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一章 砂上の監獄 【第四節】

ひたひたと、薄暗い通路を足音がこだまする。


通路の一寸先には、ぽっかりと口を開けて獲物が入ってくるのを待ちわびるような、闇が広がっている。

唯一の明かりといえば、その人間の右手にある小さなランプの灯火。

それだけが狭い通路の中で前後に1mだけ、歩みを止めない人間を付けねらう、闇を押しのけていた。

天井から垂れ落ちる水滴が示すとおり、通路の湿度は尋常ではない。

生ぬるい空気と粘りつくような湿気に、その人間――男は思わず手首で額を拭った。


男は、ここに来るのは二度目だった。


前回来たときも同様で、入り口に立ったときは内部から突き出てくるホコリ臭さと気温にたじたじとしていた。

よくもまぁ、こんな通路を日常茶飯事で使用する人間がいるものだ。

清潔さぐらい維持してやらなければなるまい、換気も悪い。

と、男は脳裏のやるべき業務のチェックリストに一筆を書き添えた。

この男のやるべき業務のチェックリストは、現状ではち切れそうなほどに情報が満杯だった。


戦争の前線での部下の采配。


教会各地から次々と上がってくる報告内容の把握。


街の内外での各組織力の均衡、その維持。


そして、己の力量の向上。


考えれば考えるほどに頭が痛くなる内容ではある。

どれを優先しようにも、課題は山積みであった。

それでも、この通路の清潔さを――部下の些細な不憫を汲み取れる分にはまだ余裕があるのか、と男は一人で苦笑した。


「こんな余裕を見せては、まだ働けるといわれるだろう?」


それとなく、小さな独白を湿った壁に問いかける。

もともと、男は事務向きな性格ではない。

どちらかといえば、自分の率先した行動で下の者をぐいぐいと引っ張るタイプの人間だからだ。

その功績ゆえに、この場にいる。


そして課せられた庶務さえ、ぐいぐいと引っ張り、事実、なんとかなっている。

これでは矛盾だろうか、と男は口をへの字にして考察する。


――暫くすると、男の思考を遮るかのように、暗闇の遥か先から四角形の蒼い光が顔を覗かせた。

表情が自然と引き締まるのを感じる。

出口に近づくにつれ、出口の明かりは真四角ではなくなっていった。

というのも、出口のすぐ手前に人影が一つ、佇んでいるからだ。

男はその人影に横目で合図を送ると、黒い影の頭が頷く。


「その後の動きはどうだ? ロイシュ」


もはや明かりはいらないと察した男は、ランプの火を吹き消しながら影に尋ねる。


「至って動きが無いです。もっとも、連中にとってみればファースト・アタックをとどめに持って来るつもりでしょうけ、どっ」


ロイシュと呼ばれた人影は語尾を跳ね上げ、その勢いでもたれかかっていた壁から跳ね退く。

明るみになった顔の左目には、片眼鏡(モノクル)が光っていた。

外見は黒髪黒目の青年で、爽やかな印象を感じさせる一方で、左目がモノクルの逆光で窺えない。

対する右目は細く、にこやかな目付きだ。

髪は短く、そして無造作に切られていて、さほど格好には気を使わない様を醸し出している。

体はなんとなく色が霞んだような、粗雑な赤いロングマントを羽織っていて、上から下までが真っ赤だった。

そして言葉を向けられた男は、自嘲気味に鼻をならした。


「フン、確かにそうだ。それで、新たに捕らえた4人というのは?」


「はぁ……それがですねぇ」


ロイシュはバツが悪い苦笑を浮かべつつ、申し訳なさそうに頭を掻いた。

部下の見慣れたクセのある仕草から、男は現状を察した。

男の目が、軽い当惑に細まる。


「やられた……のか?」


ロイシュは苦笑をしまいこんで、深刻な顔つきで頷いた。


「えぇ。レディテノアの04地区、ルートDで護送中に何者かの襲撃を受けて死んでいました。その際、護送に同行した兵士が『5人』殉職、とのことです」


「――なるほど。内通者が一人、か」


男が護送に手配した兵士は6人だった。

そして、殉職者の数が足りずに報告がないということは、敵の内通者だったということだ。


「ちょっと、大変ですね」


ロイシュはさも大事ではなさそうに、大変だと言う。

彼もその渦中であるにも関わらず、他人事のような態度をとった。

上司である男が部下である彼に、その間の抜けた態度について言及しないのは相応の理由があるのだ。

ロイシュが続ける。


「混乱が続くエレシア戦線、旧クロノス一派のテロ予告。悪化する国内の組織関係。そしてダメ押しといわんばかりの――」


「皆まで言わないでくれ。また飲まなきゃならん薬が増える」


「……今、クロノスはこの上なく危ういバランスですね。まさに、この08地区みたいに」

言うと、ロイシュは眼下を一望した。

二人のすぐ足元から遥か下には、壮大な風景が広がっていた。

いうなれば天井付きの夜景だ。

陽の光などひとかけらも存在しないアンダーグラウンド。

ひしめき合うように佇む幾百もの建物は、まるで墓地から聳える墓標のような陰鬱さを纏っている。

点々と灯る街灯と家の明りが、かろうじて人間の生活をつなぎとめている。

見れば見るほどに、虫の息のような世界だ。

とてもではないが人がすんでいるとは考えがたい光景。


――もともとレディテノアという街は、その面積の膨大さゆえに7つの地区に区分けが成されている。

そしてそれは『表上の話』である。

歴史の闇に葬られた地区。

それが街の地下に在る、独自のコミュニティ――この08地区であった。


「とてもじゃないですが今彼らが動き出したのだとしたら、我々に止める術はありませんね」


「……頼みの綱だった捕虜を口封じのために殺す。なりふり構わないとは、まさにこのことか」


「なりふり構ってられないのは貴方とて同じことでしょう? だからこそ、僕はここにいます」


悠然と不安を払いのけるように、ロイシュは男に言った。

片眼鏡の奥で何かが蠢く。

それを聞くと、苦渋を帯びていた男の顔に一片の希望が灯った。


「それは頼もしい限りだ。――しかし、もう一つ大きな不安要素がある」


「……ダメ押しの『剣士狩り』の出現ですね」


「そう、我々で言うところの『異端者(アウトサイダー)』だ」


男は肯定の深い溜め息をついた。

剣士狩り――それは今、俗世間を騒がしている重犯罪者の名称だ。

現在続いている戦争『エレシア戦線』の最中に出現した人物であり、名前、年齢、性別、国籍から全てが不詳の人殺しである。

あまりに謎に包まれたシルエットと、異端な二つ名のために、噂が一人歩きした都市伝説ではないかと、にわかに囁かれるほどである。

通り名の響きどおり、殺す相手は無差別ではない。

殺された人間に共通する点、それは皆、『強い者』であるということだ。


社会的に強い者という意味ではなく、武術に殉ずる猛者である。

剣士狩りと銘打たれる理由は、単純に『猛者』と呼ばれる人々は剣士の割合が高いためだ。

実際の犠牲者の中には剣士だけではなく、槍使いや斧使い、果てはガンナーまでに至った。

ただ、常軌を逸して強いこと。

そのたった一つの共通点さえ除けば、あとは老若男女を厭わない。

それどころか貴族や軍人の社会地位もさることながら、『国』をも無視して死者は広がっている。


そんな異常者というのだから、当人も相当の使い手なのだろう、というのが世間一般の見解だ。

そしてその不気味極まる人物が、今現在この街――レディテノアに潜伏しているかもしれない。

この鬱陶しい一説は、男の偏頭痛の深刻化に一役買うものになっていた。


「我がクロノスも含めて、各国ともども血眼になってヤツを探している。……にも関わらず足が付かないということは、ただ逃げ足が速いだけではない」


「おっしゃるとおり。『私達の組織』もとある理由で彼を探しているのですが、捕まりません」


それを聞き、ぴくりと男の眉が反応した。

すかさずその疑問を持ち前の低い、威圧の聞いた声で問う。


「彼? 彼ということは、多少の情報をつかんでいるのかね、君達の組織とやらは」


「……おっと、これは失言でしたね」


ロイシュはあごに指を添えて、自分の失態を自虐した。

漏洩(ろうえい)したくなかった情報だったらしい。

もっとも、表情は相変わらずにこやかで自責の念などこれっぽっちも見当たらない。

対して、男はひょうきんなロイシュに悪態をついた。


「ふん、白々しい」


「ははっ、よく言われます」


そう言い置くと、爽やかな青年は悪びれた様子も無く苦笑した。

男は内心、目の前の青年が苦手であった。

常に笑顔という仮面を被っているし、自分に対する言動も間違いなく歯に衣を着せている。

要するに、こんなにも穏やかな人柄は表層だけなのだろうと、確信をしていた。

胸中ではどんな企みを練っているか知れない人間を手元に置くのは、不安で歯痒い。


「さて」


一拍を置いて口を開くと、ロイシュは出口から向かって左手にあった下り階段に歩き出した。

階段には闇の中に点々と灯る蝋燭台が設置されていて、歩む先を示している。

通路と違って灯りがあるのは、足元への配慮だろうか。


「僕は事が起こる前に、もう一度下調べしておきますね。このままだと戦争でも起きそうな勢いだ」


「……戦争なら、もう地上(うえ)でやってるさ」


憔悴した声で男は赤い背中に投げかける。

するとロイシュは足を止めてマントを翻し、可笑しそうに肩を竦めて見せた。

――底の見えない奴だ。

剣士狩りの情報を聞き出そうと思っても、間髪入れず煙に巻かれたことをここで気付いた。

そう考えると、あのお人よしそうな青年は優秀な策謀家だ。

そんな人材を当たり前のように擁する、ロイシュの親の『組織』。

深い関わりを持っては危険だ、と男の本能が警鐘を鳴らした。

と、突然背後に気配が膨らんだ。


「――団長殿」


短い黒髪の頭が見えなくなるのとほぼ同時に、通路の後ろから別の男の声が響いた。

聞き覚えのある声だ。

そう、確か――ここの通路を守らせていた兵士の声のはず。

振り返って目を凝らすと、今来た通路の先に小さな明りが揺らいでいるのが見えた。


「どうした?」


「はい。先ほど知らせが入りまして、神殿騎士・クライド=マーキスがラウディマル教会に到着したそうです。ついては騎士長殿と面会を望んでいるとのこと」


「南の剣聖が?」


「はっ、可能であればで結構、との言い伝えですが」


「……ならばお言葉に甘んじて、後回しにしてもらおう。今は何より事が切迫しすぎている。それに、近々着団式でも顔を合わすだろうしな」


「了解しました」


通路に軽金属の擦れ合う独特の音が響く。

兵士が敬礼した音だろう。

しばらく男は俯いて何かを考えた後、その場に座り込んで懐から小さな箱を取り出した。

箱からマッチを取り出して、すぐ後ろの繊維の荒い壁に擦らせて発火させる。

ゆらゆらと無邪気に揺れる小さな炎を見つめて、これからの動向の予定を脳内で整理した。

旧クロノス派が取るであろう行動内容は、あらかたの把握ができている。

しかし、今居る聖騎士団の人数では、取るべきアクションに役者不足かもしれない。

そんな難航した『渡り』に『船』となるだろうか。


――南の剣聖、クライド=マーキス、この即戦力をどう使う?

暫く棒先の火種に見入った後、ランプに着火させて気だるそうに立ち上がった。

今来た通路に向かう。

また、しばらくは湿気とのにらめっこだ。


そうして男――聖騎士団団長、リベルタス=ユンカードは、陽の光を求めて歩き出した。


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