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うぐいす駅にて  作者: ロブチカコ
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6

 翌日、長かった梅雨の雨が、ふいに止んだ。

 

 昼近くに起きた鳥羽は、ベランダに出て、からりと暑い青空をしばらく眺めたあと、着替えて家を出た。駅前の中華料理店でラーメンとチャーハンを食べ、電車に乗って、近くの繁華街へ出る。

 

 初めて歩く街を、ぶらぶらと見物し、マイナー作品を扱っているらしい映画館にふらっと入って、深刻そうな題材の邦画と、フランスの恋愛映画のポスターを見比べて、後者を観た。映画館を出たあとは、移り気なフランス流の恋愛にひとりでフガフガと怒りながら、また少し歩いて、古本屋で純愛小説が得意な作家の文庫本を買い、近くの喫茶店に入ってモンブランケーキを注文し、買った本を読みながら足を休めた。

 

 その間、一日中、鳥羽の頭のなかにあったのは、ポニーさんのことだった。彼女はずっと、鳥羽の隣にいた。街を歩けば、ポニーさんは雑貨屋の店頭に並べてあるぬいぐるみを手にとって、「可愛い!」と笑う。服屋のワンピースを自分にあわせて、「似合いますか?」と聞いてくる。映画を見ているときも、ポニーさんは隣で、物語のなかのふたりが想いを伝えあってキスするシーンで涙ぐみ、古本屋では、「へえ、読書家なんですね」と感心され、喫茶店に入れば、「レトロでいい感じ」と満足げな顔を見せた。

 

 実際には、ワンピースをひとりでぼんやりと眺めていると、店員に「プレゼントですか?」と声をかけられて逃げてきたし、映画館で隣に座っていたのは、妻にむりやり連れてこられたらしい、うつろな目をしてポップコーンをむさぼり食うおじさんだった。しかも映画のなかの男女は、情熱的に結ばれたあと、あっさりと喧嘩別れしていた。そしていまは、隣に座っている男が吸っている煙草のけむりが、冷房の風に乗って鳥羽の顔を直撃していた。

 

 実際にポニーさんと行くならば、映画のテーマは事前によく調べ、お茶を飲むなら禁煙の店でないと……。

 

 けむりを吸わされながら、鳥羽は、自分の顔がだらしなく緩んでいることに気がついた。ぎゅっと唇を引き締めて、浮かれるな、と自分を戒める。

 

 あれしきのことで、妄想をはかどらせ、一人でニヤニヤするなんて、情けない。ポニーさんは確かに可愛い。ぶっちゃけ、好みだ。でも、簡単に惚れたりしてはならないのだ。いや、そもそも自分は恋愛自体に嫌気が差していたはずなのだから、それを乗り越えるくらいの想いを抱く相手でないと。そうそう、ちょっと笑顔を見せて、決して否定的な態度ではなく、少し楽しく会話したくらいで、そんな。……ああ、昨日のポニーさん、可愛かったなあ。

 

 パンを熱く語るポニーさん、日本酒を注文するポニーさん、モツ煮込みをつまむポニーさん……、と、鳥羽の頭の中で、おそらく実際より好意的な視線をポニーさんが送ってくる。

 

 そして、鳥羽の失敗談を聞いて、可愛いと言った、ポニーさん……。

 

 あれは、どういう意味だったのだろう。

 意味も何も、言葉だけを捉えれば、単純にドジっぷりを可愛いと思った、というだけのことかもしれない。けれどいまの鳥羽は、深読みせずにはいられない。

 

 本当に、可愛いと思ったから軽く言っただけ? それとも、かっこ悪いとは言えないから、可愛いと言っておいただけ? 可愛いけど情けない男には恋愛感情は持てない? なんか反応に困ったから、とりあえず適当に言っておいただけ? いやもしかして、もしかすると、可愛いと思って、しかも好感を持ったりした?

 

 ははは、いやしかし、会社の年上の先輩に、いきなり可愛いとか。はは、ほんまはあかんねんで。自分、気いつけえや。いや、ぼくはええけど。全然、ええけど。

 

 鳥羽はへらへらと、食べているモンブランケーキをフォークに乗せ、前方に差し出した。だって、向かいに座っているポニーさんが、ひとくちちょうだい、とねだってくるから。

 

 おいしい?……うん、おいしい。でも結構甘いね……辛党やもんな……うん、お酒のみたーい……まだ昼やで……あ、行きたい店あったんだ。夜、そこ行かない?……ええよ、どこ?……ちょっと遠いんだけど……ああ、そこなら、

 

 妄想は、遮断された。

 

 鳥羽がだれもいない空間に差し出したフォーク、そこに乗っかったモンブランが、ぼろりと落ちた。フォークの先には、ポニーさんがいた。

 

 妄想ではない。本物だった。正確には、鳥羽の正面にある窓の外に、ポニーさんの姿があった。

 

 しばらく固まっていた鳥羽は、ふいに電光石火の勢いで立ち上がり、レジに千円札をたたきつけて、しかし「釣りはいらない」とは言い出せず、じりじりと店員の対応を待ってから、喫茶店を飛びだした。

 

 右のほう、駅方向へ歩いていったはずだ。背伸びして、ポニーさんを探す。いや、このひとごみでは、ポニーさんよりも、彼女と一緒にいた男のほうが、背が高くて見つけやすいはずだ。

 

 ポニーさんの隣にいた男――あれは、見間違いでなければ、Tだった。

 

 ひとをかきわけ、ぶつかり、謝りながら、ポニーさんとTの姿を探した。その間、まさか、なぜ、とずっと考えていた。ポニーさんとTは、ずいぶんと親しそうだった。親しそうに、まるでカップルのように、笑顔をかわしていた。

 

 ポニーさんの恋人の有無は、内心、気にかかっていたことではあった。しかし相手がいたとして、まさかそれがTだなんてことが、あっていいだろうか。そもそも、T、おまえ、Hはどうしたんだ。Hにあんなにちょっかいをかけて、あんなに、大切に守るような素振りを見せてHをその気にさせておいて、でも本当はやっぱり女が好きな普通の男でした、なんて。

 

 ……いや、この際、Hのことはどうでもいいのだ。Tが異性が好きなことも、別にいい。当然のことだ。

 

 でも、なんで、よりによってポニーさんと!

 

 鳥羽の視界は、涙に滲むどころか、乾ききっていた。その、ひからびたまなざしで、駅の雑踏を見つめ、立ち尽くす。

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