第二章「邂逅②」
ビルからガス管を伝って街路に下りたアランは、そこでフェルディナンと合流した。
人目を避けるように路地に入ったとたん、従兄のフェルディナンにバシッと頭を叩かれた。
「このバカ! ヒヤヒヤさせんな!」
「…ごめん。助かった」
「オレがボウガンを射なかったらどうなってたと思ってんだ。あんまり勝手なことすんな。面倒見切れないから」
「…分かってるってば」
フェルディナンが助けてくれなかったら、今頃どうなっていたか。
あの妙なムチを使う護衛兵に捕まって、即座に投獄されていたかもしれない。
「でも、フェルディナンなら助けてくれると思ってたよ?」
無邪気な顔でにこりと笑うと、彼は複雑な表情で眉をひそめた。
「よく言うよ。それより具合はどうだ。壊れてるところはないか」
アランの足元に両膝をついた彼は、ぺたぺたと四肢に触りながら、義手や義足の関節を動かして入念に調べ始めた。
「大丈夫そうだな。…あんまりムチャしてくれるなよ。オレの技術は親父より劣るんだから」
「そんなことないよ。いつも頼りにしてるよ」
かつてフェルディナンの父親は、腕のいい時計職人だったが、今ではさらに高性能な義手足制作の天才メカニックでもある。
そして息子であるフェルディナンもまた、父親の才能を引き継ぐようにアランの義手足のメンテナンスを担当してくれている。
「アラン。さっき護衛兵とモメてただろ? 大丈夫なのか」
「どうせ身元なんか分かりゃしないよ。この町には義手や義足の人間なんて腐るほどいるんだから」
「まぁ確かに」
それに、あのマントも盗品だ。
仮に持ち主が分かったところで、アランの居場所までは辿りつかない。
ましてやアランが女性だとは…
かのダリール公国の第一公女アレクシア・クリスタだとは、
絶対に誰にも気づかれないだろう。
「…ファミリア」
路地裏で、アランはファミリアを呼んだ。
ぽうっと小さな光が浮かんだと思った瞬間。
オレンジ色に点滅した明かりが、擦り傷だらけのアランを癒すよように頬や額に触れてくる。
「ファミリア。いい子だね」
このファミリアの力のおかげで、アランは別人のように生まれ変わった。
髪の色も、瞳の色も、そして性別も…
かつての公女アレクシアとは似ても似つかない容姿に、フェルディナンが苦笑した。
「あのアレクシア・クリスタがまさか男になって生きているとはね。バフィトの国王が知ったらひっくり返るだろうさ」
「その時が年貢の納め時だ」
「だな」
腰の長剣を引き抜いたアランは、そこに刃こぼれの痕を見つけて、眉根を寄せた。
帰ったら、剣の手入れをしなくちゃならない。
やはりライフルは諦めよう。
フェルディナンに、ボウガンの使い方を教えてもらうのもいいかもしれない。
どちらにせよ、クーデターから12年。
これ以上グズグズしてはいられなかった…
■□■□
プラスコリア士官学校の朝は早い。
学生としてではなく、雑務課の下働きとして勤めるようになって早4年。
目が回るような忙しさにも、ずいぶんと慣れてきた。
「おはよう、アラン。今朝の新聞記事見たか?」
フェルディナンから渡された朝刊を一瞥し、庭のはずれでパンをかじっていたアランは、無言で頷いた。
「見た。…王太子暗殺なんて、どこにも書いていない」
あの時。
アランは、まちがいなく銃声を聞いた。
そして『王太子が撃たれたぞ!』と誰かが叫ぶ声も。
なのに、
そんな騒ぎはなかったかのように、新聞の一面は王太子の成人パレードについて埋め尽くされている。
「一部の情報では、パレードを盛り上げるための《演出》だったとも言われているぞ。死んだと見せかけて実は生きてたなんて、ミラクルすぎて笑えるよなぁ?」
そのセリフが、まるでアレクシア・クリスタを揶揄しているようで。
アランは不愉快そうにパンを飲み込んだ。
「じゃあ、撃たれた王太子も偽者?」
「12年前のクーデターに反感を買ってるヤツもいるだろうし。命を狙われてる可能性を思えば、替え玉を使うのは当然の処置だろ」
ダリール王家に恨みを持ってるのは、アランたちだけじゃない。
あのクーデターで愛する家族を失い、家や、仕事を失い、泥水に使った靴で生きながらえた国民も多いのだ。
「ダリール王国は、そうして多くの犠牲を払って、強く大きくなったのだな」
「といっても、王太子の実力は未知数だけど」
見下げるように、フェルディナンが苦笑した。
「ヴァン王太子は現在、ニーナ国境の駐屯地に赴任中なんだと。パレードで散々もてはやされて、ご満悦で兵役に戻ったんだろうが。苦労知らずのお坊ちゃんが、どこまで本気で軍を総締できるか、想像したら笑えるよな」
「…お前は昔からヴァンが嫌いだよね、フェルディナン」
「すましたツラでいい子ぶってるところがムカつくんだ」
「あー、そう」
アランは、思わず呆れて肩をすくめてしまった。
その直後だった。
「それは失礼したな。不快な思いをさせていたのなら申し訳ない」
「!」
背後からいきなり声をかけられ、2人は心臓が止まりそうなほど驚いて飛び上がった。
見覚えのある男が、ニヤニヤと笑いながらこちらへと近づいてくるところだった。
■□■□
「誰? 知り合いか、アラン」
フェルディナンに尋ねられ、唇をへの字に曲げて頷いた。
「…ほら、例の、ビルの屋上でケンカ売ってきたムチ男」
「あー、護衛兵の」
2人の会話に目を細め、男はマントを翻して歩を進めた。
「こんにちは、お坊ちゃん。また会ったな」
そんなセリフに、アランとフェルディナンは顔を見合わせた。
この状況。
どう考えても、偶然じゃない。
なぜ居場所がバレたんだろうといぶかしみつつ、2人はじりじりと後退して距離を取った。
それを察したように、男が擦り切れた古いマントを差し出した。
「忘れ物だ」
「…身に覚えがないけど、人違いでは?」
「そう思うのなら、お前はずいぶんと単細胞なんだな」
鼻で笑われてしまい、むうっと唇を尖らせたアランの傍らでフェルディナンが頭を抱えた。
「なんの用ですか」
「それはこっちのセリフだ。反逆罪で捕まっても文句言えない立場のくせに」
「…だって、何も悪いことしてないですし」
「それはどうだろう」
あくまでも無実を主張するアランに、男が微笑した。
「さっさと国外逃亡しとくべきだったかもな。任意連行するのも面倒だし、いっそここでカタをつけるか?」
独り言のように呟いて、男は2人の足元にガシャン!と1挺のライフルを投げ置いた。
それは昨日アランが、ビルの屋上に置いてきたものだ。
イヤな予感がしていると、
「これはお前の持ち物だな」
と、男が尋ねた。
「…だったら何?」
「うまく改造してあるが、これは当校の武器庫で保管している組み立て式小型ライフル《APPS-タイプ4》のレプリカだと判明した。しかも本物は一度武器庫から無断で持ち出され、数日後に返却された形跡がある。…必要とあらば指紋鑑定を行う準備もあるぞ。それを踏まえて犯人探しに協力して欲しいのだが。…あぁ、もちろん君たちに拒否権はあるとも。これしきのことで校長以下関係者のお手を煩わせるのも面倒だからな。しかし、軍部の人間が調査のため連日のように当校に出入りすることを考えたら、ここは潔く我々に協力するのが得策かと思うのだが、いかがなものだろう」
「…」
「…」
ものすごく早口でまくしたてられ、フェルディナンがパニックになっている。
アランは忌々しげに奥歯を噛みしめた。
「ようするに任意同行しろってこと? あんなオモチャごときのライフルのために? 殺意はないって言ったよね?」
「あぁそうだ。たしか射撃練習をしていたんだっけ? 王太子の成人パレードの最中にな!」
「…なにか言いたいの」
雲行きが怪しくなってきた気配を察したアランに目を細め、彼が小さく笑った。
「別に王太子殺害未遂捜査に協力しろと言っているのではない。しかし重要警備の職務を邪魔した罰は受けてもらわなければならない」
「…なんだそれ」
アランは呆れ果てた。
そもそも殺害未遂なんて事件は、存在しなかった。
撃たれた王太子は、ただの替え玉で。
そんな騒ぎがあったことすら、軍部はメディアに圧力をかけて無かったことにしようとしている。そんな稚拙な神経の持ち主ばかりが大きい顔をするなんて。
今さらだけど、この国は本当に姑息なドブネズミに成り下がってしまったのだと絶句した。
すると、
「なぁ、アラン」
従兄のフェルディナンが、珍しく神妙な面持ちで肘を突いてきた。
「ここはおとなしく従っとこうぜ」
「えぇ?!」
「面倒くさいことに巻き込まれるのはごめんだ。罰を受ければ無罪放免なんだろ。その方がずっと楽じゃないか」
「そうだけど」
服従を渋って困惑していると、男は賢明な判断だと言わんばかりに頷いた。
「賢い選択だな。王太子を狙ったのでないにしろ、あんな時間で、あんな場所で、パレードの最中にライフル演習など言語道断。加えて、職質の軍兵に剣を向けるなど、お前たち2人が未成年なのを考慮しても『ただの出来心だった』と言い逃れできる話ではないからな」
その言葉に、アランは肩をすくめた。
やれやれとばかりに息をつき、面倒くさそうに男を睨みつけた。
「ものずこく横暴だと思うんだけど、あなたみたいな一介の軍人に、そんな権利があるわけ?」
「もちろん、あるとも。ここは軍事政権下にあるバフィト王国で、オレは第一王子。お前らのライフル遊びで、うっかり殺されそうになったヴァン・テ・ラトュール・バフィト王太子だからだ」
呆気に取られて棒立ちになるアランの横で、フェルディナンが青ざめた。
「コイツが王太子?! ちょっと待て。ヴァンは今、国境の駐屯地に赴任中じゃなかったか?!」
「成人したのを機に、今月から内陸の転属が決定したんだ。さらに、この士官学校の監督も兼任するから、どうぞよろしく。…というか、そこのお前。オレを呼び捨てにするな」
ヴァンに人差し指を突き立てられ、フェルディナンは愕然として言葉を失った。
「…おい、ウソだろう? それなら話は変わってくるぞ」
ようやく吐き出されたその声音すら、外気に溶けるように細い。
「お前が、ヴァン王太子。…まさか…、お前が…、本当かよ」
2人してすっかり毒気を抜かれていると、
「そんなことより、そこのガキ」
ヴァンが、アランを指差して声をかけた。
アランの肩先を鷲掴み、むりやり振り向かせて顔を近づけてくる。
その勢いに目をまるくした。
「な、なんですか」
格好悪いことに、相手が王太子と知るや、アランの口調が丁寧になった。
その変わり身の早さに、フェルディナンが嘆息したのに気づき、ますます心地悪くなった。
「マントやライフルを現場に残して立ち去ったのは、わざとじゃないのか?」
「!」
意表をつかれ、アランは思わず言葉を失った。
「…なぜ?」
「歳の割にずいぶん聡く見えたから、かな。…もしかしたら軍の捜査能力を試されているのかと思ってね。オレたちがここに来るのを、本当は予測してたんじゃないのか?」
「…へぇ」
これは意外な発言だった。
ヴァンを一兵卒と勘違いして、甘く見たのは事実だが。
彼がそこまで深読みするとは考えていなかった。
フェルディナンでさえ気づかなかったことを、なぜこの男は…と感嘆した。
「軍もバカじゃないんだな。それとも、よほどヒマなのか」
「優秀と言え」
「はは。そこまで躍起になるほどの案件でもなかったろうに。…でもまぁ、見直した」
アランは、くすりと笑った。
わずか1%の可能性に賭けてヴァンと親しくなり、それを足がかりにバフィト国王に取り入ろうと思っていた――なんて、口が裂けても言えない。
それこそフェルディナンにバレたら、説教どころじゃ済まないだろう。
しかし王太子が思ったほど愚鈍じゃないことを知り、アランの表情が緩んだ。
「ところでお前たちは、この士官学校で働いてるのか? その年齢なら十分、兵役につけるだろうに。なぜ志願しない?」
「…私たちは《ロディオン》なんだ」
「おっと、」
ヴァンは予想外だというように、言葉を飲み込んだ。
《ロディオン》は、戒友院という宗教の一派で、非暴力主義を教義にしている。
戦争やケンカを忌み、非公式なボランティア活動を行う良心的な《兵役拒否者》の集まりだ。
しかし、そんな人間がライフル片手に王太子相手に射撃練習、とは疑わしい。
いったいどこまで事実なのやら。
ヴァンは、なおさらこの2人に興味を抱いた。
「なるほどね。戦争はお嫌いってか?」
「…興味ない」
アランは、ふいと顔をそむけた。
「興味がないとは?」
ヴァンはますます惹きつけられて、身を乗り出した。