トンカツ
「ねぇねぇお母さん、今日の晩御飯はトンカツが食べたいなぁ」
十代半ばを少々過ぎたばかりの娘が、わざとらしく大人っぽい表情をしながら言う。
「あら、気が合うわね。お母さんもそのつもりだったのよ」
母親は、母親らしいほっこりとした笑顔をしながら答えた。
「本当? やったー!」
娘の子供っぽい反応を見るに、やはりあの表情は作り物だったらしい。
母親ももちろんそれに気づいたようで、少し笑って続ける。
「今から準備するから、楽しみにしておいてね」
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「お待たせ、出来たわよ」
「わあああ!やった〜〜!待ってました!いただきます!」
娘は年齢にそぐわない幼稚な反応を示した。
が、それもこの料理の前では仕方ないと言わざるを得ない。
この母親はいわゆる''ママ友''と呼ばれるグループの中でも料理が上手と評判であり、実力は相当なものだと断言出来る。
それに加え、トンカツは彼女の得意料理のひとつなのだ。
「んん〜っ!おいしい〜!」
予想通りのリアクションである。
「そう、それは作った甲斐があったわ」
そう答えながら、母親はジャケットを羽織った。
手には今しがた使用した、油や衣の破片が入ったままのフライパンを握っている。
「・・・あれ?お母さん、そんなもの持ってどこか行くの?」
口にソースをつけた娘は、頭上にはてなマークを作りながら聞いた。
「えぇ、少し出てくるわ」
疑問を拭いきれないと言わんばかりの表情をしていた娘だったが、すぐにトンカツに興味が戻ったようで、あしらうように見送った。
「そうなんだ。
すぐ帰ってきてね」
「ええ、出来るだけ早く帰ってくることにする」
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「ただいま」
「おかえりお母さん、一時間も帰ってこないからなんかあったのかって心配したよ・・・。ほんとうにどこで油売ってたの」
不満と安堵の二つの思いに挟まれながらも、娘は出迎えた。
母親は少々申し訳なくなり、ごめんね、と口の丁度前あたりで手を合わせた。左の手の平には空になったフライパンが器用に握ってあったので、娘は、ああ、油を下水に捨ててきたのか、と考えたがどうやらそれは違うらしい。
合わせた左手の向かいの中指には、小さな巾着がぶら下がっていた。
その巾着からは、控えめでありながらも鈍く重い、ちゃりん、という音が聞こえてきた。
その音に続けて、娘の疑問に答えるように、母親は言った。
「そこの通りで油を売ってきたのよ」