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05

◆◇◆◇

 その日一番にかかってきた電話に俺はてっきり、あいつの気が変わったのかと思った。

「よう、イリヤ。融資する気になったのか?」

――そんなのどうだっていいんですよ。あなたくらいしか相談できそうな知り合いがいなかったからあなたに電話をかけたんです。

 イリヤから相談されることなんて滅多にない。なんせあいつは俺よりも十一も年上だからな。

「何だよ、改まって」

 と俺も少し改まって真面目に聞こうとした。

――あなた、人に好意を向けられたときにどうしますか?

 イリヤのよく分からない問いかけに、俺は「なんつった?」と聞き返した。

――人に「好き」って言われたらどうすればいいのでしょうと聞いたんです。

「ありがとうって言っとけよ。それとも恋愛感情ありの『好き』なわけ? どう言われたわけよ」

――「俺はけっこうあんたのこと好きだけど?」って言われました。

「俺ってことは男じゃねえか。よかったな、普段お前のこと敬わない奴ら多いだろ? そういう部下は大切にしろよ」

――何勘違いしているんですか。ジミーですよ、特別捜査官のジミー=ビアズリー。彼女とうっかりベッドインしちゃったんですよ。

 俺は飲みかけていた紅茶を「ぶっ」と噴出した。

「ジミーって女だったわけ!? そっちのほうが驚きだよ」

――ともかく、昨日食事に誘って、酔っ払ってふたりとも出来上がっていたらしく、気づいたらそういう関係になっていたんですよ。てっきりすごく嫌がられるかと思いきや、まんざらでもないみたいな言葉が返ってきて動揺しているんです。どうするべきですか?

「ジミーと結婚すれば? いいじゃないの、正統派ヒーローなジミーと、正統派ヒールなお宅が結婚。きっと新聞のB級記事くらいには載るよ」

――あなた、真面目に取り合っていないでしょう。

 何を仰る。俺は至極真面目だ。

 ジミーとイリヤが結婚すればこいつの印象も少し人によく映りそうなものじゃあないか。

 それにジミーだってイリヤとの関係をやぶさかでなく思っているのならば、三十六歳まで素人童貞っぽいこの男にとっちゃ快挙じゃあないか? と俺は思うわけだけれども。

――僕は、人に好意を向けられることそのものが初めてなんですよ。

 イリヤは困ったようにそう呟いた。そういえばイリヤの両親って早くに亡くなったんだよな。なんだかこいつが可哀想になってきた。

――どうすればいいのかわかんないんです。人にやさしくされたとき、どう反応すればいいのか、頭でわかっていても動揺してすぐに反応できない。そんな不自然な反応じゃあ彼女だって嫌なんじゃあないかって思うのに、うまく反応できないんです。

 純情すぎる死の商人の言葉を俺は黙って聞いた。こいつのピッチピチの純情さを見せつければ可愛い男だと思う女も少なくないと思うんだけどなあ。

「よし、わかった。じゃあ最初はジミーとの距離を縮める作戦でいこうぜ。あいつの休日を見計らって、デートに誘うんだ」

――デ、デートに誘うってことは二人きりでお話するってことですよね? 何をお話すればいいのでしょう?

「ったりめえだろ。会話の内容くらい自分で考えやがれ。ともかくジミーと何度かデートしてみて、相手がどういう人柄なのかわかってきたら、結婚を前提にお付き合いしてもらえないか聞いてみる。OKが貰えたらそっからは婚約者としてお付き合いすればいいだろ? 大丈夫、お前は金持ちな上に健康で美形だ。勝算はあるさ」

――それ以前に国一番の嫌われ者なんですけど!

 余程動揺しているのか、イリヤの声は裏返っていた。

「まあ頑張れよ。あ、式には俺も呼んでくれよな。美味い飯いっぱい食わせてくれ」

――あ、ちょ……

 何か喋ろうとしていたあいつを遮るように俺は電話を切った。切ったあとにどさくさに紛れて融資の約束を取り付けるべきだったと後悔したが、まあそこらへんはイリヤもちゃっかりしているから素直に了承してくれることもないだろう。

「次の報告書をこっちへ」

 俺は部下にそう言って報告書の束に目を通す。


 午後になった頃、その日の執務は終わった。

 俺は自室にあるフェンシングの剣を手に取ると、それを持ったままヴィリーの部屋を訪ねた。

「ヴィリー、剣の稽古してやるよ。付き合え」

 自室で本を読んでいたヴィリーは、俺の言葉に自分の剣を手に取る。

 窓がたくさんある、比較的明るい廊下で俺たちは剣を構えた。間合いを取る俺と距離を詰めるヴィリー。あいつが突きをやってくるタイミングはここ最近変わってきている。注意しながらそれをさばき、俺のほうからも攻撃に移る。

 ヴィリーは攻撃よりも防御のほうが得意だ。俺が攻撃したものすべてを手に取ったように避けていく。だけど攻撃に移るタイミングが遅いため、結局はずっと防御に回ってしまうのが欠点だ。

「ヴィリー、攻撃しないと勝てないんだぜ?」

 容赦なく攻めながら俺はそう言った。

 ヴィリーは俺の剣さばきを避けながら必死に攻撃に移れるタイミングを探している。まあ俺も、容易にそんなタイミングを作ってやるわけじゃあないんだけどな。

「あ、シャルロッテ」

 俺がそう呟く。ヴィリーの視線が背後に一瞬ずれた瞬間、俺の剣先がヴィリーの胸を捉えた。

「ずるいぞ! 兄さん」

「ばーか、勝負中に余所見する奴がいけないんだよ。シャルロッテちゃんが見ているなら余計気合抜くなよ」

 俺はけらけら笑いながらそう言った。近くにあったコップに水を注いで、ヴィリーとふたりで飲んだ。

「仕官学校での成績はどうなんだ?」

「三位だよ」

「少し順位落ちたな。前まで二位だったのに」

 ヴィリーは浮かない顔をしている。気にしていたのかもしれない。

「ま、三位だろうと、俺よりかは順位上なんだし、いいんじゃないの?」

「兄さんはただ真面目にテストを受けなかっただけで、実は優秀だってみんなが認めていたじゃあないか」

「優秀だけど不真面目であるって書かれるんもどうかと思うぜ? 軍人としては」

 俺は水で唇を濡らしながらそう呟く。ヴィリーはきっとこのままエリート仕官コースを順調に上り詰めていくのだろう。こいつは頭もいいし、真面目で部下を大切にする奴だからきっといい上官になる。

「この前、シャルロッテちゃんが休暇中に南の実家に遊びに来ないかって誘ってくれたんだ」

 俺は思い出したように言った。

「ヴィリーも行くだろ? この時期雪が降っていないのは南だけだし。あっちはヴルスト以外にも色々採れるらしいし」

「大勢で行ったら迷惑ではないか?」

「シャルロッテちゃんが平気って言ったんだ。大丈夫だろ?」

「だけど、兄さんは仮にも伯爵なんだぞ? 貴族が百姓の家に泊まりにくるとなると、あちらの家族も無理をするかもしれない」

 俺はヴルストが出ればとりあえず食事も寝るところもどうだっていいのに、そうはいかないのが困ったところだ。

「お気遣いなく、じゃ駄目かな?」

「お気遣いするよ。絶対」

 ヴィリーが困ったように言った。

「シャルロッテには兄がいるんだが、そいつが俺のことを嫌いみたいなんだ」

 ヴィリーがそう呟く。シャルロッテの家族のことを聞くのは初めてだった。

「なんでヴィリーのこと嫌いなんだ?」

「俺とシャルロッテの仲がいいからだろう。話を聞く限りじゃあ、奉公に出る寸前までいっしょのベッドで寝ているくらい仲のいい兄妹だったらしいからな。そりゃあ知らない男といっしょに奉公先から帰ってきたんだ、面白くなかったに違いない」

 俺はふうん、と呟いた。俺もヴィリーとは仲がいいが、当然同じベッドで寝ていたことはない。あいつも自分もちゃんと部屋もベッドも一流のものがある環境で育ったしな。

「休暇中、あっちで生活するならば、ディートハルトとぶつかるのは避けられないぞ」

 その兄の名前はディートハルトと言うらしい。俺はその名前から、やたら厳つい兄貴を想像した。きっとシャルロッテの可愛い顔と比べたら、美女と野獣の野獣側に違いないと思うような兄だろう。

「お前、シャルロッテのこと、好きなわけ?」

 俺は今まで聞こうと思っていたことをヴィリーに聞いた。あいつは動揺したような顔をして、首をぶんぶんと振る。

「いや、ただ俺は……あいつのことを」

「守りたい?」

 俺の言葉にヴィリーはこくりと頷く。もう中世時代も終わりを告げようとしているというのに、お前の騎士道精神は素晴らしいよ。

「俺もシャルロッテちゃんのことを守りたい」

 俺の言葉にヴィリーは少し浮かない顔をした。きっと俺は信用ならないと言いたいんだろうな。

「しばらくは俺たち、ライバルかな」

「俺は別にシャルロッテに手を出したいわけじゃあない。兄さんにも近づいてほしくないくらいだ」

 過保護なヴィリーの言葉に俺はぷっと笑った。

「そんなんだと、シャルロッテちゃんはおばさんになるまで誰とも結婚できないな」

 俺の言葉にヴィリーがむっとしたように黙る。

「シャルロッテには真面目で立派な相手がきっと見つかるはずだ。それまで悪い虫がつかないように見張っているだけだ」

「悪い虫って俺みたいなの?」

「ああ、そうだ」

 口をヘの字にしてヴィリーはそう言った。酷いなあ、俺はこれでもけっこう真面目なのに。

「シャルロッテちゃんの相手よりも先に、自分の相手を見つけるべきだぜ? ヴィリー」

 俺は笑いながらそう言うと、腰に剣を下げて自分の部屋に戻っていった。


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