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諜報員明智湖太郎  作者: 十五 静香
第1話 明智、護衛する
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 突然の愛の告白とも取れる発言に、明智は絶句した。


 眉目秀麗かつ文武ともに秀でた彼は、これまでも女人から恋文を送られたり、「ずっと好きでした」と直球の告白をされた経験はあった。

 しかし、一度もそれらの好機を生かせたことはなかった。


 まず、彼女たちは一様にして、通学時、乗り物の中や往来で頻繁にすれ違っていただけなど、大した接点がなかった者たちであり、彼の容色や、彼が着用していたインテリの証である制服に恋しただけだった。


 彼の度を越した真面目さや神経質な性格、何でも理詰めで考えようとする無粋な思考回路、些細なことでも拘り抜く面倒な生活様式などを知ってしまえば、たちまち興醒めしてしまうような薄っぺらい愛だ。


 外面だけに恋していたから、彼女たちは小さな失態でも簡単に幻滅し、冷めてしまったという事情も確かにある。


 けれども、一番の原因は愛を告げられた明智自身の対応が、誠にお粗末かつデリカシーのかけらもない最低なものだったからである。


 田舎町の小町娘の告白を、中学生の明智は「知らねえ奴に告白されでも、好きになれねえ」と無下にし、一高時代は、友人に無理矢理連れて行かれた料亭で、言い寄ってきた浅草一の別嬪芸者に「白粉が肌にめり込んでいるぞ」と暴言を吐いた。


 どれも悪気があった訳では決してない。


 ただ、どうすれば良いか解らなかったり、照れ隠しに思ったままのことを口にしてしまっただけなのだ。

 が、そんな明智の内情にまで気を回し、許容してくれる菩薩の如き女性はそうそういない。普通は、嫌われるだけだ。


 それから先のことは、語るに落ちる。


 何故、自分のことなんぞ何も知らない女に好かれるのかという率直な疑問。女慣れしていない故の、どう返して良いか解らないという困惑。告白され、多少は舞い上がっていたにも関わらず、知らぬ間に、一方的に冷められた経験に由来する女性不信。

 これらの事象は長じれば長じる程、彼の中で蓄積し、入り乱れ、熟成され、持ち前の強烈な自意識と相成って、新たな失敗の元凶となり、より女への苦手意識に拍車がかかるという悪循環を引き起こしていた。



 愛していると伝えられたところで、受け入れ方も断り方も知らない。



 だから、範子の告白もどきにも、明智はどう応じれば良いのか、皆目見当がつかず、途方に暮れた。


 特に今回は、任務中に最重要人物の女学生に惚れられてしまったのかもしれないという、ややこしい事例であるため、余計に狼狽えた。



「……何も言わないのね」



 黙っていると、皮肉るような口振りで範子が呟いた。



「いや、その……。お嬢様の発言の意図が解らなくて」



 答えに窮し、嘘を吐いた。

 彼女が自分に対し、恋愛感情を抱いているが故の発言だとは、何となく伝わっていたが、気持ちには応えられないと告げるのは決まっているにしても、どう伝えるべきなのか思いつかないから、黙るしかなかったのだ。



 気の利かない返答に、明らかに少女は落胆していた。

 しかし、気丈にも無理に笑って言ってのけた。



「いいよ、分かってるから。明智が言いたいこと。困らせてごめんなさい。気にしないで頂戴」



 一回り近く年上の大人の男としての面子はボロボロだった。密かに落ち込む明智をよそに、不自然な作り笑顔で、彼女は言葉を重ねた。



「でも、ごめんね……。私、明智を変なことに巻き込んじゃったみたい。今日ね、授業中、これが回ってきたんだ」



 そう言うと、範子はスカートのポケットから、4つに折りたたんだ紙片を取り出し、広げて見せた。



 ノートの切れ端と思われる罫線入りの紙片には、わざと筆跡を隠すような乱暴な朱色の字で、でかでかとこう書かれていた。



『桐原範子は淫売。最近雇った若い運転手とも関係している』



 心臓を鷲掴みにされたような衝撃に、明智は息を呑んだ。

 先刻、彼女が「もう学校に行けない」と話していた理由が漸く分かった。



「誰が書いたんでしょうね、これ。私はともかく、明智はとんだとばっちりよね」



 何でもないと笑おうとしたが上手く笑えず、範子の頬に一筋の涙が伝った。

 誰が書いたかなんて愚問であると彼女も気づいているのだろう。



「……お父様や学校に報告し、犯人を探しましょう。嫌がらせにしては度を越している」



「やめて! お父様には知られたくない」


 必死の形相で拒否された。それに、と範子は続ける。



「そんなことして、良いことあるの? みんなが傷つくだけよ」



 幼稚な狂言劇を引き起こした子供とは思えない、ゾッとするくらいに冷め切った瞳と老成した意見に、明智は戸惑い、ふと任務出発前夜に、当麻旭と交わした会話を思い出した。


 不安定で矛盾していて、大人でもないが、子供と決めつけるのは難しく、女の長い人生の中では、ほんの数年であるのに、特別な時代。大人になってしまえば、本人ですら、その頃の気持ちを振り返るのに難儀する不可思議な生き物である少女。

 子供だと侮っていたが、実は少女こそ、女の中でも格別に理解不能で恐ろしい存在なのではないかと感じた。



 だが、任務完遂のためには、ここで引いてはいけなかった。静かだが、毅然とした口調で少女を諭した。



「それでも言わなければいけません。傷つかなきゃいけないのです。あなたもお父様も、『彼女』も。臭いものに蓋をするやり方は、私のやり方ではありません。お父様には私に仕事を依頼する以上、その点は了承して貰っています。脅迫文の件を含め、全て包み隠さず、お父様に話しなさい」



 反論を許さぬ強めの語調に、範子は俯き、恨めしそうに尋ねてきた。



「嫌だと言ったら?」



「私から報告します。けど私は、あなたに自分の口でお父様に本当のことを話し、謝罪し、相談し、思っていることをぶつけて欲しいです」



 嘘偽りのない明智の本心であった。それでも、範子は首を縦に振らない。



「きっとすごく叱られるわ。ぶたれるかも。それにあの子だって、ただでは済まないはずよ」



「そうですね。でも、あなたも日頃の不満を、お父様に素直にぶつけてみればいい。それで痛み分けです。『彼女』は……。あなたが思っているよりずっと図太く悪い子です。あなたのお友達にふさわしいくらいには。今のうちに一度痛い目に遭っておかないと、ろくな大人にならないでしょう」



 まあ今夜、桐原家が修羅場になるのは間違いない。しかし、それは桐原父娘が通らなくてはならない道だ。

 そして『彼女』についても、自分のやったことの責任はきちんと取らせるべきだ。このまま、なあなあにし、友達ごっこを続けるなんて、胸糞が悪いにも程がある。



「……今更おかしいけど、やっぱり私、お父様に幻滅されるのが怖い。今まで生意気は沢山言ったけど、ここまで私が悪い娘だとは思っていないわ、あの人」



 尚も決心がつかず、不安そうに話す範子に、明智はとっておきのネタばらしをした。



「お父様は最初から、あなたの自作自演だと気づいていましたよ。ただ、ご自分であなたに詰め寄る勇気がなかったので、あなたが自首をし、全て穏便に収まるように仕向けて欲しいと、私に依頼されてきたのです。親子揃って、不器用過ぎます」

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