第二章「邂逅③」
ヴァンに覗き込まれ、思案したアランは考えをまとめるように視線を揺らした。
一応、王太子に敬意を表し、慎重に言葉を選んでいるらしかった。
「…つまり、国の援助制度がご立派すぎる。病人まで兵役に駆り立て、死んだら莫大な保証金が出るとそそのかすやり方が気に入らない」
「それなら進学という手もあっただろう?」
「私たちは親がいないので進学はできない」
「給付制度がある」
「戸籍がない」
「その割には、すいぶんと立派な義手足だけどな」
「!」
いきなり手首を取られ、アランはびくりと身をすくめた。
つかまれた腕を高く掲げられ、見透かすように覗き込まれた。
「おい!」
慌てたフェルディナンが、蒼白して2人の間に割って入ってくる。
「こいつに触るな! 腕を離せ!」
大声でわめかれて、ヴァンは渋々というように距離を取った。
「この街に義手足の人間は腐るほどいるが、お前ほど立派な装備は見たことがない。よほど才能がある職人なんだろう。専門家が見たら一目瞭然だ。そうだろ、アラン?」
じっと見据えられ、思わず顔をしかめた。
「身寄りがないと言っていたが、実は強力な後ろ盾でもあるんじゃないのか」
「…なにが言いたいんですか」
「パトロンでもいるのかと。最近は、少年を『飼いならす』貴族も多いと聞くから」
「おい、いい加減にしろよ! 王太子だからって何を言っても許されるものじゃないぞ」
「フェル」
怒ったフェルディナンが拳を振り上げるのを見て、アランは慌ててそれを制した。
大きく息を吐き、つとめて冷静な面持ちでヴァンと向き合うのに苦労した。
「そりゃまぁ確かに。お貴族さまに愛されたら、今よりもっと良い暮らしができるのでしょうけどね。あいにく金持ちをたぶらかすほどの色気がなくて」
皮肉めいたアランの口調に驚き、今度はヴァンの方が冷や汗をかいた。
「…あ、いや。…すまない、口が過ぎた」
片手を振り上げ、心底申し訳なかったというような態度に、アランの方が驚かされた。
「謝りすぎじゃない? なんでそんなうろたえるの?」
「…えぇと、つまり、お前たちの素性を調べたが、身元が分からなかったのだ。それで、どういう育ちをしたのかと気になって。…どんな豊かな国だろうと、子供2人が生きていくのに楽であったと思うほど、オレは世間知らずじゃないつもりだ」
「──」
「お前たちは、この士官学校で働いて長いのか」
アランとフェルディナンは顔を見合わせた。
「まぁ、割と」
「そうか、その前はどこにいた?」
「どこって…」
「身寄りはないんだろう。その人工手足は、誰か親切な人が作ってくれたのか?」
「…はぁ?」
フェルディナンがうんざりしたように肩をすくめた。
「なに言ってんだ、こいつ。ワケわかんないぞ。この世の中にそんな聖人君主みたいな輩がいるわけねーだろ」
そう言い放ったとたん、背後でがさりと物音がして。
アランとフェルディナンは、今度こそ王太子侮辱罪で逮捕されるのではないかと、肝を冷やした。
■□■□
振り返った視線の先で。
数枚の書類を手にした若い男が、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。
王太子の専属護衛官・ファングだ。
「どうした、ファング。どこに行ってた」
ヴァンが声をかけると、彼は気落ちした様子で息をついた。
「この2人の処分について、校長に掛け合ってきたのですが。『とても優秀な職員なので、罷免する気はない』と言われました。…罰を与えるなら、その辺の草むしりでもやらせておけと」
そのセリフに大爆笑したのは、フェルディナンだ。
「おもしろすぎる! 王太子に迷惑をかけた代償が草むしり?! いいよ、それぐらい。いくらでもやってやるよ。なぁアラン?」
「…まぁね」
ふいに話を振られ、アランは苦笑して頷いた。
これで話が逸れてくれるなら助かる、とホッとしたのだが。
意外にも、王太子の傍らに立ったファングは、冷ややかな視線でこちらを見据えてきた。
「校長から聞きましたよ。君たちの戸籍がないのは、12年前のクーデターで親を殺された戦災孤児だからでしょう」
「!」
ぎょっとしたアランを見つめ、ヴァンは呆然とした。
「…あ、…そうなのか?」
「それでバフィト王家を逆恨みして、パレード中の王太子を殺す気だったに違いありません。やはりこの2人は信用できませんよ、ヴァン殿下」
「…、」
ファングの鋭い口調に、アランが唇を引き結ぶ。
瞬く間に、沈黙が広がった。
気まずい空気を断ち切るように、口を開いたのはヴァンだった。
「…えぇと、あの、アラン?」
戸惑い気味の声音が、彼の唇から漏れた。
「その、ご家族のことは残念だったと思う。しかし復讐なんてものは終わりがない。非暴力主義を主張しながら、兵役にはつかないくせに、人を殺すのはどうだろう。お前に、国王やオレが本当に討てるのか」
「はいはい、なんだよ今度は説教か? ご立派なことだな、王子さま」
アランをかばうように立ちはだかったフェルディナンが、声を張り上げた。
「お前ら軍人がやってる戦争だって、復讐の繰り返しだろ。人のこと諭せる立場か。…クーデターに恨みを持つ人間はオレたちだけじゃない。それを知ってるから、アンタだって偽者と入れ替わったんだろ?! 命を狙われていると分かっていても、潔く迎え撃つ勇気もない小心者のくせに!」
「小僧! 立場をわきまえろ」
ファングが、飛びつくようにフェルディナンの襟首を掴んだ。
それを足蹴にし、フェルディナンは反撃の意を表明してファングに食ってかかり、強固な拳がファングの腹を直撃した。
「フェル! やめろ!」
声を上げたとたん、今度はファングの拳が、アランへと向かってくる。
アランをかばうように押しのけ、
「よせ! アランに触るな!」
フェルディナンは吐き捨てるように声を荒げた。
「ふざけんな! てめえこそ立場を考えろ。下士官風情が何様のつもりだ!」
「なんだと?! 下士官風情とはなんだ。お前らのような一庶民に愚弄される謂れはないぞ」
「やめろってフェル!」
アランが、悲鳴のような声を上げる。
フェルディナンの腰にしがみつき、引きずるようにして無理矢理2人を引き剥がした。
その時だ。
突然、辺りに銃声が鳴り響いた。
ピストルを構えたヴァンが、無言のまま空へと銃口を掲げている。
全員が呆然とする中。
「…もういいだろう」
ヴァンは、疲れきった声を吐き出した。
なにかを言おうとした彼を、アランは挑むように睨みつけた。
「戦争好きな王太子殿下」
「…その言い方はやめろ。別に、好きなわけじゃない」
「でも、あなたは軍国主義のお世継ぎでしょう?」
アランの放った皮肉に、フェルディナンは満足したようにくっと笑った。
愛すべき従兄がようやく冷静に戻ったことに安堵し、アランは視線を上げた。
「あなたを狙っているのは周辺国だけではないかもしれませんよ。背後から撃たれないよう、せいぜいお気をつけることです」
「っ!」
「あぁ。草むしりの罰は甘んじて受けますから、ご心配なく。今日はもう失礼します。さぁ行こう、フェルディナン」
アランは促すように背中を押すと、フェルディナンの腕を掴んで、その場を後にした。
■□■□
深夜すぎ。
ふと目が覚めたアランは、寝室を抜け出して外に出た。
士官学校の別棟から裏庭に出ると、そこは鬱蒼と茂る緑に囲まれていて、足を踏み入れる者など1人もない。
月明かりの下。
柔らかな星が、瞬いている。
アランは夢遊病者のように足元をふらつかせながら、疲弊した身体を休めるようにその場に座り込んだ。
呼ぶまでもなく、瞬く間にファミリアたちが集まってくる。
裏庭の端に内緒で植えた露桟敷の苗は、ここ数年で大きく成長して、たくさんのファミリアたちを生み出すようになった。
普通の人にはただの光にしか見えないが、もちろんアランの目には、ちゃんと妖精の姿として映っている。
まるで何かを語りかけるようにちかちかと点滅しながら。
ファミリアは浮遊しながら、アランに寄り添ってきた。
「こんばんは。いい子にしてた?」
その声に応えるように、小さな羽根が揺れる。
彼らがいたずらっ子のようにアランの髪をくいっと引っ張ると、その髪は瞬く間に色を変え、黒髪から美しい金糸へと変化を遂げた。
ファミリアがアランの頬に触れると、その身体はゆっくりと男性から女性へと変貌し、誰もが忘れかけていた《アレクシア・クリスタ》の姿を、月光の下に蘇らせた。
ファミリアたちが、何かをささやいている。
アレクシア・クリスタは、その《声》に耳を傾けた。
まるで小さなおしゃべりをするように…優しい時間が戻ってくる。
そんなひと時に夢中になっていると、
「アレクシア」
ふいに声をかけられ、はっと我に返った。
庭に立ったフェルディナンが、複雑な表情で立ちすくんでいる。
「こんな夜中に、どこに行ったのかと思ったら」
呆れたような声で呟きながら、彼はアレクシアの隣に座った。
「…えぇと、…大丈夫か」
その言葉に、思わず目を細めた。
「私は平気。そっちこそ、今日はやりすぎたね」
「悪かった。あのファングとかいう護衛を殴ったのは、失敗だった」
憂いた横顔を隠すように、フェルディナンは両膝を抱えた。
そんな彼を慰めるように、小さな光が寄り集まってくる。
頭を撫でるようなしぐさをするファミリアたちを、フェルディナンは無言で迎え入れた。
「よくここまで増やしたな」
「ファミリアは、私たちの希望の光だ」
「そうだな。…ファミリアと何を話してたんだ?」
「バフィト国王に取り入るための戦略を」
「えっ」
アランが即答したものだから、フェルディナンは息を飲んだ。
かつて《平和の象徴》とまで言われたダリール公国の守護妖精に、まさかそんな相談をもちかけるなんて、罰当たりだ。
だがアランは気に留めることなく、ふふ、と笑ってみせた。
「それで、ファミリアはなんて?」
「…なにも。ファミリアはバフィト国王の殺し方を教えてはくれない」
アランが微笑すると、
「そうか」
フェルディナンは、諦めぎみに頷いて立ち上がった。
「まぁそんなもんだよな。おやすみアレクシア。早くベッドに戻れよ」
「うん、おやすみなさい」
「それと…あの、…その姿は…、誰かに見られたら…」
この国で《アレクシア・クリスタ》でいることは、危険を伴う。
そのために、わざわざファミリアの力を借りて《アラン》という男に姿を変えているのだ。
フェルディナンが何を言いたいのか察して、アランは申し訳なさそうに小首を傾けた。
「分かってる。…もう二度としない」
「うん。それならいい」
いつか…、
アレクシア・クリスタとして、
フェルディナンも《プルーデンス・ユー・ルノー》として、
ダリール公国の生き残りであることを、堂々と公言できる日が来るといいのに…
果たしてそんな日が来るのだろうか、と。
アランの中に、小さな不安が渦巻いた。