第三章「在りし日の跡形②」
国境の駐屯地とはいえ、フィーユはさながら漆黒の要塞のようだった。
――冷酷で非情。
そんな国王の思想が、そのまま現れているようで吐き気がする。
アランは、しかめっ面を隠すことなく、ヴァンの後ろに従って歩いた。
「なんで、そんな顔をする?」
「…別に。ずいぶんと仰々しい建物だなと思って」
「あぁ」
ヴァンは、小さく笑った。
「ここは、かの大国・リトシュタイン帝国をモデルに作られているからな。俺の父、バフィト国王はあの皇帝に傾倒していて、軍の組織構成の大半は、彼のやり方に倣っている」
「へぇ、それはそれは」
IDカードの提示、指紋認証、パスワードの自動変録…
一般人であるアラン1人では、決して入ることの出来ない鉄の門扉が、ヴァンの細かな操作によって次々と開かれていく。
いくつもの無機質な制服姿が、ヴァンに敬礼して通り過ぎていく。そんな様子を不快な思いで見つめていると、ふいに眼前に現れた戦車の群れに、アランは思わず青ざめた。
「…っ」
まるで山のごとくそびえる、鉄の塊。
無論、一つではない。
地平の向こうまでずらりと並んだ鈍色の大群。
その勢いに恐れをなし、瞬く間にここに来たことを後悔した、その時だ。
「先日は悪かったな、アラン。あんな言い方をするつもりはなかったんだ」
「えっ」
ふいに放たれたヴァンの声音に、耳を疑った。
――最近は少年を『飼いならす』貴族も多いと聞くから、パトロンでもいるのかと。
――ご家族のことは残念だが、復讐には終わりがない。
――非暴力主義を主張しておいて、仇討ちなど…
先日、ヴァンに言われた言葉が、次々と脳裏に蘇ってくる。
「あー、あれは、別に、…いいんだ。お互いの立場が違うのは、よく分かっている」
俯いてしまったアランの肩に、大きな手が乗った。
「アラン。かのクーデターのせいで父をよく思わない人間はたくさんいる。お前たち戦災者の事情も分かっている。それでも、オレは何とかしてこの国を良くしたいと考えているし、そのための努力は惜しまないつもりだ。お前にとっては不愉快極まりない話かもしれないが」
「大丈夫だ。私もフェルディナンも、あれは言い過ぎたと反省している」
「そうか」
ヴァンが、成人パレードでダミーを使ったのは、死にたくないからじゃない。
死んではいけない立場だからだ。
この国の将来を背負って立つ者は、常に危険を察知し、事前に防がなければならない。
以前、アレクシア・クリスタの父も、似たようなことを言っていた記憶がある。
「まぁ、それとこれとは別問題ですけどね」
「どういう意味だ」
「…あなたには関係ないことです」
そう呟いて、アランは亡き父、ダリール公国大公・ハドリアヌ・ボリス・ダリールを密やかに思い浮かべた。
そうだ。
ヴァンの理想がどうだろうと、関係ない。
両親の仇は、この命を賭してでも討たなければならない。
12年前。
バフィト国王一族もろとも根絶やしにすると心に誓ったのだからーー
「寝首をかかれないようお気をつけることです、殿下。私が殺すまで、あなたは死んではダメですよ」
「…、」
その笑顔が妙に穏やかで、妙に禍々しく、ヴァンは思わず息をのんで見入ってしまった。
■□■□
駐屯地の総本部前。
「おい、こっちだアラン!」
鉄柵で囲まれた門の前で、ヴァンが声を張った。
初めて入る軍部内の様子に圧倒されているのか、さっきから落ち着きのないアランが振り返った。
「どこもかしこも認証だらけで申し訳ない。ここから先は関係者以外立ち入り禁止区域なんだ。お前は入れないから、オレが1人で…、って、聞いてるのか、アラン」
ふいに名前を呼ばれ、はっと我に返った。
顔を上げたアランの眼差しが、なぜか凍りついている。
こんな怯えた表情は、見たことがない。
「どうした、具合でも悪いのか」
「え、…あ、あぁ。…いいえ」
「見慣れない場所にきて、緊張でもしてるのか」
おかしそうに笑ったヴァンの手が、アランの頭をかきむしる。
だがアランは、それすら払うことなくぼんやりしている。
(コイツ…。今さら罪悪感でも感じているのか。軍警察から盗み出したデータ・チップを解析することに、後ろめたさがあるのかもしれない)
などと思っていると、
「殿下。さっき通り過ぎた女性は、誰ですか」
アランが、そんなことを尋ねてきた。
「なんだって?」
「今しがた、そこの通りを軍服姿の女性が歩いていました。Tシャツと迷彩ズボンという格好で」
「…なにを言ってんだ、お前は」
質問の意味が分からず、ヴァンは首を傾げた。
「駐屯地なんだから、女性軍人なんか珍しくもないだろ。迷彩服? さっき偵察隊の軍用車が戻ってきていたから、整備係のヤツかもれないな」
と、面倒くさそうに説明してやった、その時。
「殿下。…私、急用を思い出しました」
アランが、飄々とした顔で、そんなことを言い放った。
「急用だと?」
「後のことは殿下にお任せします。それでは私はこれにて失礼申し上げます」
「はぁ?! おい、アラン? どこに行く! こら!」
呼び止める声に振り向きもせず、
アランはくるりと踵を返すと、なにかに追われるように走り去って行った。
■□■□
――夜だというのに、
フィーユ駐屯地内は昼間のように明るい。
通り一帯には街灯が立ち並び、歩き慣れないアランでも容易に辺りの様子を知ることができた。
「えぇと、」
通りの端で立ち止まったアランは、頭上に掲げられた標識を見上げた。
法官部、それから指令部…?
ずらりと並んだ棟は、どこもかしこ同じ造りで見分けがつかない。
「しまった。見失ったかな」
きょろきょろと周囲を見回し、適当な目星をつけてビルの隙間に足を踏み入れた直後。
ふいに建物の影から、1人の女性軍人が現れた。
「私になにか用なの? さっきからウロチョロと目障りな子ね」
「…あ」
「ここでは見ない顔だわ。もしかして新入りさん?」
どうやら待ち伏せされていたらしい。
アランが尾行していたことに気づき、こっそり観察していたのだろう。
意表を突かれたアランは、ぱちくりと目を開いて女性軍人を凝視した。
「…その腕…、その左腕は、どうしたのですか」
アランは、女性の肩を指差した。
「──なんの話?」
女性は、怪訝そうに顔をしかめた。
彼女のTシャツの袖から伸びる左腕。
あれは、アレクシア・クリスタが戦車に轢かれた時に踏み潰された左腕だ。
親指の付け根に小さな痣があり、 手の甲にもかすかだが傷が残る。
アランが、自分の腕を見間違うはずがなかった。
「なぜあなたが、この腕を持っているのですか」
無意識に声が震える。
アランは衝動的に彼女の手首を掴んで、高く掲げた。
「ちょっと痛いわ! 何するの!」
「これは、…この腕は、あなたのモノではない」
「っ、」
かっとなった女性が、掴まれた手を乱暴に振りほどいた。
その拍子にバランスを崩したアランの身体が、大きく後退する。
なおも食らいつくように伸ばされた手を、彼女はパンッと撥ねつけた。
「あなた軍兵じゃないでしょう?! どこから入ったの? 憲兵を呼ぶわよ!」
目の前に銃を突きつけられ、アランは無防備な体勢で両手を上げた。
「別に、奪おうと思ってるわけじゃない。それをどこで手に入れたのか、話を聞こうとしただけで」
「当然よ。取られてたまるものですか!」
「それはどういう…」
両手を上げたまま近づこうとしたとたん。
足元に威嚇発砲され、辺りに闇をつんざくような銃声が鳴り響いた。
「見逃してあげるから、さっさと行きなさい。通報するわよ」
「でも、私は…っ」
再び銃声が響く。
だが弾丸はアランの横をかすめ、背後の看板を貫いた。
その隙をついて飛び出したアランが、チャンスとばかりに女性軍人に飛びかかった。
「あっ、」
女性の襟首を掴んで、地面に押し倒す。
頭を押さえ込んでおとなしくさせるつもりが、反撃に遭って腹部を蹴り上げられた。
「うっ、痛…、た、」
転がって逃げようとした女性の足首を掴んで引きずり倒し、アランはさらに渾身の力で圧し掛かった。
「ふっざけないでよ! なんなのアンタ!」
「すいません、本気でやらないと負けそうなので」
そう呟き、アランはメタリック製の左腕を振り上げたかと思うと、なんの躊躇もなく女性の顔を殴り飛ばした。
だが、勝てると思ったのは一瞬で。
頭上で警報機が鳴り、大勢の軍人に囲まれてライフルを向けられると、もはや観念するしかなかった。
上空で、照明弾が上がる。
目の前に立ちはだかった装甲車の数に青ざめ、硬直した。
アランは女性に馬乗りになったまま両手を掲げて、ため息をつくしかなかった。