30.司教、ネログリフ
「え~と、そうね、これとこれとこれと……後これも気になるかな。うん、これで5000Gで買い取ってあげても……」
カナリアは、俺がひっくり返した麻袋の中身から、指輪やら金の箱やらをいくつか手許に寄せる。
だいたい1Gが10円だと俺は認識しているので、5000Gで5万円前後なはずだが、この調子だと指輪1個8000円程度の計算になる。
夜店のパチモンじゃなくて腐っても魔王城から出てきた奴なんだから……もうちっとくらい価値あると思うんだけどな、さすがに。
つっても、こっちの世界の感覚はよくわからんからなぁ……。
「あ、その金の箱、あんまし触んねぇ方がいいぞ」
「ふぇ? なんでさおにーさん?」
中身を確認しようと箱を開けようとしていたカナリアが首を傾げる。
「なんかミニックっつう、小っちゃい魔物らしいわ」
ミニとミミックを掛けたネーミングなのだろう。
宝箱に擬態し、人を騙して襲ってくるゲームによくいるアレだ。
固体によって箱の外装にも差異があるため、見抜くのはなかなか困難なのだとか。
ミニックにも種類があり、このミニックは人の欲望とか嘘とか悪意に反応して手に噛みつくらしい。
因みにそれを説明してくれたエドガーはきっちり噛みつかれ、指を持っていかれかけていた。
あのオッサン俗物代表だからなぁ……。
モンスターだけど、実害は少なくて面白かったかので拾ってきた。
まあ、カナリアなら多分噛まれないだろ。
あんなのに噛まれんのはオッサンくらい「痛い痛い痛い痛い! 取って取って取ってぇっ! 泣く! 泣くよ! 泣いちゃうから!」
「…………」
カナリアは腕を振り回しながら半泣きで叫ぶ。
俺はカナリアの腕を押さえ、ミニックを指で小突く。
コンッと心地よい音の後、「きゅむ」と小さな鳴き声がして、カナリアの指からミニックが外れる。
「あーもう、先に言ってよって! びっくりしたぁ、死ぬかと思った。……ん、どしたの?」
「い、いやなんでも……」
やっぱりこの娘、駄目な気がしてきたぞ。
信用できそうな店だけ参考に聞いて、一旦別れた方がいいかもしれない。
「悪いんだけど、ちょっと何店か回って比較してみたいなと思ってさ。そういうのにも慣れときたいし」
「え、えー! なんでなんでぇっ! いやでも、ほら……!」
カナリアは俺の持ち物を眺めていたのだが、ゴブリンキングの王冠を見つけたところで目を止める。
「うん? あれ? え? おにーさん、それどこで?」
この驚き様、これがゴブリンキングのものであると知っているかのようだ。
「旧魔王城に荷物持ちとして潜ってきたときに拾ったんだよ。俺は今、あるB級冒険者に弟子入りしててな。こういう雑用とかやらされんの」
「旧魔王城に!? へ、へぇ~……あ、その王冠ならひとつで、1万Gで買い取ってもいいかなぁ~って」
「これムー子のお気に入りだからなぁ」
その場を離れようとしても腕を掴まれ引き留められ、ぐだぐだの交渉が続く。
そんな中、こちらに近づいてくるふたつの足音が聞こえてきた。
たまたま近くを通ったというわけではなく、明らかにこちらへ意識を向けているのが音から読み取れた。
測ったような等間隔で、地を慈しむような優しい足取り。
なのにというか、だからというべきか、どこか不気味で奇妙だ。
美しい歩調ではあるが、ゆえに白々しいというか。
ゆっくりと振り返ると、黒い礼服を着た男が立っていた。
白髪のオールバックで白ひげを携え、目は優しげに細められてる。柔和な顔をした人だった。
左目に片眼鏡をはめ込んでおり、円と十字の組み合わさった特徴的なネックレスを首からぶら下げている。
その一歩引いた横に、背の低い少女が立っていた。
修道服に身を包んではいるが、袖をダボダボに余らせている。
歩き方がしっかりしているためか、不格好な雰囲気はあまり感じないが。
黒のベールを深く被っているため、鼻より上は見えない。わずかに藍色の髪が頬に垂れていた。
身の丈と変わらぬ長さの大杖を手に握っている。
男と同様、円と十字のネックレスを掛けていた。
二人の姿を見つけたカナリアは立ち上がり、慌ただしくピンと背筋を伸ばす。
「あ、や! ネログリフ様じゃないですか! どうもどうも!」
「ん? なんだあのジイさん、カナリアの知り合いなのか?」
俺はしゃがんだまま、ネログリフ様と呼ばれた白髪の老人を観察する。
「やだ、おにーさん知らないの? ここいら周辺の街で、教会のトップに立つ人だって! ほら、立って立って!」
背を屈め、カナリアがぼそぼそと俺に耳打ちする。
「悪いな。俺のいたところじゃ坊さんが正装でパチンコしてたもんで。そこまで偉いって価値観がなかったわ」
この国……は知らないが、少なくともこの街では教会の権力がデカいんだろうか。
「で、その物凄く偉いジイさんが何の用だ?」
俺が尋ねると、ジイさんの斜め後ろに立つ修道女が口許を顰めて苛立ちを表し、大杖を持ち上げかける。
ジイさんが目線でそれを制する。
「ここ最近あまり教会で姿を見なかったので、声を掛けておこうと思いましてな」
「いや、ちょっと最近忙しかったものでしてって言いますか、アハハ……。その、母さんの容態……どうでしょうか?」
「気にかかるのなら私に訊くのではなく、自分で足を運んであげなさい。忙しい身であるのだろうが、その方が貴女の母も喜ばれる。容態は……まぁ、変わりなく、といったところですかな。それが良いか悪いかは、さておいて」
ネログリフは掴みどころのない笑みを崩さぬままそう言い、小さく首を振った。
どうやらカナリアの母が教会にいて、そこで療養中らしい。
ネログリフの口振りを見るに、結構な重病の雰囲気。
治る兆しはないが悪化の余地はあるぞと、大分オブラートに包んではいるが、暗にそう言っているように聞こえた。
ネログリフはカナリアの露店を見て、ほんの少し顔を顰める。
ボロの絨毯の上に乗る用途不明の品々、その胡散臭さ。立ち場的にあまり好ましいものと思えないのだろう。
「……また以前のようなことをしているのではないでしょうな?」
「や、やですねーそんな! もうああいうことからは、綺麗さっぱり手を引きましたって! ね、おにーさん!」
急に俺を振り返って相槌を求めてくる。
いや、そもそも代名詞が何を示してるかわかんない俺にはさっぱりなんですが。
それでもカナリアの目力に負け、俺は小さく頷いた。
「人を騙すというのは、いかなる理由があろうとも自分の魂を、品位を穢すものです。それにそのようなことをして小金を稼いでも、足しにはななりませぬよ」
「…………」
「貴女は若い、やり方が他にも色々とあるでしょうに」
「ア、アハハハハ……」
カナリアは渇いた笑みで対応し、力なくその場に座り込む。
「私はこう言っていますが、貴女の母を想い、手段を選ばない生き方は尊いものだと思っていますよ。それでは、この辺りで。お客さんを待たさせているようですからね。行きましょうか、アイリス」
大杖の修道女が、こくりと小さく頷く。
名をアイリスというらしい。
ネログリフが軽く俺に微笑みかけてきたので、俺は即席でぎこちない笑みを浮かべて対応する。
ネログリフとアイリスは、また道を歩いていく。
「……え、えっと」
「…………」
二人が去って行った後、そこはかとない気まずさが俺達を包んでいた。
あのジイさんいい性格してやがる。
俺が騙されないよう牽制してくれたのかもしれんが、この空気をどうしてくれようか。
事情察したら怒るに怒れんし、このまま無言で去ってくのもなんか冷たい気がするし、やっぱり俺がエドガーに喰わせたのただのカエルなんだろうし。
「その……アンタも、大変なんだな」
「…………」
カナリアは答えず、正座して顔を俯かせたまま何も言わない。
俺から歩み寄ろうって姿勢見せたんだから、なんか返してくれよ……。
「ほら……あの、俺そこまで怒ってねぇし。あ、この輪笛、置いてった方がいい? そうだ、なんかと物々交換とか……ほら、王冠でもなんでも好きなん持ってっていいし……」
「…………」
どうすんだこれ、おい。
俺もう行くぞ? 何も言わないんだったら行っちゃうぞ?
輪笛ももらっちゃうぞ?
「ま、まぁあんまり詳しい事情は知らないけど、さっきのジイさんの言ってた通り、色々やり方ってあると思うし……」
「……カナリアにできることなんて、商人の真似事と薬草毟りくらいで、そうじゃなきゃ泥棒くらいだもん。娼婦だけはするなって、母さんが意識ある時に言ってくれたもん」
顔を一向に上げないと思ったら、涙声だった。
「でも偉い人がああ言ってんだから、他になんなとあるって」
「……母さんの病魔取り払うためには、お金掛かるから。もう長くないだろうし……間に合わないから。……あの人だって、それはわかって、わかった上で言ってる」
「で、商人の真似事否定されて、薬草毟りじゃ足らないわけじゃん。お金の問題なんて……あれだけ気に掛けてくれてんだから、いざとなったらさっきのジイさんが貸してくれるだのなんだのしてくれるだろ。絶対金持ってるよアイツ。泥棒なんて勧めるわけないし、そんな娼婦なんて……」
そこで、ふとネログリフの言葉を思い出す。
なんとなく引っ掛かる物言いだとは思っていた。
『貴女は若い、やり方が他にも色々とあるでしょうに』
『私はこう言っていますが、貴女の母を想い、手段を選ばない生き方は尊いものだと思っていますよ』
まさか、あれはそういう意味なのか?
「あのクソジジイ……なんか気に入らねぇとは思ってたんだよ」
俺は背を屈めて金の箱、ミニックを拾い上げる。
それから軽く身体を伸ばし、腕を回す。
「あの……おにーさん何を……」
「俺はこう見えても、ピッチャーやってたんだぜ」
こちらの意図がわからず閉口するカナリアを無視し、ネログリフの背にミニックを全力で遠投する。
「くたばれクソジジイッ!」
「おにーさん!?」
かなり距離は開いていたが、寸分狂いなく予想軌道をなぞってミニックは飛んでいく。
ネログリフが足を止めてこちらを振り返り、彼の動きを訝しんだアイリスも謎の飛行物体に気付く。
アイリスは素早く前に出て、大杖でミニックを叩き落とす。
野球ならキャッチャーに拾われてワンアウトだったな。
「ちょ、ちょっと何してんのってェッ!! あの人、この辺りで一番偉い人だからァッ!」
「悪い! なんか飛んでった! 大事なもんだから返してくれぇーッ!」
手をメガホン代わりにし、ネログリフへと叫ぶ。
顔を真っ赤にしたアイリスがぶんぶんと大杖を振り回して怒りを露わにしていたが、ネログリフは笑みを崩さず、そんな彼女を宥めている。
「ヤバイって! 何してんのさァッ! 怒ってないみたいだけど! あの人を傷つけでもしたら大問題になってたから! 街っていうか、ここいらにいられなくなってたってたよおにーさん!!」
「構うもんか。どうせロクな奴じゃねぇよあのジジイ」
「そんなことないってば! あの人にはあの人の考えとか、立ち場とかがあって……今言ったのだってカナリアのただの愚痴みたいなものだし……」
あれこれ言うカナリアを横目に、顔はネログリフに向けて固定する。
ネログリフは屈んでミニックを拾い上げ、こちらに近づいてくる。
「ジイさぁーん! 悪いけど、中身が無事か確認してくれぇ―!」
ネログリフが足を止め、ミニックを開く。
ミニックの手がネログリフに喰らいついた。
ネログリフはその場に倒れて腕を振り回し、その様を見たアイリスが絶叫し、周囲の目を集めていた。
ミニックは、嘘や欲望、悪意に反応するとエドガーから聞かされた。
本当にネログリフが聖人なら、噛まれはしなかったはずだ。
エドガーでさえ知っていたのだからネログリフやアイリスは勿論、周囲で唖然としている人の中にもそのことを知っている者はいるだろう。
「ほれ見ろ、やっぱクソジジイじゃん」
顔を真っ青にしてあたふたしているカナリアへと俺は言う。
返事は、すぐには返ってこなかった。