追放の剣士
平和な時代の到来。
ガンダルク亡きあと、アステア国の「魔王」は事実上の廃位となった。
暴虐の限りを尽くした魔王の配下の魔人は、次第に姿を消していった。
なおも人を襲う魔人は絶えなかったものの、もはや人の世界にとっての
絶対的な脅威にまではなり得ない。ありふれた災禍のひとつであった。
もうひとつの、大きな変革。
きっかけは、自分たちの意思によりアステアからその足を踏み出した、
数多くの魔人たちだった。
人への悪意を持たない彼ら彼女らの存在は、確執と恩讐とを乗り越えて
人の世界への融和を果たしたのだ。
それは最悪の魔王ガンダルクの死がもたらした、ひとつの奇跡だった。
魔人は、断じて絶対悪ではない。
その事を、世界は永い時間をかけて少しずつ受け入れていった。
古より続いていた永い闇の果てに、世界は光に満たされていった。
それから、100年の歳月が流れ。
平和な時代を謳歌していた世界に、衝撃が走った。
既に伝説として忘れ去られていた、アステアの魔王の座。
そこに腰を下ろす者が現れたのだ。
100年の時を経た、新たな魔王。もはやその脅威を忘れていた世界は
恐怖に混乱し、そして新たな世界の危うさを今さら思い知った。
魔人を受け入れていた数多の国は、その存在に今さら戦慄していた。
しかし、いかなる時代においても、勇者は人の世界の中に現れる。
平和な世界で忘れられていた称号を掲げる強き者たちは、新たな魔王を
己が手で討ち滅すべく立ち上がる。世界に再び平穏をもたらすために。
果たして、魔王を討つのは誰か。
100年の永き沈黙を破った魔王が目指すのは、いかなる破滅なのか。
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場の空気が、再び凍りついた。
ひそひそ声さえピタリと無くなる。
そんな張り詰め過ぎた空気の中に、メリフィスの冷たい声が響く。
「爺さんだか婆さんだか、とにかく確かそのあたりが魔人なんだよな。
俺が知らないとでも思ったか?」
「……」
言葉以上に冷ややかな視線を受けたルクトは、返す言葉に窮していた。
そんなルクトに、容赦のない言葉が投げられる。
「黙ってても話は終わらないぜ。…それとも答えたくないってか?」
「………」
「答えろよ、ルクト・ゼリアス。」
「…ああ、そうだよ。」
重い沈黙を経たルクトのひと言に、周囲からざわめきが起こった。
しかしその重苦しい空気に動じず、ルクトはメリフィスに問い返す。
「…俺が人魔だから追い出すのか。それがお前の考えなのか?」
「まさか。」
睨み据えるルクトの視線に動じず、メリフィスは大きく肩をすくめた。
「…ガンダルクが死んで100年。今じゃ石を投げれば人魔に当たる、
そんな世の中だ。いくら俺でも、そんな時代遅れは言わねえよ。」
「だったら、何でだよ!」
「黙ってたってのが問題なんだよ。分かり切った事を言わせるな!」
メリフィスの強い語調に気圧され、ルクトはぐっと唇を噛んだ。
「確かに今の世の中、魔人の血統は世界中にすっかり浸透しているさ。
だけど魔王がアステアに現れた。それもまた事実だろうが。…もう、
今まで通りの世界じゃないんだ。俺だって魔王討伐を掲げてる以上、
パーティーに魔人の血を引く奴は置いておけないんだよ。」
「…だけど…」
「そもそも、何で黙ってたのよ?」
そう声をかけたのは、メリフィスの隣に座っていた緑髪の女性だった。
「あんたは確かに、そこそこ強い。だけど、その強さが光の加護なのか
人魔の呪いなのかで、意味は全く変わってくる。分かるでしょ?」
「…俺の力は人魔の呪いじゃない。努力の賜物だ。」
「だから言わなくてもいいって?」
「………」
「言う必要が無かったからってのは通らないわよ。あたしたちは常に、
互いに命を預けてるんだからね。そんな人間は信用できない。」
「ソーピオラ…」
「あ、人間じゃないからいいだろ…とでも言うつもりだった?」
”ソーピオラ”と呼ばれた女の声は、メリフィス以上に冷たく響いた。
その視線が、店内をざっと見渡す。つられて周囲を見回したルクトは、
自分へと突き刺さる非難の眼差しにようやく気づいた。
誰もが、自分を見ていた。
蔑みのような、恐れのような目で。
窓際の席に座る、唯一人を除いて。
もう、ここに自分の居場所はない。
その確信を抱くのに、場の冷たさはあまりにも十分過ぎた。
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「こんな事は言いたくなかったが、まあ仕方ないよな。」
腕を組んだメリフィスがそう呟き、うつむいたルクトに告げる。
「お前の抜ける穴は確かに痛いが、今すぐアステアに乗り込もうなんて
俺たちだって考えちゃあいない。別の使い手をゆっくりと探すさ。」
「そうそう。」
相槌を打ったソーピリアが、ニッと口元を歪めて笑った。
「とりあえず、人間の剣士をね。」
「………」
「このアルメニクって、確かお前の生まれ故郷だろ。ちょうどいいから
実家に帰って帰農したらどうだ。きっと親も喜ぶぜ?」
「いいじゃん、お似合いかもよ?」
茶化すようなソーピリアの言葉に、クスクスと笑い声が聞こえた。
「まあ、今日までの取り分を…」
ドゴォン!
轟音と共に、テーブルが割れた。
ルクトが拳で叩き割った音と悟り、周囲の嘲笑の声がピタリと止む。
「分かったよ。」
そう言って立ち上がったルクトが、荷物と剣を抱えて出口へと向かう。
その背に、メリフィスが最後の声を投げかけた。
「元気でなぁ、人魔のルクト君!」
「……」
ルクトは、何も答えなかった。
そのままゆっくりと入口扉を開け、振り返る事なく店を出て行く。
それで終わりだった。
彼が出て行って、数秒も経たずに。
店内は、いつもどおりの騒がしさを取り戻していた。
まるでルクトの存在など、最初からなかったかのように。
夜空を仰いだルクトは、その視線をもう一度だけ店明かりに向ける。
涙は零さななかった。怨嗟の言葉もひと言も吐かなかった。
唇をかみ締め、正面に向き直る。
歩き去る彼の影が、ひと気の絶えた夜の道に黒々と伸びていく。
春とは名ばかりの、寒い夜だった。