15.二日酔いのエドガー
エルフの少女と別れた後、ムー子とエドガーの元へと戻る。
エドガーは目を覚ましてこそいたが、頭を押さえながら床に座り込んでいるままだった。
「あ……と、オッサン、大丈夫か?」
「殺せ……」
「は?」
「頭が痛い……苦しい、吐き気がする……殺してくれ……。俺様を、楽にしてくれ……」
エドガーは俺を見上げ、恨めしそうな声を出す。
ああ、これ駄目な奴だ。
「ムー?」
ムー子が『この人大丈夫?』と言いたげに俺を見る。
俺は静かに首を振った。
「ああ……なんで、なんで俺様がこんな苦しまなきゃいけねぇんだよぉ……殺せぇ……もう、殺してくれぇ……」
「落ち着けって、おい」
「なんで俺様がぁ……俺様ばっかりぃ……どうせ生きててもロクなことねぇんだよぉ……殺してくれぇよぉ、アルマァ……」
「マジで落ち着け」
どんなけナイーブになってんの。
俺、エドガーからまともに名前で呼ばれたのこれが初めてだぞ。
こりゃ相当来てんな。
「アルマァ……水、水をくれぇ……水を飲んだら、ちっとはマシになりそうな気がすんだよぉ……」
「オッケー、わかった。ちっと待ってろ。金、借りてくぞ」
露店通りなら何か飲み物があるはずだ。
水じゃなくともジュースか何かでも、体内のアルコールを流してくれるのに一役買ってくれるはずだ。
そういや、前世でアサリが二日酔いに効くって聞いたことあんぞ。似たようなもんがあったら買ってこよう。
「頼んだぞアルマァ……テメェしか、今頼れる相手がいねぇんだよぉ……」
「おう、任せやがれ。あと、アンタから名前で呼ばれるとムズ痒いからやめろ」
エドガーの服から硬貨の詰まった小袋を取りだし、露店街の方へと足を向ける。
「ああ、そうだエドガー」
「な……なんだよ……早く、水持ってきてくれよ……」
「昨晩のこと、どれくらい覚えてんだ?」
「それがよぉ……俺様ともあろうものが、ちょっと飲み過ぎちまったらしい。ほっとんど、覚えてねぇわ……」
お、じゃあ俺がエドガーに酒飲ませたこと覚えてねぇんじゃね?
記憶にねぇことで後でネチネチ怒られるのかと憂鬱だった分、ほっとした。
助かった。
「そうか、そりゃ良かった」
「良かった?」
「い、いや、なんでもねぇよ。それじゃ飲み物買ってくるから、大人しく待っててくれよ」
俺は失言を誤魔化し、追求を重ねられる前に、走って露店通りへと向かった。
やっぱ、この辺の通りはいいな。
賑やかだし、この怪しい感じが溜まらん。ついつい、関係ないものに目移りしてしまう。
とと……いかんいかん、苦しそうなエドガーを置いてショッピングを楽しんでいるわけにはいかない。
覚えてないけど、原因は俺なわけだし。
でもそもそもを遡れば、嫌がる俺に無理矢理酒飲ませてきたオッサンも悪いと思うんよね。
いや、あのグロッキー状態見たらそんなことは言えんけど。
予想に反し、飲み物を置いている店はなかなか見つからなかった。
ひょっとしてこれ、どっかの建物入るとか、「誰か水を売ってくれぇっ!」て叫ぶかした方が早いんじゃなかろうか。
というか、さっささと宿まで戻った方が早いかもしれん。
籠に入れた様々な鳥を売っているのに目を奪われて足を止めたり、絶対壊れない盾だから一発殴ってみろと言われて商品を叩き壊して追いかけまわされたり、どんどんと時間が過ぎて行った。
はぁ……はぁ……走り続けたせいで喉が痛い。
どうにか撒けたけど、なんとも人寂しいところまで来ちまったもんだ。
俺、なんか悪いことしたか?
「お兄さん、おにーさん、そこのお兄さん。ちょっち見て行かないって」
何か飲み物を……と探していると、急に声を掛けられた。
「あ? なんだ、俺のことか?」
声の方を見るが、人の姿がない。
「下、下だってばさ、お兄さん」
言われて目線を下げれば、金髪ポニーテールの女の子が目に入った。
短いスカートを着て土汚れの酷い絨毯の上に正座をし、細い素足を晒している。
愛想よく笑った顔が可愛らしい。
絨毯の上には、変わったものがいっぱい並んでいる。
手作り感満載の木の置物に、魚の干物のようなものが吊るされており、その横には怪しい液体の入った小汚い瓶がある。
酒のボトルもいくつか並んでいて、カエルのミイラのようなものまである。
あれは……なんだ、なんか白い粉があるけど。
いいじゃん、いいじゃんここ。
俺、こういう胡散臭そうなの大好きよ。
「何か探してるんじゃないのー? さっきから、辺りをキョロキョロしちゃってさ。このカナリアさんに言ってみって」
ふと、彼女の腰に剣があるのが見えた。
「アンタ、冒険者なのか?」
「F級だけどね。冒険者だけじゃ食ってけないから、ちょっと遠出したときに変わったもん買って商人の真似ごとしてんのって」
「なるほどな」
そういう人もいるのか。
まぁ、エドガーでもB級になれるんだし、F級ってなるとあんまり割のいい仕事も来ないもんなんかもしれんな。
「で? 何を探してんの?」
「実は知り合いが二日酔いで、なんとかできそうなもんないかなーと」
まずは水が欲しいところだが、ひょっとすると薬か何かも置いているかもしれない。
「丁度いいじゃんお兄さん! ラッキーだったね。ほら、これ、何かわかる?」
カナリアは言いながら、カエルのミイラを持ち上げる。
「えっと……ただの乾燥したカエルじゃねぇの? それ、食えんのか?」
「あれ、知らないの? ひょっとして、コーラングレの街とか行ったことない人?」
「どこだそれ? 有名なところなのか?」
「あー、じゃあ知らなくても無理はないかなぁって。これ、あそこの街近辺の薬草を食べて育った蛙なの。ちょっとした体調不良くらいなら治しちゃう効果があるの」
「マジでかよ」
「マジマジ」
まさに探していた通りのもんじゃねぇか。
これでエドガーも一発回復だわ。
問題は、金が足りるかどうかってことだけど。
「で、それはいくらなんだ?」
「ん~結構これ、貴重だもんねー……。おにーさんとは縁を感じるし、安くで売ってあげたくはあるんだけど……それしちゃうとカナリアが喰いっぱぐれちゃうと言いますか」
「だよなぁ……金、足りっかなぁ」
俺はエドガーから借りてきた小袋を開いて、中を確認する。
居酒屋でがっつり持っていかれちゃったからな。
「よし! 仕方ない、特別におにーさんには800ゴールドで売ってあげちゃってもいいかな」
言われても、安いのか高いのか全然ピンと来ないぞ。
宿一泊で600ゴールドだったから……だいたい、1ゴールドで約10円くらいか?
カエル一匹に8000円……いや、でもエドガーは死んだ方がマシとまで言ってたしな。それなら8000円くらい安いもんだろ、多分。
俺は小袋の中を覗く。色の違う硬貨はあるが、あんまり数がねぇ。これ、800ゴールドもあんのか。
わかんねーよ、クソ。
「なぁ、カナリア。俺さ、実は金を数えられねぇんだよ。800ゴールドあるかどうか、見てくれないか?」
「あれれ、そうなの? わかったわかった、カナリアさんに貸してみって」
カナリアは俺から小袋を受け取ると、眉を顰める。
「あー……500ゴールドちょっとしかないかなー」
「マジかぁ……」
がっくりと俺が肩を落とすと、カナリアが軽く笑った。
「でも、ま、ここで売らないっていうのもちょっとカナリアの流儀に反するかな。ある分全部で売ってあげてもいいけど、どう?」
「マジかよ! アンタ、めっちゃいい奴だな。いや、本当に悪い」
「どいたまどいたまー」
カナリアは雑に小袋をひっくり返し、中の硬貨を絨毯の上に出す。
それから硬貨を掻き集め、自分の持ち物袋の中へと入れていく。
「マジでサンキューなカナリア。今度見かけたとき、絶対またなんか買うわ」
「いーって、いーって、そんな気負わなくても……」
「こんなとこまで来てやがったのかクソアマァッ!」
急に現れた大男が怒鳴り、カナリアの声を掻き消した。
坊主頭で、身長が2メートル近くある。
カナリアが小さな声で「あ、ヤバ」と呟く。
「さっきはよくも舐め腐った真似をしてくれたなっ!」
大男は絨毯の上に乗り、商品を踏み潰す。
「お、おい、どうしたんだよ!」
「部外者は引っ込んでいろっ!」
大男が腕を引く。
殴られる。そう覚悟したカナリアが、目を瞑る。
「やめとけよ。無抵抗な女ぶん殴るたぁ、あんまり趣味がよくねぇんじゃないのか?」
俺は二人の間に立ち、大男の拳を手で止めた。
「なっ! なな、なんでそんなヒョロい身体で……」
カナリアが最小限の荷物を持って立ち上がり、逃げようとする。
「クソッ! 待てっ!」
再びカナリアに襲いかかろうとした大男の足を払う。
拳が空振り、大男がその場に倒れる。
「がはぁっ!」
カナリアは俺に小さく頭を下げ、建物の陰へと逃げていった。
いいことをした。やっぱり、恩には恩を返さないとな。
「え……あいつから買った酒が、ただの臭い付けた水だった?」
「ああ、そうだ。正規の半額近くだったから怪しいとは思ってたし、俺も間抜けだったが……。多分あれ、口んところに似たような臭いの香水振っていたんだな」
どうやら大男は、カナリアに金を騙し取られていたらしい。
じゃあ俺のこのカエル……まぁ、深く考えないことにしよう。ひょっとしたら効果があるかもしれないし、とりあえずエドガーの口に放り込もう。
効果がなかったら謝ろう。
「その……なんか、悪いことしたな。でも、ぶん殴るのはよくないと思うぜ。アンタがぶん殴ったら、さっきの子、死んじまうぞ」
「……すまない、頭に血が登っていた。止めてくれて感謝する。お前、見かけによらず強いんだな」
「毎晩シャドーボクシングやってたからな」
シュッシュッと、空を殴る素振りをして見せる。
ちょっとふざけただけなのだが、大男はジロジロと俺の動きを観察し、「ほう、それで強くなるのか?」と尋ねてきた。
引き返せなくなり、俺は曖昧に頷いておいた。
大男が去って行ってから、放置されていった露店跡を見る。
商品をまるまる見捨てて逃げて行ったな。やっぱこれ、価値ないんじゃね?
何か欲しいのがあったらヤケクソでもらっていってやろうと考えていたのだが、冷静に見直したらだいたいゴミに見える。
ふと俺は思い付き、絨毯奥に並んでいる酒のボトルに手を伸ばす。
蓋を開け、軽く臭いを嗅いでからちょっと飲んでみる。
やっぱこれ、水だわ。
ボトルに傷が入ってるのあるし、捨てられてんの拾って来たんだろな。
俺は商品のひとつとして置いてあった木箱に入るだけボトルを入れ、持ち上げる。
こんだけ水があったら、多少はマシになるだろう。
ダメ元でカエルのミイラも食べさせてみよう。