第三章「在りし日の跡形③」
(…あれはどういう事だろう)
と、アランは思案にくれた。
なぜ失ったはずの自分の左腕が、別人の身体についている?
しかも戦車に潰されたのは、6歳のとき。
あれから12年も経っているのに。
あの腕はまるで成長しているかのように、女性軍人の体にぴたりと一致しているように見えた。
■□■□
駐屯地の牢獄に監禁されたアランは、なす術もないまま冷たい床にうずくまった。
両膝を抱え、背中をまるめて目を閉じる。
(フェルディナンは、さぞかし心配しているだろうな。すぐ帰るつもりだったのに、まさかこんな騒ぎになろうとは…)
ちょっとばかり仏心を出してヴァンのために何かできると考えたのが間違いだった。
幸せな過去など忘れ、バフィト国王殺害のためだけに生きていれば良かったのに。
頭の中でぐるぐると思考を巡らせ、否応ない時間の長さにうんざりしていると、ふいに人の気配がして、はっと顔を上げた。
鉄柵の向こうで、ヴァンが驚いた顔でこちらを見下ろしていた。
「アラン、なのか?」
「…やぁ、殿下」
「軍部内で乱闘騒ぎを起こしたというのは、お前のことだったのか! 何やってんだバカ者! なんとか言え!」
「少し黙っててもらえませんか。これでも落ち込んでいるんです」
「まったく」
信じられないというように肩をすくめ、ヴァンは牢屋の前で膝を折った。
「迷惑この上ないな。やはり連れてくるんじゃなかった。…早く帰りたければ、聴取に協力する態度を示せ。でなきゃ、いつまでたってもここから出られないぞ」
まるで子供に対する説教だ。
こんなところで王太子の小言を聞くとは思ってもみなかったアランは、唇を引き結んだ。
「…殿下は冷たいな。昔のアナタはそんなじゃなかったのに。大慌てで助けてくれたのに。あの可愛さはどこにいったんだ」
「なんだって?」
「別に」
「──なにがあった。アラン」
グチを吐く様子に呆れて尋ねると、眼前の少年は幼子のように身を固くした。
「…戦車が、ダメなんだ。…すごく怖い…子供の頃のトラウマで。近くで見ただけで、体がすくんで動けなくなる。…あんな風に囲まれると、特に」
「あの女軍人とは知り合いなのか? お前のほうからケンカを吹っかけたと言っていたぞ? 困っているのなら助けてやらないこともないが、話してくれないことにはどうしようもない」
「助ける?」
アランはふっと口の端を曲げた。
挑むような光が、その眼差しから垣間見えた。
「殿下になにができると?」
「言っておくが、俺は頑丈だ」
「…はい?」
「切られても撃たれても、小さい頃から怪我ひとつしたことがない」
「はは、なんだそれ、なんの自慢?」
アランは拍子抜けして、前髪をかき上げた。
「つか頑丈ってレベルじゃないでしょ、それ。不死身か」
「そうだ、不死身だ。だからお前がどんなに頑張っても、オレを殺すことなどできない」
「!」
「やはり信じてもらえないか」
「…いや、」
確かに、思い当たるふしはある。
王太子パレードの時。
ビルの上で間違いなく彼を切りつけたはずのに、傷ひとつ負わせられなかった。
てっきりプロテクターを着込んでるとばかり思っていたけど。
そういう事なら納得がいく。
「なんなの。殿下はバケモノなの?」
そんな言葉が、口をついて出た直後。
視線の先で、ふわりと光が灯った。
――ファミリアだ。
背中に小さな4枚羽根をつけた妖精が、アランの周りを飛び回る。
なにかを語りかけるようにチカチカと点滅し、それはゆっくりと手の甲へと止まった。
アランが空中に手を差し伸べる緩やかなしぐさに、ヴァンは目を見張った。
どこを見ているのか分からない視線が、ゆるりと手の甲へ向かう。
こんな風に《なにか》と対話している光景を、遠い昔に見た覚えがあった。
「アラン。…何をしている」
「殿下には《これ》が見えないの?」
「っ、」
ヴァンの眼差しがまるで幽霊でも見たかのように揺らぐ。
その複雑な表情に、アランが噴き出した。
「つまんない大人になっちゃったんだね」
「意味が理解できない」
「あはは」
アランは、声を上げて笑った。
「分かったよ、殿下。アナタのさっきの話、信じるよ。…だから、私の話も信じてほしい」
「うん。なんだ。話してみろ」
おもむろに立ち上がり、アランは身を乗り出して鉄柵を握り締めた。
まっすぐな瞳が、迷いなく王太子をとらえる。
「パレードの車に爆弾を仕掛けたのは、さっきの女軍人だ」
「!」
きっぱりと言い放つ声音に、ヴァンは大きな衝撃を受けた。
■□■□
駐屯地の本部指令室で。
ファングは、勢いよく椅子から立ち上がった。
「は? 本気ですか?!」
凛々しく整った表情が、みるみるうちに硬化していく。
「内部に犯人がいると?! そんな話を信じたんですか?! なんの証拠もないのに嫌疑をかけるなんて裁判沙汰ですよ!」
「アランがそう言っている」
「バカなこと言わないでください!」
バンッと机上を叩いて、日頃冷静なはずの護衛士が青ざめた。
目の前に座っていたヴァンが静かに立ち上がり、
ことのほか冷ややかな視線を注がれて怯みそうになったファングは唇を結んだ。
「誰がなんと言おうとオレはアランを信じる。あの女軍人を連れて来い、調書を取る」
眼前で人差し指を突き出され、ファングは信じられないというように頭を振った。
「…後でどうなっても知りませんよ」
「とか言って。お前はいつもオレを助けてくれるだろう?」
「そろそろ嫌気がさしていますが」
「城に戻ったら美しい侍女を紹介してやるから」
「いりません」
がっくりと肩を落とし、ファングは何度目かの息をついた。
■□■□
――取調室に女性軍人が連れてこられると、ファングの声が鋭く響いた。
「名前と所属部隊を言え」
「言わなくてもICチップを確認すれば分かるでしょう?」
「確認のためだ」
そう言われて、彼女は仕方なく口を開いた。
「リディナ・カーマイト。司令部輸送4等准尉」
「不発弾について問う。リディナ・カーマイト。検出された指紋が、お前のものと一致したのだが、あの爆薬はお前が軍から持ち出したものか?」
「ある人から依頼されたのよ」
素直に頷いた割には、口調は素っ気ない。
理不尽な扱いに腹を立てているのかと思ったが、容疑を否認することなく、さらりと答えているのが意外だった。
「依頼されたって、誰に?」
「腕を提供してくれた人よ。《ジョーカー》と名乗っていたけど、顔は知らないわ。連絡はすべてメールだったから会ったこともない」
「待て。今、腕を提供されたと言ったか?」
ヴァンが尋ねると、彼女は瞳をひらめかせて左手を掲げてみせた。
「てっきり、こっちがメインかと思ってたわ。さっき変なガキが私に突っかかってギャーギャーわめいていたから」
「…アランと知り合いか」
「いいえ、全然。…どこで入手したのかと聞かれて驚いたくらいよ」
ヴァンは、ファングと顔を見合わせた。
パソコンの前に座っていたファングの眼差しが不審げに歪む。
それを横目に、ヴァンは机に身を乗り出した。
「その腕について尋ねてもいいか?」
「面倒くさいわね」
と笑いながら、なにから話そうかと思案する彼女の双眸が揺れ動く。
間もなくすると、ゆっくりと細い声音が吐き出された。
「12年前のクーデターの後。士官生として出征した私は、過去の二度の戦いで左腕を失ったの。その後、軍事病院で悲嘆にくれていた私のところに、知らない人がやって来て移植を提案されたわ」
「…移植」
「たまたま血液と細胞が適合した、という話だったけど。その費用は莫大すぎてムリだとお断りしたら『では代わりに爆弾を盗んで来い』と。…パレードに使用するとは知らなかったわ」
ヴァンが、深く息をつく。
その傍らで、ファングは熱心に供述をパソコンに入力した。
そして、なにかを考え込んでしまっているヴァンを見つめつつ、おもむろに顔を上げた。
「…移植はどこで?」
「郊外の無資格病院よ。もちろん内密で。おそらく闇ドクターでしょうね。私も詳しいことは知らないわ」
「その医者がジョーカー?」
「いいえ」
リディナは即答した。
「たぶん違う。…ジョーカーについては、ドクターもよく知らないと言っていたから。同一人物とはありえないわね」
「…アランについて、どう思う?」
ふいに、ヴァンが尋ねた。
ファングがぎょっとするのを横目に、リディナはかすかに瞳を揺らした。