越えられない壁
魔人国アステアからの侵略に対する最大の防衛拠点とされているのが、
国境近くに古くから建設されている大要塞・ガルデンである。
その起源はガンダルクよりさらに昔の魔王の時代に遡るとされており、
増築に増築が重ねられた結果、現在では要塞自体が都市と化している。
「それは、知ってるんだよな?」
「もちろん。ってか、生きてた頃にちょっと見に行った事もあるし。」
「…何気にとんでもない過去語りを挟むのはやめてくれ。」
そう言ったルクトが、やがて小さく頷く。
「分かった。心当たりがあるんなら行こう。ここまで来たんだし。」
「話が分かるねえ。」
「今のお前はもう、魔王ガンダルクとは違う存在なんだろ?」
「まあね。今のあたしには、往年の力なんて欠片も残ってないよ。」
「嘘じゃないよな?」
「そういう無駄な嘘は嫌い。」
「…そうだったな。」
何かに納得したのか、ルクトはそこであらためて頷いた。
「じゃあ、このまま国境線に沿って北上して行こう。何事もなければ、
数日くらいでガルデン要塞に着けるはずだ。」
「分かった。それじゃあさっそく、出発準備を…」
「ちょっと待ってくれ。」
腰を上げようとしたガンダルクを、やや強い口調でルクトが制する。
「……うん?」
自分に向けられた視線の真剣さに、ガンダルクはそのまま座り直した。
「…何か言いたい事でもあるの?」
言いながら、ふと何かに思い当たったような表情で首をかしげる。
「もしくは、訊きたい事か。」
「ああ。」
「分かった。何でも訊きな。」
そう言ったガンダルクは、何となく意味ありげな笑みを返す。
ルクトが何を求めているのか、もう察していると思わせる顔だった。
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「動きと平衡感覚、ね。やっぱり、その話か。」
「ああ。訊いていいと言うんなら、もう俺も変な遠慮はしない。」
開き直ったような口調で、ルクトはガンダルクに問う。
「しつこいようだけど、今のお前の身体能力は見た目どおりなんだな?
つまり、18歳の少女の。」
「そう。」
「だったら、何であんな事がいとも簡単にできるんだよ。もしかして、
そもそもの能力が高かったのか?」
「そんな事ないよ。まさに平々凡々って感じ。力も反射神経も人間の
平均的な水準からは出ていない。」
「じゃあ、どうして…」
「ま、理屈より実践でしょ。」
そう言い放ったガンダルクが、勢いをつけて立ち上がる。同じように
立ち上がったルクトの顔を見つめる目は、いたって平常どおりだった。
「ルクト。」
「何だ?」
「とりあえず、二番刀を鞘に収めてあたしに打ち込んできてみな。」
「え?…いいのかよ?」
「もちろん。」
即答したガンダルクは自ら二番刀を拾い上げ、ひょいと手渡す。
「多少強く叩いても構わないから、まず一手。それで感覚が判るよ。」
『あたしを使うんですかー?』
「アミリアスはちょっと黙ってな。その代わり、ルクトの動きに関して
きっちり分析しておいて。」
『…分かりました。』
「…後で文句を言うなよ?」
「もちろん。ってか、あたしが文句を言う機会はないと思うよ。」
つまり、当たらないという事か。
そう捉えたルクトの表情が、スッと真剣なものに変わる。
「じゃあ、行くぞ。」
「いつでもどうぞ。」
言葉を交わした瞬間。
ヒュン!
一瞬で距離を詰めたルクトの手が、目の前のガンダルクの肩を掴もうと
素早く伸ばされた。並の人間なら、動きを追う事さえできない速度で。
しかし。
「ッ!?」
完璧に捉えたと思った手は、見事に空を切った。
ほぼ同時に、至近距離に立っていたはずのガンダルクの姿が消える。
「何だと!?」
体勢を立て直したルクトが、体ごとぐるりと回って周囲を見渡す。
しかし、どこを見てもガンダルクの体はまったく視界に入らなかった。
気配は感じるのに、いかなる方向に目を向けようと影すらも見えない。
「…どこ行った!?」
「ここよ。」
すぐ近くで声が聞こえると同時に、左の首筋にひたりと指が触れる。
まさに頚動脈の位置である。これが刃物なら、一巻の終わりだろう。
「くっ!!」
どちらの手の指で触れられたのかも判らないまま、ルクトは無理やり
体の向きを変えてガンダルクの姿を懸命に追う。しかし相変わらず、
彼女の姿は視界に捉えられない。
足音や摩擦音だけでも察知しようと動きを止めた瞬間、またも首筋を
すっと指でなぞられた。間違いなく頚動脈を切り裂く軌道である。
実戦であれば、この短い時間で2度死んでいる事になる。
焦るルクトの額に、うっすらと汗が滲み始めていた。
「ちょっと難しいか。それじゃあ、少しだけ難度を下げるね。」
そんな言葉と共に、いきなり面前にガンダルクの姿が滑り込んで来た。
まるで空間から出現したかのようなその唐突さに気を呑まれながらも、
ルクトはあらためて二番刀を素早く突き出す。
しかし、結果は変わらなかった。
わざわざ手を伸ばすまでもなく届く至近距離なのに、捉えられない。
いかに奇矯な一手を繰り出そうと、まるで完全に予測したような動きで
簡単に回避されてしまう。しかも、ガンダルクは息ひとつ切らさない。
どのくらい、そうやって影のような相手を追い続けただろうか。
「…無理だ。」
そう宣言したルクトは腕を下ろし、構えを解いて全身の力を抜いた。
降参の意を示すと共に、捉えようがなかったガンダルクも止まる。
「終わり?」
「ああ、認めるよ。」
肩で息をしながら、ルクトはどこか吹っ切れたような表情で頷いた。
「聞いたとおり、練度が桁違いだ。今のままじゃ俺は追いつけない。」
「そうやって素直に認めるところ、やっぱりイイねルクト。」
ちょっと顔を寄せたガンダルクは、そう言ってにっこりと笑う。
ようやく呼吸を落ち着けたルクトもまた、つられるように笑った。
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「説明されるより、まずは実践か。よおく身に沁みたよ。」
淹れ直したオジ湯を共に飲みつつ、ルクトが実感のこもった声で言う。
「ディグロー退治の合間に見ていただけだったが、やっぱりその動きは
並じゃないな。もちろん、魔術とかそういう類のものでもない。」
「ええ。…アミリアス!」
『はあい。』
「あたしが何をしてたか、ルクトに分かるように説明できる?」
『もちろん。簡単な事ですから。』
「その簡単な事って、何だ?」
ルクトの問いに、アミリアスは事もなげに答えた。
『あなたの動きに合わせて密着し、死角に滑り込んでいた。それだけ。
決して距離は取らず、見えない位置を見極めて移動してたんですよ。』
「やっぱり、本当にそれだけか…」
「別に難しい事は何もやってない。だから、大して消耗してもいない。
あんたが見たかったのは、あたしのそういう動きでしょ?」
「見えなかったけど、そうだよ。」
軽口で答えたルクトが、あらためてガンダルクの顔を見据えて問う。
「俺にあの動きは、できるのか?」
「あたしと同じように、って事?」
「そうだ。」
「無理だよ、絶対に。」
ガンダルクは、即答した。
突き放すような強い口調ではない。
しかしその声には、覆りようのない確信の響きが込められていた。




