模擬戦にて
足を踏み入れた闘技場は、それほど広くはなかった。しかし大勢の兵が
ずらりと並んで剣を振るうさまは、それなりに壮観な光景だった。
指導官の声が響く中を歩くルクトとガンダルクは、そんな訓練風景には
あまり視線を向けなかった。やがて案内されたのは、他でもない訓練を
行っていた指導官のもとにだった。当然、号令を発する者がいなくなり
訓練自体が中断される。望まずして2人は、場の注目の的になった。
「また志願者か。景気がいいな。」
汗を拭きながらルクトに目を向けた指揮官は、がっしりした体躯ながら
いたって温和そうな顔立ちだった。しかし、視線にだけは鋭さがある。
「今月に入ってもう11人目だよ。いやはや、若者は元気でいいね。」
「お手数をおかけします。」
そう言って会釈したルクトに、訓練兵たちがひそひそと言葉を交わす。
ざっと見た限り、ほとんどは彼よりもいくぶん年上らしかった。
何となく場の見世物のようになったルクトは、しかし特に動じない。
と。
「言いたい事はァ!!」
益体もないざわめきの中に、突如として鋭い声が響き渡った。
ビクッと静まり返った只中に、今度は普通の口調で続きの言葉が響く。
「はっきり言いましょう。ね?」
大声で言った人物ーガンダルクが、兵たちにニッと笑いかける。
威圧的な素振りは微塵もない。
喧嘩腰でもない。むしろその表情は親しげでさえある。
それでもその一喝には、場の人間を黙らせるだけの”力”があった。
「…大物、ね。」
出し抜けに訪れた静寂の中、ルクトは心の中でそう呟いていた。
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「いや、失礼した。」
沈黙を破ったのは、指導官だった。
「指示するまで休め!!」
彼の号令により、気まずそうに整列していた兵たちが三々五々に散る。
ある程度の喧騒が戻ったところで、指導官は再びルクトに目を向けた。
「さて、と。…君の名前は?」
「カルです。カル・タクト。」
「良い名だね。」
そう言いながら、指導官はスッと目を細める。
偽名かどうかを疑っているわけではないだろう。ルクトもガンダルクも
そこはあまり重視されるとは思っていない。それは世界の常識だった。
時代が変わろうと魔王がいなくなろうと、世界から戦いがなくなるとは
誰も思っていない。戦争は起こり、そして人間を傷つける魔人の存在も
絶える事はない。そして人間側も、戦う事を当然だと受け入れている。
こんな世の中で、兵士を生業とする者が名前を偽るのは珍しくもない。
求められるのは出自でも社会的身分でもなく、戦えるだけの力だ。
それは勇者であろうと冒険者であろうと、兵士であろうと変わらない。
時代にそぐわない要塞においても、その常識は同じだった。
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「ドリンス!」
休憩中の兵士たちに向けて、指導官からそんな声が投げかけられた。
声に応じて歩み出たのは、ひときわ物々しいフルプレートアーマーを
まとった大柄な青年だった。さすがに兜は脱いでいるものの、訓練でも
そんなものを着込んで臨む体力には並々ならぬものを感じさせる。
「お呼びですかラジュール様。」
「ああ。まずは相手をしてやれ。」
「承知しました。」
「ラジュール」と呼ばれた指導官の指示に頷いたドリンスが、ルクトを
ちらりと一瞥する。その視線はそのまま、傍らに立つガンダルクの方に
さりげなく移る。明らかに、あまりいい印象を持っていない目だった。
しかし当のガンダルクは、ドリンスの視線を完全に無視している。
何となく、場の空気が張り詰めた。
「よし、じゃあ場所を空けろ。皆、壁際に寄れ。」
ラジュールの号令で他の訓練兵たちがぞろぞろと移動して場を作る。
黙って歩き出したルクトが、やがてその中心に立った。
「よろしく。」
「ああ。」
答えたドリンスに、すぐ傍らにいた兵が兜を手渡した。それを被ると、
もはや完全に顔は見えなくなった。
一方のルクトは、背に帯びていた剣を鞘ごと外して傍らのガンダルクに
ひょいと託す。受け取った彼女は、流れるような動きでその剣を地面に
垂直に立てた。ドンという鈍い音が小さく響き、地面がほんの少しだけ
陥没する。それを目にした数人の兵が、驚きの表情を浮かべた。
ルクトの背負っていた剣の重さと、それをまるでいなすように立てた
ガンダルクの動きに。膂力がなさそうな見た目からは想像もできない、
重さに逆らわない動作だった。
「剣を。」
ドリンスの声に応じ、別の兵が訓練用とおぼしき剣を持ってきて渡す。
同じものを、ラジュールがルクトに手渡した。柄の部分は普通の剣で、
刃は完全に板のままになっている。非常に安全な代物だった。
「勝ち負けは特に決めない。まずは存分に打ち合ってみてくれ。」
「分かりました。」
頷くルクトは、あらためて目の前のドリンスに向き直った。
「遠慮なく打ち込んで来い。」
「つまり、そのためのフルプレートですか?」
ルクトの言葉に、周りにいた兵たちがさっと表情を変える。
明らかに挑発とも取れそうなその一言が、場の空気を張り詰めさせた。
「…君は、その軽装でいいのか?」
「ええ。」
「分かった。」
おそらく、フルプレートの中の顔は怒りに歪んでいるのだろう。
そう思わせるほど、ドリンスの声は低くなっていた。
「よし、それでは両者、構えて。」
ラジュールの号令で、ドリンスが剣を正眼に構える。しかし相対する
ルクトは、剣を右手に持ったまま。構えようとはしなかった。
「…どうした、もしかして、構え方を知らんのか?」
「いえ、このままでいいです。」
「…侮られたものだな。」
もはやドリンスは、怒りを隠そうとしていなかった。構えている剣に、
殺気に似た気迫が宿る。周囲にいる兵たちも、ルクトを睨んでいた。
「いいな?」
「いつでもどうぞ。」
「よし。」
一瞬の沈黙ののち。
「はじめ!!」
ラジュールの号令と共に、ドリンスが一気に距離を詰めた。
鈍重なフルプレートアーマーをまとっているとは到底思えないほどの、
踏み込みと加速。両者の間隔は一瞬で縮まった。
刹那。
ガン!!
佇んだまま迎え撃つルクトの左手が一瞬だけ動き、すさまじい衝突音が
空気を震わせた。と同時に、大きくバランスを崩したドリンスの体が
ルクトを見失って盛大に転がる。
「ぐうっ…!?」
何とか身を起こしはしたものの、彼の兜の前面は無残に歪んでいた。
スリット部分が完全に塞がり、視界が無くなっているのが見て取れる。
「キサマ何をしたぁ!」
視界を喪失しながらも、ドリンスは何とか立ち上がる。そんな彼の姿を
見つめるルクトの左の篭手からは、鎖鞭が短く伸びていた。
「な、何なんだあれ?」
兵たちが口々に言葉を交わす中で、ルクトはもう一度左手を掲げる。
必死に相手を探すドリンスの体が、自分の方を偶然向いたその瞬間。
ガン!!
再び振るった横薙ぎの鎖鞭の一撃が、さっきよりやや下、顎のあたりを
強烈に打ち据える。今度はさすがに兜が凹むほどではなかったものの、
頭を揺さぶられたドリンスは呻き声もあげずにそのまま崩れ落ちた。
ジャラッ!
素早く鎖鞭を篭手に戻したルクトの視線が、倒れ込んだドリンスから
周囲の兵、そしてラジュールの方に順に向けられる。
数秒の沈黙ののち。
「…もう少し、手応えのある相手をお願いできませんか?」
抑揚のない声が、死のような沈黙の中に響く。
しばし、応える者はいなかった。




