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第三章「在りし日の跡形①」


 バフィト王宮内。夕刻。

 ヴァンがちょうど執務室での仕事を終えた頃。

 見計らったように、側近のファングが声を掛けてきた。


「王太子殿下。遅くなりました。ただいま戻りました」

「あぁ、ファング。お疲れさん」

 今しがた幕僚の定例会を終えたばかりのファングが、大量の書類を抱えて走り寄ってくる。


「会議はどうだった? 先日の成人パレードについて、軍警から報告があったのだろう?」

「それが、犯人探しが難航しているようで。来週明けから捜査規模を縮小すると言われました」


「あー、それは、また…体の良い言い訳だな」

 ヴァンは落胆した顔で肩をすくめた。


 《縮小》などと称しているが、実際のところは《撤廃》だ。

 やるべき仕事が山積していて手が回らないのは理解できるが、仮にも王太子を狙った狙撃事件を、ここまで粗雑に扱われるとはあまりにも心外だ。


「しょせんオレの立場もその程度ってことかな」

 自嘲ぎみに呟くと、ファングが驚いて大きく首を振った。


「いいえ、そういう事ではありません。軍としては、替え玉を使った時点ですでに犯人を出し抜いたつもりなのでしょう。深追いするつもりがないのは、ヤツらの次の出方を待っているのだと思います」

「…あくまでも憶測だけどな」

 必死すぎるファングに、思わず苦笑した。


「ありがとう、ファング。お前は優しいな」

「とんでもございません」

 温かい言葉を受け取り、彼は恐縮した様子で頭を下げた。


 ファングは仕事のできる有能な側近だ。

 武芸にも優れていて、護衛としても非常に役に立つ。

 なにより乳兄弟という関係のせいか、王太子と衛兵という立場でありながら、唯一信頼できる存在でもある。



「それで、オレの代わりに狙撃されたダミーの容態はどうなった?」

「軍医によれば命に別状はないそうですよ。急所は外れていますから、ただの脅しだったのかもしれませんね」


「申し訳ないことをしたな。家族に見舞金を渡しておいてくれ」

「御意」

「オレがパレードに出ていたら、誰もこんな目に遭わなかっただろうに」


 軍国統治体制の下において、命が平等でないのはよく理解している。

 犠牲になるべく生まれた者の上に、自分が生かされているのだということも…。

 だが、それを差し引いたとしても、やはり感情は複雑だった。


 その時。

 廊下の向こうから、物々しいオーラが漂ってきた。

 いかめしい将官たちを引き連れたバフィト国王が、不機嫌な顔でこちらへと近づいてくる。


 ヴァンとファングは慌てて端へと退き、拳を胸に当てて頭を下げた。


 息子に気づいた国王が、はたと足を止める。

 顔を上げたヴァンは、遠慮がちに声をかけた。


「父上。先日は盛大なパレードで成人式を祝って頂き、誠にありがとうございました」


「お前はパレードに参加しなかったと聞いているが?」

「あやうく殺されそうになりましたが、難を逃れました」


「それは命拾いをしたな。しかし、あまり面倒な騒ぎは起こすなよ。新聞にあれこれ書きたてられては煩わしいからな」

 不愉快そうに一瞥した国王が、そう吐き捨てて立ち去っていく。

 あとに残されたヴァンは、その背中を見つめて息をついた。


「やれやれ。父上は本当にオレのことがお嫌いなんだな。なんの期待もされてないというのは気楽だが…」

「何をおっしゃいますやら」

 傍らで、ファングがありえないとばかりに微笑した。


「突き放すことで、あなたを厳しく鍛えておられるのですよ。子を思わない親はおりませんから」

「それ、ちっとも説得力がない」

 今度はヴァンが笑う番だった。


「先刻の父上の物言いを聞いてたか? 『別に死んでも良かった』みたいな口ぶりじゃなかったか?」

「気のせいでございます」

「…まぁいいけど」

 と諦め気味に踵を返した直後。


 近くで、キッと何かが軋む音がした。

 小ぶりの車椅子がゆっくりとこちらに向かっている。


 それが敬愛する母親・アンティナ王妃だと知り、瞬く間にヴァンの顔つきが明るくなった。

 まるで子供のような足取りで、母親へと歩み寄っていく。


「母上! 起きても大丈夫なのですか」

「えぇ、今日はとても気分が良いので、少し散歩をしたくなったのです」

「それは良かった。言ってくださればご一緒したのに」

 ヴァンは、嬉しそうににこりと笑った。


 近年、体調を崩した母は、ほとんど部屋から出ることがない。

 外出することもなく、ほんの少し車椅子で移動しただけで具合が悪いと言い出す始末。


 それでもたまに外の空気を吸いに姿を見せることがあって、ヴァンはその時間がとても楽しみでもあった。


「そういえば、もうじきあなたの誕生日ですね、ヴァン」

「はい?」


「11歳になるのですか。大きくなりましたね。盛大にお祝いしなければね」

「…」

 無邪気に笑う母に、彼は困惑した。


 最近の母の記憶力は、ますます低下している。

 心の病だと軍医から聞いているが、いざ目の当たりにすると、激しく胸が痛んだ。


「あー、えーと、母上。…私は、その、21歳になりました。それに、お祝いなら先日、父上に盛大なパレードを整えて頂いたところです」

「まぁ、そうなの? 先を越されてしまったわね。私が一番に『おめでとう』を言いたかったのに」

 残念そうな母の無邪気さにつられて、ヴァンは目を細めた。


「いずれ近いうちにお部屋に伺います。その時はぜひ一緒にお茶を」

「そうね。あなたが描いたステキな絵もまた見せてちょうだいね」

「はぁ、」

 ヴァンは、ためらいがちに頷いた。


 絵なんて、もう何年も描いていない。

 だが、母にとって息子は小さい頃のまま、絵を描くのが大好きな少年なのだろう。


「では、またね。危ない場所へは行ってはだめよ」

「ははは」

 まるで幼子を相手にするような言葉に、声を上げて笑ってしまった。


「大丈夫ですよ、母上。あなたが頑丈に産んでくれたおかげで、生まれてから一度も怪我をしたことがないのです。剣で切られても銃で撃たれても平気だなんて。オレは本当に不死身かもしれません」


「神様に愛されているのですね。幸せなことだわ」

「恐れ多いことです」

 侍女に車椅子を置いてもらいながら嬉しそうに部屋へと消えていく母の姿を、彼はいつまでも見送っていた。


(――本当に幸せなのは、オレではなく母上の方だろう)

 と、しみじみ思う。


 いくら病気とはいえ、いつまでも少女のようで、まるで夢の中の住人のようだ。

 世間のしがらみに染まらず、穢れのないまま老いていく母親が、どこかうらやましくもある。


 ヴァンは、アレクシア・クリスタ公女を想った。

 彼女もまた、ヴァンの母と同じように、神様に愛されすぎた人だった。

 そして、早くに天に召されてしまったのだ。


 あの美しくて清らかな姫君は、クーデターの最中、泥土にまみれて1人で惨めに死んでいったのだろうか…。

 そう考えると、悲痛なまでに胸が締めつけられた。



                    ■□■□



 夕食を終えると、ヴァンは自室に戻らず別棟の階段を上がった。

 ポケットにしまっていたカギを取り出し、人気のない薄暗い廊下を抜けて、ドアを解錠した。


 中に入ったとたん、埃臭さが鼻をつく。

 窓を開けて空気を入れ替えると、瞬く間に夜の湿った風が室内に充満した。


 ここは、かつてアレクシア・クリスタ公女が使っていた部屋だった。

 家具には白布がかけられ、壁に飾られた絵画は当時のまま。

 ほぼ手付かずのまま《開かずの間》となって今もこの王宮に残っている。

 

「はぁ、」

 ヴァンはベッドのブランケットをめくると、キルティングの上に寝転んで目を閉じた。

 …どこからか花の匂いがする。

 この城にはもう、美しい庭すらないというのに…。

 どこかの花売りが城壁の外で売っているんだろうか。


 かつてのダリール公国の王宮では、常に季節の花々で溢れていたなぁ、などと、

 うつらうつらと夢現を漂いながら懐かしい子供の頃に思いを馳せていた、そんな時。

 ふいに、カタン、と物音がした。

「!?」


 こんな場所に足を踏み入れる者など、いるはずがなのに。

 小鳥でも迷い込んだのかと身を起こした瞬間。

 2階の窓からアランが入ってきた。


「は?! え?! お前、…なんでっ、」

「窓が開いていた」

「そういう問題じゃない!」

 ベッドから跳ね起きたヴァンは、目を丸くして固まった。


「狙撃の次は、不法侵入か? よくもまぁこんな下賤なまねが…てか、守衛はどうした」

「差し入れのビスケットをやったら、即効で眠ってしまった」

「まったく」

 くらくらと目眩がする。

 頭を抱えるヴァンをよそに、勝手に侵入したアランはぐるりと室内を見回し、興味津々で辺りを物色した。


「驚いたな、こんな少女趣味があったか」

「オレの部屋じゃない」

「じゃあ、誰の?」


「…関係ないだろう」

「興味がある」

 室内にうろつくアランに呆れ、観念した顔でベッドに座りなおした。


「…オレの秘密基地だ。この部屋のカギは、オレしか持っていない」

「へぇ、秘密基地? 子供みたい」

 アランはニヤニヤと笑いながら、チェストに手を伸ばした。


 小さな鉢に植えられているのは、露桟敷つゆさじきの木だ。

 緑色の葉に、三日月模様。

 まだ花も実もついていないけれど。

 丁寧に世話をされているらしく、枝ぶりは大きく空を向いている。


 …昔、アレクシア・クリスタが、ヴァンに贈ったものだとすぐに分かった。


「バフィト王国の王太子が、こんな禁忌な物を育ててるなんて。これ、アレだろ。ファミリアとかいう妖精が生まれる木だろ。なるほど秘密にするわけだ」

「うるさい。それに触るな。いったい何しに来たんだ」

 苛立つヴァンが、声を荒げる。


 チェストに寄りかかっていたアランは、少しだけ躊躇するように口を開いた。

「実は、あなたに頼みがある」

「あ?」

「フィーユの駐屯地に行ってみたいのだけど」

「!」

 思いがけない言葉が出てきたことに驚き、ヴァンはぽかんと口を開けた。



                  ■□■□



 時刻は夜8時。

 待ち合わせ場所は、リンドル広場のバスロータリー。


 すでに人気もない道路に横付けされた四駆車に近づいたアランは、運転席を覗き込んだ。


「あれ、1人ですか?」

 車内にはヴァンしかいない。

 いつも必ずと言っていいほど、護衛がついているはずなのに。


「お付きの者は? 王子様が夜中に単独外出なんて」

「うるさい。いいから乗れ。ファングは一足先に駐屯地に向かっている。あいつは駐屯地を管理する軍事将校の息子なんだ」

「へぇ」

「ていうか、オレだって1人で外出ぐらいできる。なんだと思ってんだ」

「鳥かご育ちのお坊ちゃまかと」

「バカにするな」

「ふふ、」

 小さく笑みをこぼし、アランは楽しそうに助手席に乗り込んだ。

 


 車が発進したとたん、

「それで?」

 と、ヴァンの視線がこちらへと注がれた。

「いきなり『駐屯地に連れて行け』と言い出した理由を聞かせてもらおうか」


 助手席で。

 曲げた両膝を抱えるアランは、まるで子供みたいだ。

 その眼差しは、しっかりと前を向いているようで、

 どこか遠くを見ている風でもある。



「軍が、王太子パレードの狙撃犯を諦めたのは知っていますか、殿下」

「人聞きが悪いことを言うな。捜査規模を縮小しただけだ」

 アランに『殿下』と呼ばれたことが気に入らない。

 その呼び方に、どこか皮肉を感じる。

むっと唇を尖らせていると、アランが馬鹿にした眼差しで嘲笑した。


「実質、放棄したも同然でしょ。…なので、負傷した《偽王子》のためにも、私が真犯人を上げてやろうかと」

「ふざけるな。そんなのは軍部に任せておけ。一般人が関わることじゃない」

「その割には、証拠品がすべてもみ消されていましたけど」

「なに?!」

「貴殿のお父上から『捜査は不要』との伝達があったらしいですよ。『せっかくの王太子の祝事だから騒ぎにはしたくない』と」


「…お前、いったい」

 ヴァンは、絶句した。


 確かに、父・バフィト国王なら言いそうなセリフだ。

 祝事などとは露ほども思ってないだろうに。

 面倒ごとに巻き込まれるのを嫌ったゆえの仕業だろう。


 あまつさえ、

「殿下は本当に父王に嫌われているのですね」

 などとアランに言い放たれ、彼はますます不機嫌になった。


「…よくそんなこと調べたな、アラン」

「いつまでも犯人扱いされているのは癪なので、いろいろ探ってみました」


 本当は、国境沿いの山小屋に住むフェルディナンの父・ルノー元侯爵の諜報力を借りたのだが。

 それをここで告白するわけにはいかなかった。


「たいしたものだな。もう少し詳しく聞かせてくれ」

 珍しく殊勝な態度で乞う彼の態度に、アランは目を細めた。

 余計なことをするなとケンカ腰で食って掛かられるかと想定していたが。

 …いや、

ヴァンは昔からこういうタイプだった。幼い頃から、アレクシア・クリスタよりも深い懐を持っている男だった気がする。


 アランは助手席で姿勢を正した。

「パレードのオープンカーを捜索したら、中に不発弾が見つかったのはご存知?」

「…いや」

「どこで製造されたものだと思う?」

「──」

 ヴァンは、唇を引き結んだ。


 会話の内容もさることながら、アランは時おり敬語と馴れ馴れしさが混濁した話し方をする。

 バカにしているのか、

 それとも多少なりの敬意があるのか…彼の思考はいまいち読み取りにくい。


「殿下?」

「あー、えぇと、…不発というからには、正規品じゃなかったんだろうな。どこかのマニアが作った模造品か。…まさか製造アジトでも見つけたとでも言うのか?」


「模造品だったら大笑いするところですね。不発弾が作られたのはフィーユの駐屯地ですよ」

「えっ!」

 頓狂な声を発した彼に、アランは小さなデータ・チップを掲げてみせた。


「不発弾から検出された指紋採取データを、軍警察から持ってきました」

「持ってきた? 盗んだの間違いだろ」

「《解決済み事案カテゴリー》に放り込まれていて爆笑しましたよ。ゴミ扱いになってたから頂いて来たのです」


「お前なぁ」

「ですが、あいにくデータを照合できなくて。駐屯地で調べられないかと」

「なるほど」

 ハンドルを握りしめ、ヴァンは気落ちした息を吐き出した。


「軍は、ホントに犯人を捜す気がないんだな」

「だからそう言ってます」

「はいはい」

 ヴァンは、肩をすくめた。



 フィーユの駐屯地。

 かつて、その場所にはバフィト家の別荘があった。

 父がまだ陸軍元帥であった頃は、よく遊びに行った記憶がある。


 だが、12年前のクーデター時には、

 大量の戦車が内密に保管されていた車庫でもある。

 あの土地から発進した戦車の列が、まだ幼かったアレクシア・クリスタを無残にも踏み潰した事実を、ヴァンは忘れてはいなかった…。


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