第三傷 浸潤
星辰病が日本に訪れた後、それまでには有り得なかった事件が後を絶たず勃発した。
発症者を出した学校に対して他国が宣戦布告、問答無用の戦闘員投入、浄化と称した大量虐殺。男子高校生なら何人かは考えたことがあるだろう突然の襲撃が行われ、だが物語のヒーローになるはずだった人間は全員駆逐されていった。
どうしたって現実はそんなものだ。自分だけが特別な才覚を発揮して潜在能力を呼び覚まし救世主の未来を描けるだなんて幻想は雨露にも似て儚い夢物語だ。
何もしてこなかったんだから、何かが出来るはずも無い。
この僕のように。
他の新聞を読み漁る。
過疎化した山間の村で起こった村人同士の争い、軽視される命。キャンプに行ってた6人組が手を繋いで自刃していた悲劇の日ーーー同時期に感染した集合体同士の心中じみた行いだった。
理由は簡単だ。粒子になってクォークやバリオンと同じく世界を漂うのは死という概念とは少し違って奇妙で恐怖な体験だ。常闇の中を彷徨うのは死より恐ろしい恐怖を伴う。そうなってしまう前に死んでしまうことこそが来世を信じる少年少女には最適解だと言わざるを得ない。
宗教がこぞって再興して来たのもうなずける。需要の多さがそのまま実利益に繋がるのだからこれ程時代に則したビジネスはない。
答えのない問と解答が頭をぐるぐると回って忙しない。
天津 歩さんが消滅してから、10日が経過していた。
もう、本当にーーー諦めたいな。
8月20日。
その日も彼女は部屋にノックをせず入ってきた。
医療関係の本の下部越しに真っ白な足がミニスカートから伸びている。
「はい、ご飯」
きちんとしたものを作れるんじゃないか。魅力的な女性の第一歩が踏み出せたな。いい傾向だ。
僕は彼女から意識を切らして一人の世界に没頭した。
「ちょっとずつでも食べないと死んじゃうよー、自分から時間すり減らしちゃ元も子もないし、とりあえず三大欲求満たそうよ。ね?ほらーエロ本だぞーシチューだぞー枕はそこにあるぞ〜横になったらお姉さんがあーんしてあげるぞ〜ボディタッチはちょっとごめんなさ〜い。…………添い寝くらいならおまけしちゃうかも」
「……………………」
「こらー振り向けー」
僕は星辰病についての記事から目をそらせない。
何かノイズが聴こえるけど、イヤホン越しにフィルターがかかったように不鮮明だ。
星辰病は遺伝する。お腹の中の子供も例外なく一緒に粒子化の道を辿る。垂直感染だってお手の物。
炎症を抑えるような抗生物質も無意味。潜伏し、身体に異常が出るのは終の始まりだ。そうなってからでは何もかもが遅い。もっと根本的な遺伝子型から見直さなければ根治は不可能だ。
だけど前例のあるどのタイプも一致せず、感電死のように末梢神経系を阻害し血管の巡りを無くすショックルートを考えてみたけど消えるその瞬間まで呼吸器の分泌停止以外体調には問題がない。よってこれも違う。
「…………泣きながら、そんなもの見るのやめようよ!!眺めたって……生きてる限り終わりはいつかくるんだからさー!」
「…………るさいな」
瞼を腕で拭って、握り潰したパンフレットを床に叩きつけようとしてーーー出来ず宙ぶらりんになった腕は行き場をなくしてゆらゆらとベッドの上に落ちた。
想像していた未来は明るく無かったけれど、それでも一縷の望みは託していた。どれだけ厭世的になっていたとしてもその一部だけは譲らなかったのに、ちょっと気を抜いた時に報せは襲ってくる。
もう、手立てはないーーー。
人身御供とでも言うのか、神よ。
「……これって?」
朝日はパンフレットを拾い上げ、広げて覗いていた。
「……この夏に、星を見に行く予定だったんだ。
セツナ姉ちゃんっていうみんなのお姉ちゃんがいて、終わりゆく世界で、日常を続けようって、そう言った。その日が明後日だったから、そういやそんなこともあったなって回顧してただけ。でも、当日を間近に迎えてもう行く人も行く意味もない。何を残してもどうせ全員死ぬって例外なしに思ってしまっているから無駄だ」
「無駄だからってやらないってことにはならないじゃん。毎日の夜遊びなんて無縁の1ヶ月だったけど私楽しかったし。そりゃあまことくん厳しいし細かいこと気にするし時間遅れるとそそくさって行っちゃうけど一度も置いてかないしー人生の色付きよくなったしー。ぴかぴかきらっきらしてた。無駄を過ごしてよかったって思う!ねぇねぇ今日も宝探し」
楽しそうだな。いつも。
汚されてしまった思考が、その煌めいた言葉を断ち切る。
「一人で、生き残るんだろ!!君は!!!」
「っ…………………………」
「あ………………ごめん」
会話が途切れる。
ノアの方舟さながらの命の選別を許さないために命を擲った歩さんでさえも病に倒れた。人類の希望も英雄も人間国宝も死んだ。
濁って汚れて淀みきってしまった汚染水が頭の中を巡る。愚考だとしても思考せずにはいられない。
『Xb染色体さえあれば』ーーー悔しくて臍を噛む。
未知の病に侵されない異常遺伝子……解析すら出来ないのか、その情報だけは噂止まりでどこのメディアも取り上げなかった。それもそうか。不確かな言論は多数の民草を疑心暗鬼に陥らせる。もうそれしか非感染者の心休まるライフラインはないというのに。
「ぐすっ………………」
駄目だ。
朝日に見られたくない。
惨めだ。
こんなにも普通なのに、もう1ヶ月後に笑えてる気がしない。
だって、一人で逝くことの辛さを感じてしまったから。
暗闇に閉ざされることの怖さを思い出してしまったから。
何十人もの最期を見てきた脳は死を特別視しなくなっていた。そう思い込んで消滅に関する事項に対して「いつか来るもの」と慢心して恐怖をまぎらわせていた。花はいつか散る運命、生きるということは死ぬことというあきらめを思い出すと共に麻痺していた感覚は戻り、かけがえのない一人を失った時の悲しみがぶり返す。
死にたくない。
消えたくない。
これを思い出させないから星辰病は優しいのかもしれない。
「ーーー速報だって!ほら聴いて!」
ループする死への想いを断ち切るように、朝日が聞いたことも無い声を出した。
『私が提唱する理論によれば、100パーセント星辰病は完治します』
無謀だと分かっていても、耳が勝手にそっちを向いてしまうのだから、深層心理というものは悪戯好きだ。
手持ち無沙汰でラジオを弄っていた朝日が、特別中継を拾ったらしい。
『その為にまずは特別な因子を持った人類が必要です。恣意的に免疫細胞を人工的に進化させた人類ーー通称「星の子」を生み出し、彼らから反物質因子を抽出し星辰ウイルスに対する抗体を作り出す。わかりやすく言うとキラーT細胞のようなものです。星辰病に恐怖し怯えて過ごす期間はもう終わり。この星は誰のものか。我々人類の物に相違ないでしょう。今こそ地球を、緑溢れる自然を我らが手に取り戻す時です!』
若い。30歳前後の整った声がマイクを通して雑音混じりに飛んでくる。
『おっとそこの首を捻っている老成した名誉教授さん。星辰病のメカニズムが解明されていないのに何をこの若造は?うーん仰る通り!実際は運動系障害やニューロン系に影響が無いのに良性細胞まで破壊しかねないかと訝しむそこの市民病院の院長さん!ご安心ください。ついてはお配りした資料の17ページを拝読してーーー』
その後も、長々と星辰病についてのアプローチが並べられる。各方面からの精査された療法は医療関係者を黙らせる材料として完璧に思えた。目立つ瑕疵は、削ぎ落とされたように全くと言っていいくらい無かった。
『栄耀栄華を歩み続ける誉れ高き我が祖国にどうか救済を齎したい一心で研究を続けてきました』
『倉科研究チームが3年前から独自に進めていたこの計画は今6ある内のフェーズ5を迎えています。臨床試験を突破次第ワクチンを作って希望する国民全員に配布する予定です。どうですか!まさにこの星の人類の救世主となる子供達ーーこれが「星の子計画」の全貌です』
ーーー無駄だ。
みんな、死ぬ。
微塵の希望を持たせるな。それにどれだけ……どれだけ踊らされて、光明を見いだして手を握りながら嘘の笑顔を浮かべたと思っている……?
今度こそ、朗報、一筋さした希望の光。妄言をいくら聞いても虚しいだけだ。
『明朝新聞の川口です。初期感染から15年の時が経ち、これまで数多くの試みが世界各国で行われてきましたが、一向に改善した例はありません。天津研究所長も鬼籍に入り、現実的な療法は今に至るまで確立されず、無理な投薬は死期を早めるとの声もありますがーーー医学・脳科学会の倉科カムイ所長はどうお考えですか』
と。
気持ちを同じくした記者から野次が飛ぶ。ここまで言い切ったからには彼自身の責任能力が問われるのは当然と言うべきか。
『疑うのも気持ちはわかります。親族や恋人大切な仲間達。ーーー僕にもいた』
そこで一呼吸置いて、手のひらで顔を覆い涙を拭いつつ心からの言葉を紡いでいくであろう倉科カムイは、姿は見えずとも全身全霊の笑みを止められないとばかりに、
『……くっ、……真面目モードを保つの、精神削られるなあ』
口調を一気に和らげた。
『ええと、それはどういうーーー』
『ああなんだ、えーっとつまり言いたいことはねーーー消えたくなけりゃ金をください。死にたくなかったら場所をください。僕の頭脳が世界を救うから。訳の分からない病に命を供養するより何倍もマシでしょ。ははーーーうだうだ言ってる時間はもうないってこと』
ざわつく周囲。かく言う僕らも面食らってしまっていた。
イカれた男の妄言、そう割り切るには先の対策プランが精巧に過ぎたせいで一笑に付すことも出来ずにいた。
『まあどうせこの計画に金は集まるよ。その方が喜ぶだろうしねーーーねぇお上さん達。セカイを牛耳るオトナな少年少女達』
話し方を崩してーーそれが本性であるとでも言うようにーー倉科カムイは続ける。
『たとえば物々交換だとしよう。あなたは命と引替えに何を差し出せますか?自分の心臓を天秤に乗せてどこまでの範囲ならば失えるのか?』
どくん。
心臓を鷲掴みにされる。
その言葉に、捕らわれる。何重もの縛鎖が心を掌握せんと迫り来るのがわかる。
『視覚と聴覚を削いだとして生きていたいと思えるのか。生に執着しているのには何かしらの意味が隠れてるんだろうし、その「生」の中身はまるで呪いのように縛られている。ひとつ欠ければ動かなくなる歯車じゃあないのにどうしてたかが1部位もかけられないんだろうねぇ』
『答えは単純。マトモに生きていると言えないから。ーーー病から逃げるも闘うもあなた次第です。ねぇねぇぬるま湯にいながら手放しで快楽をむさぼっていた皆さんに問いまぁす』
『致死の淵と向き合った感覚は絶世の美食でしょう?敵が味方に味方が敵に。天地逆転の如き関係の変化、毎日が春の始まりと同じく目まぐるしいでしょう?退屈を嫌うならば僕に投資してーーー』
ごほん、と咳払い。
『星の子計画は、誰しもが救われる夢の、最後の計画なんです。あるかどうかも分からない数年後の為の貯蓄なんて紙屑でしょう?さあ、是非ともにーーー』
ーーなんだ。
僕が頑張る必要なんて、全然無かったんだ。
涙は既に乾いていた。
脆すぎる浅知恵は誰の救いになることも無く、
『是非とも!project:S.T.A.R.V.O.I.Dに賭けてくれ!運命は神さまの言うとおりじゃない。僕らの言う通りなんだからーーーーーー』
ピッ。
「ちょーーまことくん、なにしてんの!?」
ラジオを消した。
神様気取りの戯言を聞いてる暇はないんだ。
「何って……僕にも君にも必要のない情報だから消した。それだけ」
僕にはわかっていた。いくら倉科カムイの治療薬がドンピシャで星辰ウイルスを駆逐しようと、僕の今際には確実に間に合わないと。
天津 歩さんの死から何を学んだんだ。
喪に服して心を傷めた後はdrink the cup dryーーだって?
「もういいよ。十分だよ。世迷言は……」
朝日は違う意見らしく口を尖らせて反駁する。
「なにか突破口が見つかるかもしんないじゃん、ねぇお願いもう少しだけ聴こうよ、私頭良くないからわかんないけどきっとまことくんにとっていい事話してるよ!」
「僕にとっていいこと……?」
なるほど。
「死にゆく者にとっていいことか。
ならそれは、さしずめ善意の鎮魂歌じゃないか。最期に涙が涸れて晴れた顔をして青空を見上げるってんだろ。想いは引き継いだーーーって、笑えるね。所詮君も君の大切だった人も」
「ーーーー!まことくん!」
「チリになるんだ!言葉も笑顔にも、五感で感じる全てにもう意味なんてない!!!」
刹那。
朝日の顔が、見たことも無い形相に歪み、本気の「怒り」を発露させた。
「ーーーなら!!!」
僕を押しのけて、埃を巻き上げながら勢いよく部屋を出る。そのまま階段を駆け下りていく。
…………?
朝日が通った場所をみやる。
枕元に置いてあったはずのいつもの四角形が消えていた。
「あいつ……!!!」
なりふり構わずドアを開け、1階のエントランスを見渡す。
久しぶりに使った筋肉は衰えを感じさせた。
「はぁ……!はぁ……!」
確固たる意志を瞳に溜めて、朝日はここに来た時に空けた穴に立ち塞がっていた。
その背中には月明かりが照らされ、辺り一面をきっぱりと包み込んでいた。
「ごみだよね。これも燃やそうとしてた塵と同じ消えた人の遺品でしょ。秩序もルールもないこの世界なら」
オルゴールを握りしめて、夜の闇へーーー
「ここから捨てたって、怒られないよね!!!」
朝日は大手を振って、部屋の中から放り投げた。
「ーーーひまわり!!!」
つい、胸ぐらを掴んで地面に伏し倒してしまった。
「っ、初の名前呼びが泣き顔って、なんかノらないな?」
なんでもないように目を逸らして、僕の手にそっと触れながら話す。本題を決めたのか向き直ってきっと目を見開いて言葉を結ぶ。
「……やっぱ嘘じゃん。思い出をひとつは残すようにしてたんじゃん。あのオルゴールがそれでしょ。冷酷無情のヒーローぶってんな!」
っ……………………
それがわかってて、こいつは……!
「うるさい!」
「やんのか、こらー!!!」
組み合いになる。非力な少年の僕と大人の女性の彼女、パワーバランスは思ったより乖離していなくてもみくちゃになる。引っ掻いたりはたいたり、お互いに抑えられない想いをただ力にぶつけるだけのなんにもならない赤子の喧嘩だった。
油断した僕の両手を抑えて朝日は言う。
「はぁっ、枯れないように。…掠れていかないようにって、集めてたんでしょ。見る度に辛くなっちゃって、泣いてても、それだけが生きる糧だったんだなって私、ぜぇっ、思う。私と違って優しいもん。まことくん!」
「優しい………………優しいって?全員見殺しにしたこの僕がか!?」
感情が止まらない。堰き止めていたダムが決壊し、ぼとぼと溢れて舞い落ちる。
力が抜けた朝日の脛を思いっきり蹴る。
そのまま体制の崩れた彼女は、瓦礫に頭から倒れ込みそうになってーーー
「危ない!」
自分で招いた危機に、厚顔無恥甚だしい。
「おふっ」
つい、強く抱き留めた形になってしまった。
「ほら……優しいじゃん」
ここにいたのは、かぐや姫だったか。月の光を吸い込む姿が、幻想的で思わず二の句が告げなくなるがーーー
「っ、優しさ、だって?」
今の僕は光に惑わされてちゃいけないんだ。
願いを乗せてくれる星々に、心を許しちゃいけないんだ!
「この島の人を手にかけたと言っただろ……この島で最後に!心配装置に表示された数字は変わらず0!0!!0だ!近寄れずに滅菌された部屋で、匂いも感触もわからない防護服を着せられて、平気に…………素知らぬ顔をしていられると思うか。身体が消えてしまって、1になることのない数字をただ見ていることしか出来ない僕の気持ちが、分かるか!!!」
込み上げる涙が落ちないように、上を向きながら朝日の顔を遠ざけて告解を続ける。
でも朝日の体は離せない。そこに朝日がいるから。声を届けてくれる人がいるから。消えてしまっても覚えててくれる人がいるから。だから僕も他のみんなと同じように、呼ぶように、ここにいることを主張するように叫ぶ。
「ずっと覚えてる。忘れられないんだ。この世のどんな不幸より、嫌な言葉より、酷く頭にこびりついて離れない悪魔の数字だ。まだ誰かに罵られていた方がマシだった!!!何か手をうてたって、みんなを救うために何かしたんだって覚えていられたから!!!」
膝元から崩れ落ちる。
「同じ場所を、グルグルしていただけでも、それで僕の心は壊れないでいられたんだ。ただの一度も救えなかったのに!!!ああわかってる、お門違いさ。研究者を無能だと罵ることも、世界を恨むことも、君にあたることも僕の行動には整合性なんて欠片もありはしない……!」
彼女の両腕をがっしりと掴む。
この温かさを、忘れないように。
「……それでも、たった、たったもう一度、みんなに会えたなら…………って、あと一日あれば……言えた言葉が溢れてきて、止まらないんだよ」
「…………………………………………」
「…………んぐっ、はあっ」
呼吸が辛い。
身勝手な独白を朝日はただ黙って聞いてくれていた。
「君は、僕に見殺しにされて、僕を恨まないか?相手だけ世界に生き残るのを、
慈愛の気持ちだけで見ていられるのか?」
頭を撫でてくれる手も振り払い、ただ地面に手をついて秘めた言霊を吐き散らかしていく。
「生きていてくれるだけで、それだけで十分だったんだよ。特別な感謝も好意もお金も必要ない。安楽死なんてした所で消滅するのに代わりはないんだから、最期の時まで無様でも地面を這いずってでも生き続けて欲しかった。そう思ってたよ。でも実際にその時が訪れた瞬間、いつ死ぬのかなんて意味ないってわかった」
薄ら寒い夜の空気がちくりと肌を刺す。
「初めは大切な人だった。届かない人だった。ただその神秘性に憧れて眺めていられる時間を尊いって思った。彼女との密会は僕が週一で会いに来るのが絶対条件で、いつも一人で居ることを好んでた僕の世界を広げてくれた唯一無二の笑顔をまず失った。次は家族だ。いきなり理由もなく遠ざけられて友達の家に預けられて、音信不通になったとしてもこの島の中じゃすぐに会えるなんてタカをくくっていたらついにその後食卓を囲むことはなかった。情報を集めに集めて検査薬を開発して、島の救世主だともてはやされたのも束の間、最低最悪の死刑執行者の出来上がりだ。感染対策と称して素肌で触れられない状態で他愛もないことを話してても内容なんて頭に入ってこない。最後にみんなの体温を感じたのはいつかさえ思い出せないのがその証拠だ。もう、希望を持たせるのは拷問だよ」
歯を食いしばって、朝日の顔を見る。
「世界はどうしたって!!!」
これから生きていく人、動物、Xb染色体保持者、つまり……
「生者のための世界でしかないんだから!!!」
口を抑えて、涙を流す朝日に、とても最低な行為だと自負する。
言葉選びはきっと間違えてしまっている。
「もう……来ないでくれ」
理性のたがはとうに外れて、伸ばしてくれようとする手を見るや遠ざけてしまう。
「僕の心から出てってくれ!!!!!」
肩を震わし、彼女は僕の言葉を飲み込む。
最後まで何も言わずに聞いてくれたお喋りは、一言だけ。
「うん…………わかったよ」
透明な雫は何よりも雄弁に彼女の感情を表していて、それが二度と取り返しのつかない過ちであることを示唆していた。
………………………………
終わった。
これで、全部。
「あぁ、やっぱり諦めよう」
崩れるように、意識は溶け落ちていった。
夢を見た。
靡くような海の中、息が出来ない。声が出せない。まるで星辰病の症状が悪化したようだ。
朝日はもう居ない。
離れ離れにならないように縛り付けていればよかった。赤い糸でも注連縄でも括りつけておけば、最期の瞬間までそばにいれたのに。僕は行けなかった。
そこに居るのは、朝日の姿をした仮面の幻。
『星を穢したのは、あなた?』
僕じゃない。僕はやってない!僕は助けようとしただけだ。人殺しなんて言われはない!!!
でも、幇助したのは僕だ。告げたのは僕だ。毎日診療所に寝泊まりして、わざわざ陽性の報告をしたのも面の皮を厚くして真実を淡々と告げたのもーーー
『この星で生きていきたい?』
生きる価値なんて、代償を払い尽くしてもやりたい事なんて残ってない。
もう決まってるよ。星辰病。
僕の答えは…………
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あれから1日経った。
オルゴールは結局見つからずじまいだった。
朝日が遠くに行くまで、後7日もあったのに、悪いことをしたな。去り際の顔が胸をかすめる。
けど後悔はない。あのまま僕の世話をさせるよりはずっとこれからの時間を有意義に歩んでくれるだろうって……
ふと、リビングの台所上に無造作に放り出されていたリング式のメモ帳を見つけた。
朝日が残していったものか、数日部屋から出なかったから知るよしもなかった。目を凝らしてその辺りをじっと見つめると……
「………………!!!」
そこにあったのは、料理の本。
魚の捌き方、栄養価の分類、曜日ごとの献立表etc。
後はノート。
見てはいけないと思いつつも好奇の心は騙せない。手に取って表紙を捲ると……
〔この日記は私がいる証を残すためのものです〕
意味深な前書きとともに、右下には著者の名前が黒く塗りつぶされていた。
適当なページを開いてみる。
3.食事関連
〔まこと君は好き嫌いが多い。ばつ。上手く彼の好きなものを作りつつ体調を崩さないように調整する〕
〔缶詰は酸味が強いから、沸騰させられるものは沸騰させてアルコール分を飛ばしてから食卓に出そう。まる。お腹が緩いのも難点だ。消化の良いものを重点に盛り込んでいこう〕
また1ページ。
〔今日もソイレント・グリーンみたいな栄養補給だけ……このままじゃまことくん死んじゃう。ヤバい。デンジャラス。馬鹿な私にできることをしなきゃ。こっそりすり潰した大豆とかドライオレンジを混ぜ込んで、味が変わらないまでトライアンドエラー。一考の余地あり〕
……なんだこれ。
ページを巻き戻す。
1.日記
と書かれたページを目をとめた。左上のダイアリーの隣に内容が書かれていて、その前のページはほとんど白紙だったから、そこから右に読み進めようとーーー
「っ……!!!?」
〔7月27日。やっほー私。ハッピーバースデー私。今日は特別な日で、私の時間を唄美真言君に使うと決めた日。新海君とは違って一癖も二癖もある未熟な少年だけど、この子の奥底にはきっと後悔がある。そのまま消えていくなんてのはとても寂しく怖いこと。しつこいようだけどもう一度だけ書きます。
私は私の時間を唄美真言君に使うと決めた〕
新海くん……?誰だ……?
隣のページに目を寄越す。
〔7月28日。深夜。洗面所や通気口の掃除は全くする気配もなかったので彼が寝ているうちに終わらせようとした。こんな衛生状態じゃいつ他の病気にかかるかもわからないのに、壊滅的に厭世的だなぁ…なんとかしないと、こんなんじゃ新海君に笑われちゃうかな。ーーー午後。無理がたたって出先で眠りこけてしまった。だらしない女だと思われたかな。それもまたアリっちゃアリだけど……〕
〔7月30日。喧嘩した。海に行きたい私と家で引きこもってたいまこと君。両者相譲らぬ戦火は夕方まで続き、傍を流れる川で水遊びという落とし所に着陸した。初めてまことくんの本気の笑顔を見た気がする。ちょっとあどけなさが残るけど可愛かった。ひまわり的にポイント高い?〕
〔8月10日。まことくんが部屋から出てこなくなった。何か男の子の運動に熱中してるのかとそろりそろりと部屋を覗いてみると、泣きながらラジオを聴いていた姿が見えた。ずっと隣にいるのが忍びなくなって下に降りた。缶詰を使って栄養が偏らないように簡単な食事を完成させたけどまことくん何故かプチ怒りめ。なんだこいつ!〕
〔8月15日。まことくんの持ってるオルゴールが気になった。そういえば久しく音楽を聴いていないな……弾いてもいない。もう歌えないんじゃないかって思う。あの日、あの場所で新海君とあの子と3人だけのコンサートをしたのを覚えてる。幸せな時間だったなぁ……と。過去をまさぐってもいい事ない。いつかもう一度〕
知らない朝日ひまわりが、とめどなく溢れてくる。
さらにページをめくる。
〔8月19日。ずっとまことくんが部屋から出てこない。部屋の前に置いたご飯も食べないで、どうしてるのか分からない。明日あたり乗り込んでみよう。無駄な時間を過ごしてる暇なんてない。だって〕
「〔もう時間が無いのだから〕」
その言葉は自分の声と同時に胸にストンと落ちてきた。
死の足音は、すぐそこまで迫ってきている。
本を閉じた。
旅立ちの日と言ってしまえば聞こえはいいが、死んだ後のスッキリした風を受けてニヒルに笑うことなんてきっと彼女はしない。
よく知った、少しの間だけど理解したと思っていた相手の像がガラガラと壊れ落ちていく音がした。
適当そうで、愚痴言って、三大欲求に忠実で、馬鹿で、でもその反面見えないところがこんなにあってーーーその軌跡は、僕の心を捉えて離さない。
僕は、僕は。
「彼女に会わなくちゃ、いけない」