女王の失敗
ミスを何ひとつ犯さない人間など、この世には存在しない。
どんなに万事に抜かりのない人間であろうと。
どんなに慢心から遠い聡明な人間であろうと。
ほんの些細なきっかけで、誰しもが何かしらの間違いを犯す。
それが人間である。人魔であろうと魔人であろうと、そこは同じ。
聡明さにおいて並び立つ者もないとされる、モーグ王国の長。
女王シャンテムでさえ、その理からは逃れられない。
しかし、それを責められる者などはいないだろう。
とにかく、間が悪かった。
そして、状況が特殊過ぎた。
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時は、少しだけさかのぼる。
「…ふーん。かなり近いねえ。」
「メリゼか、姉ちゃん!?」
「そうそう。反応が強くなってる。間違いなく国境に向かってるよ。」
副王である弟リスベルにそう述べ、シャンテムは赤い宝玉を凝視する。
メグラン王国の王女・メリゼの存在に魔術で紐付けられたこの宝玉は、
彼女の現在の状態についての情報をシャンテムにもたらしてくれる。
しかし残念な事に、国外にいる間は非常に精度が低い。せいぜい生存の
確認ができる程度であり、もともと魔術の才能に特化したシャンテムが
使ってもなお、明確な情報はあまり得られない。ボンヤリと神託に似た
抽象的な概念でも感知できればいい方だ。それ以上はいくら頑張っても
精度は上げられない。距離的限界はいかんともしがたいのである。
それに加えて、この宝玉から情報を得る事ができるのは術者本人のみ、
つまりシャンテムだけという制限がある。リスベルが望んだとしても、
結局は彼女から聞き出すしかない。非常にもどかしいシステムだ。
結果、シャンテムは毎日何度も彼に様子を見ろと催促されていた。
彼がどれほどメリゼを心配しているのかを誰よりも理解している以上、
無碍にするわけにはいかない。
正直、彼女自身も早く来てくれ…とひそかに強く願っていたのである。
心配しているのは当然だし、何より早く会ってあれこれ話もしたい。
しかしいくら心配でも、こちらから迎えに行くという選択はできない。
ジリヌス王国の激変が起こった後の混乱期。しかも王女であるメリゼは
王都にいると明言されている。もしその公式見解を無視するような形で
使者が国境を越えれば、どれほどの難癖をつけられるか想像できない。
どれほどヤキモキしようと、メリゼが自力で国境を越えるしかない。
こちらの側に来てくれさえすれば、いくらでも手の打ちようはある。
その事情が分かっているからこそ、シャンテムはひたすら待っていた。
実際のところ、弟のリスベル以上に今か今かと待っていたのである。
そこまで浮ついた心持ちだったからこそ、彼女は凡ミスをした。
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その日、リスベルは忙しかった。
いつもなら決まって駆け込んで来る時間になっても、現れなかった。
「…うーん。間が悪いねえぇ。」
ソファーに寝そべり、シャンテムがポツリと呟いた。宝玉の反応から
察するに、メリゼはそろそろ国境を越えていてもおかしくない感じだ。
しつこいほど日に何度も確認をしに来る割に、こういう時にいないか。
「ま、仕方ないよね。仕事は仕事。疎かにしてもらっちゃ困るし。」
だからと言って待つつもりもない。
国境を越えられさえすれば、宝玉で感知できる精度は跳ね上がる。
うまくすれば、像も結べる。これで少しは具体的に把握ができるし、
その上で迎えを出すなんて事も可能になる。だったら、善は急げだ。
「よぉしよし。どうやらこっち側に来れたね。反応がかなり強い。」
状態は上々だ。少しメリゼの気配が強過ぎるとさえ思える。これなら、
確実に現在の姿を結像させられる。じゃあ、意識を集中して…
「お。見えた見え…」
そこでシャンテムは眉をひそめた。
ん?
何これ。
ってか、誰?
いや、誰かは考えるまでもない。
あの子ちゃんのはずだ。宝玉が投影してるんだから、間違いはない。
だけど、違う。
何から何まで違う。
誰だ、このむさ苦しいおっさんは?
よく見えないけど、傍らに女の子を2人も侍らせている。
正直に言って、個人的に一番嫌いなタイプの見てくれだ。とにかく嫌。
生理的に受け付けない。
そんな男が、なんでこの宝玉に投影されてるんだ!?
柄にもなく混乱したシャンテムは、やはり焦っていたのかも知れない。
「遅くなった姉ちゃん!!」
あたふたと飛び込んできたリスベルの声に、パッと投影を解除した。
「メリゼは!?」
「ああいや…その…」
「どうなんだよ。」
「…うん、まだじゃないかなぁ。」
曖昧な物言いに、リスベルは訝しげな表情を浮かべる。とは言っても、
これに関しては姉の言葉をそのまま信じるしかない。
「…何だ、今日こそは!って話じゃなかったのか。」
「そ、そうみたいね。」
うん。
きっと何かの間違いだ。
…もしかしてこの宝玉、壊れた?
高かったのに!
それっきり、シャンテムは宝玉への信用を失ってしまっていた。
砕けていないからメリゼは無事だ。その部分だけを信じ、詳しい検索を
しようとはしなかった。リスベルに対しても、言葉を濁していた。
しかしさすがにもう、彼をごまかし続けるのも限度がある。
詰め寄られた末、やむなくもう一度投影術を行使してみた。反応自体は
すでにこの第一都マンデの近くまで到達していたのである。
やだなあ。
もしあのおっさんの姿が映ったら、今度こそごまかし切れな…
「あれっ。」
「どうした?」
映ったのは、紛れもないメリゼの姿だった。日焼けしてかなり雰囲気は
変わっているものの、間違いない。あの子ちゃんだ。
じゃあ、あのおっさん何だったの?
「見えたのかよ。」
「ああ、うん。」
「どこにいるんだ?」
「北の森を抜けたところに…」
「すぐそこまで来てるじゃねえか!何で分からなかったんだよ!?」
「いやあの…うん、ゴメン。」
「早く迎えを出さないと!!」
「そ、そだね。」
おっかしいなあ。
何であんな姿が…?
首をひねりながらも、シャンテムはあたふたと準備に取り掛かる。
ルブホの隠蔽貴術のせいだったと、気付けるはずもない。
国境を越えるための一手が、意外なところで誤解を生んでいた。
気付けなかったシャンテムのミスを責められる人間は、誰もいない。
しかし。
結果的に初動が遅れてしまったのもまた、紛れもない事実だった。




