フィーグ対ルクト
ギィン!!
静かな木立の中に、甲高い金属音が響き渡る。何度も何度も。
それは間違いなく、殺し合う者同士の奏でる危険な旋律だった。
しかし、ガンダルクたちはそちらに向かおうとはしなかった。
ただ黙って、音が響いてくる前方をじっと見据えている。
助勢は無用。
相手の目的が自分の命とメリゼだとするなら、それぞれが対応すべし。
心配はいらない。
ルクトの言葉を、皆が尊重した。
それは間違いなく、彼への信頼だ。
「ルクトなら絶対大丈夫。キンドラごときに後れは取らないよ。」
皆にそう言うガンダルクの語調に、迷いはなかった。
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「威勢が良かったのは最初だけか。何だそのザマは?」
細い枝に掴まりながら、フィーグがルクトにそんな言葉を投げる。
見下ろすルクトの両腕には、小さな傷がいくつもつけられていた。
何度も攻撃を防いでいる篭手の表面にも、無数の傷が見受けられる。
劣勢にあってもなお、ルクトは背の長剣を抜いていなかった。
あらためて柄を握り締めたものの、刀身が鞘から抜けてこないらしい。
「馬鹿が。いいかげん理解しろ。」
吐き捨てるように告げたフィーグの顔に、裂けたような笑みが浮かぶ。
「ニィーグがお前のその剣に施した封術は、組み上げたこのあたしが
死なない限りは解けないよ。つまりどう足掻いても、今は使えない。」
「…面倒な事しやがって。」
柄から手を離したルクトが、頭上のフィーグを睨み付ける。しかし、
当のフィーグは全く怯まなかった。
「ご自慢の剣も無しで、魔人であるこのあたしと互角に渡り合えるか?
やってみろ、哀れな追放人魔。」
「………」
ルクトの放つ殺気が、周囲の空気をぞわりと震わせた。笑みを消した
フィーグが、あらためて爪を出す。おそらく次を必殺の一撃とすべく。
「ルクト・ゼリアス。」
「……」
「無様に死ね。」
刹那。
ジャラッ!!
金属音と共に、ルクトの右篭手から鎖鞭が一気に伸びた。
そのまま、枝にぶら下がるフィーグ目掛けて一直線に突き刺さる。
しかし、その単調過ぎる攻撃軌道は完全に読まれていた。ギリギリまで
引き付けたフィーグの体が、フッと苦もなく避ける。鎖鞭の先端が枝を
貫いたのは、わずか1秒後だった。
ダン!
伸び切った鎖鞭の中間地点を蹴り、フィーグがさらに跳躍した。体勢を
崩されそうになるのを踏みこらえ、ルクトは左篭手からも鎖鞭を放つ。
ジャラッ!!
至近距離からの2撃目だったのにも関わらず、フィーグはそれさえも
事もなげに回避してみせた。そしてルクトの間合いの真下に滑り込む。
左篭手の鎖鞭の先端は、今度も枝を捉えて突き刺さっていた。
両腕が伸びた状態で固定されたかのごときルクトの体勢に、フィーグは
嘲りの表情を浮かべる。もはや目の前のその体は、ただの的だった。
「馬鹿が!」
シャッ!!
真下から突き上げるような一撃が、無防備なルクトの顎へと放たれた。
瞬間。
バチン!
何かが弾けるような音がほぼ同時に2つ響き、その場に固定されていた
ルクトが一歩後ずさる。その結果、突き上げの一撃は空を切った。
「何!?」
ドンドン!
素早く体勢を立て直したフィーグの左右に、何か重い物が落ちたような
鈍い音が響く。しかしそちらに目は向けず、あの一撃を回避した正面の
ルクトを追撃すべく地を蹴り…
何かが違う。
目の前のルクトは、数瞬前と何かが違っている。何か抜け落ちている。
何だ。
…篭手が外れている?
そうだ。
それだけだ。
あの鎖鞭が枝に刺さったから、体の自由を取り戻すために外したのか。
だったらもう、今は完全な丸腰だ。心臓を抉り出してやる!!
弾丸のような速度で一気に突進したフィーグの、必殺の一撃。
影すらも追えない、獣のスピードを乗せたその一撃を。
その場に踏みとどまったルクトが、軌道を逸らして往なしてみせた。
「ッ!?」
あまりにも手応えのないその一連の動きに、フィーグは目を見開く。
それはどう考えても、鈍重な剣士の力任せなどではなかった。
自分のスピードをもさらに上回る、精密かつ速過ぎる動作だった。
人魔ごときが、どうして…?
「俺の着けてる篭手は、お前の体重よりも重いんだぜ?」
密着と言ってもいい至近距離から、ルクトが放ったその言葉。
そこに込もった殺気に、フィーグは初めて恐怖を感じた。
ヤバい。
まさかこいつ…
視界を塞いだのは、手甲を装着した拳だった。
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ドガガガガガガガガガガガガァン!
放たれた拳の影を、フィーグの目はただの一発さえも追えなかった。
顔と上半身に、数え切れないほどのパンチが轟音と共に突き刺さる。
地に足着く事も許されず、フィーグの体は虚空に縫い止められていた。
血が飛び散り、獣毛が舞い落ちる。
「ラアッ!!」
裂帛の気合を入れたルクトの最後の一撃が、フィーグを吹き飛ばした。
しかしフィーグは、ズタボロの姿になりつつもその場に踏みとどまる。
「…んの野郎ォォォ!!」
雄たけびと共に放った爪の一撃は、しかし呆気なく空を切った。
身を沈めたルクトが頭上に回避し、転がっている篭手を素早く右腕だけ
装着し直す。
バチン!
留め金を閉じる音が響き、ルクトはその場で立ち上がった。
腫れ上がった両目で睨むフィーグの顔は、すぐ目の前にあった。
「頑丈だよな、魔人ってのはよ。」
「え…」
「だから重さがいるんだよ。剣でも拳でもな。」
もう一度、視界は塞がれていた。
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ドゴオォォン!
先ほどの連打とは比べ物にならない重い衝突音が轟き、フィーグの体は
今度こそ吹き飛ばされた。背後の木の幹に激突し、盛大に葉が散る。
「…ガハッ!!」
血を吐いたフィーグは、ズルズルと幹に背を着けたまま座り込んだ。
そんな彼女の元に、もう一方の篭手も装着し直したルクトが歩み寄る。
「テン……メェ…」
「速さで勝てるつもりだったのか。この俺に。」
「グッ…!」
「俺には、魔人を一撃で倒せるほど膂力がない。だから篭手を着けて
重みを増してるんだよ。…外せば、この程度のスピードは出せる。」
「くっ…そぉ…がぁ!!」
「最期ぐらい黙れ、獣人。」
なお喚くフィーグに対するルクトの言葉には、殺気がこもっていた。
自分を殺す気だ。
そう察したフィーグの顔に、初めて本当の恐怖が宿る。
「いつもだったら一瞬で首を刎ねて終わらせるんだが、今の俺の剣は
お前が死なない限り絶対抜けないんだったな。」
「……」
「アミリアス!」
『悪いけど、お断りです。』
「そうか。」
ガキン!!
篭手を打ち鳴らし、ルクトが冷たく告げる。
「手加減はしない。だからお前も、さっさと死ねるように祈れ。」
「グァ…」
「じゃあな。」
それが、最後の言葉だった。
ドゴォン!
ドゴォン!
ドゴォォン!!
森の空気を根こそぎ震わせる、低い激突音。
きっかり3回轟いたその重い音は、戦いの終わりを告げる号砲だった。




