不可解な気配
宿屋の末娘セルニルは、いつになく上機嫌だった。
ドラグリアの殲滅でかつての客足が戻ったのに加え、今日のお客たちが
非常に可愛らしい魔人、もとい獣人だったからである。
「奴隷上がりなんですよ。」
大きな獣耳を持った小柄な少女が、屈託のない笑顔でそう告げた。
他の4人も同じような獣耳の少女。出自は厳しそうなのに、その表情に
暗さのようなものは感じられない。
「やっと普通にお仕事ができる身になったんで、新しい仕事を探すには
モーグに行った方がいいかなー…と思いまして。」
「そうなんですね。」
彼女らの前向き姿勢に、セルニルは大いに共感した。
「きっとうまく行きますよ。ここも災難続きでしたけど、色々あって
今はいい感じですから!」
「へえー、何があったんです?」
「よくぞ聞いてくれました。」
実際、自分はいつも聞き役だった。
モーグから来た人や、メグランから出て行く人たちから話を聞くだけ。
それはそれで実に楽しい。けれど、たまには自分だって語ってみたい。
街道を蹂躙していたドラグリアが、いかにして退治されたのかを。
セルニルは、気づいていなかった。
獣耳の少女たちの瞳が、まさに獣の光を放っていた事に。
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「…おかしいわね。」
「お前もそう思うか。」
休憩スペースに身を潜め、アルフとルブホが声を殺して話し合う。
自分たちは、プローノたちとは別の道を選んだ。
しかし、別にいきなり武器を捨てたわけではない。むしろこのマルマに
常駐する冒険者として、それなりに力を振るう心づもりでいる。
何より、まだ別れてそれほど日数は経っていないのである。兵士として
勘が鈍ったとか、腕がなまったとかいう自覚は決してない。
だからこそ、今の空気はおかしい。
この宿屋の中に、明らかな戦闘者の気配がある。それも複数人の。
もちろん、その事自体がおかしいと言うわけではない。国境が近く、
しかも往来の多いアルバイオ街道がすぐそこに伸びているのである。
冒険者なり兵士なり、戦いを生業とする者たちの宿泊も珍しくはない。
しかし、今日はそういう職種の客がいない。確かにいないはずだ。
にもかかわらず、いつも以上に強い気配が宿の中に滞っている。
見た目では判らない何者かが、この建物の中に潜んでいる。
もしルクトやトッピナーがこの場にいれば、たちどころにその相手を
特定してみせただろう。そういった能力において、自分たちは彼らには
どうしても及ばない。今になって、その事実がどうにももどかしい。
「狙いは何だろ。」
「今さらドラグリア…ってわけでもないだろう。」
なおも2人は、声を潜める。
「そもそも目的が何だろうと、姿をごまかす必要なんかないはずだ。
冒険者であれ何であれ、正当な目的ならば堂々としていればいい。」
「だったら…」
考えたくないが、この場で秘密裏に動く戦闘集団。仮定は絞られる。
先に国境を越えた、王女メリゼだ。
国境の検問塔で、どういった悶着が起こったのかはおよそ聞いている。
他でもないルブホ自身が、メリゼに隠蔽術を施していたのである。
無事にモーグに辿り着けたと聞き、2人ともかなりホッとしていた。
しかし、まだ事が終わったわけではない。あくまで国境を越えただけ。
ましてや検問塔で遭遇した魔人は、今でも健在なのである。
何らかの形で王都の宰相に連絡し、追っ手を差し向けていたとしても
不思議ではない。
国境を押さえられている現状では、そういった追っ手はほぼ素通りだ。
女王シャンテムの元に辿り着かない限り、決して安心はできない。
しかし、それにしても動きが早い。
いくら何でも、たった2日でここに追っ手が辿り着くというのは。
「…それだけ、相手も切羽詰まってきているって事なのかもな。」
「そうなんだとすれば、あたしたちどうすべきだと思う?」
「正直、何とも言いようがない。」
ルブホは正直にそう言った。
自分たちが考えているのは、最悪の想定だ。それは間違いない。
メリゼたちがここにいたという事を知っているからこそ、こういった
「悪い想像」がいくらでも広がる。これはもう、ある種の先入観だ。
世情を考えれば、もっと別の目的で行動する戦闘者だっているだろう。
考えは堂々巡りするばかりだった。
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とにかく、今の宿泊客に注意する。
確信が持てない以上、下手に動くと絶対に悪い結果につながる。
逆に言えば、確信が持てれば何かの行動は起こせる。起こすべきだ。
そのために…
『…狙うべきはルクト・ゼリアス。まずこの剣士を殺す。いいね?』
『モチよ。』
ドアの向こうから聞こえてきたその会話に、アルフは凍り付いていた。
『ま、コイツさえやれば残りの奴は雑魚よ。削り落とすのは簡単。』
『だーよね!』
遠慮のない無邪気な声。しかしその内容は、殺意に満ち満ちている。
まさかこんなにあっさりと、しかも決定的な言葉を耳にするとは…
確かこの部屋に逗留しているのは、獣人の少女たちだったはずだ。
奴隷上がりの苦労人らしいよ…と、セルニルがしみじみ言っていた。
しかし語っている内容は、明らかにルクトたちを狙い撃つ算段である。
しかもルクトが最強戦力であると、正確に把握しているらしい。
まずい。
相手の認識は予想以上だ。
何としてもルクトたちにこの状況を伝えないと、絶対に後手に回る。
彼が討たれてしまえば、取り返しがつかなくなるのは間違いない。
急いで部屋の前を離れたアルフが、ポケットからブローチを取り出す。
もはやほとんど使えないという事は分かっているものの、これにしか
今の状況を託せない。何とかして、もう一度だけ話せないだろうか。
「お願い。ルクトさんたちに…」
刹那。
鈍い衝撃が後頭部から走り、視界が暗くなった。
意識が途絶する直前、アルフの頭の中で何もかもが繋がる。
そうか。そういう事だったのか。
狙われていたのは、あたしたちだ。
しくじった。
自分の浅慮を悔いながら、アルフの意識は闇の中に沈んでいった。




