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「え!?」
ブレスレットを前に、Hも目をまるくしている。鳥羽は震えあがった。これこそ最悪中の最悪の展開だ。
「なんでここにあんの?」
「え、おまえが買ったって、なに?」
「いや、これおれが買ったやつ! ほらここ、ここに、イニシャル! おまえと、おれの!」
「うそ、だってそれ」
「うそじゃねえよ」
「でもおれ、いま、それ、もらったっていうか……」
「え?」
「え?」
ふたりは、「え?」を、お互い何度か繰り返した。そのあと、しばらく黙って見つめあい、それからTがゆっくりと言った。
「ちょっと、落ち着いて、整理しよう」
ふたりは、情報を出しあった。一ヶ月ほど前、Tはこのブレスレットを買った。それを、うぐいす駅でなくした。探したが、見つからなかった。Hは、さっき駅で、知らない人にこれをもらったと、ばか正直に話しやがった。二十代くらいの、垂れ目で、背の高いサラリーマンだと、鳥羽の容貌まで。
「それ! そのひと!」
Tは叫び、それから、ブレスレットをなくしたのは、一ヶ月前、Hに告白する前に見知らぬ酔っぱらいに絡まれたせいだと説明した。その酔っ払いの容姿がまさに、Hにブレスレットを渡した人物と同じだと。
Tの話のなかで、鳥羽は、不審者だの、変なやつだの、きもいだの、散々な言葉で表現された。
「その人と、おれにブレスレット渡した人が、同一人物?」
Hの言葉に、Tが激しく頷く。
「たぶん。返してくれたんだ。きもい人だったけど、いい人だったのかな。でもなんで、おれの相手がおまえだって知ってんだろ?」
「なんでだろうな……」
Hが何気なさを装って視線をずらし、鳥羽のほうを見てきた。鳥羽は目を逸らす。
「知りあい、じゃないよな。おれらのことを、一方的に知ってる人?」
Tの言葉に、Hは半分笑ったような顔で首を傾げる。
「さあ……」
「それとも、どっかで、おれたちが一緒にいたところを見た、とか。でも、それだったら、そのとき返してくれたらいいのに。なんでわざわざ、おまえに……」
Tはそこで、なにかを思いついたらしい。険しい顔でHの両肩をつかんだ。
「おまえ、気をつけろよ」
「なんで」
「ストーカーかも」
ぶはっとHは吹きだす。
「そんなわけあるか。なにがどうなって、そうなるんだよ」
「わかんねーだろ! だってあの人、最初から変だったもん。酔っぱらってたからって、初対面の人間にあんなにしつこく絡むやつ、絶対おかしいし。おれとおまえが、ふたりでいるところ見て、おまえにひと目惚れして、おまえがひとりのときに接触をはかってきたのかも」
「発想やべえ」
「やべくねーよ! 気をつけろよ、な」
「だからストーカーじゃないって。これ、返してくれたんだから」
「ストーカーじゃなくても、だ。おれが近くにいないときは、気をつけろ」
Tは手をHの肩から背中にずらし、ふたたび、抱きしめる。
「おれがいるときは、命かけて守るから」
ヒエエエエエ――
声が漏れそうになるのを、鳥羽は必死にこらえる。
しかしHは、「なに言ってんだよ」とか言いながら、まんざらでもなさそうだった。ストーカー呼ばわりされて、くさいせりふを聞かされて、ジュースまみれで地面に転がっているやつが、背後にいるのを知っているというのに。
そのとき、どこかから音楽が聞こえてきた。Hのスマホの着信音だったらしく、Tを押しのけて、ポケットからとりだす。
「あー、姉ちゃんだ」
Hは、面倒くさそうに電話に出た。内容まで聞きとれはしないが、女性の声が、鳥羽にもかすかに聞こえてくる。
「んー……、べつに……、いや、もう帰るし。は? いやだって。自分で買ってよ」
電話は手短に済まされた。通話を切るとHは、
「そういや、姉ちゃんにばれた」
さらりと言った。
「え?」
「姉ちゃんに、おまえとつきあってること、ばれた」
「え! なんで!」
「勘だって。姉ちゃんに言わせると、おれら、最近ようす変だったらしいよ。で、そのことでさっき喧嘩して、家出てきた」
「喧嘩って」
「そりゃ、なんで男同士でつきあうんだって」
「………」
「もう帰ろ」
黙ってしまったTを、Hは立ち上がるように促した。
「大丈夫だって。姉ちゃんも、混乱してるんだと思うし。……別に、落ち着いたら賛成してくれるとは限らないけど」
「うん、でも……」
手を引かれて、Tはのろのろと立ち上がる。命をかけて守る、と言ったあの格好つけはどこへ行ったのか、目だけでなく眉まで垂れさせていた。
「これ、つけて」
Hがつっけんどんに言って、ブレスレットを差し出す。言われるがままに、TがHの左手首にブレスレットをつけてやった。その間、ふたりは黙っていた。
そして、ふたりは顔を見あわせ、もう一度、静かにキスをした。電車が近づいてくる音に気づいて、すぐに体を離した。
ベンチを離れる直前に、Hが振り返って鳥羽のほうを見た。なにか言いたげな表情は、謝罪がしたかったのか、鳥羽の正体を問うていたのかは、わからなかった。おそらく両方だろう。
ふたりが視界から消えて、足音が遠ざかって聞こえなくなったあと、鳥羽はようやく身動きした。がさがさと、ベンチ裏から這い出す。
街灯の下で改めて見た自分の格好は、ひどいものだった。不幸中の幸いで、浴びたのが透明のサイダーだったため、シャツが濡れているのはそんなに目立たない。しかし、あちこちに貼りついた草や、砂の汚れは、払っても払ってもとれなかった。顔や髪に至っては、どうなっているのかすらわからない。
しばらく奮闘していたが、やがて汚れをとりきることを諦めた鳥羽は、眼鏡をかけ、鞄とおしるこ、中身の大半が鳥羽に浴びせられたサイダーの缶、そしてHがベンチの上に忘れていったアイスの棒を、ため息をつきながら拾った。
サイダーとアイスの棒を見つめ、Tがキスをしながら、あまい、最高、と言っていたことを思い出す。サイダーとアイスの味だったのだろう、Hのくちびるは。なるほど、初キスの味としてはかなりいい部類だ……。
想像しようとしたところで我に帰り、鳥羽はぶんぶんと頭を振りながら、公園の入口に向かった。変なことを考えるより、家に帰るまで、あまりこの格好を見られないよう、できるだけ人とすれ違わないルートを考えなければ。……ああ、本当に、本当に、酷い目にあった。
疲れきったため息をつきながら、公園を出る。しかし出てすぐに、通行人が近づいてくることに気がついて、鳥羽はサイダーの缶を自動販売機横のごみ箱にゆっくりと捨てながら、やり過ごそうとした。
しかし、通行人の足音は、鳥羽のすぐ近くで止まった。鳥羽はまだ、やり過ごそうと粘った。しかし、相手が動く気配はない。とうとう、振り返った。
しばらくの沈黙のあと、ポニーさんは呆けたような顔で鳥羽の全身を見回しながら、機械的な挨拶をした。
「……こんばんは」
鳥羽は言葉も出ず、かろうじて、首をねじまげるような会釈をした。




