悪夢×二人
悪夢を食べる『貘』。
無数の扉。2本の傘。
陽気な青年。妖艶な美女。
それから――根暗なあなた。
夢の中で紡がれるおとぎ話。
閉鎖された世界は残酷で、それでも暖かい。
2011.04.18~
あたしは、『貘』になった。
それらしい力の使い方とかコントロールとか、まだまだ全然ダメだけど。
「……ねぇ、それでさ。いい加減にしてほしいんだけど?」
「そりゃこっちのセリフだし……」
で、現在その相方……というかこうなった元凶というか、とにかくそんな感じの相手と喧嘩中。
悪い人じゃないんだけどね。
ただ、意地悪ではあると思う。
「俺が何したっていうのさ? それでふてくされる理由とか、俺にあたってくる理由がまーったく分からないね」
「デリカシーのない……『見た』でしょ?」
「『見えた』か『見えてない』で言えば『見えた』けど。まるで俺が故意に覗いたかのような表現はやめてほしいな」
そう言ってはあっとため息をついてみせる。
体育座りの姿勢で背を向けるあたしに、相手の顔は見えない。
だけどきっと、いつもの呆れきった顔をしてるんだろう。
「そもそも……吹っ飛ばされたところを助けたんだから、感謝されこそすれ怒られる意味がわからないね。スカートを穿いてたのは君の自由だけど、中が見えたのは俺の自由じゃない」
「うっ……」
「まだろくにここでの動き方もわからなくて飛べもしないんだから。あそこで放っておいて落っこちたとしても、ここで『死ぬ』ってことはなかっただろうし、あーあ、ほっとけばよかったのかな」
……こういうところは本当に意地悪だと思う。
同じことを言うのでも、もうちょっとソフトな言い方はできないものだろうか。
あたしは勢いよく立ちあがって振り向くと、そいつに向かってびしりと指をさしてやった。
「あーもー! さっきからネチネチネチネチうるさいなぁ! わぁかったよ、あたしが悪かった、これでいいでしょ!?」
「そうだね。悪いのは君だと思うよ。そもそも、君のスカートの中が見えたところで別に俺が得するものでもないし」
「うぐっ……」
無表情のまま、まるであたしには色気がないというか色気の価値もないというか、そんな感じの事をさらりと言ってのける。
頭ひとつぶん以上身長の高いそいつをぎろりと睨んでも、別に動じやしなかった。
はぁとため息をついてから、あたしは『イメージ』する。
今穿いている膝あたりまでの丈のあるふわっとしたフレアスカートではなく、動きやすいホットパンツ。
ええと……あとは黒のニーソックスでいいや。
やがて、イメージ通りにあたしの身に付けた服装が変わった。
「……そうして物を出すこと『だけ』あっさり習得したあたり、君の性格が出るというかなんというか」
「うるさいなぁ、一つずつでも出来るようになってるんだからいいでしょ!?」
そう、さっきから飛ぶとか死なないとか言っているけど、今あたし達のいる空間は普通じゃない。
そして、あたし達自身も普通じゃない。
――ここは、夢と夢を繋ぐ空間。
あたし達は、『夢の狭間』とか呼んでいる。
そしてそこで活動する『貘』であるあたし達には、ある程度不思議な力を行使することができる。
今使ったのは、その一つ。
服でもなんでも、出したいものはいくらでも出せるんだ。
「……あぁ、バクってなんでこんなんなんだろう。助けてくれた事には感謝するけど……」
「感謝するような態度には見えなかったけど?」
パーカーのポケットからから手を抜いて腕を組みながらそう言ってきたのが、あたしの相方? であり、あたしを貘にした張本人の『バク』。
貘でバクって紛らわしいんだけど、最初の自己紹介がそうだったからバクとしか呼びようがない。
身長は高いし、ルックスも悪くない。むしろ、偏差値としては高いほうだろう。
だけどこの通りの嫌味ったらしい性格なのだ。
それにわりと根暗。
フード付きのパーカーを好み、視界が広いと落ち着かないだかなんだかで常にフードを被っている。
くせ毛っぽい髪も長めで、前髪で目も隠れがち。
そのため表情を伺いにくい。
そもそも、あんまり表情が変わらないのだが。
『貘』の証であるらしい金色の瞳が、どこか冷たい印象を与えるような人だった。
だけど本当は冷たい人じゃないって、あたしは知ってる。
「そっちこそ、『助けてやった』オーラばりばりに出してたじゃんよ」
「そんなの出した覚えはないね。『あぁ、相変わらず手がかかるなぁ』くらいのことは思ってたけど」
「似たようなもんじゃん!」
でも、普段のスタイルがこうした嫌味マシーンだからこうなってしまう。
言っていることは正しいんだろうと思うし、助けてもらったのはあたしだし……悪いのはあたしなんだろうけど、こう言われては素直にもなりにくい。
「ま、まぁ。助けてくれたことについては、ありがと……」
「へぇ、急に素直になっちゃって。何を企んでるのやら」
こちらが折れた途端、端正なその顔が意地悪な笑みを浮かべる。
にやにやと笑い出したらもうだめだ。
暫く一緒に過ごして気付いたんだけど、バクはちょっとサドっぽいところがある。
しゅんとなったあたしにさらに追い討ちをかけて、遊ぼうとするふしがあった。
だけどもちろんそのままやられっぱなしになるあたしじゃない。
「……ったくもう! なんでそーなるわけ!? もうあれでしょ、バクって絶対B型でしょ!」
「残念、A型でした」
そう言って肩を竦めると、バクはひらりと飛んで近くにあった『扉』の上に腰かけて足を組んだ。
妙な表現だけど、ここには無数の『扉』が浮いている。
壁などはなく扉だけがただ浮かんでいて、時折バクはそれを椅子代わりにしていたりする。
しかし今はまだ『昼』らしく、浮かぶ扉は少なかった。
「あーあ。なんでこんなのと二人っきりなんだろう。どうせだったらもっと素敵な人がよかったのに」
「そりゃこっちの台詞だよ。お見合いや婚約者よりタチが悪い」
吐き捨てるようにそう言ったバクは、さっきも言ったように外見だけ見ればあたしとはとても釣り合わないレベルの人だと思う。
だけど、こんな感じの中身だから、こっちから願い下げって感じだ。
だからたとえ男女で二人っきりだろうがそういう意識は全く起こらない。
それは向こうも同じだった。
「はぁ、来年から高校生、彼氏とか作って青春するぞーって矢先にコレなんだから、もぉ」
「ご愁傷様でした。……どうしても俺じゃ不満ってわけね?」
そう言ったバクはひらりと扉から降りてくると、あたしのすぐ目の前に立って見降ろしてくる。
薄く笑ったその表情に、まるで時が止まったかのような錯覚をおぼえた。
射抜くような、金色の瞳。
これに真っ直ぐ見つめられるのが、実はちょっと苦手だったりする。
中身がこんなやつだって分かってても、そういう感情がお互いにないって分かっていても、やっぱりどうしてもどきりとしてしまうから。
「やっ……いや、あの、バクが本当は優しいの知ってるし、現にあたしがこうして貘って形ででも生きていられるのはバクのおかげだし、でも、えっと……」
思わず目を逸らしたあたしがそうやって慌てると、くすくすと声をあげて笑いだした。
バクの顔を再び見上げると、口元を抑えておかしそうに笑いを堪えている。
――ああもう。やっぱからかってたのか。
「っくく……何、そんな焦っちゃってんの?」
「んなっ……ちょ、ほんっと酷すぎんですけど! あーあーやっぱりバクみたいなのじゃダメ! もっと優しくて紳士的な人だったらよかったのに!」
憤慨したあたしを見て、バクは少し落ち着いた。
それから一見穏やかな笑みを浮かべたままで、こっちを真っ直ぐ見据えながらなんでもないことのようにこう言ってのける。
「そうだね。俺も亜紀みたいなのはゴメンかな」
バクが、あたしの名前を呼ぶことはめったにない。
大抵、『君』って呼ばれちゃう。
どうして今わざわざバクがあたしの名前を呼んだのかはわからないけど、それでふと思い出した。
「……っていうか、あたしバクのことなんっも知らないんだけど。結局名前なんていうの?」
「……名前なんか忘れたよ。どうせ俺達しかいないんだから、お互いが判別できる名前さえ付いてればどうだって」
尋ねると、バクの顔に浮かんでいた僅かな笑みはすうっと消えて、いつもの仏頂面に戻ってしまう。
――バクは、自分のことを語りたがらない。
さっきの血液型みたいに、尋ねればそれなりに教えてくれるときもある。
訳あって一留した高校3年生の19歳であること。
春生まれであること。
暑いところが苦手なこと。
教えるつもりがないだけかもしれないけど、趣味は特にないらしい。
それから、好きな食べ物は特になしで、蟹は嫌いなんだとか。
夢の核が蟹の形をしていたとき、嫌そうな顔をしてあたしに譲ってくれたことがある。
そういった大雑把なプロフィールだけは、ぽつぽつと語られる。
ただ、名前だけは何度尋ねても教えてくれなかった。
忘れたなんて、そんなことあるわけないのに。
「あたしは名前ちゃんと教えたのにぃ」
「あんまり呼ぶ事ないから、知る意味も薄かったけどね。知らないことを教えるっていうのは不可能だよ」
あくまで忘れたのだと言い張るつもりらしい。
ならばこうだ。
あたしは、ずっとあえて聞かないでいたことを尋ねてやろうと思って口を開いた。
「バク自身のことを殆ど教える気がないってことはわかったよ。ひとつ教えてほしいんだけど、バクっていつから『貘』なの……?」
バクの無表情が一瞬だけ揺らぐ。
ふいっと目を逸らして、なにか考え込んでいるようだった。
「それも分からないから教えようがないね。なにぶんここじゃ時間がわからない。たぶん2,3年ちょっとだと思うけど」
そうして返ってきたのは曖昧な返事。
だけど、これはバクとしては真面目に応じてくれたんだと思う。
さっきあたしが『昼』だと思ったのは、『扉』が少ないからだ。
これらの扉は夢の中に繋がっており、現実で誰かが眠りにつけば扉が現れ、夢を見始めれば鍵が開く。
だから、夜と昼では数が全然違う。
夢の狭間はただひたすらに黒くてぼやぼやしたものが辺りを満たしていて、淡く光る扉だけが浮かぶ、それ以外はなにもない空間だ。
扉の増減以外に、外ではいまどれくらいの時刻なのかを知る術がない。
「あたしが来たのは2010年だよ。バクが来た時の年が分かれば、具体的にわかるんじゃないかな」
「……ああ、じゃあ4年だ」
なんでもないことのように、バクは答えた。
つまり、2006年にバクは貘になったっていうことらしい。
「へえ、じゃあ本当は23歳?」
「関係ないよ。ここでは」
貘になると、時が止まる。
外である現実では確実に時が巡っていることは、扉の増減でわかる。
だけど、あたしたちは『止まって』いた。
それを思い知らされることが、バクは嫌いだ。
今も嫌そうな顔をしてあたしを見ている。
「……ね、あのさあ。こんなこと言って、嫌な気分になったらごめんねって感じなんだけど」
前々から、ちらついていた推測。
バクの性格からして、もしかしてこうなんじゃないかって思っていたこと。
「バクは、自分が『貘』から抜け出す事を諦めてるから、自分は『バク』だって『思おうとしてる』……の?」
「……どうして、そんなことを言うの? 『貘』の連鎖はもうやめようってことに決めたでしょ。俺たちは『貘』から戻れない。『戻らない』。そうなったっていうのに」
露骨に嫌悪感を露わにしたバクが答える。
『貘』は、人から人へと受け継がれてきた。
バクは、長身のお姉さんに騙されて。
あたしは、騙そうとして騙しきれなかったバクに『もう一つの可能性』を提示しようとして失敗して。
受け継がれる貘は原則として一人から一人へ、のはずだった。
だけど、あたしがあまりにもイレギュラーな方法を取ったから、今現在貘はあたしとバクの二人っていうことになっている。
あたし達二人が貘から抜け出したければ、もう2人新しい『貘』の『犠牲』を出さなくてはならない。
そのはずだった。
「もしかしたらなにか方法もあるかもしれないじゃない。現にあたしは、バクが人間に戻ってないのに貘になっちゃったんだよ? その逆もあるかもしれない」
「あるかどうかもわからない、根拠のない希望にしがみつくのはやめたほうがいい。大抵裏切られるよ」
バクの特徴、もうひとつ。
ものすごくマイナス思考。
あたしは色んな可能性を考えたかった。
諦めたくなかった。
だけどバクは、諦めている。
「……そうだねぇ、じゃあ一つこうしようか?」
どこかおどけたような口調で言いながら、バクはかつかつと歩き出した。
あたしはそれに慌ててついていく。
いつのまにか、周りの扉は増えていた。
どうやらもう『夜』みたいだ。
「なに?」
「俺の名前。どうしても知りたければ、『貘』であることを受け入れて」
「……え?」
こちらを振り向くこともなく、提案される。
どうしてそれとそれが結びつくのか、あたしには分からなかった。
あたしが結構しつこく名前を聞きたがっていたからかもしれない。
どうしよう、と戸惑うあたしに気付いてか否か、バクは振り返った。
「一つ答えようか。図星だよ。戻れない世界での名前なんて意味がないし、そもそも俺は自分の名前にあんまりいい思い出がない」
「そんなっ……!」
「……悪いね。俺にとって、『バク』も本当の名前も、どっちも死人としての名前なんだ」
そう言って笑ったバクの背中は、どこか寂しそうに見えた……気がする。
と、そのまま黙ってバクは夢の扉に入ってしまったので、あたしも慌てて後を追った。
悪夢である気配を感じ取ることは、あたしにはまだできない。
だからバクに頼ってついていくしかないのだった。
それに夢の中でも、実際動くのは殆どバクだけ。
今回もまた悪夢の核を見つけて捕まえると、彼はあたしに譲ってくれる。
今回はあたしの番、だったから。
あたしはまだ未熟だ。
バクみたいに本当に自由自在に、すぐになんでも出せるほど器用じゃない。
バクは空を飛んだり瞬間移動したり、ありえない動きをするけれど、あたしにはできない。
沢山並ぶ扉のどれが悪夢なのかも、ちっともわからない。
悪夢の中の『核』の気配も、バクと比べれば随分薄らとしか感じとれない。
それでもあたしを見捨てないで、あたしが消えてしまわないように、悪夢に入るたび交互に核を分配するようにしてくれている。
やっぱりバクは優しいんだと思う。
鬱陶しかったらあたしをどこかに置き去りにして、放っておいてもいいはずなのに。
そんなバクに対して無神経な発言を浴びせてしまったことがなんだか自分の中で許せなくて、悪夢から出た後あたしはバクの服の裾を掴んだ。
「……なに?」
「いや、あのさ。ごめん。バクが自分の名前に対して嫌な思いがあったとか知らないで、無神経なこと聞いて」
「そんなこと気にしてたの?」
そう言ってまたバクは笑った。
いつも弱ったあたしに追い討ちをかけるときと同じ笑顔。
だけど、そうじゃなかった。
「そんなの、エスパーか何かでもない限り分かるわけないよ。亜紀が気にすることじゃない」
「でも……あたし、この中でバクにいっぱいお世話になってるのに。知らなかったからって酷いこと言っていい理由にはならないと思うの。だから、ごめん」
バクは、自分の名前のことすら『死人の名前』って言ってた。
それは、バクが貘から抜け出すつもりがないから、現実の自分はもう死んだも同じだと思っているのか。
そして、こうして貘として生きていることは、死んでいるのと変わらないということだろうか。
バクが現実でどんな生活をしていたのか知らないから、分からない。
高校を一留したことも、サボったの? って尋ねたって『そんなとこかもね』だなんていう曖昧な答えしかくれなかった。
しかしバクはちょっとだけ、本当にちょっとだけ申し訳なさそうな顔をした……と思う。
ただでさえ表情の変化に乏しいから、僅かな僅かな変化だった。
「……いや、俺だって意地張ってたようなものかもしれないから。おあいこだと思う」
――珍しい。
バクがちょっと素直っていうか、しおらしい。
最初に会った時、あたしが貘になるより少し前くらいのとき以来だ。
ところがバクはみるみるうちに眉根を寄せた。
「……あのさぁ、なんでそんな思いっきり驚いた顔で絶句するわけ」
「いや、バクが素直で怖いから」
ありえないもんこんなの。
あたしが貘になって、たぶん半年は経ってるけど……。
その間のなかで、バクが普通に優しかったり、おとなしかったり、素直に謝ったりなんてしたためしはないと思う。
「っていうか意地張ってたって何?」
「……嫌だね。教えない」
「むー。教える気がないなら気になること口走らないでよ」
結局拗ねられてしまった。
バクは、もうこの世界にどうせ俺達しかいないんだから~みたいな言いまわしをしょっちゅうする割には、あたしのことを信じてくれていないように思う。
もっと色々お互いぶちまけたほうが、楽かもしれないのに。
だからあたしからも、そんなにバクには寄っかかれない。
寄っかかったところで、快く受け止めてくれるかわからないから。
だけどあたしとしては、もしバクが寄っかかってきたなら受け止めてあげたいと思っている。
なんだか、寂しい人だなって気がするから。
バクはちょっとだけ言葉を濁しながら、答える。
「……そうだね。それじゃそのうち……気が向いたら、俺が『生きてた頃』の話をしてもいいよ」
「ほんと!?」
「気が向いたらね。絶対とは言ってないよ?」
バクはくつくつと笑いながらいつもの調子を取り戻して――。
その時、あたしは目を疑った。
バクのすぐ後ろの扉が、ひとりでに開いたから。
「バクっ!」
あたしは反射的にバクを引っ張って引きよせた。
自分よりずっと体格のいい彼をどこまでやれるかなんて考えていなかったけれど、あたしの行動が予想外だったらしく、バクは案外あっさりと、あたしを押し倒すようにして倒れる。
「った……ちょ、いきなり何っ……」
わけがわからないといったような声を漏らすが、あたしにとってはそれどころじゃない。
予想以上に勢いよくバクと一緒に倒れてしまったため、完全に扉が見えなくなってしまったのだ。
「重っ! とりあえずのいて! ドアが勝手に開いたんだよ!」
背中をばしばしやると、バクは身を起してあたしの上からどいた。
そしてあたしの言葉を確かめるように扉を見て、そしてあたしも、バクが上からどいたことでその扉が見えるようになる。
そこには、扉から半分身を出すようにして、人がいた。