5.おっカブトムシじゃん
「すっげぇ石の壁! 超カッコイイじゃん!」
街が見えてきたことに俺が興奮していると、エドガーが鼻で笑う。
「ったく、典型的な田舎もんかよ。そんな調子じゃ、先が思いやられっわ。ボロ出すんじゃねーぞガキ、しっかり顔隠せよ」
言いながらエドガーは背後へと目を向け、それから顔を真っ青にした。
「おいスピードを上げろ! ビートルレックスだ! 遠いが、このペースじゃ追いつかれんぞ!」
エドガーが御者台にいる、馬車の持ち主の男へと叫ぶ。
「はっ、はいぃっ!」
男は返事と共に、鞭を振りあげる。
馬車はスピードを上げ、大きく揺れた。
「なんで、なんでこんな街近くに大型魔獣が……」
「後ろ振り返ってる暇があったら馬のケツをぶっ叩け! 全然遅ぇんだよ! このままだと死ぬぞっ!」
エドガーが怒鳴ると、男はすぐさま前を向き直した。
俺も後ろを見て、ビートルレックスとやらを確認してみる。
トラックくらいにデカいカブトムシだった。
長い凶悪そうなツノをこちらに向け、突進してきている。
馬鹿速い。
このペースだと絶対に追いつかれる。
「おいおい……あんなもん、森でも見たことねぇぞ俺……」
「クソがぁっ!」
エドガーが積んであった荷物を勝手に持ち上げ、後ろの道へとばら撒いた。
音を聞いた男が、御者台からこちらを振り返る。
「ああっ! なんてことをっ!」
「馬鹿言ってんじゃねぇぞ! ちっとでも軽くした方がいいに決まってんだろうが! 死にてぇのかテメェは!」
エドガーに一喝され、男はまた前を向き直す。
それから半身だけで、ちらりとまたこちらを向く。
「んだよチラチラと! テメェがガン飛ばしたってあの魔獣は退かねぇぞ!」
「いえ……貴方、B級冒険者だと仰っていましたよね? だったら……」
「だったらなんだ? あんな化け物相手に闘えってかぁ? ああ? 馬鹿言ってんじゃねぇぞ無理に決まってんだろうがぁっ!」
「でもB級でしたら……」
「うっせぇな! 俺様は、陽動とか偵察がメインなんだよ! 相性が悪いし、そもそもビートルレックス単独で倒せるような奴なんかいねぇわ!」
男は荷物が捨てられているのと見てぐっと下唇を噛み締め、それからすごすごと前を向き直る。
「なあ、オッサン。これ、絶対追いつかれるぞ」
「……馬車を囮に逃げるか。ビートルレックスは、馬車に突っ込みたがる性質があるらしいからな。馬鹿だから、馬車を敵対してる中型魔獣だとでも思ってるのかもしんねぇ」
「かかっ勘弁してくださいよぉっ! 馬まで失ったら私、首を吊らなきゃいけません……」
「だったら一旦止めて降ろせ! 俺様を自殺に巻き込むんじゃねぇっ!」
「止めたら追いつかれるじゃないですかぁっ!」
「止めなくても追いつかれんだよっ!」
エドガーと男が口喧嘩を始める。
んなことしてる場合じゃねぇんだけどなぁ……。
俺がちらりと後ろを向くと、ビートルレックスはすぐそこまで迫ってきていた。
今すぐ止めて降りないと逃げる機会を失くすのは確実だった。
「火魔法、『炎の壁』!」
俺が後方に手のひらを向けると、馬車のすぐ後ろから炎が巻き上がる。
ビートルレックスは止まる気配さえも見せず、そのまま炎の壁に呑み込まれていった。
「な、なんだよガキ……そんな芸当できんならとっととやっとけよ」
「いや、距離があったら避けられるだろ。つっても……意味、なかったみたいだが」
「あ? おい、そりゃどういう……」
ビートルレックスは、炎の渦の中からあっさりと姿を現した。
減速さえしていないし、黒光りする体表には焦げ痕ひとつ見つからない。
「……避ける気配がなかったから、多分火を恐れてないんだろうと思ってな」
あの甲殻、かなり頑丈そうだ。
あれだけ凄まじい速度で走りながらも、その足にも掠り傷ひとつない。
「あれ倒そうと思ったら、ぶん殴って中身に衝撃を伝えるしかないんじゃねぇのか」
「馬鹿言ってんじゃねぇぞガキ! ビートルレックスに力技で挑んで勝てるわけねぇだろうが!」
ビートルレックスが充分ヤバイのはわかったが、このままだと、どの道馬車ごと粉砕されるのは目に見えている。
ついに、ビートルレックスのツノ先が馬車の一部を穿った。
大きな破壊音がし、後方部分がぶっ壊れる。
馬車全体が大きく揺らされ、馬が悲鳴のように嘶き、スピードを一気に上げた。
おかげでまた距離が開けたが、馬の体力がまず持ちそうにない。
「降りてぇっ! 貴方達、降りてくださいぃっ! そうしたら、馬車がちょっとは軽くなりますぅっ!」
「大して変わるかぁっ! どの道もう、馬車止める余裕もねぇだろうが馬鹿か!」
「飛び降りてくさいっ! 飛び降りてくださいぃっ! お願いですからぁっ!」
「馬鹿か、こんな速さの中飛び降りたら死ぬだろうがぁっ!」
俺は言い争いをする二人を尻目に、ムーを座席に置いて馬車の縁に足を掛ける。
「おいガキ! 何やってんだ!」
エドガーの声が聞こえたが、俺は無視して馬車から飛び降りた。
地に足が触れた瞬間、慣性力に引き摺り倒されそうになるが、なんとか堪える。
かなり擦ったが、魔力で皮膚強化を行ったので血は出ていない。
「テ、テメェだけ逃げるつもりかぁっ! 卑怯だぞぉっ!」
馬車にムー子を乗せているというのに、誰がそんなことをするものか。
俺はビートルレックスと、正面から対峙する。
腕を魔力で強化し、ツノを両手で受け止める。
10メートル近く押し込まれたところで、ようやくビートルレックスの動きを止めることができた。
このまま持ち上げてひっくり返してやろうかと思ったのだが、想像以上に凄まじい力だ。
キラーベアの比ではない。
根競べを続けていれば、負けるのはこっちだろう。
しかしこの状況ならば、多少発動のラグがある魔法でも、ビートルレックスに的確に当てることができる。
「土魔法『土偶の角』!」
俺が唱えた瞬間、辺りが揺れ出す。
ビートルレックスの真下の大地が隆起して槍を象り、そのまま腹部を貫いた。
「キシャァァァァアッ!」
カブトムシは腹部が一番柔らかい。
ビートルレックスもそれは同じだったようだ。
どんどんビートルレックスから力が抜けていき、やがて動かなくなった。
遠目からビートルレックスが死んだのを確認したらしく、半壊している馬車が戻ってきた。
「や、やったのか? ビートルレックスを、たったの一人で?」
馬車から降りたエドガーが、ゆっくりと俺の元へ近づいてくる。
「腹の中掻き回したから、多分死んでんだろ」
エドガーはぺたぺたとビートルレックスの身体を触る。
「……あり得ねぇ」
小さく呟いてから、エドガーは自分の腰に手を当てる。
「ナイフ……は、テメェに壊されたんだったか」
「いや、あれはどっちかというとアンタが自分で壊したって言った方が正しいと思うぞ」
エドガーは馬車へと走って戻っていく。
「おい! 馬車ん中に、ナイフかなんかねぇのか! 使えそうなもんだったらなんでもいいから貸せ! 部位ごとに解体して街に持ってくぞ!」
声が弾んでいた。
エドガーは何をそこまで興奮しているんだ?
「どうしたんだオッサン? ひょっとしてカブトムシ食える人?」
「馬鹿かテメェは! 武具の素材として売れんだよっ! 金、テメェは金ことわかんないだろ? 俺様に任せろ! 俺様が管理してやっから。な? な? それいいよな?」
「お……おう」
刃物での解体は上手く行かず、馬に紐を括り付けて引っ張ってもバラすことはできなかった。
肉もそれなりに硬かったのだ。
結局、俺がビートルレックスの肉を火魔法で焼き尽くし、土魔法で切断することでようやく持ち運べるサイズになった。