゼの手を離したガンダルクは、やはり笑顔だった。
侍女からの刺すような厳しい視線を受けながらも、気楽に笑っていた。




