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03

 朝になるとシャルロッテは目を覚ました。俺は部屋の床にそのまま毛布を敷いて寝ていたから、シャルロッテが起きる気配ですぐにこちらも気づいた。

「あ、ルー。おはよう」

 シャルロッテがにっこりと笑う。

「おはよう」

 俺も体を起こして挨拶をする。

「昨日先に酔いつぶれちゃったんだ。ベッド塞いじゃったね、ごめん」

「いや、いいよ」

 服を着替えながら、俺はシャルロッテの耳元でぼそっと言った。

「お前、可愛い寝言言うのな」

「へ? な、なんか言ってたの?」

「さあ、教えない」

 俺は肩を竦めて笑う。本当は寝言なんて言ってなかったけど、面白いからそういうことにした。

「ねぇ、ルー」

 シャルロッテに呼ばれて、俺は振り返る。

「いつも私が遊びに来るばかりじゃ悪いから、今度私のところに遊びにきてよ。ヴィリーも連れて」

「ああ、仕事納めになったら休暇そっちに行くよ」

「パスタ何が好き? 美味しいものいっぱい用意して待ってるね」

 嬉しそうに笑うシャルロッテ。

 本当、お前に感じている気持ちの整理がつかないで困っているよ。


 平日、俺は自分の領地で何が起こったのか、また収入がどれくらいあったのかをチェックする。シュトックハウゼン領は狩猟と酪農の収入が一番だ。チーズを含めた乳製品ならば、シュトックハウゼン領のものが一番、というのがこの国の認識である。

「最近不景気の影響か知らないけど、あんまり収益があがっていないな」

 俺は渋い顔をして呟いた。書類の隣に置いてある紅茶を啜る。これは植民地で作らせたものだ。俺は酒のほうが好きだけど、仕事をしている間は紅茶を飲むことにしている。

 ベリンダは紅茶が好きで、外国の紅茶も取り寄せている。そこまで美味しいものか? と俺は思うけれども、紅茶を飲む人間はこの国には多い。

「とりあえず飢えている地域はないんだな?」

 俺は実地に赴いた部下に質問をした。特にそれはないそうだ。

「じゃあ今年は税金を軽く……いや、逆に少し重くして、福祉を充実させるか?」

 だけど収入がないのに税金を重くされても困るだろうしな。どうするべきか俺は悩んで唸った。

「各層の民衆はなんて言ってるんだ?」

「貧困対策をしっかりお願いしますとのことです」

 景気対策よりも貧困対策か。事態はけっこう深刻なのかもしれない。

「ロートシルトの領地はどういう風に対策している?」

「アンハイサー領は一時的に税を軽くする方向みたいです。あとは雇用を増やして、ひとりひとりの収入を減らす方向でやっているようです」

「全員で痛みに耐える方針か。ローらしいやり方だな」

 だけど俺の領地でそれをやると、金持ちたちが納得しないからなあ。金持ちからしこたま金を取り上げて、貧乏人は税を軽くするのが一番とわかっていても、それをやりすぎると金持ちたちは引越しちまう。

「イリヤ=コルサコフと連絡をとる必要がありそうだな」

「イリヤさんですか? 借金はやめたほうがいいのでは……」

 部下の心配はよそに、俺はイリヤに電話をかけた。

――コルサコフです。

「イリヤか? 俺だよ俺、格好いい領主様」

――ああ、ヴィリーさんでしたっけ? ご無沙汰しております。

「兄のルーベルトのほうだよ。覚えてるんだろ? 金貸し成金男」

――ヴィリーさんは真面目な方なのに、あなたはどうしてそうも口が悪いんでしょうね。

 イリヤがため息をつくのが聞こえた。

「お前さ、ちょっと募金する気ない? 一口金貨を一樽くらい」

――その意味って僕にはあるんですか?

「お前の嫌いなロートシルトよりお前の株価があがるってこと」

――アンハイサーさんを特別嫌っているのはあなたでしょうに。僕はそんなことはありません。

 ぴしゃりとイリヤはそう言った。

――どうしてもと言うのであれば、何かを担保に入れてくださいよ。

「好きなもん持っていけばいいだろ、壷でも絵画でも食器でも」

――そんなこと言っていいんですか? 本当に持って行きますよ。わかりました、融資いたしましょう。

 イリヤの言葉に俺は満足げに笑うと電話を切った。

「いいじゃねぇか、美術品より民衆の明日の飯のほうが大切だろ?」

 部下がこちらを心配そうに見つめていたから、俺はそう言って笑った。

 さて、休暇まであともうひと踏ん張りだ。


 その晩、夢を見た。

 ベリンダがロートシルトのところに嫁いでいった日のことだった。

 当時シュトックハウゼン領は隣国から侵略されていたため、安全とは言いがたかった。俺の父親が死んだのも戦争の指揮をとっていたからだ。親父が死んで俺が家督を継いだ日、俺はアンハイサー領にベリンダを逃がした。当時の俺にベリンダを守って、民衆も守ってなんて器用な真似は無理だった。まだ敵が侵略していないアンハイサー男爵の元にベリンダを逃がすことが一番だと思った。

 ロートシルトは俺より五つも年上の、品のいい貴族だ。紳士だし、ベリンダもあそこでつらい想いはしないだろうと思って送り出した。

 ベリンダはあっちで概ねうまくやっていた。というよりも、うまくいきすぎて、アンハイサー男爵……ロートシルトと結婚した。

 俺はそのとき、ベリンダの幸せを祈るよりも己の不幸を呪った。戦争さえ起きなければ、俺はまだ遊んでいられたし、ベリンダと結婚できたかもしれなかったんだ。

 バージンロードを歩くベリンダを俺は直視できなかった。ただ悔しくて、式の最中泣かずにいるのが精一杯だった。ただ自分の無力さが不甲斐なくて、悔しくて、ただ辛かった。

 俺はベッドの中でむくりと起き上がると、窓の外を見た。

 雪は深々と降っている。あの日もたしかこんな風だった。じめじめとしていなく、ただ自分の心を凍てつかせるような空気に肺が押し潰されるようだった。

「もうあのときは、誰も愛さないと決めていたはずなのにな」

 相変わらず俺は誰かに恋をするし、今度こそはと思うし、そうして破局を迎えて次の出会いを探す。

――あいつを泣かせないでやってくれ。

 ヴィリーの声がリフレインする。わかんねえよ、今まで付き合ってきた奴らだって、泣かせたくて泣かしてきたわけではないのに。

 俺だって、泣きたくて泣いているわけではないし、傷つきたくて傷ついているわけじゃあないんだ。


 シャルロッテがシュトックハウゼン領に来るようになったきっかけは彼女の生い立ちに関係している。

 シャルロッテの家は金持ちとはいえ、百姓だ。その娘ともなれば、歳相応になったときに奉公に出て、器量を身に付けなければならない。

 シャルロッテが奉公に出された先はヴィリーの学校だった。

 軍人を養成するための仕官学校で賄いの仕事をしていたシャルロッテがヴィリーと知り合うことになった理由は、今から三年前にあった家出事件が関係している。

 ホームシックになって教会で泣いていたシャルロッテを見つけたヴィリーが、あいつを南に住んでいる家族と合わせてやろうとふたりで家出しやがったんだ。

 当然士官学校は大騒ぎ。なんせ秀才くんと賄いの女の子が手に手をとって逃避行だ。俺の元にももちろん連絡は入って、ヴィリーはシャルロッテの両親と会ったところで捕まった。あいつが初めて起こした問題行動だった。

 ヴィリーにとってシャルロッテは放っておけない子らしい。そこに恋愛感情があるのかどうかはわからないが、俺にとってもシャルロッテは可愛い妹分だったりする。

 だからそれ以上の関係に踏み出すのが怖いのかな? 一度そっちに進んだら、もう引き返せない気がして。

 ヴィリーの言うように、俺はシャルロッテを傷つけることしかできないのだろうか。大切にしたいのに、結果的にはシャルロッテを傷つけるだけに終わるのだろうか。

 窓の外を見るとシャルロッテとヴィリーがいっしょに雪遊びをしているのが見えた。

 お前ら、二十歳にまでなって雪だるま作りか。お子様だな。俺の口元が思わずゆるむ。馬鹿にしちゃいけないと思いつつも、あいつらの関係はあそこから先に発展しないような気がしてならない。

 だったら俺がシャルロッテをいただいてもいいだろう? ヴィリー。俺は彼女のことを可愛いと思っているし、大切にしたいと思っている。弟はそれを応援するべきだ。そうに違いない。

「まーた何かよからぬこと考えているのでしょう、あなた」

「うわ!」

 後ろからいきなりかけられた声に俺は思わず上ずった声を出して振り返った。そこにいたのはイリヤだった。

「お前、いつからそこに……」

「昨日呼び出したのはあなたではありませんか。シュトックハウゼン伯爵」

 色素の薄い金髪をかき上げながらイリヤは笑った。そうしていつものように商談用のソファに腰掛ける。俺もお向かいに座った。

「具体的にどれくらい融資してほしいんですか?」

「金貨で二千五百枚ってところかな」

「軽く領地の予算くらいの金額ですね。こちらとしても出すのは少し手痛い。何かご褒美をつけてくれないと出したくない金額です」

「だから、壷でも美術品でも好きなものを持っていけよ」

「それを外国に売っていいと? 怒られるのはあなたですよ。五百年も家宝として伝わってきたものを財政難であっさり手放すと」

「俺としては五百年でなく、二十五年の付き合いなんだよ。未練なんてない、好きなの持って行けばいい」

 イリヤはため息をついて、パイプに火をつけた。

「あなたが自分のものだと思っているものは、かつて誰かのものだったものです」

「だから?」

「その人たちの想いを無碍にしてはいけませんよ。あなただってヴィリーの勲章やあなたのお父上のサーベルを寄越せと言われたら怒るでしょうに」

 イリヤが俺に説教する意味がわからない。そりゃあたしかに、ヴィリーの苦労して取った勲章や親父のサーベルを寄越せと言われたら俺は怒るだろう。だけどその物に特別な想いを持った奴らがみんな死んだあとは、勲章はただのメダルでしかなく、形見のサーベルはただのサーベルでしかない。それじゃあ駄目なのだろうか。

「じゃあ、何が欲しいんだよ?」

「政治に口出しする権利でしょうかね。議員の議席をひとつ僕に用意していただけませんか?」

「はあ? お宅これ以上権力持って何するつもりなわけ? それ以上儲けたってしかたないでしょう」

 俺が眉をひそめてそう言うと、イリヤは「とんでもない」と言った。

「僕は野望が大きいんですよ。手広く商売したいんです。しがない武器商で終わるつもりはない」

 死の商人コルサコフ。それがこいつの異名だ。文字通り武器の流通に関わっている。鉄の出る鉱山のほとんどはイリヤが押さえている。

 つまり俺が心配しているのは、イリヤが政治に手を出したいというのはすなわち……戦争を起こそうとしているのではないかということだった。

「議員の議席は無理だ。壷をやるからそれで我慢しておけ」

「壷なんていりません。議席をくださればそれでいいんです。なんですかあなた、この僕が戦争を起こそうとしていると考えているのでしょう」

 パイプを片手にイリヤは不機嫌そうにそう言った。

「あなたたち貴族は僕を馬鹿にしすぎなんですよ。戦争時には引っ張りだこで頼りっきりのくせに、いざ平和になると死の商人だのなんだの。じゃあ僕に死以外を商売道具にさせてくれるきっかけをくれたっていいじゃあないですか。はっきり言うと戦争を起こしているのは僕ではなく、あなたたち貴族なんですからね」

 パイプで俺のほうを指差してイリヤは言い切った。

「僕ほど憎まれ役が似合う男はいませんよ。そうしてあなたがヒーローになるのでしょう」

 イリヤは完璧ご機嫌斜めだ。ここで融資を受けられないのはマズい。だけどこいつに政治的な権力を与えるのもマズい。どっちにするべきか俺は考えあぐねていた。

「やっぱりお前に議席は用意できない」

「ああそうですか。じゃあこの商談はなかったことにしましょう」

 イリヤはそう言って立ち上がった。灰皿にパイプのカスを捨ててそのまま帰っていく。

 これで結局、税金を重くする以外の手段が見つからなくなった。よかったのか悪かったのかわからない。

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