1-10 失ったもの
「今の音は、一体なんだ?」
玲二の目に、強張った表情の自分が映る。この顔では、何かここにあるのだ、と白状しているようなものだ。たぶんアヤも同じような顔をしていることだろう。
…それでも、ノアを失いたくない、という選択肢を取ることにした。それは確かに、彼らの信頼を裏切るのかもしれないけれど、この現代における罪を背負うのは僕達だけでいい。
「なんのこと?僕にはよく聞こえなかったけど」
「本気で言ってるのか、愁」
玲二の目がきつく僕を貫く。そこには、非難と、怒りと、微かな期待が見え隠れしていた。それは僕に、何かもっていると白状してほしいのか、それとももっていないと言い続けて欲しいのか。黙っていた灰崎も口を開く。
「なあ愁、教科書に書いてあったやろ。『かつての悪しき文明は、ときに単調で無機質な音を伴う』って。今の音こそが、それとちゃうんか」
「だからどんな音?僕は聞こえてないんだって」
「ふざけるな愁‼」
ビクッ、とアヤが首を竦ませる。ここまで大声で怒鳴る玲二は初めて見た。友人の犯罪にここまで本気になれるというのは、やっぱり僕は本当にいい友人を持ったんだろう。それを僕は、今から、裏切る。
「そんな怒らなくても。今ここでは、誰も何も聞こえてなかったんだよ。そうじゃないの?本当に聞こえたの?」
「なあ、アヤもなんか知ってんねやろ?答ぇや。事と次第によっては容赦せんで。…友達やからこそ、な」
「し、知らない。私は、何も、知らない」
灰崎の顔が歪む。僕達の明らかな嘘と、そこから覗ける罪の気配に、2人は肩を小さく震わせていた。時間が経つにつれ、僕達の間の溝が深く深くなっていく。何度、チャンスを逃しただろうか。彼らは何度も、自白する機会をくれている。でも、その道でノアが生き残る未来は無い。アヤが特別だっただけで、本来はテロや殺人クラスの犯罪なのだから。玲二は一度顔を伏せると、ゆっくりとまた顔を上げ、僕を真っ直ぐに見つめて、口を開く。
「愁、これが最後だ。もう一度だけ聞こう。お前は、一体何を隠している?それは、現代にあっていいものか?」
その質問は、核心を突くものだった。もう何があるのか、詳細は知らずとも検討がついているんだろう。それでも、それでも僕は、あの生意気な女の子を見捨てることができない。あの子はノアであって、ヒトかアンドロイドかなんてことはどうでもいいんだ。玲二の気持ちに応えるように、僕も真っ直ぐに見つめる。
「僕は何も聞いてないし、何も持っていない」
それは僕の『関わらないで』という意思を込めた一言だったが、間違いなく玲二に伝わったようで、そしてそれは最悪の結果を生んだ。
「わかった。それが、お前の答えなんだな。…それなら、もはや言葉は要らない。ただの犯罪者に、かける言葉はない‼」
そういうと、玲二は迷う事なくノアの隠れる棚を開いた。パッと見ではわからない場所だったこともあり、少しの躊躇もなく棚を引き倒す。部屋に大きな音と共にホコリが立ち込め、古臭い匂いが充満する。当然、僕はそれを眺めている訳にはいかない。
「やめろ玲二!それ以上僕の家を荒らすんじゃない!」
そういって止めようと掴み掛かるが、突然に右の脇腹に強い痛みと衝撃が走る。そのまま、壁に叩きつけられ、一瞬暗転しかける。視線の先には、脚を宙に浮かせた灰崎がいた。
「残念やわ愁。友達やおもててんけどな。こんな奴やったとは。そこで寝とき。じきにお迎えが来るわ」
「やめて!やめてよ皆!」
アヤの声は遮られ、パンッ、と乾いた音が響く。振り返りざま、灰崎がアヤを平手打ちしていた。
「一番アカンのはアンタやろ、アヤ。愁のコレを見逃して、守る訳でもなく黙りこくって、行動もせず叫ぶだけで。ええ加減にしいや」
酷く傷付いた表情で、アヤがペタリと座り込む。少し赤く腫れた頬を伝い、ぽたり、ぽたりと床に涙を零す。その間も、玲二はそこらじゅうを散らかしながらノアの居場所を探す。はじめから、音の出た方向に気が付いていたのかもしれない。止めに行きたいけれど、脇腹の鈍痛で立つこともままならない。
「…これ、か」
「おい、やめろ…!」
ついに、小さく黒い板を、玲二が右手で雑に掴み上げる。そこにノアの姿はないが、小さな白い光が、板の端で点滅していた。そして、一切のためらいなく、それを振り上げる。
「やめろ」
「悪しき文明は」
「おい」
「この時代に」
「玲二‼」
「あってはならない‼」
ガシャンッ、と耳をつんざく音が響き、板の表面に放射状のヒビが入る。玲二が板を振り下ろし、机の縁に叩き付けたのだ。ちいさなガラスの破片が飛び散り、ノアのいたはずの板が、元のきれいな状態など思い出せないほど傷付く。板はその勢いで跳ね、僕の隣にまで滑る。
「ねえ、ノア…?返事をしてよ、ノア…!」
「しつこいぞ愁」
手を伸ばした先で、玲二が板を踏みつける。ピシリ、と短い音を立てて、ヒビがよりいっそう細かくなる。表面のガラスは、もう粉々になっていた。身体の中から、友人に向けるようなものではない、激しい怒りがこみ上げる。
「おい、玲二。今お前は一人の女の子を殺したんだぞ!わかってるのか!もう、ノアは帰ってこれないんだぞ!!」
「知るわけがないだろう」
玲二は冷たくあしらう。僕を見下ろしたまま、当たり前のことを言い放つ。
「こんな板の中にいるモノが、ヒトな訳がない。そんなこともわからないのか。これは人類を滅ぼしかけたものと同じだぞ」
「それは違う!ノアは違うんだ!」
「阿呆、今お前が、現に正気を失っている。意味のわからないものに固執して、二人の友と将来を投げ捨てたんだぞ」
「違う、違うんだよ…」
視界が滲む。それは決して、脇腹の痛みなんかではなくて。もっと深いところにある、何かに穴が空いたような。でもそんな気持ちになったところで、ノアはもう帰ってこない。そう思うと、もう動く気力すら生まれてこない。アヤも、ひび割れた板をみて絶望的な表情をしていた。
「…愁。大事にはしたくない。流石にお前が処刑されるのは目覚めが悪い。だから、それを、必ず捨ててこい。誰にもバレないように、皆が寝静まった夜に。最後の、友人のよしみだ」
「まだそれでもそれもってるんやったら、もう二度目はないで。覚悟しときや」
そう言い残すと、灰崎と玲二は部屋を後にした。僕達の間には、二度と埋まることのない溝ができてしまった。そして残されたのは、口を閉ざしたアヤと僕、ひび割れたノアの居場所、そしてホコリの舞う暗い部屋だった。