一章 砂上の監獄 【第三節】
降りた場所は四方が民家に囲まれた広場だった。
中心の噴水は斜陽に染められ、透き通ったオレンジ色の水をこんこんと沸かせている。
一面に敷かれたレンガの石畳には様々な彩色が一つ一つに付いており、それらは総じて一つの大きな紋章を広場一帯に描いていた。
噴水を中心にした大きな十字架。
その頭の方向の長い階段を経て超然と佇む、巨大な聖堂。
フォグナ教の頂点、ラウディマル教会。
見るものを圧倒するような迫力で聳える巨大な建築物である。
数々の装飾を施された教会は、健在する美術の粋を尽くしたものだ。
長い階段の下に居ても、良い意味での異様さが肌を痺れさせる。
薄暗くなり始めた中でも、凛とした存在感を放っていた。
「……なるほど。噂に違わぬ訳だ」
クライドは帽子を手に取り、眩しそうに目を細めて見据えた。
イレーヌは不思議に思い、後ろから声をかける。
「初めてなんですか? ここに来るのは」
「あぁ。レディテノアには何度か来たが、ラウディマルには来たことが無い」
「そうなんですか!? 私、てっきり何度も出入りしていらっしゃるのかと……」
「ここに居るのは、主に『聖騎士団』の連中と地元の修道士達だけだからな。俺とは無縁だった」
「無縁……『だった』? ということは、まさかあなた!?」
「……何を興奮している。ただの昇進だ」
うっとおしそうにため息を付くと、クライドは懐から一つの書状を取り出した。
無造作に金箔がふられていて、真ん中の上のところには紅いルビーが埋め込まれた、なんとも贅沢な作りの書状だ。
それをイレーヌは受け取り、中に書かれたレガティア語に目を走らせる。
レガティア語は、エレシア大陸共通の言語である。
「『神殿騎士クラス:ロード、クライド=マーキス。貴殿をルクセント=O=アウグスの名の下、フォグナ教聖騎士団への編入を命ずる。これに当たり、火竜の月20日までの聖都レディテノア、及びラウディマル教会までの出頭を命ずる』……ってこれ、教皇様からの勅令状じゃないっ!」
イレーヌは目を丸くして、愕然となった。
勅令状を見たこと自体が初めてであるのに、その命令は目の前の皮肉男が、最高職へ配属されることを示す内容だったからだ。
――『聖騎士団』とは、フォグナ教が組織する精鋭部隊の名称である。
各地の優秀な神殿騎士を選別し、戦闘に特化した部隊。
ひとつの教会をまもる神殿騎士とは違い、その役目のほとんどが前線における指揮を担当する。
ゆえに神殿騎士よりもキレた頭脳と、実戦を生き抜く実力が必然的に要求される。
選抜されるのには要求されるそれら以外に、確固たる実績が必要だ。
この男は一体、何をやらかしたのだろう。
気になるところだが、彼が居たリュクゥルの立地も考慮すれば、おのずと活躍の場も広がるだろう。
リュクゥルが拠点となった大国『トピア』との南部戦線は、今、最も苛烈な状態にある。
日夜続く戦での戦死者の数は、日ごとに増えている。
そんな場所の神騎士長ともなれば、勝手に名声が一人歩きすることだってあろう。
しかし相応の実力も伴わなければ、結局は名を上げられずに犬死。
彼は今、ここには居ないだろう。
つまり、今ここに彼が存在すること自体が、彼の実力を顕著なほどに示唆しているのだ。
そう考えると、イレーヌは納得がいった。
つい一時間ほど前にクライドが見せた、あの強さ。
大の男を一瞥で恐怖させ、たった二振りの下に勝敗を決した。
尋常ではない身のこなし。
経験した激戦を匂わせる、雰囲気。
見たところすべてにおいて、条件をクリアしている。
――あれ? でも。
「クライドさんは貴族の方ですか?」
「いいや」
「えっ……でも、聖騎士団って貴族の人しかなれないんじゃあ……?」
長い階段を一歩一歩踏みしめながら、思いついたようにイレーヌが尋ねる。
クライドはそれを受けて横に並ぶイレーヌを見返した。
「それは既成のイメージだ。確かに貴族出身者が多いが、全員がそうじゃない。俺も含めてな」
「そうなんですか――それってやっぱり、貴族の人って優秀な人が多いからなんですかね……」
なぜかしょんぼりとうなだれて、イレーヌは浅はかな予想を口にした。
「レディテノアって、ほぼ半数の人が貴族なんですよ。私といえば――ただの一般人です。小さいころから友達の貴族の子とかと比べると、勉強ができなかったり、ドジだったりするんです……私」
「……それは『お前自身』が呆けているからだ」
「――えぇっ!?」
軽く消沈していたイレーヌの顔に、一気に炎のような赤みが灯った。
「だ、だからっ! それも含めて貴族の人と差があるのかなって思っただけじゃいですかっ! 優秀な血筋とかって、よく言われるでしょう!?」
「ガキくさい話だ。関係ある訳ないだろう」
イレーヌの生来の悩みをクライドはさらりと一蹴した。
その間にも彼の歩調は少しも変わらない。
「……それと、今の聖騎士団に貴族の人間が多いのにはれっきとした別の理由がある」
「理由……ですか?」
「あぁ。この上なく下らん理由だ」
ため息混じりな口ぶりからして、クライドからしたら本当に下らない理由らしい。
内容が気になったが、ちょうどそこで階段が途切れてしまった。
もっとも言い放った後、また帽子が低くなっていたので、それ以上話さないつもりだったのかもしれないが。
同時に目の前に、不遜なほどに堂々とした聖所が姿を現した。
艶やかに彩られた教会は、何度見ても、そのたびに魅入られてしまう。
自分は毎日のように来ているから別にしても、クライドは今日が始めてらしい。
しかし、クライドの驚いた顔に期待はしなかった。
――ほら、やっぱりね。
ふっと流した視線の先に、まるで血なんて通ってないかのような無表情が教会を見上げていた。
心の中ではどうなんだろう、と思うも、結局は心中を知る術なんてないのだから杞憂だ。
そんな些細なことをいつまでも気に病んでいては、また子供扱いを受けてしまいそうだ。
「それじゃあ、ちょっとここで待っててくださいね。すぐに迎えの人を呼んできます」
「……じゃああれは迎えの者じゃないんだな」
「え?」
クライドが軽く目招きする。
その方向――教会の門の中から歩いてくる人影が一つ。
遠目では分からなかったが、服装を見る限りシスターのようだ。
白と黒が丁寧に区分されたフード服を装い、緑色の髪を腰まで伸ばした女性。
こちらに近づいてきたところで立ち止まる。
そして目を瞑り、体の前で十字をきると、今度はその手を胸に添え、大仰に一礼をしてみせた。
折れた腰が直ったときに見せた笑顔は――まさに『聖女』、その響きにそぐわないほどに美麗な女性だった。
見るものを優しく抱擁するような、少し垂れた金色の双眸がこちらを見ている。
一陣ほど風が遊べば、それにつられるかのように彼女の緑髪も空を泳いだ。
耳には小さな、白い十字架のイヤリングが垂れ下がっていて、さながら神から地上に命を受けて下ってきた天使のような柔らかな相貌だった。
輪郭のつくりと、落ち着きのある風貌は、もはや絶世という言葉にほど近い。
薄い唇の唇には、特徴的なオレンジ色のルージュが塗られている。
色白で透き通るほどの肌から察するに、クロノスの人間でないのは明らかである。
華やかな第一印象は、イレーヌのそれとは真逆だった。
かたや美女、かたや化粧もしていない子供。
相対して母と子のような扱いを受けても、なんら不思議ではない二人。
――不意に、澄色の唇が動き、さながらか細い弦が擦れるような、魅力的な声色が言葉を紡んだ。
「お待ちしておりました、ロード・クライド。『南の剣聖』様。そして我々、修道士の偉大なる守護者様。ラウディマルのシスター一同を代表しまして、わたくしが挨拶をいたします。どうか貴方様に、我らが主、フォグナ様の御慈悲があらんことを――」
「あぁ……」
クライドはなぜか目を伏せて、歯切れの悪い返答をした。
同時に目の前のシスターと距離をとりたいかのように、わざとらしく腕を組んでみせる。
体も正面ではなく、心なしかシスターと斜めの方向を向いていた。
――あれ?
明らかにクライド様子が変である。
落ち着きが無いというか、うろたえているというか。
その姿を見て、イレーヌはふと浮かんだ一つの予想に心を躍らせた。
――あれあれあれあれぇ?
まさか、緊張してる?
あれだけ無表情だったクライドが、ラウディマルきっての美人シスターを前にしただけで、そわそわするとは思いがたい。
だけど、今まさにその事態が目の前で起きているかもしれない。
一言あいさつをくれただけで、目を逸らすほどシャイな人間ではないはずだ。
少なくとも『私の前』ではそうだったのだから。
盗賊4人に囲まれても不遜な目付きを叩きつけていた人が、あれだけ人間に対して哲学的に毒付いたりしていた人が、実はむっつりでした?
だとしたら面白すぎる。
「なんだ? ニヤニヤと気色悪い」
腕を組んだ肩をまたいで、帽子の隙間から右目がこちらをねめつける。
しかし、先刻ほどの覇気は感じられなかった。
正確にはクライド自身の眼圧が落ちたのでは無く、イレーヌのフィーリングで、ではあったのだが。
「別に、何も?」
知らない間にいやらしい笑みを浮かべていたイレーヌは、いつぞやのクライドの口調を真似して言った。
ゆっくりと、強調するようにゆっくりとした口調で。
なんとも言えない、ものすごい優越感がイレーヌの体を包み込んでいた。
無表情で皮肉家な変人の弱みを、がっちりとつかんだように思えたからだ。
でも、今はまだその時ではない。
次の言い合いに発展するときまで温存しておこう。
暖めておいて、後で大やけどさせちゃお。
その結論に達したイレーヌは湧き上がる愉快さを深呼吸と一緒に、胸の中にしまいこんだ。
そして表情を整えて、そのシスターの横へと並ぶ。
並列するとより一層、二人の女性としての『格』が歴然となる。
何も容姿だけが女性のよいところということではない。
その身に纏うオーラというか、雰囲気がまるで異質だ。
例えるなら、一方は全ての罪を許す優しさを空気にばら撒く女性。
かたや、まるでやぼったい村娘だ。
どう見ても、肩を並べるのが不思議である。
「紹介します。彼女は先日ヘイムの教会からラウディマルに越してきた、教会きっての美人シスターで、私と同僚の――」
「ノエル=シャトーと申します。この度は、リュクウル地方一の剣士との誉れ高い神殿騎士様にお目にかかれて、光栄です」
「……へらずな口を……」
クライドは腕を組んだまま、あからさまに嫌そうな顔で誰も居ない方向に呟いた。
目元がひくひくと痙攣していたのは、誰にも悟られなかった。
ノエルは不自然な様子に少しの怪訝さも表さず、笑顔のまま顔を僅かに傾けた。
「どうなさいましたか?」
「いいや、何でもない」
「そうですか。不都合が無いようでしたら、わたくしがこれから教会内をご案内致しましょうか? どうもお目見えする限りでは、まだレディテの雰囲気に慣れていらっしゃらないご様子ですので」
「図々しいようだが、結構だ。それより先に、聖騎士団の長……リベルタス殿に会いたい。どこに行けば会える?」
「リベルタス様でしたら、つい先ほど街の方に向かわれましたよ。なんでも、近頃レディテを徘徊していた旧クロノスの残党の方々を、砂漠で捕らえたそうです。恐らく、その様子を見にいっておられると思います」
「えっ? まさか、それって……」
心当たりのあったイレーヌは、驚いてクライドの方を見た。
「あぁ、あの衛兵に手配させたからな」
クライドは軽く頷いて、イレーヌの予想を首肯した。
間違いなく、一時間ほど前にイレーヌに襲い掛かってきた盗賊たちだ。
あの時はあまりの唐突さにびっくりして、腰を抜かして座り込んでいたところだった。
――そこに丁度のタイミングで、クライドが痛烈な助太刀をかました。
まさにつけ狙っていたかのように鮮やかな手際で、連中を一蹴してみせたのだ。
「何か知っていらっしゃるのですか?」
ノエルが訊く。
返答は、傍らのイレーヌがしゃべり出した。
イレーヌの瞳は、燦然とした輝きをノエルに放っていた。
まるで子供のようにはしゃぐ、それのように。
「あのねノエル、その人たちに襲われたのって、実は私なの! それでその時にこの変た……じゃなくて、神殿騎士様に助けてもらったんだぁ! 危なかったよぅ」
イレーヌはそれまでになかったようなひょうひょうとした口ぶりで、ノエルに言った。
どうやら、こちらの方が彼女の『地』らしい。
ますますノエルとは違う性格の一端を見せるが、これはこれで愛嬌がある女性だ。
「まぁ、そうなんですか? 危ないところでしたね。イレーヌ、あなたはいささか無用心なところがありますからね。わたくし達、ラウディマルのシスターを狙う人たちも居るのですから、ガードをつけるようにといわれていたでしょう?」
「うーん、確かにそうなんだけどね……」
「何かあってからでは遅いのですよ。もう少し自覚なさい」
「はい……。もう、ノエルってばお固いんだから」
本日2度目の指摘がさすがに堪えたのか、イレーヌは憔悴した様子で肩を落とした。
その光景といわんや、まさに母に諭されてうなだれる子供のようだった。
つくづく肩を並べる同志、ましてや歳の近い二人には見えない。
この場合イレーヌの幼稚さよりも、ノエルの優雅さのほうが少々際立って見える。
「いつ、ご帰還になられるか?」
そのやりとりにはなんの感慨も介さず、クライドは憮然とノエルに訊いた。
正確には二人の方向に言い放ったのだが、イレーヌに訊くだけ無駄骨なので、必然的にそう見える。
「さぁ……夜までには帰って来られるとは思いますが、いささか出向かれた場所が場所ですからね……」
「正確には、どこに?」
「エリアコード・08地区です」
「っ!」
クライドは殺気を漲せた瞳を細め、怪訝さをあらわにした。
「……監獄に、か?」
「監獄?」
意味を理解できないかのように、ノエルはぽつりと復唱をこぼした。
するとクライドの問いに少し遅れて反応し、不愉快そうに眉をひそめる。
先ほどまでの天使のような笑顔が、一転して風化する。
線の細い、いかにもか弱そうな美形気質の顔ではあるが、軽い怒気を含んだ表情には迫力があった。
言うなれば、勇猛さと可憐さを併せ持った兎のようだった。
「……その呼び名には感心致しかねますね。わたくし達教団は、彼らの『更生』を心から望んでいます。来るべき時が来た日には、わたくしたちは彼らを同志として迎えていますよ」
「更生? 洗脳の間違いでは?」
嘲笑うかのような口調で、クライドは言い放った。
それを聞き、激昂を瞳の奥に据え置くノエル。
小気味よさそうな余韻が、クライドの口元で歪んだ。
「あなたは……本当に神殿騎士なんですか?」
「ご察しの通り」
クライドは呆れたように肩を竦めて、悠々とした顔つきで目の前の美貌を見据えた。
明らかに垣間見えるのは悪意。
不思議な精彩をするどい眼光に乗せてノエルにぶつける。
対するノエルも、持てる力の全てで見返していた。
――しばらく睨み合った後、ノエルは目を瞑ってキッと口をつぐむと、重苦しい何かを飲み込んだかのような苦い形相で瞳を開いた。
純金のような艶の眼は仕方なし、という諦めの色を表じていた。
その様子は、イレーヌにとって鼻持ちならない光景だった。
目の前で二人の人間が――しかも自分よりいろんな意味で幾分上の二人が――殺伐とした対峙を決め込んでいる。
鉛のような冷たい空気が、肺を満たす。
正直、さっさとこの場から離れたいところではあったが、心中はあたふたしながらも、二人のやりとに見入っていた。
この二人には方向性こそ違うものの、総じて人をひきつける同様の魅力がある。
それを感じていなければ、とてもではないが呼吸などする余裕はなかったかもしれない。
「……あなたの物言いは世論として受け止めましょう。それでも、口を慎む事を覚えてください。神殿騎士――ましてや選ばれし聖騎士団に加わるお方がそのようでは、主が悲しみます」
「だとしたら、果てしなく器の小さい主だことで」
「――何のためにここにいるんですか、あなたは」
「……ご察しの通り、だ」
なにかしらの意味が込められたかのような返答を、クライドはノエルに再投する。
その言葉の裏側にある意味を、このときのイレーヌは解する術を知らなかった。




