あの子に会いたい
は、っと目が覚めた。
あと三十分で朝食の時間だ。慌てて階段を降りる。外は明るく、鳥のさえずりが聞こえた。
台所には昨日畑で収穫した野菜や卵が並んでいる。
夜にタイマーでセットしていたご飯の炊ける音がし、目玉焼きと野菜炒めを作った。今まで料理なんて全くしなかった自分には大きな進歩だ。
「ケンさんー居ますかー。」
食べ終えた皿を台所へ持っていくと、
玄関から隣の家に住むハナおばさんが訪ねてきた。広いこの土地では隣といってもだいぶ距離がある。向こうに小さく見える青い屋根がハナおばさんの家だ。
「どうしたんですか?」
「おじいさん、ここを出て行かれるんですって!」
おじいさん、と皆に呼ばれているのは最初に家まで案内してくれた老人だ。長い間ここにいるおじいさんとハナおばさん。皆の面倒見も良い。
「そうなんですか!おめでたいですね!」
「そうなの、だから皆でお別れパーティーをしようと思って。」
わくわくした。おじいさんとお別れするのは悲しいが、おじいさんにとっては嬉しい話のはずだ。定期的に帰れるとはいえ、本格的になると喜びもひとしおだろう。
自分のことに置きかえると、涙が出そうになった。この間帰ったはずが、もう何年も会っていないようなーー
ずいっ、とハナおばさんがバスケットを差し出した。
「大きなケーキを皆で作るの!ケンさんには果物を取ってきてもらおうと思って。」
初めに見た木の他に、イチジクやスイカなんかも採れるらしい。イチジクなんて食べたことがなかったので、お裾分けで貰ったときは驚いたものだ。
「もちろんです!みなさんには卵を分けてもらったりお世話になってますから。」
「あら、ケンさんのところは美味しいトマトが実ったのをくれたじゃない。評判良いわよ。どうやって作ったの、って。」
うふふ、と大きな体を揺らして笑った。
この顔から中々女性陣に馴染めなかった俺も、トマトの出来が一番良かったことから、お礼に配っているうちに仲良くなれた。
そのトマトもバスケットに入れ、木に収穫をしに来た。既に若い男性が何人か集まっていた。
「お、ケンさん!」
「あ、一郎さん戻ってたんですか。」
「あ、はい。おかげさまで。」
「楽しかったですか?」
「もちろんです。ケンさんももうすぐなんでしょ?」
「ええ、楽しみです。」
同じ境遇の仲間だからか男同士はすぐに打ち解けられた。やってしまったことの話題に集中してしまうかと思いきや、一度もその話が出たことはなかった。だからこの一郎さんも何故ここにいるのかは知らない。でもそれでいいのだ。……まるで生まれ変わったかのような気持ちになっていた。
一郎さんたちとするすると木に登り、林檎をもいだ。みずみずしい林檎は朝日を浴びてツルリと輝いている。この歳で木登りなんて、もう出来ないと思っていた。
「これ、持っていきましょうか。」
重くなったバスケットを抱えて、おじいさんの家へと向かった。
ケーキは跡形もなく食べ尽くされた。おじいさんはお別れパーティーが開かれたことにとても喜んでいた。「帰れるのは嬉しいが、ここを離れるのは寂しいのう。」と、目から涙をポロポロ零した。思わずもらい泣きしそうになった。
海の手前でお見送りをする。そういう決まりがある。皆はおじいさんがいなくなるまで手を振った。
「入ってくる人は多くても、出て行く人ってーーーーーーーー。」
「ーーーーー。」
「ーーーーーーー。」
「……今、何か言ったか?」
「……いえ、何も?」
一郎さんと顔を見合わせた。
パーティーの後片付けは思いの外早く終わった。ケーキがお昼ご飯だったので、夕食は気合を入れてみた。
明日、久々に家族に会えるのだ。楽しみでご飯が喉を通らないと思ったが、よく食べた。
夜もぐっすり眠れ、目覚めが良かった。
ずっと夜型生活だった自分が、時間を守り早起きできるようになっていることに驚いた。
前回会ったときの娘の姿が、ぼんやり浮かんでは消えた。元気にしているのだろうか。
赤ん坊もスクスク成長しているだろうか。
前回、玄関で大泣きされたことを思い出した。
気が付けば、もう家の前だった。この間と風景に変化がなくホッとした。俺がいなくても、なんとか生活できているようだ。
ノブを押す手が震えた。
「ーーパパ!!」
小さな女の子が走る。
その後ろから赤ん坊を抱いた女性も駆け寄ってきた。
子供と妻だ。
「大きくなったなあ、」
手が女の子の頭を撫でた。
昨日までの生活と違いすぎて、なんだか遠くから見ているような錯覚に陥る。
女の子の目にみるみる涙が溜まり、決壊した。うぇーーん、と泣く女の子に合わせて、赤ん坊もびぇええええと泣く。よしよし、と母親が赤ん坊をなだめる。
「ほら、お父さんにただいまは、?」
そう言う母親の目にも、涙が溜まっていた。