不可解な依頼
2人が翌日の夜明けを迎えたのは、乗り合い馬車の中だった。
「おい起きろ。」
「んあ?……ああ、ハイハイ。もうそろそろ着く頃よね。」
「いや、お前が案内役だろうが。」
すっかり寝入っていたレムリを起こし、ルクトは小さなため息をつく。
彼女が口にした”お願い”の内容は、何とも奇妙なものだった。
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「どうもありがとー。」
自分とルクトを下ろして去っていく乗り合い馬車に、レムリは愛想よく
礼を述べて手を振った。傍らのルクトは、目の前の森に目を向ける。
「ここか?」
「そう。まあ、ここはまだまだ入口だけどね。目的地はもっと奥よ。」
「………」
ルクトは、怪訝そうな表情を隠そうとしなかった。
「どのくらい歩くんだ?」
「あたしの足で1時間半くらい。」
「そんなにかよ。」
「何ルクト君、もしかしてあんまり体力に自信ないとか?」
「そういう話じゃねえよ。」
ここから1時間半も森に分け入った場所は、危険じゃないのか?
そんな心中の懸念を、あえてルクトは口に出さなかった。
言っても無駄である以上に、レムリの意図が未だにほとんど読めない。
それを見極めるまで、余計な事は言うまいと思っていたからだった。
「それじゃあ、楽しいお散歩に行きましょうか。」
軽い口調でそう言ったレムリが、粗末な道へと迷わず足を踏み入れる。
仰ぎ見る空は、今日も快晴だった。
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鬱蒼としたその森は、さほど長くは続かなかった。やがて視界が開け、
周囲は大きな岩がゴロゴロ散在する谷川沿いの地形に変わる。しかし、
それはすさまじく足場の悪い、危険な道のりだった。
「ホントこのへんって、人が来ないよねえ。全然拓かれないしさ。」
「…そりゃそうだろ。」
短く答えたルクトの目は、先行するレムリの背をじっと追っていた。
”1時間半”と言っていた所要時間の意味が、明らかに変わっている。
道なき道を進むレムリの足取りは、どう見ても普通ではなかった。
運動能力が飛び抜けているというより、むしろ道を知り尽くしていると
形容した方が正しい。彼女は明らかに、何度もここへ足を運んでいる。
並の冒険者などでは進むのも困難と思われる、この未開の場所に。
遅れる事なくその後を追いながら、ルクトは彼女が口にした”お願い”を
あらためて思い返していた。
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「守護者?」
「そう。洞窟の入口を守ってるそれを、倒して欲しいんだよね。」
レムリがルクトに依頼したのは、かなり意外なお願い事だった。
「どこの洞窟だよ。」
「ラマセス王国の北の果てにある。国境近くだから、ここからも近い。
乗り合い馬車を使えば、たぶん1日くらいで着けると思うよ。」
「何者だ、その守護者ってのは。」
「人じゃない。」
「は?…じゃあ魔人とかか?」
「近いけど違う。魔術に長けた魔人が作り上げた、岩石の人形よ。」
「魔術で動く人形…?」
ルクトはその言葉に眉をひそめた。
「今どき、そんな高度な代物が現存するのかよ。聞いた事ないぞ。」
「まあ、誰も知らないからね。」
「お前は何で知ってるんだよ。」
「そこらへんについては、また後で教えるよ。」
「………」
胡散臭さしか感じ取れない依頼に、ルクトは黙り込む。
とは言え、今の時点では断る理由がないのも事実だった。
そこでルクトは、話題を現実的な方向に切り替える。
「報酬は?」
「成功報酬で。」
「前金なしかよ。」
「今のあたしが、そんなお金持ってるように見える?」
「いや…」
妙に説得力のある返しに、ルクトはまたも言葉に詰まる。
何なんだよ、この女は…
「じゃあ成功報酬って何なんだよ。どうやって払う気だ?」
「その守護者が守ってる洞窟に、いいお宝が眠ってるんだよね。」
「お宝?」
「そう!…首尾よく中に入れたら、そのお宝をあげる。それでどう?」
「どう、って…」
自信満々で言い放つレムリの顔に、謀のような気配は微塵も見えない。
どうやら本気で、洞窟にあるというお宝を報酬にするつもりらしい。
どうすべきかというルクトの迷いはしかし、ごくごく短かった。
「分かった。やってやる。」
「ホントに!?やったぁ!!」
「お前こそ本当なんだろうな、今の話。嘘だったら承知しないぞ。」
「大丈夫だってば!ありがとルクト君!んじゃ、さっそく行こう!!」
「待て待て、まずは朝飯だろ。」
「そうそうそうだよね。じゃあまずは店探そう!!」
「お前、金持ってんのか?」
「悪いけど奢って!!」
「乗り合い馬車の乗車料は?」
「悪いけど立て替えて!!」
「………」
こいつ、只のタカリじゃないのか。
そんな疑念を抱くルクトを尻目に、レムリは颯爽と歩き出していた。
そして今に至る。
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「もうちょっとで着くよ。」
きっかり1時間半進んだところで、レムリがそう告げた。
すでに元の街道は遥か後方となり、ほぼ人の手が入っていないであろう
未開の原野まで至っている。しかし別に鬱蒼としているわけではない。
眼前にそびえている大きな岩山は、陽光に照らされていた。
「もう一度ちゃんと言っとくけど、守護者はそこらへんの魔人よりも
ずっと強いからね。くれぐれも油断せずに臨んでよ。」
「ああ、分かってる。…ちなみに、会話とかはできるのか?」
「無理。近づいたら問答無用で襲いかかって来るから。」
「よくそんな事まで知ってるな。」
そう言ったルクトは、足を止めた。
同じく足を止めて振り返ったレムリに、少し強い口調で問いかける。
「そこまで危険な奴の事を、お前はどうやって知ったんだよ?」
「ああうん、やっぱり気になる?」
「当たり前だ。」
「そうだよね。ここまで来てくれたんだし、そこは忘れずにきっちりと
説明をしとかないとね。うん、忘れずにきっちりとね。」
「何で2回言うんだ?」
「大事なことだからよ。」
そう答えたレムリは、自分の胸元をポンと手で叩いて続ける。
「守護者は、このあたしに対してはいっさい攻撃してこないのよ。」
「何だと?」
怪訝そうな表情になったルクトに、レムリは真顔で続ける。
「もちろん、洞窟に入ろうとすれば阻むけど。それ以外は何をしようと
絶対にあたしには手を出さない。」
「何でだよ。」
「そういう風に作られてるから。」
「だから何でだよ。」
「倒してくれたら説明するよ。」
「いや、だから…」
「とにかく、あたしが言いたい事はひとつだけ。ちゃんと聞いて。」
「何だ?」
「守護者はあたしを攻撃しない。だから君は、戦いの最中にあたしを
守ったり庇ったりしなくていい。ただひたすら、倒す事だけ考えて。」
「…本当なんだろうな?」
「もちろん。頼んだ以上は、全力で戦いに臨んでもらいたいからね。」
「……」
しばしの沈黙ののち。
「よし。今はそれでいい。だけど、ひとつだけ約束しろ。」
「何を?」
「俺がそいつを倒したら、ちゃんと納得できる説明をする事をだ。」
「最初からそのつもりよ。ってか、頼むから勝ってよ?」
「任せろ。」
「任せたからね。」
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やがてレムリは、そびえ立つ断崖の少し手前で足を止めた。
「着いたよ。」
「ここがか?」
ルクトが周囲を見回す。しかしそこには、洞窟らしきものはなかった。
「どこだよ。」
「守護者を倒さない限り、洞窟の入口は開かないよ。」
そう言ったレムリが、崖際まで歩を進める。そして向き直った。
「準備はいい?」
「ああ。」
答えたルクトは、背中に帯びていた長剣を抜き放って構える。
「開けようとしたら、その瞬間から襲って来るからね。頼むよ?」
「分かった。」
「それじゃあ、よろしく。」
再び崖際に向き直り、何か刻まれた部分にレムリが手を触れた瞬間。
「…?」
不意に自らに影が落ちたのを察したルクトが、反射的に飛び離れる。
刹那。
ドゴオォォォォン!!
轟音と共に地面がビリビリと震え、ルクトが立っていた場所が丸ごと
叩き潰されてクレーターと化した。
「頑張れルクト君!!」
歓声を張り上げるレムリには目を向けず、ルクトは影の方に向き直る。
そこに立っていたのは、文字通りの岩の巨人だった。
どこから出現したのかも判らない。前触れもなく襲い掛かって来た。
己の3倍はあろうかという体躯は、全て雑に組み上げられた岩石だ。
その手に、黒光りする鉱石のような巨大な棍棒を携えている。
「こいつが、守護者か。」
肌が泡立つかのような緊張感の中、ルクトは長剣の柄を握り直す。
確かに問答無用の相手らしかった。