14.エルフの少女
「うげぇ……マジに酒臭い……」
文句を言いながら、俺はエドガーを背負って宿を探す。
やべぇ、全然どこがどこだったか覚えてねぇぞ。
都会慣れしてない田舎もんですまんかった。こちとら森奥引き籠ってたもんで。
そもそも今のエドガーの所持金で宿取れんの? 追い返されない?
そういやエドガーが冒険者ギルドに銀行みたいなシステムあるっつってたな。
一回寄ってって、エドガー叩き起こして金引き出させるか?
ああ……日の光が身体に染み込む。
冴えるどころかむしろ眠くなってくんのよね。ダークエルフって不思議。
日光で死滅するダニに通ずるものを感じる。
ムー子は俺のフードに爪を喰い込ませたまま、スヤスヤと眠っている。
ああ、もう、羨ましい。
ちょっとは代わってくれよ、なあ。無理か、サイズが足りんもんね。
そういやダークエルフの長老が、天敵のいっぱいいるストレスフルな環境では、身を守るためにムーも大型魔獣に成長する場合が言ってたな。
もっとも、そういう環境だと結局のところほとんどが大型になる前に捕食されるらしいが。
ムーバード、マジ不憫。
結局あの森でも、大型といえそうなムーは見たことがない。
しかし、ムー子もデカくなったら俺乗せて走ってくれたりすんのかな?
いや、試すつもりはないけども。ストレス環境に放置するのが可哀相だし。
ああ……あの建物、見たの三回目だわ。
もう駄目だ、エドガーを叩き起こして道を聞こう。
「なあ、オッサン……」
エドガーに声を掛けようとした瞬間、背筋が凍るような冷たい視線が俺を射抜いた。
殺気にも似た、強烈な感覚。
明らかに見られている。それに、向こうは自分が見ていることを俺にアピールしてきている。
視線そのものが魔力を帯びているようにも思えた。
まさか、ロザリオか? まだこの街にいたのか?
いや……でも、この視線、どこか他で感じたことがあったような気も。
振り返る。
建物と建物の狭間、路地裏のその奥に視線の主はいた。
真っ黒なローブに、金で書かれた記号の文字列が、模縁取りのように描かれている。
昨日の午前、冒険者ギルドに向かう前に見た馬車に乗っていたエルフらしき少女だ。
目が合うと彼女はくすりと笑い、路地裏の闇の中へと消えて行った。
着いて来いと、そう言われた気がした。
やっぱり、俺のことは気付いていたんだ。
どうするべきだ?
エドガーはあの馬車のことを、国の紋章が入った馬車と言っていた。
国ぐるみでダークエルフを探しているという可能性もある。
なのに、馬車にいた他の者には俺のことを言わなかった。
たった一人で俺の目前に現れた。
敵意はない? 何か、俺と交渉したい?
向こうの誘いを蹴って放置しておけば、やっぱりダークエルフがいたと報告されかねない。
俺は建物を背凭れにし、エドガーを地に座らせる。
危険があるかもしれない。エドガーと、ムー子は置いて行こう。
「ムー子、オッサンを見張っといてくれ。ちょっち、変な奴見つけたから追いかけてくる」
「ムー……」
ムー子は不安気に鳴く。
「大丈夫だって。多分、そう危険じゃねぇよ」
エドガーとムー子と一時的に別れ、薄暗い路地裏奥へと向かう。
しんと静まり返っていて、まるで人の気配を感じない。
ひょっとしてさっき見たのは幻影だったんじゃあなかろうかとすら思ってしまう。
「おい、出てきやがれ! 人呼んどいて、その態度はねぇんじゃねぇのか! アンタはいったい、何者だ!」
狭い通路に俺の声が響くも、それに対する返事はない。
おいおい、俺は幻影でも見ちまったのか。
割と眠くて頭が働いてないから、白昼夢説も有り得なくはない。
しばらく歩いた先で、道が左右に分かれていた。
両方確認するも、さっきの少女は見当たらない。
ど~ち~ら~に~し~よ~う~か~なっ!
頭の中で歌って、それに合わせて指を振る。右へと決まった。
一歩右へと歩き出してから、急にアホらしくなってきた。
呼ばれたかと思ったからわざわざムー子と二日酔いのエドガーを放置してきたというのに、なんだこの扱い。
馬鹿にされてる感がハンパねぇぞ。
「クソッ! なんだ、俺の自意識過剰だったのか?」
実際、あの少女がエルフでもなんでもない可能性は充分にある。
そこまでじっくり見れてたわけじゃないし、そもそも本物の白エルフ見たことねぇし。
ダークエルフを探していたというのもただの憶測だ。
元来た道を戻ろうとすると、目と鼻の先に黒いローブの少女が立っていた。
「うおわぁっ!」
警戒心が解れた瞬間の出来事だったので、思わず手が出てしまう。
が、俺の拳は彼女の身体を擦り抜けた。
体勢を直すと、少し距離を取ったところに少女が移動していた。
「あ……と、瞬間移動?」
「私の位置を誤解させただけよ。幻を見せられたのだと、そういうふうに理解してくれればいいわ」
少女は手をがローブの内側に隠したまま、首の動きだけで器用にフードを外し、顔を露にする。
赤い目で俺を見て、くすりと笑う。
彼女の白い肌に赤の双眸はよく生えており、それがまた幻想的で美しく、どこか不気味ですらあった。
すっと長く尖った、特徴的な耳。
やはり、見間違いではなかったらしい。
「白エルフ……なのか?」
「その呼び方、好きじゃないわね。普通にエルフでいいわよ。それとも、貴方はそう呼ぶのが許せないタイプの人なのかしら? ねぇ、黒エルフさん」
意趣返しのつもりか、ダークエルフを黒エルフと称して言葉を返してくる。
白エルフは蔑称的な意味合いが強いのかもしれない。
ダークエルフの森では、少なくとも一日に二言は白エルフの悪口を耳にしていた記憶がある。
昔、エルフの国から異形種として追い出されたのだとかなんとかで、相当恨みを持っているようだった。
俺も幼少は白エルフいつか滅ぼすべしと燃えていた記憶がある。
前世の記憶が戻って本当に良かった。今考えると、あいつら考え方が本当に極端なんよね。
儀式と称して洗脳紛いのこと色々された覚えがあるし。
「白エルフで教え込まれてたからな。育ちが悪いもんで、許してくれ」
「あら、怒らないのね。ダークエルフは気が短くて思い込みが激しく頑固で偏屈って聞いていたから、結構警戒してたのに」
「だいたいあってる」
悪口をただ羅列しているだけにも聞こえたが、今世での身内を思い返せば、思い当たる節だらけで怖い。
「……それで、アンタはいったい何者だ」
「余計なことに首突っ込んじゃって、『天に最も近い国』から追放された身なのよ。地に落とされたエルフが何を意味するか、人族さんもよく知ってるみたいね。すぐに捕まって、道具として使われてる身よ。ほら、首にこのスレーブ・チョーカーが付いてるでしょ」
言われて首許を見れば、黒に金字で文字列が記入されている妙なチョーカーが巻かれている。
「これで私、行動縛られちゃってるのよ」
「なんだそりゃ?」
「付けた者の行動を縛る魔法具よ。貴方、何も知らないのねぇ」
そんなものまであるのか。
「田舎もんだから許せ」
「そうあっさりと返されると、手応えがないわね」
「でも、それさえ付けてたら一人で外出歩いていいもんなのか?」
「ちょっと見張り役に色目使って、二人でこっそり会う約束して拘束力を緩めてもらったのよ」
ぺろり、少女が真っ赤な舌を伸ばす。
見かけの幼さとは裏腹に、妖艶さの滲み出る仕草だった。
俺が言葉に詰まってぱちりと瞬きすると、俺の内心を読み取ったのかのようにくすりと笑う。
「馬鹿よね。人族なんて、私が相手にするわけないのに」
「…………」
エルフの国追い出された身の癖に、他種族軽視はご健在ですかい……とは思ったのだが、それを口に出すことはできなかった。
彼女から感じる強大な魔力が、圧迫感が、無意識の内に俺に言葉を選ばせていた。
「……で、結局のところ、何の用だ? 誰かの命令で、ダークエルフを探させられていたんじゃあないのか?」
「そうよ。私くらい魔力感知に優れている者は、地上にはいないでしょうね。とは言っても、馬車で外出する口実が欲しくて、ダークエルフが街にいるかもしれない、私なら探せるって話しただけよ。安心しなさい、貴方を城に突き出すつもりはないわ。距離があると不完全な感知しかできないから、危ない橋を渡る前に本当にダークエルフがいるってことを確認したかったのよ」
私くらい、魔力感知に優れている者はいない?
ってことは、ひょっとして10年前にダークエルフの儀式を感知して勇者が攻め入ってくるきっかけを作ったのってコイツなんじゃないのか?
まぁ、あのまま事が運んでたら俺は今頃魔王様なわけで……。
別に恨むつもりはないけど。
「アンタの立ち場はわかったけど、何のために俺に会いに来たんだ?」
「少し顔を合わせてみたかっただけよ。大事な用事があったわけじゃあないわ」
「……んだよ、ビビッて損した。俺のことは、誰かに言うつもりはないんだな」
「今のところは、そう思ってもらっていいわ」
少女はまだ薄く笑い、それから思い出したように、「ああ、そうだわ」と口にする。
「ひとつ、尋ねてみたいことがあったのよ。敢えて言うのなら、これが本題ね」
「ああ、なんだ……」
と、急に後ろから肩を叩かれる。
首を背後に回すと、少女がぎゅっと背から抱き付いてくるところだった。
な、なんだよオイ。
肩叩かれたときは、まだ目の前にいたはずだぞ。どういうことだよ。
まさか双子かと思って顔を前に向け直すが、そこに少女の姿はない。
「……ま、また幻でも使ったのかよ」
「ねぇ、貴方、もっと私に触れたくない? もっと、もっと深く」
少女は俺の耳元に唇を近づけ、脳を蹂躙するような甘い声で囁き、俺を抱き締める力を強める。
彼女の舌が、耳のすぐ下に触れた。
唾液が、俺の頬に付着する。
そこだけ感覚が鋭利になったようで、熱を感じた。そしてそれに急かされるよう、俺の胸が大きく鼓動を打つ。
それがなんだか苦しくもあって、しかし、決して不快ではなかった。
夢でも見ているようで現実感が薄く、頭から思考能力が遠のいていく。
「ねぇ、答えてよ」
彼女の声で、はっと目が覚めたような気分になった。
「な、ななな、何すんだよっ!」
思わず、俺は少女を突き飛ばす。
手心なしに、力いっぱい押してしまった。
「キャッ!」
少女は可愛らしい悲鳴を上げ、路地裏の地を転がり、壁に背を打ち付ける。
それからぐったりとしたように、頭をぐったりと前屈みにする。
「お、おい! 大丈夫か!」
「あら、あら。随分と激しいのね」
また後ろから声がする。
振り返ると、悪戯っぽく笑う少女がいた。ローブには土の汚れひとつ付着していない。
「……もう、驚かねぇぞ。人を散々からかいやがって」
言いながら、俺は自分の頬に手を触れる。
わずかに湿っているのを感じ、思わず顔が熱くなる。
どこからどこまで幻なのか、ぜんっぜんわかんねぇぞ。
やっぱり舐められたのか?
「どうしてああも人族やら猫耳族と仲良くしていられるのかしらと疑問だったけれど……貴方、まだ20年も生きていないのね。その上、とっても世間知らずみたい」
くるりと踵を返し、少女は俺から離れていく。
「また、いつか会いましょう。数年後か、数百年後か。貴方がもっと、もっともっと、私を欲してくれるようになったら、またその時に」
「ちょ、ちょっと待てよ! どこに行くんだ?」
「城へと、また捕まりに行くことにするわ。こそこそ種族を隠しながら生きるよりは、開き直って道具として使われていた方が楽なのよ。私としては、ね」
俺はぼうっと、遠ざかっていく少女の背を眺めていた。
距離が開いてから、なんとなく追いかけなければいけないという気になった。
聞きたいことが、まだ山ほどあった。
10年前のダークエルフの森の事件についても、はっきりさせておきたかった。
恨んでいるわけではないが、あんな一族でも俺の今世での血縁者であることには違いないのだ。
背景があるのなら、知っておきたかった。
しかし、どれほど走って追いかけても少女の姿は見つからなかった。
やがては表通りに出てしまい、右へ左へと目を向けるが、雑踏の中にあの黒いローブはない。
一方的に現れた少女は、結局名を告げることもなく、一方的に俺の前から去っていった。
エルフは長寿だ。
身体が充分に独り立ちできるほどにできあがってからは成長速度がどんどん遅くなっていき、老いる速さも人間とは大きく異なる。
天寿を全うできれば1000歳近くまで生きる。
前世の感覚が残っているせいで年下だと思い込んでいたが、ひょっとしたらあの少女は、俺なんかよりもずっと年上なのかもしれない。