10.ヤンキー猫理論作戦
再びやってきた冒険者ギルドは、昨日の夕方と比べて少し人が多かった。
しかし、受付に行列がというほどでもない。
なのにエドガーは頭を抱え、大きな舌打ちを鳴らした。
「クソ……遅かったか。ああ、もう、テメェがあっちこっちと寄り道すっから!」
ガシガシと自らの頭を掻き毟るエドガー。
おいおい、髪の毛に当たるのはやめとけ。将来絶対に後悔すっぞ。
「大丈夫だろ。だからさ、アンタは何を警戒してんだ?」
エドガーは俺の言葉を無視し、神経質気にギルド内の隅から隅へと目を走らせる。
「ま……大丈夫か」
ぼそり小さく呟き、ずかずかと大股で受付へと歩く。
俺もエドガーの横に並ぶ。
結局何が大丈夫なんだよ。
説明してくれなきゃ不安なんだけど。
並んでいる間、周囲の視線が突き刺さってきた。
なんだろうか、この生温い悪意というか、好奇というか……。
試しに俺は耳を澄ましてみる。
『おい、エドガーの奴来てやがるぞ』
『あれだけ無様にやられて、恥ずかしくねぇのか? 俺なら一週間は外歩けないね』
『ありゃ見てて気持ちよかったわ』
『A級冒険者様に掴みかかってあっさり返り討ちにされたんだったか? あそこまで差があるもんなんだな』
『エドガーは実質C級以下だろ。仲間に媚び売って、職員脅して無理矢理実績作ってたから』
『ダッセェ……』
『最近調子乗って、その仲間にも切られたらしいぞ』
うわ……ひでぇ……。
俺は聞いていられなくなり、耳に向けていた魔力を解除する。
エドガーの方を見る。
彼は下唇を噛みながら、前方を睨んでいた。
周囲の嘲笑に気付いていないわけではなさそうだ。
ああ、だから人の少ないときが良かったのね……と、今更ながらに合点が行く。
それならば事情を話してくれれば俺だってもっと協力したのに。
いやでも、エドガーの性格からいってそれを良しとはできないだろうなぁ……。
俺も朝早く起きれてたかどうかはまた別次元の話かな。寝起きは無理。悪いけど、無理。
「まあ、うん……元気出せよオッサン」
俺は手を伸ばし、エドガーの肩を叩く。
エドガーは素早く俺の手を祓う。
「急になんだよテメェはぁっ! 別に、ヘコんでなんかねぇっつうの! ぶっ殺すぞ!」
エドガーが叫ぶと、また周囲からのクスクス声が強くなる。
エドガーは肩をすぼめ、また黙った。
そのまま無言が続き、数分のうちに俺達の番が来た。
エドガーを見た受付嬢は顔を顰め、それから背後の他の職員へとちらりと目配せし、小さく笑った。
昨日とは違う受付嬢だったが、職員中に噂になっているのだろうと容易に想像できた。
エドガーがブチギレるかと思ったが、なんとか堪えていた。
恥の上塗りにしかならないと判断したのだろう。
「……今日こそ、このガキの冒険者登録に来た」
「では、フードを取って、顔を見せていただけませんか?」
昨日と同じやり取りだ。
エドガーはそっと麻袋を差しだす。
賄賂だ。
中にはいくつかの硬貨が入っている。
用意するとき、かなり多目に入れておくと言っていた。
受付嬢はさっとそれを回収し、服に仕舞う。
エドガーが安堵の息を漏らす。
賄賂作戦が成功したと、そう思ったのだろう。
「では、フードを外してください」
だが、受付嬢はあっさりと裏切ってきた。
こちらの意図を理解していなかったはずはない。
その証拠に、ニマニマと嫌な笑いをしている。
「テメッ、このクソアマァッ! 今、受け取っただろうがぁっ!」
「はて、何をでしょうか?」
わざとらしく受付嬢が困ったふうに言う。
腕を振り上げかけたエドガーを、必死に俺が制止する。
「や、やめとけって!」
俺は小声で言い、周囲を見るよう促す。
周りからぼそぼそと、まーたエドガーかといったふうな嘲りが聞こえてきていた。
何か問題を起こしそうになれば、すぐに昨日の再現となりかねない。
なんとか落ち着いたエドガーは軽く咳払いをし、額に手を当てていた。
冷静になるよう、自分に言い聞かせているようであった。
「……実はこいつ、難病でな。顔の一部が酷い炎症を起こし、爛れてるんだ。人には見せたくねぇんだとよ」
受付嬢の表情がわずかに変わる。
行ける。ここは押せば行けそうだ。頑張れ、頑張ってくれエドガー。
「元々貴族の出だったが、そのせいで家を追い出されちまったんだ。そこを俺様が拾って、一流の冒険者にしてやるって約束したんだ。俺様は確かにロクデナシだし、昨日だって問題も起こしちまった。だからその態度もわかる。わかる、が、コイツのことに関しては何とかしてやってほしい!」
エドガーがばっと頭を下げる。
受付嬢が戸惑ったよう、その場から半歩退く。
宿中で二人で考えた、賄賂と二段構えの『ヤンキー猫理論作戦』である。
普段ゴロツキでチンピラなエドガーが、可哀相な捨て子を拾ったといえば同情を引けるはずだという安直な考えなもとに生まれたが、意外と効果的なようだ。
提案したときはエドガーにぶん殴られ、向こうが手を痛める結果に終わったが。
ちなみに作戦名は、捨て猫拾ったヤンキーが物凄く優しく見える現象に由来する。
上手い具合に騙されてくれたらしく、賄賂とは別口で追加で登録料を取られたものの、あっさりと登録は終了した。
「……では、最後にこの魔力板を握って念じてください」
わずかに目を赤くした受付嬢が、そっと俺に透明なガラスのようなものを渡してきた。
おいおい、あんなベタな作り話で泣いちまったのか。この人、チョロ過ぎんだろ。
俺はわざと弱々しい手つきでそれを受け取る。
すっと透明な板が黒色に染まっていき、文字が記入されていく。
「…………?」
俺はあえて声は出さず、仕草でこれは何か、といったふうに問いかけてみた。
こうしておけば儚げに見えて、エドガーのでっち上げの後押しにもなるだろう。
「これはギルドカードです。冒険者としての証明書にもなりますので、失くさないようにお気をつけください」
カードを見る。
さっきエドガーが口頭で伝えた俺の名前に加え、依頼実績やら何やらが書かれている。
冒険者ランクはF級となっていた。最初はFからなのだろう。
よーし、とっととエドガーに追いついてやっか。
これで一安心……と思っていたところ、つかつかとこちらに歩いてくる人物がいた。
見覚えのある、どこか嫌味に見えるカールの掛かった金髪。妙にぱっちりとした双眸。
ロザリオだった。
「おやおや、今日も来ていたのかい。さすがは恥知らずのエドガー君」
エドガーの顔が一気に強張る。
「チッ、ガキ、一旦ここを出んぞ」
「まぁまぁ、待ちなよ。僕は君に言いたいことがあって来たのさ、エドガー君よ。さて受付さん、そっちの子、顔確認を飛ばして登録していたように見えたけど、僕の勘違いかなぁ? 違うと思いますけど」
「……形式的なものですから、正式な理由があればこちら側の裁量で手順を飛ばしてもいいことになっています」
「正式な理由? 正式かどうか、口頭で判断できるのかい? 元々その薄汚い男は、ハッタリと脅しでB級まで上がったと噂で聞いたよ。そんな奴の言うことを、信用していいのかなぁ? ダメなんじゃないかなぁ?」
ロザリオは受付嬢にねちっこく言い、それから俺の前へと回り込んできた。
「僕が思うに、この男が虐待した痕でも残っているから、顔を見せられないんだと思うんだよ。この手の何をやっても駄目な奴は、溜まった鬱憤を買った奴隷を甚振ることで晴らそうとするものさ。君、本当はあの男に殴られたんじゃあないのかい?」
ロザリオの顔が、ふっと一気に近づいてきた。
前回と同じく、恐らく瞬間移動のようなものなのだろう。まったく動きが見えなかった。
「うぁっ……」
距離を取ろうとするが間に合わず、そのままローブの端を掴まれ、顔を覗き見られた。
慌てて手を叩き落とし、俺はロザリオから離れる。
「ふむ、なるほどねぇ」
ロザリオは少し黙ってから、口許を隠して笑う。
顔を見られた。
マズイ。顔に炎症なんかないのは一目瞭然だったろうし、ひょっとするとダークエルフだとバレてしまった可能性もある。
「ほぅら、やっぱり顔は痣だらけだったじゃぁないか! 騙されちゃあいけない、必死に隠そうとしていたことからも、エドガー君が虐待していたことは間違いない!」
ロザリオは大声を張り上げ、建物内に耳障りなテノール声を響かせる。
てっきりばらしに来るかと思いきや、気付いていないのか?
いや、それにしても何故こんな嘘を?
「エドガー君、君の非道な行為、伝統ある冒険者ギルドを穢すかのような愚行の数々、僕は許せそうにない! 何より、その子を君に任せてはおけない。この場で君に決闘を申し込む! 君が負けたら冒険者登録を抹消し、この街を去るんだ。無論、僕も同じ条件を呑む」
芝居がかった調子で言い、ロザリオが剣を抜いた。
近くにいた冒険者達が悲鳴やら好奇の声を上げながらさっと逃げるように引いていき、俺達を囲むようにして円ができた。
間違いない。
俺がダークエルフであることに、ロザリオは気付いている。
その上で俺が顔を晒せないと踏み、このような行動に出たのだ。
目的ははっきりとは見えてこないが、窺うように周囲をチラチラと見ていることから考え、自分の力を誇示することが目的なのではと推察できた。
わかりやすい悪役であるエドガーをボコボコにして、周囲からの賞賛を得ようという算段なのだろう。
騒ぎを聞きつけてか、建物外からも見物人が現れ始める。
人が増えれば増えるほど、ロザリオは嬉しそうに口端を吊り上げる。
「決闘だって?」「おい、なんだなんだ?」
「ギルド内での決闘行為は……あの、外に」「水差すなよ。いいじゃねぇか、どうせすぐ終わるぜ」
「おい逃げるんじゃねぇぞへっぴり腰!」
俺はエドガーの元に駆け寄り、声を掛ける。
「な、なぁ……登録は終わったっぽいし、こんまま人混み掻き分けてさっさと逃げちまおうぜ!」
「黙ってろクソガキ! さんぜんコケにしてくれたあのクソヤローを叩き斬らねぇと、俺様も気分が晴れねぇ!」
エドガーは眉間に青筋を浮かべ、歯を喰いしばり、鼻をぴくぴくと震わせていた。
完全にキレていた。
いや、気持ちはわかるけど、無謀だろ。絶対逃げた方がいいってコレ。
向こうの思う壺だって! またダシにされるだけだって!
ドンッとエドガーが思いっ切り俺の身体を押す。
突然だったので踏ん張れず、俺はそのままよろけてさがってしまった。
「邪魔すんじゃねぇーぞ。そっから見とけ」
エドガーは俺を一瞥し、それからロザリオへと近づいていく。
対峙してから、観衆へと目を向ける。
「誰か、ナイフを貸せ」
エドガーのナイフは俺が砕き、結局あれから買い直している様子もなかった。
どっと沸き上がる笑い声。
しかし、ここで武器を渡さなければ乗り気なエドガーが下がってしまうと判断したのだろう。
観衆の中から黒刃のナイフが、エドガーの頭を目掛けて投げつけられる。ぶつけてやろうという意思もあったのかもしれない。
エドガーはそれを頭に当たる寸前で掴むが、刃に抉られ手から血を流した。
「ティニブリス・ダガー、そこそこの業物だぜ。負けた言い訳にすんじゃねぇぞ。もしもお前が勝てたら、それやるよ」
投げた人間から野次が飛び、観衆がまた一層と笑う。