洞窟に在りし者
「じゃあ、別に生きてたってたわけじゃないのか。」
「そう、間違いなく死んだよ。百年前の勇者グレインとの戦いでね。」
洞窟の中は、うっすらと光が点ったような視界になっていた。明らかに
魔術的な作用による発光だろう。
そんな薄灯りの中を、ガンダルクは迷いのない足取りで進んでいく。
どう見ても、何度も訪れた事のある場所を歩く姿だ。この未開の僻地、
しかもあんな物騒な岩巨人が守っていた怪しい洞窟を知っているなら。
先代の魔王であるという彼女の自称も、妙な説得力を伴ってくる。
実際、彼女の後ろを歩くルクトは、かなりそれを信じていた。
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「つまり、死んだと同時にその体に転生した…って事なのかよ。」
「そうらしいよ。」
「らしいって、自分でやったんじゃないのか?」
「誰がこんなセコい事やりますか。死んで初めて気づいたんだって!」
殊更に語調を強めたガンダルクは、ルクトに振り返って苦笑する。
「グレインの渾身の一撃で首を刎ねられて、ああもう終わりだな…って
観念してさ。次の瞬間にはこの体で目を覚まして、まさにこの洞窟の
真ん前に突っ立ってたってわけよ。間抜けな話でしょ?」
「いや…」
どう答えていいか分からないルクトが、目を泳がせた。
「それでその…この奥に、その転生を仕組んだ奴がいるってのか?」
「そう、そのとおり!」
わが意を得たりといった声で答え、ガンダルクは再び前方に向き直る。
足取りはますます速くなった。
「ご丁寧にポケットに手紙が入ってたよ。私がやりましたよーってね。
もちろん、文句を言いに行こうとしたんだけど、ご存知のあの岩人形が
通せんぼよ。絶対攻撃はしてこないけど、通してもくれないって話。」
「何だよそれ。復讐とかか?」
「”自分が死んだ後の世界を、自分の目で見届けて下さい”ってさ。」
「…余計なお世話だな。」
「分かってくれるッ!?」
パッと振り向いたガンダルクのその顔には、泣き笑いが張り付いてた。
わなわなと両手の指を動かしつつ、すがるように訴える。
「最強の勇者との死闘の果てに華々しく散るはずだったこのあたしが、
どれだけ悶々としながらこの百年を生きてきたか!!」
「割と楽しんでそうに見えるけど、それは気のせいか?」
「あーもう!!」
ぐしゃぐしゃと己の髪を掻き毟り、ガンダルクはルクトを恨めしそうに
睨み上げた。しかしその視線には、拗ねた子供のような印象しかない。
たまらずルクトは吹き出した。
「何が可笑しいのよ!!」
「いや、何もかも。」
「言ってろ!!」
そんなやり取りを交わしつつ進み。
やがて2人の目の前に、岩でできた大きな扉が現れた。
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「どうやって開けるんだ?」
「ゴメン、悪いけど開けて。」
「開くのかよ?」
「重いだけだから。」
そう言いつつ、ガンダルクは恨めしそうに扉を見つめる。
「昔のあたしなら片手で楽に開けられたんだけど、この体じゃどんなに
頑張っても無理。よろしくね。」
「まあ、いいけどよ。」
答えたルクトが岩扉に両手をかけ、グッと全身に力を込めて押し込む。
やがて岩扉は、ザリザリと砂を巻き込みながら少しずつ開き始めた。
一歩一歩を地面にめり込ませつつ、ルクトは何とか通れるだけの隙間を
開ける事に成功した。それを確かめたガンダルクは、素早く自分の体を
扉の向こうに滑り込ませる。やがてルクトも、彼女の後に続いた。
ガゴォン!
手を離したと同時に、鈍重な岩扉は再び閉じられる。
辿り着いたのは、砂にまみれた天井の低い大広間だった。
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「アミリアス!!」
扉が閉じると同時に、ガンダルクの大声が室内に響き渡った。
「いるんでしょうがアミリアス!!…来たよあたしが!!」
「アミリアス?」
呟いたルクトの視界の隅で、何かが動く。
パッと目を向けると、そこに積もっていた砂がゆっくりと盛り上がり、
次第に人のような姿を形成していくところだった。
やがてそれは2人が見つめる前で、枯木のような細い老婆となった。
閉じられていた瞳がパッと開かれ、緑色の瞳がガンダルクを見つめる。
ほどなく、今度は口が開かれた。
「…ホホッ、これはこれは。」
見た目に相応しいしわがれた声で、その老婆は嬉しそうに続ける。
「まさに我が魔王、ガンダルクではないですか。実にお久しいですな。
かれこれ百年ですか。お元気そうで何より…」
バシッ!!
挨拶の言葉は、途中で途切れた。
つかつかと歩み寄ったガンダルクの平手が、老婆の頬を思い切り張る。
パッと舞い散ったのは、砂だった。
「久し振りねアミリアス。」
「これはご挨拶ですねえ。」
「このくらい予想してたでしょ?」
「ええ、もちろんですとも。」
「ったく………痛てててて。」
どうやら、殴った手の方が痛かったらしい。ガンダルクはそう言って
確かめるように手首を回した。
「さすがに老けたわね、あんた。」
「百年振りですからねえ。」
「あんたにとっちゃ大した事ないでしょ?その程度。」
「ホホホ、確かに。」
笑いながら細められた目が、傍らで腕組みをしているルクトに向く。
「ご挨拶が遅れましたな。あなたが、守護者を倒した剣士様ですか。
確かお名前は…ルクト様ですか?」
「ああ。」
腕組みの姿勢のまま、ルクトはそう答えて軽く会釈する。
「ルクト・ゼリアスだ。…それで、あんたがアミリアスって奴か?」
「さよう。」
答えた老婆は、枯木を手折るようにゆっくりと頭を下げた。
「我が名はアミリアス・ログニー。どうぞお見知り置きを。」
「よろしくな。」
そこで初めて腕組みを解き、ルクトもまた礼を返す。
静かな広間の光が、ほんの少しだけ増していた。
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「…それにしても、豪胆ですな。」
ルクトを見つめながら、アミリアスがそんな言葉を吐いた。
「我が魔王が自らその名を名乗り、そしてこのような怪し過ぎる場所に
連れ込んだというのに。あなたは、その剣を抜こうともなさらない。」
「信頼の証よ。ね?」
「いや違う。」
「違うの?」
「ちょっと黙ってて下さい魔王。」
「えー…」
不機嫌そうに黙ったガンダルクには目を向けず、アミリアスはルクトを
じっと見つめる。その視線には、無言の問いかけが込められていた。
しばしの沈黙ののち。
「もっと警戒すべきだって言いたいのか?」
「ええ。…どうして、そうでないのですか?」
「必要か?」
「………」
「少なくとも俺は、その警戒をする必要はないと思ってる。違うか?」
「…確かにそうです。でもなぜ?」
「このガンダルクが、そんなセコい事を企むとは思わないからだよ。」
そう言ったルクトの視線が、傍らのガンダルクを捉えて細められる。
彼の評価にまんざらでもない表情を浮かべるガンダルクを見ながら、
ルクトはゆっくりと続けた。
「俺なんか陥れたって意味がない。どうせ狙うならメリフィスだろう。
いや、そもそも…」
「そもそも、何でしょう?」
「こいつにそこまで手の込んだ事が考えられるとは、思えないって。」
「…はあ!?どういう意味よ!?」
「ホホホホホ!」
目を剥いたガンダルクを見ながら、アミリアスが愉快そうに笑った。
「傑作ですなぁ我が魔王。出会ってまだ間もない間柄であるというに、
もうそこまで見透かされていらしたとは。逸材を見つけましたなぁ。」
「うるさいなもう!!」
もはや完全にふて腐れてしまったガンダルクが、ルクトとアミリアスを
交互に睨みつけて地団太を踏む。
百年ぶりに開かれた、魔人の巣窟。
澱んでいたはずのその場の空気は、いつの間にかすっかり和んでいた。