森を裂く悲鳴
森の中に蠢く、無数の黒い影。
ほとんど光の届かない場所であるのにも関わらず、緑色の眼光が爛々と
輝いているのが見て取れる。しかもその位置は、子供の背丈より低い。
まるで地を這うかのごときその光の群れが、ざわざわと進んでいく。
やがて。
「キャアアアアアアアアアアア!」
どんより湿った空気を切り裂くかのような、甲高い悲鳴が響き渡った。
ざわめきが大きくなる。
眼光の群れが、波を思わせる動きで森の奥へとなだれ込んでいく。
誰も知らない。
誰も気づかない。
森は、どこまでも深かった。
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「はぁ…やっと終わった。」
いかにも疲れた態のルクトが、建物前で待っていたガンダルクのもとに
2頭の馬と共に戻ってきた。
「お疲れ。」
『どうでした?』
「まあ、何とかなった。」
大きなため息と共に答え、ルクトは栗毛色の馬の首筋を軽く叩いた。
「あの軍馬の買い手はそこそこいたんだけど、今は普通のやつも需要が
けっこう多いんだよ。下取りと比較しても、足が出ないようにするのが
精一杯だったな。」
「ま、馬車込みだったら絶対に無理だったでしょうね。」
黒毛の馬の口を取ったガンダルクの言葉に、実感がこもる。
ここはプリオの街の中央に位置している、街でも最大規模の市場。
ここでルクトたちは、プローノから譲り受けていた軍馬を売りに出し、
新たな馬を購入したのだった。
軍馬は実によく仕込まれていたものの、1頭しかいないのではどうにも
不便さが勝る。かと言って、うかつに普通の馬をもう1頭加えたのでは
文字通り足並みが揃わないだろう。背に腹は変えられず、新たな馬を
2頭揃える選択をした。しかし実際に軍馬を下取りに出そうとすると、
由来などを聞かれて実に難儀した。盗んだものではないとは言っても、
まさかガルデン大要塞の軍馬だとは口が裂けても言えない。
慣れない交渉にかなり苦労した末、ルクトは何とか目的を果たした。
しかし金額の問題上、馬車付きとの要望はついに叶わなかった。
「とにかく、もうこの街を出よう。いいかげん長居し過ぎたよ。」
「そうね。出来ればもう、この国もさっさと出たい。」
『賛成ですね。』
それは、口で言うほど簡単ではないかも知れない。しかし、ジリヌスを
脱出したいというのはすでに、3人の共通認識になっていた。
事実、宿は既に引き払っている。
「まあ、まずはこのうるさい市場を脱出しましょ。話はそれからよ。」
「だな。」
買いたての馬にひらりと飛び乗り、2人は大通りを南下していく。
良くも悪くも特需景気に沸く市場の喧騒から、逃れるかのように。
相変わらず、快晴が続いていた。
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「で、どこへ行く?」
「順当に考えれば、メグラン王国に向かうべきでしょうね。」
『そうですね。』
1時間後。
プリオの街の南端に位置する小さな公園にて馬を停めたルクトたちは、
城門を見ながら今後の事を相談していた。
宿でもあれこれと話し合ってはいたものの、ここに至ってもまだ明確な
目的地が決められない。それほど、情勢が読めない状況になっている。
南にあるメグラン王国に向かうのが現状、最も効率的なのは明らかだ。
しかしこのジリヌスの時とは違い、ルクトにもガンダルクにも明確な
あてがない。要するに、行ったとしても誰に会うべきかが分からない。
「メグランは昔からジリヌスと仲が悪いから、この混乱期をどんな風に
捉えてるのかは興味がある。正直、行ってからのお楽しみって感じ?」
「そんな程度しか動機がねえな。」
『自由なのも良し悪しですねえ。』
あれこれ言い合いつつも、とにかくメグランに行くべしという認識は
ほぼ固まっている。後もうひとつ、何かきっかけでも欲しいところだ。
「…そう言えばアミリアス。」
『はい?』
「プローノさんたちと別れてから、グルークはどこに行ったんだ?」
『あれ、言ってませんでしたっけ?前と同じですよ。』
「と言うと?」
『メグランの王都ロヒリアの近くに滞在してます。』
「あいつがかよ…」
アミリアスの答えに、ルクトは少し複雑な表情を浮かべる。
「王都のすぐ近くにあんなでっかいフライドラグンって、下手すると
大騒ぎになるだろ。…大丈夫か?」
『彼女は見た目より聡明な性格ですから、心配無用です。と言うか、
滞在が長引いてますからもう、簡単な巣を作って落ち着いてますよ。』
「そうなんだ。…よっしゃ!」
そこでガンダルクがパンと勢いよく手を打ち合わせた。
「ダラダラ迷ってても仕方ない。グルークがいるならそこへ行こう!」
『王都にですか。』
「…まあ、それでいいか。」
確かに、これ以上あれこれ迷うのは時間の無駄かも知れない。ならば、
グルークを追っていく…というのも立派な動機かも知れない。
「急げは数日くらいでメグラン王国に入れるでしょ。行こ行こ!!」
「よし。んじゃ行こう!」
些細な事でも、目的が決まれば後は行動あるのみ。
プリオの街を後にしてから、ルクトたちは一気に速度を上げていた。
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2日後の夕刻。
「何か、中途半端な地点で日暮れになりそうだな…」
「ちょっと欲張り過ぎたわね。」
『野宿確定でしょうかね。』
次の街次の街と目標を変えた結果、道中泊になってしまうという展開。
さすがに2人は苦笑していた。
「…確かこのへんって、ベクリアが割とよく現れるんだよな。」
「うわぁ貞操の危機。怖いわあ。」
『あなたがそれ言います?』
「言うくらいいいじゃん!」
軽口を交わす3人は、それでも油断なく周囲を確かめる。
「ベクリア」とは、魔人とは由来の異なる人型の獣人の総称である。
人語を解さない一方、人間の女性に対し欲情するという厄介な性質を
持っており、しかもなぜか人間にも「種付け」ができる。
ありとあらゆる意味で、若い女性にとっては危険な存在だった。
「とにかく、見通しのいいところで野宿の準備を整えよう。それで…」
ルクトの提案は、途中で途切れた。
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「キャアアアアアアアアアアア!」
何の前触れもなく、森の奥の方から甲高い女性の悲鳴が聞こえてきた。
ハッと声の聞こえた方に向き直った2人は、ほぼ同時に馬を走らせる。
「行ってるそばからこれェ?」
「とにかく急ぐぞ!」
そんなに遠くはないはずだった。
見通しの悪い森を進むにつれ、気配がチラホラと周囲に現れ始める。
「…いるわね、結構な数が。」
『ベクリアとは言え、数が多ければ注意は必要ですよ。』
「とにかく救援が最優先だ。戦いは避ける方向で行く。」
「そうね。」
まもなく日が落ちる。
細い木が不規則に生えている藪を抜けた地点で、視界がパッと開けた。
おそらくここに、悲鳴の主が…
刹那。
ガン!!
「うおっ!?」
鈍い音と共に、ルクトの真正面から何かの塊が飛んできた。
咄嗟に上体をひねってかわすと同時に、通過したものに視線を向ける。
「…え?」
ドガッ!!
一瞬で背後の木に激突したそれは、紛れもなく大型のベクリアだった。
眉間を思い切り殴られたらしく、目から血を流して既に息絶えている。
ガン!
ドガッ!!
なおも断続的に響く鈍い音の方に視線を向けたルクトとガンダルクは、
同じような困惑の表情を浮かべる。
確かに、女性はそこにいた。
方向と距離からして、悲鳴の主だというのはほぼ間違いないだろう。
しかし、現状は想定とかなり違う。
ベクリアに襲われていると思われた女性は、むしろ群がるベクリアを
片っ端から殴り飛ばしていた。足元には、既に10体近く倒れている。
「…これ、どういう状況?」
「分かるわけないだろ。」
言葉を交わす2人は、それでも馬をゆっくりと進めて近づいていく。
あんまり加勢の必要性を感じない、悲鳴の主たる目の前の女性――
サルバドル・トッピナーのもとへ。




