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星辰病  作者: Failed supernova
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第一症 星辰病

星辰病。




2061年、突如として世界中に蔓延した治癒不可能の難病。




感染すれば3ヶ月後、身体が原子レベルにまで分解されて空気中に溶ける。それが確定した未来だ。呼吸器不全から始まり声帯がまず消え、それからは指先から痛みを伴わず消滅が始まる。最期の刹那は美しささえ感じさせる。



ヨーロッパ近郊から徐々に発症者は広がり、ついにここにまで魔の手は伸びてきた。感染経路は不明。



ここ、本土から離れた孤島にも魔の手は迫っていた。常世庭島。山間にへばりつくようにいくつか家が建つ、小さな社会で構成された島。ほとんどみんな親戚のようなもので、知らない人はいないくらい。諍いが勃発してもどちらかの友人がどちらかの友人の友人で、仲を取り持って仲直り。誰も悲しまない理想的な空間がここにあった。



そして2063年初夏、僕は生まれた。ウイルスは2075年に日本に上陸し、今は2078年夏ーーー



そしてついさっき、簡易キットによって島に唯一残った僕の感染が確認された。






好きだった姉ちゃん。


いい歳して、一緒に鬼ごっこをしてた一つ下の妹。


夢を応援してくれた先生。


厨二病で、ずっと最後まで「神は乗り越えられる試練しか与えない」と叫び続けた友達。




誰も彼も。彼も彼女も。彼女も女子供もみんな、もう灰だ。


いや、婉曲的に表現しただけだ。真実灰ほども残っていない。量子レベルにまで分解されて、可視化できる大きさでは存在の跡は残らない。


人は誰しも一度は考えたことがあるんじゃないか。




肉が燃やされ大気に混じり、骨が土に分解され次の輪廻で生まれ変わる。星が自分を再生させてくれる。クレオパトラや卑弥呼が埋められた時も庇護下にあった民草は復活を希っていたはずだ。




そんな薄い希望すらも、この病は容易く手折る。絶望的なまでに決められた終末に憤慨する者すらもう居ない。


ピーーー、ジーーーーー…………ガ、ガーーー


どこか近くの周波数を拾ったのか、愛用しているラジオが音を変えた。


「ーーーこの街の最後の生存者として、町民が最後の瞬間まで誇らしく生きたことを、ここに証明します。彼らの名は石碑に刻み、人類が絶えて久しくなろうとも残り続けます。ただ、願い事をひとつ。いつかどうか、彼らが悠久の時を経て空気に取り込まれ、世界に溶け込み、ひとつとなって再び笑顔になれるように。生命の奇跡を信じましょう。神に、人に、星に祝福あれーーー」


ふん。

DNAを知らないのか。中学生の僕でも知っているぞ。窒素もカルシウムもアミノ酸もどうやったって生まれ得ないのに大変幸せな事だ。


だからなんとかして病を治すしかないのに、治せないから奇跡に身を委ねるしかないなんて悲しい敗北感を自ら無意識に味わう必要は無い。最初から諦めていればいいんだから。


「あぁ、やっぱり諦めたいなー」


身体免疫機能に関する書物を読み漁りながら呟く。


トウキョーの著名な研究者達が必死になって解決策を模索しているようだけど、そんなものもう意味が無い。


ただひとつ、奇跡があるとすれば。


『Xb染色体』だ。


研究チームの発表によれば、遺伝率の低いXb染色体を持つ人間だけは感染しない結果が発表されている。けれどそんな類まれな遺伝子を持つ人間なんて1パーセントにも満たなくて。どこから出た噂かもわからない。安心させるための安直なデタラメだと思うのが一番理に適っている。



そんなこんなで世界は戦争を始めたらしい。


それに乗じていくつもの計画が立案されたようだけど、もう争う気力なんてない筈なのに日本は消耗戦を繰り返す。



根絶なんて、不可能なのに。滅亡を早める行為に、どこの誰が意味を見出しているのか甚だ疑問だ。


まことしやかに嘯かれる言説。

()()()()()()()()


進化の果ての副作物、神からの天罰、地獄の蓋が開いた終焉の始まり。


生存競争は激しさを増すと思われたが……いつ死ぬとも分からないこの状況で、望んで外来の空気に触れようとする人もおらず。争いは水面下で行われた。戦争終結の宣言なんて誰も出していないのに既に大多数の生存者に忘れ去られてしまった。


ラジオを聴きながら、今日何人死んだかのメッセージを噛み締める。




覚えている。




昨日、パーソナリティが変わった。無責任だとか色々取り沙汰されているけれど真の理由は、最早ここで答えるまでもない。




目を閉じて思い出す。ほつれていく日常を必死に縫い止めようともがいて強がって慰めて……




『おに、ちゃん…………こわい、こわいよ……』




『また、来世で会おう、盟友……よ……!』




『生きてね』


『私のあの子の分も、貴方がちゃんと、生きて…………私たちを、忘れないで……この瞬間も、嫌いにならないでほしいの』




結局最期は誰も変わらなかったことを。




「ごめん……ごめんよ姉ちゃん」




「僕も…………かかっちゃったよ」



涙を流しながら、笑いながらラジオを聴き続ける。勉強しろって叱ってくれる人も、早く風呂に入れと臀を蹴る人ももう居ない。


いや、実際にはいるのか。



見えなくなっただけ。




検査薬を開発したのは、僕だ。




本人どころか家族に発症を教える役割も、僕が担った。




なんてことのない血液検査だ。罹患していれば皮膚が柔らかくなりほんの少し丸みを帯びてくる。


菌が体内に吸着すると、吸着状態を維持しようと身体の血液成分に含まれる白血球内部の好塩基球の働きを妨害し、代わりとして「悪塩基球」とも呼べる代替物質を分泌させる。




それが体内全域に行き渡り、死滅へのロードが作られる。悪塩基球こそが身体を蝕むものだと考えたがそんな一高校生の安直な考えに研究チームが至らないはずも無く。




結局それは免疫細胞を阻害するものの、エイズに似た免疫不全効果は見られない。




どうして細胞が原子レベルで崩壊するのか。


どうして病原菌の解析が遅遅として進まないのか。


どこから病が感染しだしたのか。


どこから完治不可の情報が漏れたのか。




何一つわからない。




生き生きとそよいでいた草花さえ、今は風に嬲られているようにさえ見える。




考え方ひとつで、世界の色は変わる。そう教えてくれた人はもういない。


「ガ、ガ………………ザ、ザーーーーー」


古いアルバムを見返す。


大人になるにつれて気恥ずかしさが出て、もうめっきり写真を撮ることも無くなって、皆で最後に撮った写真は中学三年生の集合写真だけ。最近の姿は残っていないから、悪魔的に優しい思い出に浸るしかない。




懐かしい。




このまま未来の先へ進んでいくと信じ込んでいた。成長して都会の厳しさを経験して島に帰ってきて、久々に幼馴染達に出会って思い出話に花を咲かせて、お姉ちゃんには、甘ったれちゃダメ!と厳しくしつけてくれて、旧友の変わり果てた姿にぶつかって…………




「………………………………」




もう、それだけが生きる縁だった。




不透明な研究実態、杜撰な感染対策、効果のない投薬。国に戒厳令が出されたのは初めの感染者が出てから数日の事だった。


ゆるやかだった感染速度に、国は一定の距離を保つ、だの空気感染をマスクで予防する、だの健康を保ち免疫機能を向上させるだの。ごく一般的な対策をあげるばかりで、結果家から人が出なくなるまでに4ヶ月を用した。




時すでに遅し。




病魔は日本列島全体を優しく穏やかに包み込んだ。




2075年の夏。中学一年になった時。純粋無垢だった僕はみんなに死刑宣告をしたんだ。




ーーー知らなければよかった!




ならば病に侵される恐怖に抗い続けるのか?




ーーー君のせいでうちの娘が自殺した!




精神が崩壊しない保証はあるのか?




ーーー無駄な頭だけ発達して!あの人を返してよ!




最期の時間を過ごせない辛さは、もう十分知ってるよ。






消えた人に、想いは届かない。善意であれ悪意であれ、受け取るのは生き残った人間達だ。




広い広い家に、一人。


茶色に染められた木目の茂る香りが漂う中で、電気もなくただ月明かりに照らされていた。




黒い髪も伸びた。切る気力も必要もないから伸びっぱなしだ。姉ちゃんのピン留めだってもうどこに行ってしまったかわからない。




「あぁ、やっぱり諦めたいな」




口癖になった諦念の一言を吐いても、夏は終わらない。




今すぐに死のうとも思えない。どこまでいってもただひたすらに心臓は鼓動を鳴らし続けるんだ。




何も考えずに目を閉じた。


願わくば、二度と目覚めなくてもよいとーーーーー。


ガガ、ピーーーー、ザザーーーーー


………………………………


…………………………






ドゴ!!!!!!




ミシ、ミシーーーバキ




どぉおおおおおおおん!!!!!!




「………………………………」




唸りを上げて木とコンクリートを薙ぎ倒し侵入した「それ」に、死んだ目を丸くして答える。




「は?」




破壊を美術の一部だと提唱する人がいる。夜は明けるから美しいと話す哲学者がいる。




本人の心の内で昇華する分には破壊も破滅も著しい美学だ。




だけど、まぁ、これは…………




流石に見過ごせない。




「あー、こほっ、ごほっ、けほっ、あーんんっゴホッ!」




埃まみれになりながら姿を現したのは、僕より一回り大きい大人の女性だった。




「あーやっちゃった。こりゃもう動かないな!……やる気元気朝日!よし次探そ!とっかえひっかえ・クルマ交換!」




子供の僕からすれば大きくて、先生まではいかないものの高校生と同じくらいの体躯はキョロキョロと周りを見渡してトランクからせっせと取り出した椅子に腰掛けた。




「ひとやすみー」




「…………………………」




あれ?大惨事じゃない?




「かぁーっ、埃多いなー鼻炎なりそーびえーん!なんつって……物珍しい食糧でも無いかのう……最悪缶詰でも可……」




人間だ。


この島に、3ヶ月ぶりに人間が来た。


幻か?それとも、天国へ連れてく天使様か?


いや天使様がトラックで突進した挙句人ん家の物資を漁るなんて倫理観仕事しろ。




「ててててててててー」




こっち向かってきたし。




「はろー?こんにちはー?ぼんじゅーる?なますてー?かりめーらー?あにょはせよー?……あれ」




「………………人工模型?……にしてはブサイクだな」




「誰がブサイクだ鏡見ろよ」




「うわぁ!!!喋った!人形がひとりでに喋った!!!ホラー!!!」




「………………うるさい幻だな」




「はー?実体ありますがー?」




「…………!触るなっー!!」




「わぉ!!?」




跳ね除けるようにして枕を放り投げた事にたいそう驚いたのか、クマのぬいぐるみに隠れてこちらを探るように見ている。




「……ごめん。きつい言い方をした。許してくれ。ノスタルジーに駆られてたんだよ。なのにいきなり現実に引き戻されて、いい気分じゃあないね。ああないよ」




現実にしては逃避してしまいたい有様だけど。




「だから、さっさと出てってくれ。家屋壊したのも許すから。早く」




もう随分一人だった。一人で消える覚悟もしていた。なのに……




「生きてる人いたーーー!!!!」




なんだこの人。


めっちゃUZAI。




「久々に会えた同世代の人間なんだし、積もる話もあるでしょーよー!」




なっはっはっはっはーと肩をバシバシはたき続ける彼女に、もしかしてまだ夢の中にいるのか疑って頬を引っ張る。ってか背中フツーに痛いんだよ!!!!




加減を知らないのか最近の大人は……




まじまじと観察して、彼女の生態を勘ぐる。




「どこかで見た顔だ。色白すぎる肌色、紺碧の眼、長くてかつ白髪なのに傷みがない髪…………間違いない」




彼女は……………………




「アイコンタクトにウィッグ、君は生粋のジャップだね?」




「うん!君は?」




「島をころした極悪マーダー、宇宙からの侵略者」




「おっおう………………」




絶句する女に背を向け。キッチンの冷暗所からぞんざいに酒を取り出し、新聞紙を破って栓を抜いて一気に喇叭を干す。




「ぷはっ」




いい所の醸造酒だ。保存状態も悪くない。旨みとアルコール味が濃くなく纏まって爽やかで、じんとするような芳香が擽ったい。




産地も銘柄も法律も意味が無い。どうせ味わえずに死ぬんだから恩赦で超法規的に飲酒も許されるだろ。




「で?帰らないの?ぼくこの島の人間を一人残らず消した張本人なんだけど」




「ふーーーーむ、ならば私は、そのヴィランを更生させるために参った女神様だー!」




一升瓶を突き付ける。




「だから、星辰病の保菌者だっつってんの」




「近付くなよ。伝染るよ……近付かなくても伝染るけど。つーかもう手遅れだけど。せめて出来る限り予防する努力をしようよ」




怒りとまでは言わないものの、嫌な感情が沸き上がる。


救い出して欲しかった人達が怠らなかった予防さえせずのうのうと笑い、旧世界のような振る舞いをする姿に感情が揺さぶられる。




「なるほど……ちなみにいつ陽性判明したのかな?」




「……今日の夕方」




「わーお、まじか!やっべじゃん!出来たてホヤホヤじゃん!レンチン要らずあったかホカホカじゃん!」




ふつーーーーーにムカつく。


これから死地に向かう戦士に向かって気休めの鼓舞をかけるならまだしも、こいつのそれは何も考えてないそれだ。励まそうとしているのか知らないが全くもって逆効果である。




「近付かないでくれ。もう無駄かもしれないけど、君に伝染ったら、とても困る」




時すでに遅し……2020年代に猛威を奮ったキラーT細胞を増殖させ細胞破壊を辿るウイルスの数十倍の感染速度だ。感染経路もわからないんじゃ対策のしようがない。




「あーその心配はないから安心してね!」




「?」




「なぜだと思う?おもおもう?どうしてかな?かなかな?」




じりじり詰め寄るな。人の話が聞けないのかこやつは。




「……………………わからないよ。呼吸をしていない人間の生存方法なんて思いもつかないでしょ」




ーーーXb染色体か?


ふと浮かんだ想像をかき消す。


あくまで噂のはずだ。




受け入れたくない。奇跡みたいな遺伝子が存在する事を認めてしまえば……くじ引きで生き残る人間が決まったという事にほかならない。




噂であってくれ。




勇敢にも立ち向かったみんなの被験を無駄な努力に溶かさないでくれ。




「ここまで生き残ってる時点で察してくださいよー、あたしはなんとすーせんまんにんにひとり!神の与えたもーたXb染色体に選ばれし民なのです!えへん!」




ーーーー!!!!!




「巷で噂になってる、『神の子』なのだよ?最近なんだか妙に調子よくて、頭が冴え渡って来て今なら円周率さえも解けるしモーデル予想なんかも暗算できる気がする」




「………………あっそ、じゃあ、もういいよ」




「ん〜〜〜〜〜〜」




「ワンモアチャンス!!!」




「なんのだ!?」




「ええーいじわるー」




「…………何しに来たんだよ、何でもかんでも持ってけよ!……どうせ、すぐに要らなくなる。持ち主も、いなくなるし」




「いや、寂しいし。うーん、せっかくだしこの島を観光でもしていこうかな。どうせどこに行っても誰も出てきちゃくれないし。感染怖がってるし」




「…………君は、感染が怖くないのか?本当に染色体を持っているのか!?まだ偶然感染していない人達だってごまんといるし……確かめるすべなんて無いじゃないか」




「うーん、感染なー。したくても出来ないからさー、今までだって防菌対策一切合切かなぐり捨ててきたけどこーんな近くにいても全く問題なし!ぶい!」




「…………くっ」




なんだ。


結局、運が味方して微笑んだ奴だけが生き残るのか。


無様に地べたを這いずりながら光明を模索した僕達は、運なんてカルトめいたものに劣るのか……




「ふ……」




なんて。被害者面もおかしい。情報をうっすら集めるだけで詳しく調べようともせず、ただ消えかけた人に他の誰かが結果を出して、いつか完治するから頑張れって励ますだけだったのに。




僕こそ天才でもなんでもない。運良く今まで生き残ったラッキーボーイだ。




「あぁ、やっぱり諦めたいな……」




その次に続く言葉はさらに驚愕を僕に与えてくれた。




「だから。さ。少しだけ置いてくれないかな。ここで生活させて欲しいの」




「は…………!?」




理論が筋道をすっ飛ばして突飛に富んでいる。スタートからゴールへの道をどこでもドアでテレポートするかのごとく説明のなさに愕然。まだ波打って冷めない心に金槌を打たれたような衝撃が飛び込んできた。




「2週間くらいでいいから。ちょっと旅疲れしちゃったし。車も壊れちゃったしー、ガソリンはあっても電気は無いし、治る目処もないしー。これも何かの縁と思ってさー」




「ほら、おつまみあるし」




「……………………………………」




なんて無防備で無思慮な提案だろうか。


僕はまだ幼くて道の選び方もわからない餓鬼だから、この世の常識というものに対して耐性がない。どう答えるべきか、どう突き放すべきか。考え込む時間はあったのに、タイムリミットが迫る焦燥感から……




「…………………………おーけい」




車なんてそこらにあるじゃないかとか。


もっと広い家に住めばいいじゃないかとか。


成長期の男と過ごす意味を知らないのかとかーーー考えなかった。




どうしてかわからないが、折しも自分の終わりが決まった厭世観からか、見知らぬ女性の晩酌に付き合おうとさえ思ってしまえるほどに今の僕は壊れてしまっていた。




「ーーーんっ、んっ、〜〜〜はぁ」




もう味の薄くなったアルコールを嚥下する。




「……飲む?」


「飲む!」




目をキラキラさせながら投げたボトルをキャッチし、腰に手を当て一気に飲み進める。喉が何度か動きを見せた後……




「……あれ?」




喉の上がり下がりが無くなった。


飲んでるというより垂れ流してる……胃に直接流し込んでるに近い飲み方をしている。手馴れたものだ。


「ぶっはー!!!!!!!」


BGM:the Ringが流れると同時。


ピュリファイアー、水鉄砲、サンダーボルト。三属性のかめはめ波を彷彿させる一撃が空を横薙ぎにして僕のフェイスというフェイスを虜にした。




「…………………………」




「スッキリしたー!!!!」




「この女ァ!!!!!!」




久し振りに声を荒らげた気がする。




「どんな生き方をして来たらあんな宴会芸を覚えるんだ君は!」




「いやー悪かったよー余りにも度数が高くてついーなははははー」




「ラベルを見ろよ!後なんて飲み方をするんだ、咀嚼・嚥下をすっ飛ばしても旨みないでしょうに」




「飲めれば同じ。胃で味わえ」




「胃から出してんじゃん…………」




若気の大人はみんなああなのか……




「春休み中にアラスカビーチで現地の人に教わったー」




「技の習得時期や場所を聞いてるんじゃなくて」




「うぷっ………………」




「ああほら、まだ身体に酒が残ってるだろ。洗面台を貸すから」




「レロレロレロレロ」




「ぎゃあーーーーーー!!!!!!」






・・・・・・・・・・・




静かな夜の闇が偽物の安寧を演出していーーーーーーーーーるには今この場所は騒がし過ぎた。




「でー、その人はファイヤーダンスしながら酒をこうね、くぴーって煽って一気に吐き出すの!火が移って学年主任の嫌味ったらしいおじさんの髪の毛が燃え盛ったのはいい思い出だよーきゃっきゃ!!!」




「ええ、その場に居合わせたらさぞかし痛快だったろうな」




「究極絶技・アルコールレジェンズver.2.0!」




口をひょっとこの形にしてくるからもしかして垂れ流されるのか不安になってバケツを口の前に突き出してしまう。大丈夫だった。




アルコールランプに火を灯して、たった一つの小さな灯を頼りに宴はたけなわに差し掛かっていた。




「いい感じに酔っ払ってきたねー、じゃあそろぼちゲームでもしよしよー」




「二人でできるゲームなんて限りがあるじゃん。第一出会ったばかりで君の事もよく知らないし」




「じゃあ互いのことをよく知れるゲームがいい!やろうやろう!」




うーんふーむあーんと思案する彼女は酔っていても正気は保っているように見えた。




「Truth or dare gameでどう?」




「とぅるーす……?」




「真実か挑戦かってパーリーゲーム!」




「話だけは聞いたことがあるね」




ジャンケンに勝った方が先に真実か挑戦かを相手に質問し、相手はどちらか片方を選ぶ。真実を選んだ場合は言うのがはばかられるような答えを返す。挑戦を選んだ場合は恥ずかしい真実に釣り合うくらいのお題をこなさなければならない。




嘘はなしだ。




パーリーしてないけどバラす恥も他に知る人はいないからまあいいか。




「僕が先行だね」




「どんとこいだー!」




「しんじ」




「真実!」




「早い。定石とはいえ悩むフリして。はいいくよー」




パリン。


バリィン。


ガシャン!




ジャグリングの要領でポンポンポンと空き瓶を投げ捨てリズムに合わせて割る。




気持ちいい。




倫理も法も無い世界は心が綺麗に洗い流さられるようだ。




「今は吟遊詩人か旅芸人かとお見受けするけど、以前はいずこでなにしてたの?」




「渋谷の端っこに住んでた。駅からは随分離れてたから、まぁ贔屓目に見ても住み良い場所じゃなかったな。」




この時代に生きる僕は、意識しなくても「それ」に話題の矛先が向かってしまうのを避けられない。


ならせめてこちらの気持ちを和らげてくれようとしてるのだろう。




真実か挑戦かの二択は、そこに優しさが含まれているのをひた隠しにして騙しすかす。




「毎日同じ大学に通って、意味があるかもわかんない資格の為に時間費やして、ホントにしたいことが見つからなくて引きこもってた。お肌のケアだけしてたヒキニート。飲み会にだけ顔出してた」




それはヒキニートとは言わない…………と思うが実際浅薄な知識しかないので何も言えない。




「OK、攻守交替だ」




「とぅるーすおあであー!」




「Truth」




「よしよーし、君の過去を教えてください!」




「聞いて楽しいものじゃないよ」




「これがありゃ楽しくなるっしょくぴくぴくぴくぴくぴ」




「おっさんか」




……話すか。冥土の土産だ。僕の。


まあ実際に死ぬのと違うから天国や地獄があるかなんて分からないけど。死後の世界があるかどうかも知らないけど。




「聞いてくれるかい」




「是非にこそ!」




「…………この島の総人口は8000人に満たなかったんだ。誰かが誰かを知っていて、完璧な他人なんてどこにもいない、親戚筋が多い人生だったね」




「うんうん」




彼女は相槌を打ちながら、時間をゆっくりに感じる魔法でもかけるようにうっとりとした目線で見ていた。それが恥ずかしくて目を逸らしながら続ける。




「溶けゆく雪、遠ざかる雲、吹きすさぶ木枯らし、冬眠する獣達。幾つもの季節をここで過ごして、ここで死んでいくものだと疑いようもなかった」




「ニワトリの鳴き声で目覚めて、エンマコオロギさんに急かされて顔を洗って一向に起きない妹を叩き起こして、一緒に歯磨きして朝食を平らげてまた歯磨きして、まだ寝ぼけ眼なあいつの頬を引っ張って、いつもの通学路にはみんなが待ってる」




「友達のハルト、幼なじみの智絵里、兄貴分の天都。憧れのセツナ姉ちゃん。……みんなずっと腐れ縁になってくんだろうって、溜息付きながらも期待してた」




「もしかしたら誰かと付き合って、結婚して、家庭築いて、幸せな時間を噛み締めて、抱き締めてーーーそんな容易い夢に浸りたいほど幸せな時間が続いていたんだ」




「うん。」




「ここまでだ。次は僕から行こう」




「しんじ」




「ウィーアーチャレンジャー!」




みなまで言わせろ。




「それ僕も含まれてない?」




女はソファの上に断ち、短いスカートを翻して腕まくりをして溌剌と言い放つ。




「さあなんでもお下知をくださーいな。あっ!不埒なのはえぬじーだからね、えぬじー」




「ええ、でも真実を話すに足るくらい恥ずかしい挑戦じゃないとゲームにならないよ。じゃあうーんと、そうだ」




このゲームの本質は「自己暴露」であるからして、自己紹介くらいはしておくべきかな。




「本気で戦隊ものの変身名乗り風に自分の名前名乗って。ポーズ込みで」




「うっわ……びみょーに嫌なとこ突いてきた……へへ……やだなーもう」




Oh全く嫌な顔してないけどね!!!!!口元ニヤついてるしわかりやすいなもう!!!




「えーこほん」




「フクロウが吼え、小鳥が囀り、私の到来を予感させる!」




「降り注ぐ雨は私の餌よ!」




「ぼんきゅぼーん!地平線からカムバック!朝日ひまわり!ばばーん!!!」




「ノリノリじゃん……あとそれ戦隊もの……?」




「自分でやっといて……結構恥ずかしいっす…………」




「きっと前世は女優だよ。高飛車で貴族肌のオリヴィア・ベリーだ」




前世。そうだ。きっと前世は名を馳せた名女優だったに違いない。胸を張って劇団員を引っ張る敏腕座長が似合ってる。




普通の大人はそんなあどけなさの残る風格を出せないだろうからね。




前世。現世。来世。




そんなものはないけどさ。




「遅ればせながら自己紹介。ひまちゃんって呼んでいいよ」




「朝日さん、よろしく」




「人の話を聞かない男きらーい」




「とぅるーすおあであー」




「なら僕も…………や、真実で」




「意気地無しー」




「なんとでも言え」




四本目のワイングラスを開けてから一息ついて、テンションを控えめに朝日は問いかけた。




「今、悲しい?」




「…………っ」




彼女はふいに、矍鑠もかくやという微笑を浮かべる。長い髪を揺らして女の子特有の甘い匂いが心の壁や抵抗感を失わせていく。




「悲しみも、もうない気がする」




いつか再会を誓った子がいた。もう二週間前に別れてから足跡は辿れなくなった。




もし彼女が今僕と違って一人でいるとしたら。恐怖に抗い続けるとしたら。諦めずに希望のトモシビを灯し続けているのだとしたら。過ぎった想念にはたして僕はこう思う。どうか、どうか死んでいてくれますように。どうか消えてなくなってくれていますように。




命など惜しくはないけれど、クラゲのように痛覚がなければな、と思う。




「空気中に溶けて、しまったから」




そうすれば、彼女もきっと苦しみなく消えることが出来ただろうから。




「追いかけても追いつけない。蜃気楼に見えて、身体が揺らいで見えなくなりそうで怖くて、手を伸ばしても届かない。日常は非日常に変わったのに、僕だけが取り残されてしまった」




だから思うんだ。諦めてしまった方が心地良いって。




「僕を呼ぶ声がする。僕を求める言葉がある。でもそこに辿り着いても誰もいない」




ああ、やっぱり諦めてしまいたいな。




「言いたかったありがとうも、言えなかったごめんねもたんまりあるって言うのに」




もう誰もいないんだ。




「検査キットを作ったの、僕なんだ…………みんなの死を宣告したのは、僕なんだよ…………」




僕の告解を、朝日は黙って聞いてくれていた。




「……ほんとだったんだ。君以外一人残らず消えたっていうの」




「でも、君がころしたのは嘘だね。君は残酷だけど必要な救いを提示したの。間違いなんかじゃないよ」




「君だけは抱きしめて、頷いてあげなよ。じゃなきゃ過去の君が報われなさすぎるよー」




ポテトチップスを袋ごと頬張りながらの言葉に真剣味なんて欠片もなかったように思う。




だから油断していた。




「行き先の見えない不安を取り除く手助けなんて、普通に終わりを迎えるよりずぅっとずうっと幸せな事だよ。恨み言が君を包んで握り潰そうとしても砕けないーーーそんなありがとうって言葉もあったんじゃないかな。誰かにとっての救いになれたその気持ちを、君が失っちゃいけないじゃん」




…………!!!




チョロいと。騙されやすいと言われても反論出来ない。




その一言で。その小さい末尾のなんてことなく発した優しい言葉で。




「……続けよう」




僕は、心が軽くなった。




ほんの少し、真っ黒な墨汁に垂らされたミルクの1滴程の刺激だったけれど、今の僕にとっては劇薬で……




いつもよりちょっぴり、肩が楽になったんだ。




「真実。こんなとこに一人で来たけど、君には大切な人はいなかったの?」




「いたけどいなくなったなー。もう顔も覚えてないしどーせ大切じゃなかったのかも」




「家族は……?」




「みーんな消えちゃった。浮気して音沙汰が無くなることを蒸発って言うけどこれこそほんとの蒸発ってか!だははー!!!はははははー!!!!」




「ああ、そっか」




合点がいった。




「君も壊れてるんだ」




「は?壊れてないがー!?」




「酔っぱらいはそう言うんだよ」




「とぅるーすおあであー」




もう2択ですらない。けれど受けよう。仕方なしに本音をぶちまけられるから楽なものだ。




「お好きにどうぞ」




「真実。君は籠の外に出れない。なら私がここにいても問題ないよね?ねー?」




朝日は体を乗り出して目を輝かせつつ有無を言わせない勢いで畳み掛ける。




「もうわかったろ」




答えはとっくに決まっていた。




「僕はもう、希望っていう希望を捨てたんだ。好きにするといいよ。残っても出ていっても大丈夫」




「ほんと!?」




「君が生きてても死んでてもいい。何かを残すのも覚えておくのもいつかZEROに帰るから、それが僕にとっちゃ2ヶ月後で君にとっちゃ数年から数十年の後ってだけだろ。身辺整理のついでだし君がどこにいようと構うまいよ」




「……でも、私はここにいると思うな。つっても他に行くとこないし。料理くらい作ってあげるしさ」




例外なく登る朝日は、恐怖の影を押しのけ、手を差し伸べて微笑む。




「どうせ自棄になるんなら残りの時間、ひまわり様の暇つぶしに使ってくださいな」




「私への、朝日ひまわりへの餞として!」




「……勝手にしろよ」




もう、疲れたんだ。初対面の人に愚痴を吐き続けるくらいには、楽になりたかった。




「8月27日。この日には出てくから」




「…………………………」




カレンダーにちらりと目をやる。




あと1ヶ月もないか。


僕が消える1月前くらいなら終活も焦る必要は無いっぽい。




「ハグしよう。少年くん」




彼女が不審者で、実は凶悪な暴漢だとしてもそれはそれでよかった。




「吟美真言ーーーうたみ、まことだ」




どうせもう秒読みなのだから。




年上のお姉さんとのハグに、心が高鳴らなかったといえば嘘になる。豊満な身体に身を預けるのはちょっとばかし興味あって、どうせ消えるんなら最後に美味しい想いをしておくのもいいかなーなんて思ったりしちゃったりーーー




「うぇっぷ……………………」




「胃腸薬頭痛薬便秘薬吐き気止め、どれがいい?」




「おーるあっぶで…………………………」










………………………………






ソファで寝落ちた朝日に毛布をかけて、ランプに火を点してから部屋を出る。




出るーーと端的に言ってしまったがドアは粉砕、窓は全壊しどこからどこまでが外で中かさえ見分けがつかないくらいに悲惨な状況下ではあるものの。とほほ。




寝静まった頃合いを見て、庭に腰掛ける。


外の月を見やりながらオルゴールを巻く。




これはこの島で初めに消えた少女のものだ。




高い身分の生まれで、遺品整理はほとんど手が出せなかった。


大切だった人の大切なものがいろんな人に奪われていき島の外に流されていく中で、唯一残ったのがお金にならないガラクタ達だった。




30年前の人気歌手だった(本人曰く)YURINAが特別に販売した世界に100個しかないオルゴール。クリスマス・ソングのワンフレーズが入っている。




愛した人に向けて届かない想いを詰め込んだ歌だった。別れの歌でもいつかどこかですれ違うことができるようにという願いを称えて一つ一つ手作りしたんだと言われている。




他の人にはガラクタでも僕にとっては宝物になった。




誰にも言えないたった一つの宝物。




『【むかしむかしのそのまたむかしから】』




『【夜明け前……あなたとの日々が輝く】』




歌詞を口ずさみながら消えていく姿が、今も目に焼き付いて離れない。




『【あしたあさってそのまたあしたにも】』




『【どうか伝えてほら】』




『【Are you ready to sing goodbye and seeyou】』




思い出の中に引きずり込まれながら、甘美で儚い夢を啜り、明日の命を生み出して夜に眠る。




初めに消えた少女は言った。




『私の完成を祝福してください』




その面影を、その楽しげな素振りを空に描きながら星座を結び、腕を頭の後ろ手に組みながら好い加減の気候の中で僕は寝言を言う。




「ボクガ、ミンナヲスクウカラ」




星に見捨てられた人間の足掻く


ーーー蛮勇の呪文を。




あぁ。




やっぱり諦めたい。




でも諦められないから、僕は地獄の中で唸りを上げ続ける。何処にも逃げ場がなくても誰にも認められなくても、たとえ無意味に終わるとしても、それだけがもう、僕の生きる理由だし。


僕はあくまで検査薬を作っただけの、なんの個性もない、ただのヒョロい枯れ草木の中学生だ。運命の螺旋を引きちぎる宿命を持つとしたら、もっと強くたくましく気高く美しく快く正義で天使で英雄な人間なんだろう。


そう、たとえば、彼女のような。


僕のような他人一人猿一匹の生き死にに心を1ミリも痛めない屑には似合わない。


あー絶望的だ。諦めたいな。諦めたいなーーーーー。






















でも、僕が必ず勝手に皆を救う。

無様でも、弱くても、悪でも否定されても。


僕は絶望を、諦めたい。












その日の夜、夢を見た。




久々に喋り過ぎて適度に疲れていたせいか、十分な睡眠が取れなかったせいか理由は乱雑にわたるが久々の夢だった。




『星を穢したのは、あなた?』


「…………ァ、ッ」


声が出ない。


ここは夢の世界で、自分は自分じゃないから自由も効かない。水底の気圧に押し潰されて肺がひしゃげたように言うことを聞いてくれない中、『彼女』は一方的に話し続ける。


『この星で生きていきたい?』


「ッ…………ぎ、たぃ!」


朝日の声と姿をした仮面の女が、そこに立っていた。


『そう。決めるのはあなた』


『ゆっくり考えなさい。星の上のーーー優秀で栄えある駒として』









続くのだ。



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