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信じて貰うには

『只今、電話に出られません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件を……』

「渡部、俺だ。……話があるから、仕事が終わったら昨日の場所に来てくれ。……待ってる」

 

 ――夕焼けに照らされた鱗雲を眺めながら、あいつと一緒に花火を見た土手で、遠い遠い記憶を懐かしんでいた。

「今考えると、さすがにあの服はキモかったな」

 思い返せば返す程、耳や胸が熱くなってしまう恥ずかしい思い出達。でもそれは、未熟な自分が精一杯に過ごしてきた結果であって、頭から否定するようなものじゃ無い。

「俺だってさ、実は結構どきどきしてたんだぜ? 『あんまり傍に寄ったら、汗臭いって思われるかな?』とか、『このまま手が触ったら、やっぱ引かれるよな?』とか、すっげー色々考えてたんだから」

 あの夏の夜の渡部は、凄くキラキラ光っていた。それはもう、直視できないくらいに。

「正直、ちょっと何かきっかけがあったら、あのまま付き合ってたと思うよ。ホントに」

 嘘じゃ無い。心の奥では、お前の事を抱きしめたいと思っていた。そのまま離れたくないと思っていた。


「……じゃぁ、何で、あたしと付き合ってくれなかったの?」

 気が付けば、渡部はどこからともなく現れ、俺の横に立っていた。

「……あの時はさ、全然自分に自信が無かったから、自分から『好きだ』なんて、絶対に言えなかったんだよ。……でも、それ以前に、俺はちゃんと分かってなかったんだ。『人を好きになる』って事が」

「……」

「何て言えばいいかな。……まぁ、正直に言っちゃうと、『好き』と『セックス』の区別が付いてなかったんだと思う。……多分」

「……」

「結局、それがちゃんと分かっていなかったせいで、さっちゃんやあゆみにも、辛い思いをさせちゃったんだけどさ」

「あゆみ?」

「……これは、誰にも言っていないんだけど、……お前にだから、……話す」

 

 今、こんな事を話す必要があるのだろうか? こんな軽蔑されるような事を言って、彼女は俺の事をどう思うのだろうか?

 でも、そうしないと、俺の気持ちをちゃんと説明できないような気がした。だから、いくら後ろめたくても、ちゃんと全部を話す。

「……俺さ、あの二人と、……二股してたんだよね。……最後の頃」

「え? ……え? ど、どういう事?」

「どういう事も何も、……そういう事だよ」

 自嘲するような苦笑いしか出てこなかった。自分がどれだけ馬鹿だったか、どれだけその場の雰囲気に流されてきた事か。

「だから、ちゃんと知っておいて欲しいんだ。お前の中にある理想の俺じゃ無くて、……現実の俺の事を」


 昔を一つ一つ思い出しながら、その時の想いを告白し続けた。一度は諦めたあゆみへの想い、流されて関係を持ち、盲目的になってしまった自分。その後、あゆみに彼氏が出来、そのまま結婚した事。

 ……そして、それを悲観し、自ら命を絶とうとしたあの日。

「でもまぁ、その時は結局、美空に助けられたんだけどね」

「……」

 彼女は驚いた表情のまま、立ち尽くす。

「そういう……事? だから美空も芹奈も、あんな事……」

「ま、今はもう吹っ切れた昔話だし、あんまり気にしなくていいよ」

「……っ、結局、何が言いたいの?」

「要はさ、俺は周りに流されて生きてきたって事。自分からは何も選ぼうとしないで、周りに言われるがまま。……だから今は、自分の意思で前に進みたいと思ってる」

「……」

「お前が、俺の事を好きでいてくれたこと、良く分かってた。……でも、俺は、他に好きな人がいる」

「……」

「だから俺は、今の、この気持ちに正直になりたい」

「……」

「だから、ゴメン。……お前とは付き合えない」


「……て……のに」

 彼女はうつむいたまま、独り言のように呟く。

「え?」

「今まで、あんなに一緒に笑ってくれてたのにっ! どうしてそんな顔して、どうしてそんなこと言うのよっ! 他の女なんて見ないでよっ! あたしの事、ちゃんと見てよっ!」

「……ゴメン」

「あたしだって、あたし……だっ……て?」

 その時、突然彼女の動きが止まった。口を半開きにしたまま、幽霊でも見たかのような顔で、あらぬ空間を見つめている。

「……え? ちょっと待って? あ、あたし……、嘘……」

 何か思い出したのか、彼女の顔は、突然、みるみる青くなっていく。

「渡部? どうかしたのか?」

「何……でもない。……そんなのって」

「お、おい、どうした? ほんとに顔色悪いぞ?」

「……そ、そっか。あの二次会の時、あたしが、……あゆみの前に引っ張っていった……せい……なんだ?」

 脂汗を浮かべた顔で、彼女は地面に向けて問いかける。何かに気付き、取り返しの付かない何かに、背筋を寒くするように。

「あ、あぁ、その事か。それなら気にするなって。さっきも言ったろ? 昔話なんだから」

「……何で? 何でそういう事言うの? ちゃんと言えばいいじゃない。『俺はお前のせいで死にかけたんだ』って。『俺はお前に殺されそうになったんだ』って!」

「だ、だから、それはもういいんだって」

「言えよっ! 言えってば! どうせあたしの事なんて嫌いなんだろっ! あたしが居なくなれば、全部解決するんだろっ! ほらっ、さっさと言えよっ! お前なんかいなくなれって!」

 

 彼女は錯乱したように叫び続ける。正直、その鬼気迫る姿は、恐怖以外の何物でも無かった。

 でも、彼女をこんな風にさせてしまったのは、俺のせい。だから、ここから逃げる訳にはいかない。

 彼女の心に触れる為、そして、俺の心に触れて貰う為にも。

 

「違う、お前のせいなんかじゃない。だって、お前は俺を喜ばせようとしてくれたんだろ?」

「知らないっ! そんなのどうだっていいでしょっ!」

「どうでも良くなんかないっ! あの時、お前が居てくれたお陰で、俺はこうしてここに居られるんだぞっ!?」

「……?」

 泣きそうになるのを必死で堪えていた彼女は、俺の想定外の言葉に対応出来なかった。何の事だか分からずに、瞳を潤ませたまま、ぽかんと俺を見つめ続ける。

「あの時、お前が俺を引っ張って行ってくれなかったら、多分、こうやって一人で立っている事なんて出来なかった。あんな辛い思いをしてまで、何かを乗り越えようだなんて思わなかった。……だから、今は逆に、感謝してる」

 あの悪夢のような日々があったからこそ、俺は今、こうしていられる。それは、紛れもない真実。

「だから、泣くなって。な?」

 

 いつもの渡部からは想像も出来ない程に、小さく縮こまってしまった身体。

 横柄で、雑で、思い込んだら人の事などお構いなしに突っ走ってきた彼女。

 なのに今は、怒られている小さな子供のように、許される事を待っている。自分がしてしまった事に、後悔しながら。


「でも、やっぱりあたしのせいだよ。悪かったね。……もう、二度と邪魔なんてしないから、あたしの事なんか忘れて」

「だから、悪いとか邪魔とか――」

「じゃあねっ! バイバイっ!」

 彼女は突然背を向けて走り出す。何かから逃げるように。

「あっ!? おい、待てっ……て」

 

 ……また、そうやって俺から離れていくのか。


 でも、彼女の瞳に溢れていた涙を、忘れてはいけない。

 これは、俺が選んだ結末。俺が、自分の意思で決めた事なんだから。

 

「ゴメンな、渡部」


 ……あの涙から、目を、背けるな。


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