25.裏冒険者、鏡世界のエーテル
エドガーを背負い廊下を走っていると、前方から嫌な魔力を感じた。
魔物ではなく、人間だ。さっきの獣少女の仲間と見ていいだろう。
イミティタイガーは二匹いた。
二人組で旧魔王城に潜っていた、と考えるのが妥当だ。
「オッサン! さっきよりヤバい奴がいるっぽい!」
「避けろぉッ! 別の道、なんかねぇのか!」
「上に登る階段前で張ってやがる! 多分、こっちの存在に気付いてる!」
さっきの獣少女より数段はヤバい。
すでに魔力を練って迎撃の準備をしてやがる。
戦闘は避けられねぇな、こりゃ。
ぶっ倒すか?
んでも、それをしちまうと俺の素性が割れちまいかねない。
悪人でも殺したかねぇし、かといってヤバ気な組織からマークされるのもゴメンだぞ。
「オッサン、俺が足を抓ったら、あの目隠しをかましてくれ。全力で頼む」
「それでなんとかなんのか?」
「ああ、どうにかする。会話が成立しそうだったら、大口叩いて適当に焚き付けてくれ」
曲り角、階段の前に道化のような白塗りの化粧をした男が立っていた。
痩せており身長が高く、190cm近くはある。黒のピッチリとした礼服を着ていた。
こちらを見て、不敵に笑っている。
横を駆け抜けて逃げる、というのはできそうにない。
俺は足裏を床に擦り付けることでブレーキを掛け、その場に止まる。
「な、テメェは……」
男の姿を見たエドガーが、顔を引き攣らせる。
「オッサン、知ってんのか?」
「こいつ、禁魔術行使の容疑で表舞台を追われた元A級冒険者、エーテルだ! A級は幅が広いといわれているが、かなり上位に入る! ロザリオみたいな紛いもんじゃねぇぞ!」
ロザリオがA級の紛いもんならエドガーもB級の紛いもんだと思うけどな、とは今は言わない。
「おやおや、とうの昔に追放された身である私のことを知ってもらっているなんて光栄だ。ここまで来る実力者にしてはまるでデータにないが、キミ達も裏の人間かな?」
ゆったりとした優しげな物言いだが、白化粧の奥からは殺気が漏れている。
他の魔法でカモフラージュはしているが、魔法障壁を張って防御を固め、手に魔力を溜め攻撃の準備をしている。
いつ攻撃に出てくるか、わかったもんじゃない。
「おいおい、オッサンのことを知らねぇのか! 世間に疎い奴だなオカマ野郎! いいか、このオッサンは、世間を騒がせる超実力派冒険者、エドガーさんなんだぜ! 今は魔物に襲われて足を怪我をしてるから俺が背負ってるけど、この状態でもアンタをブッ飛ばすくらいゴブリン狩るよりチョロイってよ! おら、わかったらとっとと道を譲れよ!」
「おいクソガキィ!?」
エドガーが俺を睨む。
俺はウィンクをし、『合わせてくれ』と暗に伝える。
んなことできるかと言わんがばかりにエドガーが首を振る。
でも俺的には、戦う気なかったら挑発しても通してくれるし、戦う気あったら挑発しなくとも襲われると思うんよ。
こんなところで遠慮すんなっつうの。
「キミ達にとっては非常に残念だろうが、通すことはできない。別にキミ達に固執するつもりはないが、ここで探し物があって、お気に入りの狩り場にしているんでね。だから、もしも荷物を全て置いて行くというのならば、通してあげてもいい。私とて、無益な殺生はしたくない。殺人狂だと、なぜかよく誤解されるがね」
「おい、ガキ! 荷物を捨てろ!」
小声でエドガーが命令してくる。
「いや、押したら何とかなるって! 俺が何とかするから! 結構いいもん拾ったんよ俺!」
「信用できるか! そもそも、テメェに任せたからこうなってんだぞ!? いいから捨てろ!」
小声でのやり取りだったので内容は聞き取れていないだろうが、意見が割れていることは察したらしく、エーテルが咳払いをする。
「すぐに結論を出したまえ。私の部下が奥にいるが、すぐこちらに戻ってくる手筈になっている。殺し合うにしろ降伏するにしろ、急いだ方がいいのはそちらだろう。あの娘は好戦的で、私の言うことをあまりよく聞かない」
あの娘って、あの獣少女のことか?
相手に都合のいい忠告をするなんて、随分と紳士的なこって。
単に相手を舐めているともいう。
「降伏するわけねぇだろ! 猛獣使いにピエロたぁ、冒険者よりもサーカス団やった方がいいんじゃねぇのかアンタら! エドガーさんの前でよく調子乗ったこと言えんなアンタ! このオッサンは気が短くてプライドが高いことで有名なんだぞ! オッサンが足怪我してなかったら、アンタもう五回は死んでたぞ!」
「今この場でテメェをぶっ殺していいかァ!?」
エドガーが声を荒げてツッコミを入れてくる。
何とかするから、俺に任してくれって。グダグダになるから、この場は黙っててくれ。
「ふむ、面白い。そこまでいうのなら、この私が相手になろう。たまには強者と対峙するも悪くない。それに本当にやり手だというのなら、私の立ち場としても放置しておくわけにはいかない。魔王城地下深くに潜り込むだけならいざ知らず、この私を知りながら、それでも尚矛先を向けるとは珍しい」
「矛先向けてんのは俺様じゃねぇぞぉっ! このガキはテメェのことなんざ……」
俺はさっとエドガーの口を塞ぐ。
「安心しろって! 俺が何とかするからよ」
「アイツは本当にヤバイぞ。攻撃魔法よりも、魔法障壁の強固さで名を売っていた男だ。戦場で怪我をしたことがねぇって言われてやがった。アイツを言いくるめて突破するってのは無理だ。通路になんか仕掛けてるかもしれねぇ」
俺が小声で言うと、エドガーも小声で返してくる。
「どうした? 作戦会議……というよりは、ただの説得のようだが。私は気は長い方だが、ただ待たされるというのも面白くない。そろそろ、こちらから仕掛けさせてもらおうか。光魔法、『白昼夢』」
すっと、エーテルが近付いてくる。
ゆっくり歩いているようにしか見えないのに、速い。独特の歩行だ。
どこか現実味がなく、目で追っていると奇妙な浮遊感を覚える。
歩き方の問題だけでなく、幻術の類も混じっているようだ。
「お、おいどうすんだ! こっち来んぞ! 本当に迎え討てるんだろうなぁ!?」
俺はオッサンの足を思いっ切り抓る。
目くらましを使ってもらう合図だ。
「痛ェ! 何しやがんだ!」
「頼むってオッサン! ほら、あの魔法使ってもらう合図だって言ってたじゃん! 忘れたのか?」
「わかってるけど、思いっ切りやりやがったな! 血出たぞこれ!」
「文句は後で聞くから! ほら、早く! 最大出力で! デカイ声で! ドヤ顔で頼む!」
エドガーは不服そうに俺を睨むが、迫ってくるエーテルを見て覚悟を決めたようだった。
エーテルへと、手を向ける。
「こうなりゃどうにでもなれだぁッ! 闇魔法、『闇の霧』!」
周囲を闇の霧が包む。
「子供騙しだな、残念だよ。エドガー君と、名も知らぬ少年よ。キミ達のことは、明日にはもう覚えてなどいないだろう」
闇の中で、エーテルが動くのが見える。
腕を振るい、的確にこちらに狙いを定めている。
見えているのではなく、音や気配から察知しているのだろう。常人が、この闇の中で目が利くとは思えない。
「光魔法、『三本の矢』」
闇の霧の中から、エーテルの振るう左手、右肩、左腹部を狙って魔法を撃ち込む。
そして相手に聞こえるよう、「出た! エドガーさんの必殺技だァッ!」と適当に茶々を入れる。
魔法攻撃を察したエーテルが鼻で笑う。
「そんな直接的な魔法は、私には通じない。私の魔法障壁は特別製でね。外部からの魔法攻撃を亜空間に転移させ、無限回帰させ、消耗させる特殊な仕掛けを施してある。誰にも伝授していない、私だけの固有魔法だ。確かに威力は高そうだが、残念だったねエドガー君。見たところ、まだ若い。もう少し賢明なら、伝説に名を残せる魔術師になれていただろうに」
闇の霧が薄まる。
俺の放った三本の光の矢が、エーテルの直前で急速にスピードを落としていくのが見える。
「私には届かないよ。キミから私に干渉するには、この数メートルは無限に遠い。それこそ、合わせ鏡の向こう側のようにね」
エーテルがつまらなさそうに笑う。
次の瞬間、光の矢が再加速する。
「…………うん?」
三本の光の矢が、エーテルの左肘、右肩、左腹部を貫通する。
エーテルは厚い白化粧の上からでもわかるくらい間の抜けた表情を浮かべながら、綺麗な穴の開いた自分の身体を見直し、それからようやく身体が事実を受け入れたように、その場に倒れ込んだ。
「アンタの言ってることはさっぱりわかんなかったけど、なんか届いたみてぇだな」
「そんなバカなぁぁぁぁぁぁァアッッ! 編み出してから20年間、ただの一度も破られたことがなかったというのに! 戦争でも私はッ! 最前線で戦って、常に無傷を誇っていたのだぞ!」
「おう、そいつはラッキーだったな。でもオッサンの前に立ちはだかったのが運のツキよ」
そのまま俺は、血塗れで倒れ込むエーテルの横を駆け抜ける。
「待てぇッ! 私が、この私がァッ! 負けたまま惨めに見逃されるなど、あってはならない! あってはならないのだ! まだ終わってはいないぞォッ!」
エーテルはふらふらの身体で辛うじてというふうに立ち上がり、血を垂らしながらエドガーの背に吠える。
「それはそっちの都合だろ。じゃあな、ピエロのオッサン」
「何たる侮辱! 私の生き様を穢す気かぁッ! 戻ってこい、エドガー!」
「オッサンはアンタの相手するほど暇じゃないってよ」
俺の一声を聞き、エーテルは真っ赤に充血させた目を見開く。
「エドガー! エドガーだなぁッ! 貴様の名、確かに覚えたぞ! 外道に身を落としたとはいえ、私は腐っても一流の魔術師! 禁忌に手を染めたのも己の魔導を極めるためであり、私の信念、誇りに背くことをした覚えなど一度もない! 私は人生の全てを、魔導を極めることに懸けた! 家族を捨て、愛した女を捨て、それによって得た栄誉さえも捨てて打ち込んできた! 貴様はそれを踏み躙り、穢したのだッ! 私を見逃したこと、いつの日か必ずや後悔するぞ! エドガー! エドガァーッ!! エドガァァァアァァッッ!!!」
エーテルは最後、地に這いつくばりながらも顔だけは執念で持ち上げ、身体を振り絞って声を上げる。
言い終えるとがくりと首を項垂れさせ、頭部を地に打ち付けて動かなくなった。
「な、上手く行っただろ? よかったよかった、これで万事解決! あの怪我なら追ってこれねぇよ」
「よかねぇわ!! とんでもねぇ恨み買ってねぇかァッ!? 凄い顔してたぞアイツ!?」
「大丈夫だろ。俺のことはバレてねぇし」
「俺様の名前で恨み買ってんのが問題なんだよ! テメッ、これ、おいッ! どうすんだおいッ! 戻ってトドメ刺すぞ!」
「人殺しになんかなりたくねぇよ。すぐ倒せる奴を相手に、何のためにこれだけ回りくどい手を使ったと思ってんだ」
「エーテルゥウッ! コイツこんなこと言ってんぞぉおっ! 俺様は知らねぇからなぁァァッ!!」
エドガーの叫びが狭い通路に響く。
力尽き気を失っているエーテルの耳には、届かない。